13 まるで眠り姫みたいな

「うちには二人息子がいてね。兄の方は親の言うことをよく聞く、いわゆる《良い子》で、期待どおりに医者への道を進んでくれたのだが、次男坊はその真逆。親の期待をことごとく裏切るような子だった」


 常備灯だけが光る夜の廊下は、しんと静まり返っている。真山先生の声と、二人分の足音だけが廊下に響いていた。


「僕はあの子にも病院を継いでほしかった。兄を助けてこの病院を盛り上げてほしかったのだが、親の敷いたレールの上で生きるなんかまっぴらだと言ってね。当てつけるように文系に進んで、文学部に合格した。せめて弁護士にでもなって家を助けてくれればと思っていたけれど、そんな思惑まで全部否定されたような気がしたね」


 エレベーターに乗り込む。ストレッチャーが載るくらいの広さなのに息苦しささえ感じる。

 どう返していいかわからない。黙りこくるユウキに、真山先生は小さくため息を吐いた。


「あの子も、童話が好きでね」


 まるで昔話のように話されて、ユウキの心は不安に押しつぶされそうになる。更新が止まったままのSNS。文学部に合格した次男坊。大学一年生のはずの彼は一体今どこにいるのだろう?

 答えに近づきつつあるのをユウキは理解していた。そして答えを既に知っている気もしていた。


「……グリム童話、ですか?」

「いいや、グリムだけではなく、アンデルセン、ペロー、それからもっと新しいものではルイス・キャロルやトールキンなども好きだったね。いや、そのへんになるともう童話とは言えないかもしれないが」

「はぁ」


 話がマニアックになってきて、ユウキはふとグリムとの最初の会話を思い出し、遠い目になる。


「ふしぎの国のアリスや、ホビットの冒険は知らない? こどもは皆読むのかと思っていた」


 本棚にあったような気はするが、例によって読んだことはないのだ。首を傾げると、先生は肩をすくめ、サラリと流して話をすすめる。


「親が嫌がることをするのが好きな子でね。作家の真似事もしていたかな。中学の時から文芸部に入って、受験勉強もそこそこに同人誌を作るくらいに熱を入れていた。そんな具合だから、何度喧嘩したかわからない」


 ぴん、と高い音がした。エレベーターの扉が開くと『7』という回数表示が暗い廊下にぼんやりと浮かび上がっている。


「……目が覚めなかった子がいたといったのを覚えているかな」


 先生の声のトーンが落ちる。ユウキはごくりと小さく喉を鳴らす。まさかという気持ち。それからやはりという気持ちがごちゃ混ぜになっていた。


(でも……息を引き取ったって言ってたような……)


 思い出してユウキは薄ら寒くなる。

 先生はユウキが予想したとおりの方向に足を向ける。そして『真山』というプレートが掲げられた部屋の前で足を止めた。


「あの子は、ある日、図書館でに落ち、それから今はずっとここにいる」


 音もなく病室の引き戸が開かれた。

 先生が部屋に一歩足を踏み入れて、ユウキを促す。

 生き物の気配のしない、無機質な部屋だと思った。

 寒々とした月明かりが差し込んでいた。薄暗い部屋で、ベッドのシーツが白く光っている。シーツは平らではなく、何かを大事そうに包み込んでいる。


「まるでみたいじゃないか?」


 言われてぎょっとする。その上に静かに眠るがいばらに巻きつけられているように見えたのだ。

 だが、いばらに見えたのは管と電極で、ユウキはほっとする。中途半端に引かれたカーテンのせいで、顔は見えない。

 先生は振り向いて苦しげに笑う。ユウキはどくん、どくんと暴れ始める動悸を飲み込むように深呼吸をして、もう一歩足を踏み出す。

 カーテンが視界から消える。代わりに顕になった大人びた面影に、ユウキは目を見開いた。


「一年前から、ずっとこうだ。に綺麗だろう? どこにも異常はない。だけどどんな処置をしても、どうしても目覚めてくれない。それでも……他の子みたいに『死んだ』とは言いたくない。諦めきれない」


 先生は苦しげにそう漏らす。ユウキは何も言えない。

 喉に何かが詰まったようで、目の前の現実を呑み込めない。


「……本当にこいつは、親の期待を裏切ってばかりだ」


 先生が人物に目線を落とす。それとともに小さな水滴が落ちて、シーツに灰色のシミを作った。


「今の僕の望みなど、目を開けて、『おはよう』と言ってくれることだけなのに」


 ユウキは息苦しさを感じる。息をしていなかったことに気がついて、あえぐように息をする。

 先生はしばし目頭を押さえたまま黙り込んだあと、小さくつぶやいた。


「図書館にはね、いつも『御伽噺奇譚』という本が、落ちていたんだ。この子――大知だいちのときも、眠ったこの子の隣に置いてあった」


 先生は縋るようにユウキを見つめる。


「起きたのは君だけなんだ。君は、どこへ行っていた? どうやって戻ってきたんだ? 僕は、それがどうしても知りたい」




(……この人は、あの世界の重大な手がかりを持っているのかも)


 眠りっぱなしの青年をユウキはじっと見つめる。

 背は高いようだ。肩幅も広い。SNSによると去年大学に合格したらしいから、十九歳だろうか。成人はしてないから大人と言うにはほんの少し早いのかもしれないけれど、もう少年と言うには無理がある。立派な青年だ。

 ユウキは先ほどの衝撃を思い出しながら顔に目線を戻した。


(一瞬だったけど……クリスに見えたんだよね……)


 落ち着いてから改めて見ると全然似ていない。そもそもクリスは赤い髪で青い瞳という、外国人のような(というよりそのものの)容貌をしている。そしてここに居る青年は黒い髪で、顔立ちも日本人に見える。

 だから、そんなわけがないのだけれど、きっと会いたいという願望が見せる幻影なのだろうけれど……。

 目を閉じているのではっきりとはわからないが、彼の顔は真山先生に似ていて、目鼻立ちが整っていた。全体的に線が柔らかく、頬のあたりも削げていない。優しそうな青年だと思った。そして、一年も眠ったままだとは思えないほどに健康的に思えた。

 だが、その健やかさが、あくまで外見にしか及んでいない様に見えるのだった。

 人形と先生は言ったが、ユウキもそうかもしれないと思う。呼吸もしているようなのに、生きている感じがしない。《中身》が空っぽな感じがするのだ。


は、ここにいない。親だからそう思えるのかもしれないけれど……今もどこかをさまよっている気がしていて――っ」


 だから、何か知っていることがあれば教えてくれないかと、先生がわななく。

 大人に泣かれるのは辛い。ユウキは観念した。

 というより、ユウキの方も今は情報が欲しかったのだ。

 この大知という男の人が、何者なのかを知りたいと思った。

 グリムは言った。あの本は魂を欲しがっていると。そして真山先生は、今までにも何人か眠りに落ちたままになってしまった人がいると言った。

 もしその二つの事がつながっているとしたら。

 自分以外にもあの世界に呑み込まれた人がいたとしたら。


 ――その人は、一体どこに居るのだろうか? 

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