4 消えた眠り姫

 その事件が起きたのは、クリスが十八の誕生日を迎える半月前のことだった。

 相変わらず親――特に母親――から逃げまわり、后候補の娘の肖像画を見ることもなく過ごしていたクリスは、いつもどおりに自分で摘んだ花を持ち、階段を登り、厳重にかけた鍵を外した。

 そしてガラスの棺を覗き込んだクリスは、手に持ったシロツメクサの花束を落とした。

 居るはずの者が居なかった。ユウキが跡形もなく消えていたのだ。

 呆然と部屋を見渡すと、一つだけある窓が開いていて、中に光と風を呼び込んでいる。


(まさか)


 怒りに任せてクリスは階段を駆け下りる。こんなことをする人間など他に心当たりがなかったのだ。



「アンドレア! あんたのしわざだろ。ユウキを返せよ!」


 母の部屋に殴りこむと、母は「お母様とお呼びなさい!」とたちまち顔を赤く染め上げた。

 あれから母とは、多少打ち解けたことは打ち解けたのだけれども、相変わらず犬猿の仲ではある。母は母親の務めを果たそうと張り切るあまり、クリスを立派な後継者に――と思い通りに動かしたがったし、クリスはそれを良しとしなかった。そして父は全く干渉しない。仲がいい証拠だととぼけたことを言って笑っている。


「またそんな言葉遣いに戻ってしまって。教育係は何をしているのかしらね。もう成人するのよ。きちんと自覚を持ってもらわないと」

「今はそんなことはどうでもいいから、ユウキを出せ」


 母の顔色が変わった。


「……何の話をしているの?」

「ごまかすなよ!!」

「だから何をごまかすっていうの」


 烈火のごとく怒るクリスだが、母は変わらず不可解そうだった。


「あんたじゃないのか?」

「だから、何が」

「ユウキがいなくなった」

「はあ? あのが?」


 彼女はユウキのことをそう称する。生きてもいないが腐りもしない人の形をしただと。驚かない肝の据わりっぷりは称賛に値するけれど、腹立たしい表現だった。だが、心の隅ではそれが一番近い気もしていた。

 母は、ユウキの存在を隠すのに協力してくれている――が、同時に、そう工作することでクリスの弱みを握っている。クリスが成人までと期限のついた約束を呑まざるを得なかったのはそのせいだった。


「俺が結婚しないっていうから、隠したんじゃないのか」

「そんなことしないわよ。あと半月で観念すると約束したでしょう? あなたは約束は守るはずとわたくしは信じているから。……まあ約束を破るつもりなら、その手は使えるかもしれなけれど?」


 顔を輝かせる母に、クリスは舌打ちしたい気分になる。余計な知恵を与えてしまった。


「じゃあ、一体誰が――」


 そこまで考えて、鍵は内側からかけられていたことに思い当たった。密室を暴く手立てを持つものは鍵を持つクリス、母の二人しかいないと思っていたけれど、もう一人だけいる。

 クリスは踵を返そうとして、王妃にガッツリと腕を掴まれた。


「せっかくだから肖像画を見て行きなさいね」

「だから、急いでいるんだって!」


 ユウキが目覚めたのかもしれない――そして閉じ込められた状況に驚いて、自ら逃げ出したのかもしれない。そんな期待がせり上がる。


(確認しないと!)


 だが母は離すどころか、余計に手に力を入れた。振り払いたかったけれど、振り払えばこの母親はただで済ませるわけがない。長引くに決まっていると計算したクリスは、仕方ないと肖像画を見ていくことにする。見るだけだ。数秒で終わると思ったクリスは途中で目を大きく見開いた。


「これ――え、でも」


 驚愕するクリスを見て、母はニヤニヤと笑っている。


「この中に好みの娘がいるみたいねえ?」


 肖像画に描かれた娘は、黒髪と黒い瞳を持つ少女。意思の強そうな目も、優しげな笑みを浮かべた赤い唇も、すっきりした面長な顔立ちも生き写しのようで。紛れも無くユウキそのものだったのだ。


「でも……説明がつかない。別人だろう」


 歓喜と焦燥感と疑惑が胸の内で交じり合う。赤い髪をかきむしる。


「でものでしょう? 何らかの事情があって迷い込んでいた姫君を、だれかが取り戻しに来たのかも。だとしたら、運命としか言いようが無いじゃない?」


 母はそうのんきに推してくるけれど、クリスは混乱するばかりだ。というか、どうして、そんな都合よく納得できるのかがわからない。いっそ、裏で手を引いていると考えたほうが納得行くが……。


(……吐けと言っても吐かないよな、この人)


 どこか楽しげな表情が気に障りながらも、クリスは「これ、だれ?」と話を聞く姿勢を見せた。



 ユウキと同じ顔を持つ少女は、大陸南に位置するリーベルタース王国の第五王女とのことだった。年齢もユウキと同じく十七歳。だが、昨日までは塔の中にいたのだ。何かの間違いじゃないかと思いつつも、クリスは信じたい気持ちも大きかった。もしそうならば、何の障害もなく一緒になることが出来るのだから。

 そういった願望につけこまれているような気さえするが、反発して話を流してしまうには惜しい気もした。元に今、ユウキは消えているのだ。の世界の何らかの力で、この不思議が起こっていてもおかしくはない。


 そして――母がユウキの国内捜索をしてくれることを条件に、クリスは船の上にいた。

 賑やかしい水夫の声とともに、青く碧い海の上に白い帆が張られていく。

 見回すと港には様々な帆船が停泊している。中でも特に大きな帆船はクリスの結婚のために建造されたというが、それにはまだ乗ることはできない。それは彼の結婚の祝の品で、就航式は結婚に合わせて行われることになっているのだ。

 船の旅はいつも命がけだ。一回り小さな帆船に乗ると、たとえ少し沖に出るだけでもいつも心がざわめく。航海の無事を祈りながら、クリスは港を出る船に身を任せた。


 目的地のリーベルタース王国は、ここ、パンタシアとは国境を山脈でわけた隣国である。の国を訪ねるには陸路と海路があるが、大抵が海路を選ぶ。陸路には山脈があり、高山地帯に位置する小国カタラクタを通りぬけねばたどり着くことができないため、海路に比べると大幅に時間がかかってしまうのだった。

 カタラクタは国の規模こそ小さいが、豊富な銅が採れる鉱山があり、パンタシア、リーベルタースの両国は常にその利権を狙っていた。カタラクタは利権争いに巻き込まれるのを避けるために、常に姻戚関係を作ってきた。クリスの祖母がカタラクタの姫君だ。

 だが、現在の王家には王女が一人しかいないことが問題となっている。パンタシアと結ぶか。リーベルタースと結ぶか。どちらだけと結ぼうともそれは大陸の力のバランスを崩すことになりそうだ。


(ならば、いっそ俺がリーベルタースの姫と結婚すれば都合がいい――ということか)


 両親の思惑に乗せられている。そう思うものの、ひとまず少女の正体を確かめずにはいられない。

 少し強まった海風がクリスの赤い髪を洗う。水平線に盛り上がる白い雲を、クリスは目を細めて眺めた。

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