16 確たるものは

 ぱちん、と焚き火が爆ぜる。橙色の光の中、クリスは絵本を凝視していた。ここにユウキに繋がる道がある。今にも切れそうな細い糸を、慎重に手繰り寄せるような気持ちだった。


「白雪姫と人魚姫は多分、完結したはず。それなら、残りを当たればいいってことか」


 クリスは目次に書かれている残りのタイトルをなぞる。

 かえるの王さま、赤ずきん、おやゆび姫、ヘンゼルとグレーテル、シンデレラ、長靴をはいた猫、ラプンツェル、眠り姫。

 同時にユウキが持っていたノートの文言を思い出す。

 ――ここに書かれているのはすべてな童話だ――


「ユウキがばらばらにした本に、物語が何編入ってるかわからないし、ここに並んでいるのが全てだとは言えないだろうけれど……これは子供向けの絵本。つまりおそらくは有名な物語。ヒントにはなる。ここから要素を取り出して、この世界の伝承と付き合わせてみれば……」


 それぞれのあらすじを確認したくて本を読み込んでいると、ロシェルがクリスを覗き込む。そしてカタラクタ語で尋ねた。


「さっきから何をブツブツ言ってんだ……?」


 クリスははっとする。ここがどこなのか、今がどういう状況なのか。それどころかルーカスとロシェル、二人の存在を完全に忘れていた。


「《物語》? 中に、戻ってくるって言ってたけど――どういうことだ?」


 ロシェルはクリスの独り言を拾っていたらしい。

 一瞬すべて話してしまおうかと思う。

 だが、最初にユウキの口からこの世界が物語の世界だと聞いたとき、馬鹿にするなという想いが湧き上がったことをクリスは忘れてはいなかった。

 自分が物語の中の登場人物で、他人の空想の産物であるなど、とてもじゃないけれど認められなかった。

 今こうして様々なことに悩んで、そうして苦しんで。この胸の痛みまでもが全部だれかの空想であるなど、信じられないのだ。


 だが、もしかしたら。

 この世界にある本の中の人物――内側の人物もそう思って生きているのかもしれない。そして、逆にこの世界を作り上げた創造主――外側の人物さえも、実は、さらなる外側の世界の空想の産物かもしれない。世界はそんな風に入れ子になっていて、すべての存在は、どこまでも空想の産物で。

 そうして、自分だけが『自分は本物だ』と信じて生きている。

 確たるものは、今、『こうして考えている自分』しかないのかもしれない――


 考えるたびに鬱屈していたけれど、その境地にたどり着いたらなんだかどうでもよくなった。心が楽になり、クリスは現状を受け入れることができたのだった。


(『我思う、ゆえに我あり』か)


 ぽん、とどこからそんな言葉が降ってくる。どこで読んだのかは覚えがないが、とても有名な言葉だった気がした。


(あぁ、でも)


