9 彼女の帰る場所
教会の裏に馬をつなぎながらルーカスは言う。
「ここはかなり前に地図から消えている村ですから、普通は素通りするはずです」
「まぁ、……万が一にも何かあったとしても、住人に被害が及ばないのはいいことだと思うけど」
振り返ると親衛隊員たちが村の入口で細工をしている。罠でも張るのだろうか。
廃墟となった教会の扉は既になかった。クリスは元は扉だったと思われる木の屑をまたいで中へと入る。屋根はあるけれど、石造りの部分のみが辛うじて残っているという状態で、窓は塞ぐものを失い、中の家具などは既に朽ち果てていた。
ルーカスが部屋の中央に石を集めてかまどを作る。木くずを集め素早く火をつける。橙色の明かりが部屋の壁を照らすと、空気までもが急激に温度を上げたように思えた。ほっと息をつくと周りを見回して、壊れた椅子の脚を火にくべた。
窓の外は薄暗い。既に夜は更けているようだ。
ルーカスが外から毛布などの荷物を運び込み、クリスとロシェルへと手渡す。
そして火を挟んで反対側に腰掛けると、おもむろに「これを」とクリスへ四角い包を手渡した。
それはユウキの落とし物。靴と――絵本だった。
どちらも甲板に落としたままクリスは海に飛び込んだが、拾ってくれていたらしい。
「この、本」
「どこの技術です、これ。このようなもの、見たことがない」
ルーカスが戸惑いを隠さずに言う。ロシェルが覗き込むが、やはり眉をひそめる。文字はパンタシア語で書かれているから、読めないのかもしれないが、それ以上にきっと装丁が気になったのだと思う。
クリスだって最初に見た時は驚いた。どうやったらこんな風になるのだろうか。木を薄く削ったとしてもこんな風に滑らかにはならない。しかもしなやかな弾力があるのだ。こんな技術は、この世界には存在しない。
気味が悪そうな二人の視線が気まずい。説明するべきかどうか悩んだクリスは、絵本をひっくり返し、眉を上げる。
「……あれ? これは」
そこには四つに区切られた文様が書かれている。そしてクリスにはその二つに見覚えがあった。
「
思わず読み上げる。彼女に名前を聞いたときに綴りを知りたくて聞いたら、こう書かれたのだ。それはずっと眼裏に、そして心に刻まれたまま。
「なんです?」
とルーカスが身を乗り出す。だが彼はすぐに訝しげに目を細める。
「なんですかこれ……模様?」
「模様……? 文字だろ?」
言いながらも、クリスははじめて違和感に気がついて驚愕する。
(そうか。これ、模様、だ。なんで、おれは、これを文字だと思った? そしてあれを不思議に思わなかった?)
《姫》という文字らしきものの形。その意味をクリスはなぜか知っていた。
一体どういうことなのだろうか。
わけの分からない靄が胸を覆っていく。今までにも、時折、自分が自分でないような感覚を感じていた。けれど、今この時、その違和はかなり大きなものになっていた。
「――リス、クリス! おい、あんた!」
はっと我に返るとロシェルがクリスを覗き込んでいて、ルーカスが「その呼び方は不敬過ぎます。殿下と呼んで下さい」と声を尖らせていた。だがロシェルはルーカスをまるで無視して、心配そうにしている。
「どうかしたのか。目が虚ろで危ない。具合が悪い?」
「……い、や。なんでもない」
どう説明すればいいか全くわからないのだ。自分でも整理がつかないのだから。
それでも平気だと再度言うと、ロシェルはホッとした様子で尋ねる。
「なあ……これはなんなんだよ」
「ユウキの世界の、本だ」
「ユウキの世界?」
ロシェルが片言のパンタシア語で繰り返すと、ルーカスが説明を入れた。
「彼女は、別の世界からやってきたそうですよ」
「はぁ? 別って、大陸の外か?」
目を丸くする彼女に、ルーカスはどうします? とクリスに視線を投げる。だが、説明は難しすぎる。数々の不思議を見てきたはずのルーカスにさえ、信じてもらう自信がなくて未だにすべてを話せないのだ。
ユウキがこの世界の《外》からやってきた。そしてこの世界がユウキの世界にある本の中だというのは、あまりに荒唐無稽すぎるのだ。
クリスは結局説明を諦めて、小さく首を横に振った。ロシェルの誤解をそのままにすることにしたのだった。
「すげえな……っていうか、だとしたら、大陸内でこんな諍い起こしてる場合じゃないんじゃ……?」
ロシェルの言うことに、もっともだとクリスは頷く。もしも本当にこれだけの文明をもつ国が近くにあるのならば、いずれこの大陸はその脅威にさらされる。
(ただ、その脅威は今は考えなくて良さそうだけど、な)
クリスは黙って本を開く。目次が現れ、並ぶタイトルを、何気なく順に口にした。
「白雪姫」
息が詰まりそうになるのを堪えて一息に続ける。
「人魚姫、かえるの王さま、赤ずきん、おやゆび姫、ヘンゼルとグレーテル。シンデレラ、長靴をはいた猫、ラプンツェル、眠り姫――!」
だが、読んでいるうちにふつふつと気分が高揚して、次第に声が大きくなる。
「……何を言ってるんだ?」
ロシェルが目を白黒させている。ルーカスも突如始まった朗読に、眉をひそめて心配そうだ。
だが、クリスの耳にはロシェルの声は届かず、目にはルーカスの心配そうな顔も映らない。
興奮が腹の底から湧き上がっていて、それどころではなくなっていたのだ。
(ちょっと待て、これ、もしかして――)
重大な手がかりが突如目の前に現れた気がしていた。
ユウキがもしもあちらの世界からこちらの世界に戻ってくるのであれば――
「そうだ。《物語》の中に、ユウキは戻ってくる……物語の登場人物として」
そして、この本にはその《物語》が書かれているのだ。クリスの知らない、あちらの世界の物語。そしてこの世界を象るという物語が。
彼女が作り上げた物語は今二つ。ここに書かれている残りの物語の中に、彼女が現れる可能性があるのではないだろうか。
いつしか、クリスは息をするのも忘れ、絵本に没頭していた。
(ユウキは、物語の要素から、物語を推理して組み立てた。それなら、物語の要素をこの世界から見つけられたら)
その何処かに、ユウキが現れるような気がして仕方なかったのだ。
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