19 偽りの顔
それは不思議な感覚だった。質問を重ねる度にキャラクターがだんだん立ち上がってくる。どんな食べ物が好きなのか。嫌いなのかから始まった質問が百を超えたころには、カロリーネという人間はユウキにとって魅力的な友達になっていた。主役以外みたいだと言ってごめんなさいと心の中で呟くほどには打ち解けていた。
「じゃあ、カロリーネ、今日も交代お願いね」
ユウキが囁くと、カロリーネは「大丈夫よ」と頷いた。
表情の曖昧な無個性な話し方はどこかにいってしまった。カロリーネははつらつとした張りのある声で「ユーリア様、お茶をお持ちいたしました」と部屋の扉をノックする。
ユウキもそれに続く。お茶を運ぶのは新米のユウキの役割ではなかったのだけれど、ユーリアと接触するためにカロリーネに同行させてもらったのだ。
お茶の淹れ方が上手になりたいというと「勉強熱心よねえ」と感心されて、騙しているようで居心地が悪かったけれど。
本来の目的は、ユーリアに魂を吹き込むことだったから。
欠損は僅かに修復された――と思われた。それはカロリーネの魂――個性と言えるものだ。
今回の旅で特徴的なことは、ユウキが自分の力で直接欠損を修復することができることだと思った。そして、人物に魂が宿りだすと話が動く。もしカロリーネが人形のままであれば、ユウキのお願いなど聞いてもらえなかったと思う。
つまり、話を進めるためには、他の人物にも魂を込めればいい。そして、話を大きく進めるためには、ヒロインであると思われるユーリア、ヒーローと思われるフリッツ王子に接触する必要があるのだ。
「イーナ、大丈夫? 顔色が悪いけれど」
カロリーネが囁き、ユウキはハッとした。イーナという呼び名には大分慣れたが、たまにぼうっとしてしまう。
「大丈夫」
疲れているのは確かだった。カロリーネに個性を、という試みはユウキを消耗させた。というのも、質問を重ねるうちに、カロリーネの中で決まっていないような事柄も多く出てきて、その度にユウキは彼女とともに考えなければならなかったからだ。
カロリーネの意見なのか自分の意見なのかわからくなることもあった。それをいいことに、ユウキに都合の良い意見を押し付け、展開に誘導しようとすると、反発が起こった。
きっかけはカロリーネが好奇心旺盛だったらなあと思ったことだった。もしそうならば情報収集に役立ってもらえるからだ。
だが、その設定を植え付けようとしたら、彼女は急に動かなくなった。世界全体の時間が止まってしまったようで、ユウキはものすごく焦ったのだ。
(あれだけは避けないと)
ユウキはあくまで聞き手で、観察者でいなければならない。自分を抑えて、キャラクターに寄り添わねば、この世界はユウキだらけになってしまい、固まってしまうのだ。
密かに心に刻んでいると、カロリーネは「南の大陸に戦いに行くみたいよ」と笑った。
「ご不興を買っちゃうと大変だから、注意してね」
「ありがとう」
短く深く息を吸うとユウキは部屋の中へと足を踏み入れた。
ユーリアはガツガツと、とてもお姫様とは思えないほどのお行儀の悪さで、クッキーを貪った。このクッキーは最初に彼女に質問をしたときに返ってきた答えからチョイスしたバターたっぷりのクッキーだ。
好物だとしても、様子がおかしい。やけ食いだろうか。カロリーネも訝しげな顔をしている。
「あ、あの……一体どうなさったのですか?」
唖然とするユウキに、ユーリアはクッキーのカスを唇の端につけたまま笑った。
「あのカエル、一緒に食事をしようって言ってきたの。父上もそうしなさいと言うだけで、わたくしの希望など皆無視をするのよ。だから食欲なくなってしまって食事があまり入らなかったの。あぁお腹がすいた! もっとちょうだい!」
追加はもうない。カロリーネがクッキーを取りに厨房へと向かうのを見送ると、ユウキはゴクリと喉を鳴らして問いかけた。質問をするチャンスだと思ったのだ。
「あの……前から気になっていたのですが、ご質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
これまでの経験上、ユーリアは甘いものを食べたあとは機嫌が良い。下っ端の質問も許してくれるかもしれない。
「なあに?」
クッキーである程度空腹が和らいだのか、ユーリアは穏やかに聞き返す。
「どうして王子殿下をカエルと呼ばれるのでしょうか」
「男のくせに目がぎょろりと大きくて、気持ち悪いからでしょ」
いつも他の人間に言っているのと同じ答えが返ってくる。
「殿下のお顔が気に入らないと仰るのでしょうか?」
「そうよ」
「では、見目麗しい方であれば、ご結婚されるということでしょうか」
ユーリアはなぜそんなことを聞かれるのかわからない、そんな顔をした。
彼女は難しい顔をして首を傾げる。
「……いえ、違うわ。国のためにも結婚はフリッツとしないといけない……のに、わたくし、どうして……」
ユーリアはじっと考える。そしてやがてひどく戸惑った顔をした。初めて見る表情だ。
「そうだわ。だけど結婚はできないのだったわ――あの人、あんな風にわたくしを愛していると言うけれど、あれは嘘よ。あの人、自分を偽っているのよ」
カロリーネが菓子を持って戻ってきたので、質問はそこまでとなった。
仕事を終えたユウキは、与えられた部屋でノートに向かい合う。
例のルールの載ったA6ノートを相手に思考を巡らせるのは日課となっていた。ページを開くと、ふっと短い息を吐いて鉛筆を手に握る。
上部にはタイトルが書かれている。
『かえるの王様』
タイトルが間違っていたらどうしようと思うものの、カエルがキーワードとなる話などユウキは他に知らないのだから仕方がない。
次に簡単なあらすじが書きなぐってある。
『魔法使いにカエルにされてしまった王子様が、お姫様に出会い、彼女の愛により元の姿を取り戻し、お姫様と結婚するお話』
(……だったと思うけど……なんか違ったような?)
