第4話
ばしりと障子が閉じた途端、楓を除く四人はその場にへたり込んだ。藤に至っては畳へ仰向けに転がっている。
「一体何だったんだよ」
氷雨が大きく息をつく。
藤はあぁとかうーとか声にならないうめきを上げるだけだ。
「十和を連れ戻すためにお見えになったのでしょうか」
千鳥は幾分遠慮がちに発言する。
十和の顔色を伺っているが、その十和は正座したまま深く俯き、微動だにしない。結い上げる程ではないが長い横髪と、前髪が顔にかかって影を作り、表情が読めない。
「疲れたわ。しばらくお客なんていらない」
「また来るっつってたけどな」
楓の希望を氷雨があっさり否定する。
さらりと襖が開閉され、双子と景が賑やかに入ってくる。
「今、鷹倉が帰ったよぉ。大変だったね、お疲れ様ぁ」
景のねぎらいに、
「本当だよ」
「本当にな」
氷雨と藤がまったく同じ台詞を返す。
その言葉に双子が笑いながら、座布団を敷かず、直接畳に腰を下ろす。
「ごめんね楓―、キレちゃったー」
「怪我人が出なくて良かったわ…響に感謝ね」
響に向かって楓が手を合わせる仕草をする。
「一応見ておけって言われたからな。間に合って何よりだった。」
「景もありがとう…でもよく気づいたわね」
「車止めで鷹倉の運転手と喋ってたら、客間のほうから金属音と怒鳴り声がしたからねぇ。またやっちゃったかなぁって思って、見に行ってみたらビンゴだったぁ」
また、と景に言われるところをみると、今回が初めてというわけではなさそうだ。
どうやら奏は結構な爆弾の持ち主らしい。
「奏はどこにいたから会話が聞こえたんだ?」
藤が素朴な疑問を口にする。
「座敷の襖の向こう側ー。警備でずっと廊下の床に座ってたんだけど、内容丸聞こえでさー。最初は我慢してたんだけど、途中から頭に血がのぼっちゃって、どうにも限界でしたー」
「で、キレちまったって訳かよ。まぁ、あのジジイの慌てぶりはちょっと笑えたけどな」
氷雨がくくっと思い出し笑いをしている。
「笑い事ではありませんよ。怪我を負わせればどうなっていたか。無事に済んで助かりました」
千鳥はいさめるような口調だ。
「ありゃジジイが悪ぃんだよ。ちょっと驚かすくらい何てことねぇっての」
相当に氷雨は腹が立っているらしく、放り投げるように言葉を返す。
「楓に対して随分な物言いでしたから、奏が怒るのも無理はありませんけど」
「千鳥にしては珍しいねぇ、陰口の肩を持つなんて。鷹倉何て言ってたのぉ?」
騒ぎが起こってから駆けつけた景は、どうやら奏に怒髪天を突かせた一連の会話は耳にしていなかったらしい。
「側近は男ばっかりだから毎晩お愉しみでしょうねーって馬鹿にしてたー」
「うわぁ、最低ぃ」
景が苦々しげに舌を突き出す。
「男七人に女ひとりだと、どうしても発想はそっちに行きがちになるんだろうが。それにしても、思っても口には出さないのが礼儀だろう。」
感情を抑えて言葉を紡いではいるものの、明らかに響の顔つきは歪んでいる。
「その発想に納得するなよ。そもそもよくそんな下世話なことを思いつけるよな」
藤に千鳥も賛同する。
「えぇ。それに私たちでは楓の用に足らないなど仰って」
真面目な千鳥は、楓への侮辱だけでなく自分では楓の役に立たないと詰られたのがどうにも腹に据えかねるようだ。温厚な千鳥がこういった会話に加わることは滅多にない。
「そこまで言ったのぉ? 余計なお世話ってやつだよねぇ。奏が暴れてくれて逆によかったんじゃないのぉ」
奏の暴挙を止めに入った筈なのに、景はいつの間にか擁護に回ってしまっている。
「楓、よく耐えたよな。悪かった」
氷雨が遠慮がちに楓に声を掛ける。嘲りの内容が内容だけに、その原因の一端になってしまっている側近の面々は、こういった場合には楓に気を遣ってしまう。
原因というのは自分たちが男で、楓は女だ、という突き詰めればその一点のみの、本人たちではいかんともしがたいものではあるのだが。
「氷雨が謝ることじゃないでしょう。男ばっかりっていうのは事実だし、それに対して周りがどう邪推するかなんてだいたい想像がつくわ」
