第6話 安堵

 景は、自分の思ったことをそのまま言ったに過ぎなかった。

 それなのに、どうして少女が、盾宮優花が泣き出しているのかわからなかった。


「おい、お前どうして泣いている」

「私にも……うぐっ……分かりません」


 優花には景の言葉が相当きいたのだろう。先程までただ自分を責めるだけだった優花にその言葉は大きな安心を与えたのだ。


 少し経って優花は泣き止んだ。まだ目元は赤く、涙の跡も残ってはいるが。


「すみません、ご迷惑をおかけしました……もう大丈夫です」

「そうか、それならいい」


 さっきは少しばかり面食らった景だったが今や落ち着きを取り戻している。そう言うと景は、座っていた岩の上から立ち上がった。


「もう夕方だ。悪霊が活性化しだす前に俺は帰るが、お前はどうだ?歩けそうか?」

「私は大丈夫です、もう歩けるように……んっ」


 優花は景同様立ち上がろうとしたが、流石にまだ足が痛むようだ。元いた場所に座り込んでしまった。


「流石にまだ無理か。ちょっと待ってろ」


 景は申し訳なさそうな優花を見てそう促すと腰の後ろに手を回し、何かを引き抜いた。

 景が右手に持っていたのは、優花を助けた時に持っていたナイフだった。

 柄の部分は木製で色は黒、刀身は鉄だろうか? 銀色に光り輝いている。しかし、刀身にはなにやら紋様のようなものが彫ってあり普通のナイフではなさそうだ。

 景は岩から飛び降りると、取り出したナイフで目の前の空間を左から右に斬った。


 すると、斬り裂かれた空間がパックリと開いた。いや、正確には『歪んだ』と言った方が正しいのかもしれない。景が切り裂いた空間を直径にして、円状の空間の歪みが生じた。その中はとにかく暗く、黒く、底なし沼のような印象を優花に与えた。


「何……これ……?」


 衝撃の現象を目の当たりにして、優花は思わずそう呟く。しかし、景は構わず次の行動を起こした。


「さあ、出てこい日向ひゅうが


 景がそう告げると、歪みの中から風と共に一体の猛虎が姿を現した。

 体長は4mを余裕で超えている。先程闘った狼とは格が違う。霊力の量が下級悪霊に比べて桁違いだ。十中八九上級悪霊と見て間違いない。獰猛な牙に爪、黄色と黒の縞模様、やはり上級ともなるとその身体の色も鮮明になるようだ。今日襲われた狼の悪霊などネズミ程度に思えるそのオーラに、優花は震えを抑えることができなかった。


『旦那ァ、本日はどのような要件で?』


 優花は自分の耳を疑った。上級悪霊であるはずの猛虎が、こんな人懐こい口調で人間と話をするなんてありえない。


「こいつが足を怪我していて歩けない。だから背中に乗せてやってくれ」

『なるほどォ、そーゆーことでしたかい』


 景がそう命じると、日向と呼ばれた白虎がその鋭い眼差しで優花の方を見た。

 猛虎はその強靭な四肢で優花の方へ近づくと、


『俺は景の旦那の使役霊、日向だ。安心しな。別にとって食おうってわけじゃねえ。乗りな、嬢ちゃん』


 虎とは思えぬ流暢な言葉で、優花に話しかけてきた。そして、足を怪我している優花でも乗れるようにわざわざ地面に座り、背中を差し出してきた。

 驚きながらも、優花は言われるがまま日向の背中に座った。日向の毛皮は、さっきまで寝かされていた草の上とは違い、ふかふかしていてとても気持ちがいい。


「あの……盾宮優花です……おいしくないです……じゃ、じゃなくて、よろしくお願いします!」


 優花の言葉に、日向はガハハと豪快な笑いを上げた。


『いいねぇ、俺は面白い奴は大好きだ!』


 優花自身は羞恥のあまり悶え死にそうになっているが、日向も景もそんな優花を気にしていない。


「行き先は、白峯神社でいいか?」


 景も日向に跨ると、優花の方を振り向き尋ねる。


「はい……あっでも、神社の半径500mの範囲には霊除けの結界が張られているので、日向さんでは途中までしか……」

「お前、携帯は?」

「一応持ってます。ここは電波が通じませんが……」

「なら、結界ギリギリのところまで送って行くから、その後は霊体化を解いて、携帯で助けを呼んでくれ。俺は見つかると少し厄介なことになりそうだからな」

「わ、分かりました」


 確かに、霊を使役する男なんて、よくよく考えれば陰陽師達が敵だと認識してもおかしくはない。そう思うと、この状況が申し訳なく思えてくる。


「すみません、こんなことまでして頂いて……」

「気にするな」


 景は相変わらず、そっけない態度をとっている。優花が少し気まずそうにしていると、日向が場を和ませようとしてくれる。


『そうだぜ嬢ちゃん。旦那は顔に似合わず困ってる人とか放っとけないタチだからな』

「日向、お前は余計なことを言うな。さっさと働け」

『カッ、虎使いの荒い主人だぜまったく。じゃあ嬢ちゃん、ちょっと飛ばすからしっかりつかまっててくれよ』

「はっ、はい!」


 日向はそう言うと、大地を蹴って走り出した。そのスピードは最早風だ。しかし、これでも怪我をしている優花に気を使いながら走っているのだろう。これだけの速さでありながら揺れがほとんどない。

 優花たちはあっという間に森を抜け出し、1分もしないうちに目的地に到着した。


「今日は本当に、ありがとうございました!」


 優花は、その長い黒髪が地面に着かんばかりの勢いで頭を下げた。


「別に大したことじゃない。気にするな」

「ガハハ、いいってことよ!」


 景は素っ気なく、日向は豪快に、優花の礼に答えた。結局景は最後までそっけなかったが、それが景なんだろうと納得することにした。


「じゃあ俺たちはもう行く。無茶なことをするのはもうやめておけよ」

「じゃあな嬢ちゃん、また会おうぜ!」


 そう言い残すと、二人は目にも留まらぬ速さで去って行った。

 波瀾万丈の初実戦だったが、とりあえずは生きて帰ってこれたら良しとしよう。

 優花は、そうしてポジティブに考えることにした。反省点を挙げればキリがないが、先ずは生きていることを喜ぼう。それが景に対する感謝であると、優花は思った。

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