 この話をこちらの世界の人間に話すことは残酷だと思っていた。自分と同じように苦しむに決まっている。無理に受け入れて生きていけるほどの強さを求めてはいけない。

 結局クリスは小さく首を横に振った。


「いや……なんでもない」


 だが、ロシェルは噛みつきそうな顔で食い下がった。


「何でもないじゃないだろ。話せよ」

「……話せない。到底信じられないような話だし」

「馬鹿にすんな。自分だけが特別とか思ってんだろ。それって思い上がりだろ。真実を知らないのは気持ち悪いんだよ。アタシは信じてみせる。言ってみろよ」


 活火山のようになってしまったロシェルに困惑してクリスはルーカスを見た。彼は小さくため息を吐くと、驚くことにロシェルの肩を持った。


「今さら何を驚けって言うんです? 私は、ユウキが一度死に、蘇ったところをこの目で見たのですよ?」

「……蘇った……?」


 淡々と言うルーカスにロシェルが目を見開いた。


「ユウキは三年の間、死んだような眠りについていたんです。それが殿下が死体愛好家だという噂の元凶です」

「三年……?」


 ロシェルは呼吸を止めたかに見えた。クリスはとどめを刺すような心地になりながら、それでも彼女への敬意から口を開いた。


「ユウキはこの世界のの人物だ。この世界は、彼女の世界の人物が紡いだ《物語》の世界なんだ」


 そう一息に言ったものの、何かが頭のなかで引っかかる。間違ったことを言ったような心地になってクリスは首を傾げる。


「そんな、冗談――」


 と言いかけて、ロシェルは言葉を飲み込む。先程信じてみせると言ったことを思い出したのだろう。


「そして、彼女はこの物語の登場人物としてやってきた。最初は《白雪姫》の白雪姫として。次は《人魚姫》の……」


 そこまで口にして、クリスはぎょっとした。

 ユウキの役柄が、どちらも主役ヒロインだったことに気がついたのだ。


(偶然、か?)


 もし偶然でないとしたら、ヒロインを探せばいい。とすれば、彼女が次に現れる場所が一気に絞れるような気がしたのだ。


(あれ……でも)


 クリスは引っかかりを覚え、白雪姫と人魚姫の話に目を落とす。

 まず一つ目の白雪姫では、白雪姫だったのはクリスだった――はず。少なくとも最初ユウキはそう考えていた。クリスが、ユウキが白雪姫だと確信したのは本当に最後の最後、彼女があちらの世界に帰ったときだった。

 そして、次に人魚姫。王子クリスを助けたのはエミーリエ――ロシェルであり、ユウキではなかった。ユウキは最初、人魚姫ではなく、王子の結婚相手である王女オフィーリアだった。こちらでも、最後の最後に、すべてを背負って海に飛び込んだことで人魚姫になったのだ。


(配役交代、か。厄介だな)


 クリスはふと不可解さを感じた。

 完結させる、とノートのルールにはあった。だが、実は、物語は完結していないのではと思ったのだ。少なくとも、クリスの側では。

 白雪姫では、王子であるクリスは結婚していないし、人魚姫では結婚相手が消えてしまっている。

 ユウキ側ではどうだろう? 人魚姫はああして泡になったから完結しているのかもしれないけれど……白雪姫ユウキはまだ結婚していない――はず、と考えたとたん、クリスはきゅっと胃が縮むのがわかった。それはクリスの勝手な希望的観測であり、確認が取れていない事に気がついたのだ。


(ユウキが、あちらに戻ることで白雪姫を完結させた)


 クリスは恐る恐る仮定を持ち出した。


(となると、白雪姫――ユウキは王子様と結婚しているということになる……?)


 凄まじい勢いで頭に血が上るのがわかった。


「いや、でも結婚してるんなら、俺と結婚できないし……! いや、あっちの世界では重婚可能なのか!? もしや多夫一妻制とか!?」


 喉も干上がるのがわかって、クリスは生唾を呑み込んで喉を鳴らす。


(………わかんねえ………っていうか、それは知りたくない……!)


 うわあああと叫び出したくなる。頭をかきむしるクリスの肩にロシェルがぽんぽん、となだめるように手をおいた。

「殿下、なんだか色々ダダ漏れですが」ルーカスが小さくため息を吐き、茶を差し出した。一体いつの間に淹れたのだろう。


「とにかく今は眠りましょう」


 ルーカスにつられて上を見上げる。欠けた天井から見える月は、夜半を過ぎたことを知らせていた。


「お気持ちがわからないわけではありません。ですが――あなたはパンタシアでただ一人の王子、そして、この大陸の命運を握るお方です」


 状況をお忘れなく。ルーカスは釘を刺す。


「……わかって、る」


 そう口にしながらも、心の半分が持っていかれる。絵本を離さないクリスを、ルーカスが諭すようにじっと見つめる。

 誘惑を断ち切ってクリスは絵本をパタンと閉じ、同時に思考も閉じた。

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