14 別世界への道程
「……わたし、本の中に行ってきたんです」
ユウキの言葉にも真山先生は驚かなかった。
「どうやって入ったんだ?」
「本を壊してしまったんです。そうしたら、中にいた《グリム》と名乗る人に、本を内側から修理しろって言われて、気がついたら本の世界にいました」
「内側から?」
さすがの先生でも理解が追いつかないらしい。ユウキは、ばらばらになった物語の要素を拾い集め再構築した自分の体験をかいつまんで話す。
「……じゃあ、つまりは壊したら本の中に入れるのか!?」
前のめりになる先生は、もしいまここに本があったら本を無理矢理に破るのではないと思えるくらいに真剣だった。
「わ、わかりません。わたしのときはそうでしたけど」
気圧されながら、ユウキはふと気になって尋ねる。
一度目にあちらから帰ってきた時、本は何事もなかったかのように図書館の本棚に置いてあった。物理的にはばらばらになったはずなのに。
「先生の息子さんが眠ってしまった当時、本はどうなっていたんですか? 壊れていました?」
「大知の時は別に壊れていなかったが……」
予想と違い首を傾げる。
「じゃあ、修繕されたのかな……」
言いかけてユウキは首を傾げた。
(もし修繕したんなら……戻ってきてるはずじゃあ……?)
先生は難しい顔をする。
「さっきの話だと、ユウキちゃんは修繕したから出てこられた。……じゃあ、こいつは修繕がうまく行かずに呑み込まれたのかな」
ユウキは是とも否とも答えられず考え込む。戻ってきていないということは何らかのエラーが発生したと考えるべきなのだろうけれど、もしそれが致命的なエラーだとしたら、既に現実世界で死んでいる気がするし、本は壊れたままのような気がする。
だがこの《大知さん》はまだ死んでいないし、本はユウキが最初に見たときには壊れていなかった。《大知さん》が眠ったのは一年前。それ以降に本は修繕されている。
(どういうこと?)
謎が謎を呼び、ユウキは頭が混乱してきた。ヒントを求めて口を開く。
「……他の……人のときはどうだったんでしょうか」
呑み込まれ、亡くなってしまった人のことを考えると胸が軋む。それは先生も同じだったようで、顔をしかめて首を横に振った。
「警察の話だと、本は図書館の司書の方が修理したそうだよ」
「警察?」
「あの刑事さんたちは、前の事件も気にしているんだ。図書館で起きた連続の不審死だからね。だから、どうしてもしつこくせざるを得ない」
不審死。なるほどとユウキは納得しつつも気になる。外からも修理は出来るということだろうか? だとしたらグリムから聞いたのと話が違う。
三浦さんたち、それから司書さんにも話を聞く必要を感じながら、ユウキはふと枕元を見て目を見開いた。
大量の本が積んであったのだ。
「完訳 グリム童話集……」
タイトルを口にすると、先生は奥にある古い本を指差す。
「原書もあるんだ」
ずらりと並んだそれらの本の隣には分厚い英和辞書に続き、ドイツ語の辞書、デンマーク語の辞書、フランス語の辞書が並んでいる。病室に置くにしては、ずいぶんとマニアックだ。
先程の話を思い出し、これはこの部屋の主――《大知さん》の持ち物なのだろうと思い当たる。
「文学部、っておっしゃいましたけど……専攻は?」
「西洋史学をやりたいと言っていたが……ゆくゆくは書くよりも編集者になりたいと言っていてね。僕は反対していたんだが、妻は賛成していたかなぁ」
「奥さんが?」
「彼女は本が好きでね。大知が本好きになったのは彼女のせい――いや、そんなことを言うと怒られるな。おかげというべきか」
惚気にも聞こえた。なんだか微笑ましくなってユウキが苦笑いをすると、先生も照れたように笑う。
「彼女は保守的な僕と正反対でね。とにかくこどもの好きなことをさせるべきだと。なんでもやってみなさい、あなたの世界が広がるからというのが口癖でね。あれを聞いたら、僕でもなんでもできそうな気になったなあ」
「仲がよろしいんですね」
「うん。まあ、もう大分前に亡くなったんだけれどね」
「……え、あの、そうなんですか」
何と言っていいのかと言いよどむユウキに、先生は
「いやいや。そんな顔をしないで。もうかなり前のことで……そういえば、あれからかな、こいつが妙に反抗的になったのは」
と言って懐かしむように大知さんの頭を撫でる。
(……え?)
ふと、ユウキは何かが心に引っかかるのを感じた。頭の中で今の場面を巻き戻して、目を細める。
(……今の…………って……?)
何が気になったのか理解したユウキは思わず目を瞬かせる。
とたん、いてもたってもいられなくなる。思わず縋るように先生の腕を掴んだ。
「せ、先生――わたし、どうしてもやらないといけないことがあって。だから、協力して下さい!」
**
病院の裏口から抜け出すと道路に出る。すると車のヘッドライトがゆるゆると近づいてきた。
「寒くないかい」
部屋着の上にカーディガンという薄着だったけれど、興奮で寒さは感じなかった。
頷くとドアを開けて車に乗り込む。
《御伽噺奇譚》を探しに行きたいから、単に母にバレないように外出を助けてほしいと言ったのだけれど、家までは少し距離があるし、夜中に出歩くには危険が大きすぎると、先生が車を出してくれたのだ。
セダンが静かに走り出す。
家の前で車から降りる。時計を見ると三時半だった。まだ夜は明けていない。
「お母さんに見つかる前に部屋に戻らないといけないから、三〇分だけだよ」
車を降りるときに先生が釘を刺したけれど、ユウキは曖昧に頷いた。
(いや……もうお母さんには会えないかもしれない)
先生は《御伽噺奇譚》を一緒に調べようと言って協力してくれた。だけど見つかったならば、ユウキは先生との検証を待たず飛び込んでしまうだろう。
そんな確信があった。
(そして飛び込んだなら――)
胸の痛みを左手でぐっと押さえこみながら、鍵穴に鍵を差し込む。鍵は母のカバンから拝借していた。
カチリという鍵が開く音が妙に大きく聞こえた。
家にはタクヤがいる。起こさないようにと足音を立てないように階段を登った。
母が本を隠すならどこだろう。捨てているだろうか。そんな不安が頭をよぎったけれど、物語を愛する母は、本を捨てることはできないだろう。
ユウキが母ならば、きっとと思える場所があった。
母が御伽噺の本を並べるのならば、やはり。
引き寄せられるようにユウキは目的の部屋に入る。
(やっぱり……)
成長に伴い子供部屋は二つにわかれていたが、児童書の類はなぜかユウキの本棚に置かれていた。
ユウキの予想通り、本はユウキの部屋の本棚、童話集の隣にひっそりと収まっていた。
グリム、アンデルセン、ペロー。ユウキが読まなかったせいで、本はまだ新品同様なのに、薄く埃を被っている。
そっと手を差し伸べる。
だが本に触れる前に、
「だめだよ」
ユウキの背に低い声が降りかかった。
驚いて振り返ると部屋の入口には大きな影。
「姉ちゃん、行っちゃだめだ」
そこでは、タクヤが真剣な目でユウキを見つめていたのだった。
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