読み直して違和を感じたユウキは、消しゴムで後半を少し修正する。子供ながらに、ちょっとそれはどうなの? と思ったエピソードがあったのだ。むしろそれが印象的でこの話を覚えていたと言ってもいい。
『魔法使いにカエルにされてしまった王子様が、お姫様に出会い、彼女に壁にぶつけられて元の姿を取り戻し、お姫様と結婚するお話』
お姫様はとにかくカエルを毛嫌いしていた。だから魔法が解けた原因は愛ではなかったと思う。いやもし愛だとしても、壁にぶつけて愛とか言うのはちょっとさすがに特殊過ぎないかとユウキは思った。
出来上がったあらすじを読み直し、ユウキは思わずうーんと唸った。
この短い一行にどれだけの難題が含まれているかと思ったら頭が痛くなってきたのだった。
まず、王子様は人間で、カエルにされていない。魔法使いもいない。そして、王子さまは壁にぶつけられなければならない。元の姿を取り戻さなければならない――
「……全部変じゃない?」
ユウキは椅子の背もたれにぐいと寄りかかり、天井を見つめてため息を吐いた。
諦めてしまいたくなるけれど、それは出来ない。ならば考えるしか無いとユウキは反り返った背を元に戻す。
「つまり、解釈を変えるしかないよね」
『だからさあ、無いものは無いって割り切れば逆に楽だろって話』
――そんなクリスの声が耳に蘇り、寂しくて、心細くて、そして愛しくて。涙がこぼれそうになる。だけどユウキはすぐに感傷を振り切った。
(わたし、頑張るから。一人でも頑張ってみせるから)
まばたきをして涙を散らす。
そしてクリスの言葉を頼りにユウキは文を分解して、要素を抜き出してみることにした。
「まず、魔法使い……うん……魔法使いはこの世界にはいないから保留、ね」
早速躓くけれど、例のごとく保留にして次へと進む。魔法使いというのは役なのだ。『カエルにされた』をどう解釈するか次第で行動が決まってくる。
「カエルにされたっていうのは……ユーリア様がカエル顔って言ってることかな……ってことは、魔法使いがユーリア様になるってこと? だけどじゃあ、お姫様は誰? 一人二役?」
こちらもよくわからないから一応『魔法使い=ユーリア? だとするとお姫様は誰?』とメモをして保留にする。
「あとは壁……壁にぶつけて元の姿に戻る……壁はそのまんまで大丈夫?」
ユウキはユーリアと王子の体格差を思い浮かべる。ユーリアは見るからに華奢な少女で、フリッツ王子はがっしりとした体格に見えた。
「物理的に難しい気がする……んー……これも保留……?」
保留がここまで貯まるとさすがにきつかった。行き詰まりを感じて、投げ出したくなる。
トランプの『七並べ』が頭に思い浮かぶ。6や8のカードが出揃わないために次のカードが置けないような、そんなもどかしさがあった。
というより、前提に無理があるのだ。まず、魔法無しでこの『かえるの王様』のアレンジを行うのがとても厳しいと思った。前の二つの話――白雪姫と人魚姫でも大変だったけれど、魔法に関わる人物が普通の人で代用できたのは、魔法の内容が人でもできることだったからなのだ。今回はカエルに変身という具体的な魔法なだけに、代用が難しい。
(あぁ、クリスみたいに頭が柔らかかったらな)
こめかみを揉んで深呼吸をする。最後の一フレーズが残っている。
「……元の姿……元の姿……言い換えると? 本来の姿? 本当の姿……正しい――正体?」
ユウキはつぶやき、ふとユーリアの昼間の言葉を思い出してハッとした。
『自分を偽っているのよ』
とんぼ返りとでもいうのだろうか。カードがキングからひっくり返ってくる感覚。
正体を隠した王子をカエルだとすると、今の人の良さそうなフリッツ王子はカエルの皮を被っているだけなのかもしれない。
だとしたら、そこに鍵が隠されている気がしてユウキは考えに沈み込む。もし王子の本性が分かれば、一気に残りのカードが並べられる気がした。
だが、本性を知るには本人に接触する必要がある。一介の使用人が可能だろうか?
考えているうちにユウキは舟を漕ぐ。慌てて起きるけれど、やはり瞼が重くなってくる。昼間、しっかり働いているせいで体力も限界なのだ。
それでもユウキは計画を練り続ける。
胸の中で誰かが叫ぶのだ。早く、早く、間に合わなくなるよと。
だけどふと気がつくと、手に持った鉛筆がみみずのような線をノートに走らせている。
弱音を吐きそうになる。だけど、ぐっとこらえてユウキは自分の手の甲に爪を立てた。
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