そこで楓はいったん言葉を切ってしまった。
「それより、皆に申し訳なかったわ。鷹倉にあんなことを言わせてしまって、私がもう少ししっかり御三家の手綱を握れていれば、こんな風に気分を悪くさせることもなかったのに」
あまりひとの言動を気にしない楓が珍しく傾いでいるのを目の当たりにして、皆が慌てる。
「いや、俺らは全然。なぁ」
藤の促すような声に皆が揃って頷く。
「楓はそんなの気にしなくていいよぉ。俺たちに申し訳なくなんかないし、外野の言うことなんか放っておけばいいんだからねぇ」
「ええ」
安心したように目尻を下げて楓がかすかに微笑む。
その表情を見て、皆がつられて表情を緩める。と、鷹倉が帰ってからというもの、一言もしゃべらない十和に楓が視線を移した。
「十和、十和。大丈夫?」
楓の呼びかけに、十和がようやく顔を上げる。青白く、生気があまりないように見える。
「具合が悪くなったかしら、おかしな事になってしまって」
「……いや、問題ない」
膝の上で左手の手首を右手で握り締め、まるで何かを押さえつけているかのようだ。
「部屋に戻って休んでな。あんなんじゃ胸くそ悪くなるのも当然だろ」
乱暴な言葉遣いだが、氷雨も心配しているようだ。
「そうですよ。今日の仕事は私たちで引き受けますから、ゆっくりしていて下さい」
「仕事って夕飯づくりー? 俺あんまり料理得意じゃないよー」
「誰も奏に期待してないから安心しろ」
「じゃあどうするんだ。藤、お前が作るのか。」
問い返された藤がうーんと渋い声を出し、景がはいはーいと手を挙げた。
「今日も寒いし鍋にしちゃおうよぉ。それなら皆でやればできるでしょっ」
「いいわね。十和、ここはもういいから。戻って頂戴」
「……あぁ。悪い」
楓に促され、そろそろと立ち上がると、危なげに歩を進めて座敷を出て行く。外廊下の床板が規則正しく軋む音が遠ざかる。
「本当に大丈夫かなー。そもそも何で十和を連れ戻そうとしたんだろー」
「さぁな。あんな人間の考えることなんか、俺には分からない。」
いつもの調子で、響は鷹倉に対して愛想も素っ気もない。
「また伺うと仰っていましたから、しばらくは用心したほうが良さそうですね」
ピピピピと無機質な電子音が響き、話し声が途切れる。部屋の隅に設置されている電話の受信ランプが光っている。
千鳥が慌てて駆け寄り、受話器を取る。はい、はいと相槌を打つ声が聞こえていたが、保留ボタンを押すと戻ってきた。
「楓、桔梗屋さんからお電話が入っています」
「随分タイミングの良いときに掛けてきたわね」
「タイミングですか。何の、です?」
「今回のことで何か知ってたりしないかしら。ほら、柊って情報通だもの」
「職業柄なんだろうけどな。元幕臣は大抵桔梗屋で和服を誂えるから、ちらちら噂話を耳に挟んだりするって、前に聞いたことがあるような」
と言いながら、藤は並べてあった座布団を拾い集めて重ねにかかる。
「早く片付けるか、飯の支度もあるし」
氷雨も畳に置かれていた湯のみや受け皿を手近にあったお盆に載せていく。
その横で、響が他人事のように忠告する。
「夕飯って簡単に言うが、十和は綺麗好きだし、台所もかなり磨きこんであるぞ。うっかり汚したら後が怖い。」
「えー?!」
悲鳴に近い声がそこここから上がった。
楓が受話器を取って、もう一度保留ボタンを押す。
「鷹倉との会見はどうだった? こんな時間までかかったってことは、どうせろくな内容じゃなかったんだろ」
開口一番、柊は痛いところを突いてくる。
「どうして分かるのかしら」
「楓のことだから、面倒だからさっさと切り上げるとか言って、なるべく手短に済まそうとするはずだろ」
「まぁ、その、そうね」
あっはははと笑い声が流れてくる。
図星だった楓もつられて思わず笑ってしまった。
「んで、電話したのはちょっと気になる噂があったからさ、報告しといてやるかと思って」
受話器の向こう側の声は、またもや不吉を告げている。
ある幸福論 祭賀 @ykrsig
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