10 リュックサックの中身

「あの、今の部屋――」


 言いかけたユウキの両腕を掴むと、真山先生は笑顔で回れ右を促した。

 強引に背を押されてエレベーターまで歩かされる。見上げると、いつも穏やかな笑顔は冷ややかなものに変わっている。ユウキはそのまま有無を言わされずにエレベーターに乗せられる。

 四角く狭い箱で二人きり。息が詰まるような空間で、


「さっきの部屋、《真山》ってプレートが出ていたんですけど」


 しぶとく問いかけようとしたけれど、冷たい笑顔で封じられる。じっと見つめても答えはない。どうやら聞いてはいけない話のようだ。

 だが、もし本当に関係がないのならば、ここまで激しい反応をするだろうか。

 ユウキがそんなことを考えていると、部屋にたどり着く。そして、二人の刑事の顔を見て、自分が彼らから逃げていたことを思い出した。

 真山先生は刑事たちを見るなり、造り物の笑顔さえ消し、ユウキをかばうように立った。


「お立場を理解してはおりますが、さすがにうちの患者さんを追い詰めるような真似をされるのであれば、立ち入りを禁止させていただきますよ」


 通常の親身な態度に戻った真山先生を見て、ユウキは確信を得る。

 先程自分は彼の逆鱗に触れるようなことをしてしまったのだと。


(だけど、それは何だったんだろう……やっぱりあの部屋? 一体何があるんだろう)


 真山というプレートを胸に刻みつつ、ユウキはとりあえず目の前のトラブルをどう片付けるか考える。

 二人の刑事は真山先生の忠告を受けても、立ち去ろうとしなかったのだ。

 じっと真山先生の陰に隠れて様子をうかがっていると、山田さんが一歩足を踏み出した。その手には見覚えのあるリュックサック。


「あ、それ、わたしの」

「証拠品として借りていまして」


 返してくれるというのだろうか。ひょいと持ち上げる山田さん。餌に釣られるような気分だったけれど、ユウキはリュックの中身が気になって顔をひょっこりと出す。見当たらなかったスマホや財布なども入っている気がした。返してほしかったのだ。

 だが、そうは問屋が卸さない。


「少しだけ、話聞かせてくれませんかね」


 山田さんはお願い、と手を合わせる。大きな図体に似合わない仕草、そして心底困った顔は意外に可愛い。

 なにより、ユウキはリュックが気になって仕方なくなっていた。あの中に手がかりがあると、何かが訴えるのだ。

 一歩前に出ると、


「少しだけですから」


 ユウキは二人とすれ違いざまにそう言って病室へと入った。



 *




 病室には誰も居なかった。ぎょっとしたユウキはぐるりと部屋の中を見回した。


「お母さん?」


 しかし隠れる場所など無いのだ。ユウキはすぐに母の不在を知る。


「ユウキさんを探しに行きましたよ」


 静かだった三浦さんが口を挟み、ニッコリと笑う。まるで計算していたかのように思えて腹が立つが、招き入れたからにはしょうがない。リュックを取り戻したらさっさと出ていってもらおうと思った。

 仏頂面でにゅっと手を伸ばすと、苦笑いの山田さんがリュックを手渡してくれる。

 だが、妙に軽くて首を傾げる。開けてみると空だった。


「中身はどこです?」


 すると三浦さんが手にしていた紙袋をテーブルの上に置く。丁寧に白い手袋をつけると一つずつ内容物を取り出した。


「まず、スマートフォン。故障はしていませんが、見つかったときには、バッテリーの残量は0でした」


 意味ありげに三浦さんはユウキを見る。だが、ユウキは彼が言外に何を言いたいのかわからない。


「どういう意味ですか?」

「今の子は始終スマートフォンを触っているイメージが有りましてね。あなたはあまりスマートフォンに依存されていない感じでしょうか?」


 言われてみれば、バッテリーの残り容量は常に気にかけているし、ゼロになったことはめったにない。

 充電を忘れたのだろうか? 考え込んでいると、三浦さんは続けた。


「それから、ハンカチにちり紙。辞書に筆記用具。ここまでは学校に行くと考えると、おかしくない……いや、にしては教科書が一冊も入っていないのは変ですが、それ以上におかしいのが」


 三浦さんは不可解そうな顔で黙ると、山田さんが続きを引き取った。彼の手には乾パンの缶とペットボトルの水。しかも二リットルの大容量のものだ。


「非常食だよね、これ」


 目を見開くユウキの目の前に、ずらりと残りのものが並べられていく。


「マスクに、ライターに、軍手に救急セット、着替えに防寒具まである。なんていうか……非常用持ち出し袋みたいだろ。家出でもするつるもりだった?」


 意味がわからなくてユウキはぶるぶると首を横に振る。


(いや、家出でも、この荷物、意味分かんないけど……)


 まず、辞書と非常用持ち出し袋の中身が一緒になっているのがわからない。スマートフォンの充電はゼロ。それなのに充電コードさえ入っていない。これで遠出をするだろうか。

 自分が何を考えていたのかが全くわからなかった。

 そして最後、三浦さんがおもむろに取り出したものを見て、ユウキの心臓はどくん、と脈打った。


「この片方だけのハイヒールは、一体何です?」


 ガツンと後頭部を打ち付けたような衝撃だった。

 傷だらけの足が眼裏に浮かんだとたん、ぶわり、と脳が揺さぶられた感覚にユウキは目を見開く。


「……くり、す?」


 口にしたとたん胸が締め付けられる。記憶が波のように押し寄せてきて、溺れそうだった。息ができなくなって、喉を抑える。

 それは忘れてはいけない名前。

 決して自分の中から消し去ることなどできない名前だった。

 三浦さんと山田さんが駆け寄ってくる。だけど耳が聞こえなくて何を言われているのかもわからなかった。視野が急激に狭まり、ユウキはそのまま気を失っていた。

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