3 グリムとの再会


 気づいたら、ユウキは目を開けているのかいないのかわからないような真っ暗な空間にいた。

 闇が体にまとわりつく。

 ここに来たのは少し前のことなのに随分前の事のように思えた。

 前回と同じく、カタカタという音と共に空間にタイピングされる文字。それがひらめいては回転し文章を描き出す。ユウキは待ちきれずに声を上げた。


「グリム、いるんでしょ。変な演出はもういらない」


 ユウキが遮ると、文字がちらちらとひらめくのが止まった。


「……おやおや、せっかちなことだな」


 闇の中から現れたグリムは、白いうさぎのきぐるみに着替えている。どういう趣向なのか。もう驚くよりも呆れが勝っていた。驚いている時間が惜しかった。

 ユウキは開口一番、矢継ぎ早に尋ねる。


「どうなってるの。どういうことなの。どうして本の表紙にわたしの名前が書かれているの」

「《御伽噺奇譚》の著者名? 当然じゃないか。それは君が作った物語だからだ。書き写したのは僕だけどね。――にしても、随分異色な物語を作ってくれたものだな。うまいこと一番わかりやすいところに落ちたんだ。簡単に終わると思っていたんだが」

「ろくな説明もせずに落としたくせに、よくもそんなこと言えるよね!」

「手順書をあげただろう」

「――――!」


 こちらがこれだけ焦っているというのに。のんきな態度に苛立つ。

 しかもあれのどこが簡単だというのだろう。ものすごく回り道をして、頭が焼ききれそうに悩んで、なんとか手に入れた結末をけなされれば、腹も立つ。

 目を釣り上げると、グリムはまあまあとなだめる。


「誤解しないでくれ。褒めている。おかげで随分物語が出来上がって喜んでいるんだ。うん、作家の娘というのは伊達じゃなかった。才能があるよ、君には」

「楽しくなんかないじゃない! この悲劇の結末がどこが楽しいわけ!」

「僕は個性的でいいと思うけれどね。だいたい、君がそう導いたんだ。白雪姫が一人で世界から退場すれば、こうなることはわかりきっていたことだろう?」

「こんなの意図してない! だって、もしああしなかったら、物語は終わらなかったんでしょう」

「さあね。おとなしくりんごを食べて死んだふりでもしておけばよかったんじゃないの。僕ならそうしたね――まあ、そんなのは平凡すぎてつまらないけど」


 どういう仕組なのか、赤かったうさぎの目の色が灰色に陰る。ぶつぶつと考えに沈みそうなグリムにユウキは噛み付いた。


「死んだふり!? そんなのでもいいの!?」

「さあ。やってみないとどうなるのか僕にもわからない。なんといっても物語は生き物だ。そして自分の意志で動くんだから」

「無責任すぎると思うんだけど!」

「物語がどう生きようと、物語の勝手だ。動き出せば、作者にもどうすることもできないことだってよくあるんだよ」


 何を言っているのかわからない。のらりくらりと躱されているようで、ユウキはらちがあかないと思う。


(そうだ――あぶない、)


 本題を忘れかけそうだったユウキは頭を切り替えた。


「付き合ってられない――とにかく、わたしは、クリスに会いに行かないといけないの」

「会ってどうする? 惚れたのか? 住む世界も違うのに」


 にやり、とうさぎの赤い眼が三角に変化した。ユウキは心を覗かれたような気がして、目を逸らした。


「待たなくていいと……一言言うだけだよ」

「本当かな? あちらの世界に残ってもいいんだよ、別に」

「残ったらどうなるの」

「想像できないかい?」

「…………死ぬのね」


 ユウキはなんとなく予測していたことを口にした。真山医師が語った、目覚めずに亡くなった人のことが頭をよぎる。あれが、ユウキの予想を裏付けていると思ったのだ。

 その人は――物語に飲み込まれ、そこで幸せな恋をしたのではないか。そんな気がして仕方がなかった。そしてユウキは、その結末を心のどこかで望んでいる。


(だけど――残された人は? お母さんは? タクヤは? 戻るってわたしは約束した)


 グリムは答えず静かに笑うだけだ。睨むと、グリムは学生服に包まれた肩をひょいとすくめた。


「物語が生きるにはね。人の魂が必要なんだよ。だから君に入ってもらった。あの本にはもう切り分ける魂が残っていないからね。物語は人の魂を餌に、なんとか命をつないでいる。餌に逃げられまいとを張る。せいぜい気をつけることだな」


 ぼんやりと足元が明るくなる。以前と同じく《御伽噺奇譚》が床にバラバラに広がっている映像が見えた。グリムは指差して「行かないのか?」と促す。そういえば前回は拾おうとして手を伸ばした。ここに触れれば飛び込めるとでも言うのだろうか。


「今度は、わたしはどこに落ちるの。白雪姫の世界に落ちることは出来るの?」

「さあわからない。僕が言えるのは、君の選択が、この世界の行く末を握っているということだけだ」


 またもや曖昧な答えが返ってくる。


「わたしが選ぶ?」


 ならば、行き先も選べるということだろうか。

 文字を解読したいと思う。だが、水で滲んだインクのようで、何と書いてあるかまったくわからない。目を細めてためらうユウキに、グリムは背を押すかのように言った。


「ただ、落ちた場所が違おうとも、世界はつながっている。それだけは教えてあげようかな――行かないのかい? 入り口が閉じてしまうよ?」

「行く。行くに決まってる」


 ユウキはまっすぐにグリムを睨んだ。

 グリムはふと笑う――いや、うさぎのきぐるみの下で笑ったように思えた。


「いい目になった。誇りを取り戻した眼だ」


 優しい言葉にユウキは不可解になる。

 この男はいったい何がしたいのだろう。

 考える間もなく身体が引っ張られ始める。

 グリムがすかさずノートを手渡すと、ぐるり、重力の向きが入れ替わる。


(ああ、まただ)


 前回の行きと帰りと合わせてこれで三度目だが、何度味わってもなれない不快さだと思った。胃が持ち上がる、足元が急に消えてどこまでも落ちていく――


「行っておいで」


 どこか楽しげなグリムの声とともに、ユウキは空から落ちていた。

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