第3話

客座敷でも、宗家当主である楓は上座に座る。

今日はその両脇を、左側に十和、氷雨。右側に藤が固めている。景は来客の車の案内、東雲兄弟は警護で基本的に座敷には入らない。千鳥は家令として出迎えに表門まで出ている。


「またあの頑固ジジイの顔見んのか。毎度の宴席だけで充分だ」

「氷雨、随分な言い草ね。まぁ私も気持ちは分からなくもないわ」

氷雨の衣着せぬ物言いに、楓だけでなく藤も苦笑している。

その向かい側で、十和はひとり何の表情も読み取れない。

楓が正座していた足を崩し、身を乗り出して十和の腕を人差し指で何度かつつく。ようやく首を動かした十和と目が合った楓は、ゆるりと笑って見せる。早くも強張っていた十和の表情が少し和らいだ。


何人かの足音が遠くから聞こえてくる。その音を聞きつけ、楓は崩していた足を組み直す。氷雨と藤も背筋を伸ばした。

千鳥の来客を告げる声と共に、障子が引き開けられ、ゆったりとした足取りで客が入ってくる。


壮年の男。きっちりと和服を着込み、車に乗ってきたというのに全く乱れを感じない。髪も丁寧に撫で付けられ、真面目一辺倒の格好だ。ともすれば野暮ったく見える服装とは裏腹に、顔に刻まれた細かなしわと、眼光鋭い目つきがその人物の本性をよく現している。鷹倉家当主、鷹倉誠真せいしん


その後に続いて座敷に上がった男がいる。

その予想外の出現に藤は息をのみ、言葉もない。氷雨は怪訝な顔をして十和と男の顔を交互に見比べている。十和は男に気づくと、すぐに顔を背けた。

十和と面立ちの良く似た男だ。年も近いように思える。黒髪の短髪で、誠真と同様和服を身に着けているが、受ける印象はだいぶ異なり、着崩してはいないのにだらしなく見える。澱みのようなものがにじみ出ているように感じられてしまう。着物の足さばきもいいとは言いがたい。

十和の二歳違いの兄、鷹倉佐和さわだ。


誠真と佐和は、楓の真向かいに敷かれた座布団の上に腰を下ろした。そのしぐさも、誠真が裾を手で押さえながらのものに対し、佐和は全く構うことなくぞんざいに座った。

来客が座ったのを見届けて、千鳥が藤の隣に正座する。

「大変ご無沙汰しておりまして申し訳ございません、楓さん」

誠真の低い声が座敷に響く。

「こちらこそ、なかなかお目にかかる機会もありませんで」

佐和を見て驚きの表情を浮かべていた楓も、気を取り直して会話に入った。

「まずは新年の挨拶を申し上げます、なにとぞ本年も鷹倉を息子の佐和共々お願い致します。皆さんも」

水を向けられ、藤と氷雨が慌ててお辞儀をする。十和も誠真を見ないように目を逸らしながら礼を返す。

「本日は単身でこちらへ伺う予定でしたが、息子の佐和にも時期当主として一言挨拶をさせねばと思いまして、事前連絡もなしに失礼かとは思いましたが、連れてきた次第です」

「そうでしたか。わざわざお気遣い頂きありがとうございます」

楓と誠真の会話の横で、ようやく佐和が口を開く。

「本年もよろしくお願い致します」

物憂げと言えば言えるが、随分かったるそうに響いた。楓はあえて黙って頭を軽く下げるだけに留める。誠真が横目で佐和を軽く睨む。が、楓に視線を戻したときには完璧なまでの笑顔だった。

「しかし、相変わらず広大な屋敷ですな。ここへ案内されるまでに庭木など興味深く拝見しました。なかなか維持も大変でしょう」

「そうですね、手はかかりますが、側近が管理してくれているので私は楽をさせてもらっておりますわ」

楓が障子の向こうの庭へ視線を投げかけながら答える。

「これだけの敷地、人手も足りないのではありませんか。失礼ながら、あまり人の気配を感じませんでしたが、側近や使用人を増やしてみては如何ですかな」

「本来なら、あと五、六人はいてもおかしくないでしょうね。ですが、所帯を大きくしてしまうと気を使う場面も増えるでしょう。私は、ごく親しい少数の人間と、つつましく暮らせればそれで充分ですわ」

はっきりとした楓の言葉に誠真が深く頷く。

「なるほど、これは差し出がましいことを申し上げました。鷹倉は屋敷に使用人を二十人ほど置いておりますが、こちらより手狭にも関わらず、手が行き届きませんで。まだ増やそうかと思案していたところなのですよ」

「そうですか。人材を見つけるのもなかなかに大変でしょう」

「お恥ずかしい話ですが、本当にそうですね。苦労しておりますよ。こちらはこの人数でここまで綺麗に管理されているというのに。皆さん余程に有能な方ばかりなのでしょう、羨ましいことです」

千鳥がかすかに笑って首を横に振り、いいえそんな、と藤が手を動かす。

十和は前を見据えたまま、誠真のいる方角を見ようともしない。

「そうでしょう、皆優秀で助かっているんですよ」

しっかり全肯定した楓に、少しは謙遜しろよという氷雨の声が重なる。

「いやいや、謙遜など不要ですよ。それにしても羨ましい。どのような具合に動かしておられるのですかな」

動かす、という言葉に楓が少し顔をしかめる。

「おおまかに仕事を振りわけてはおりますが、仰るように少ない頭数です。足りない箇所はお互い補って回しております」

「では、どなたもだいたいの業務は処理できるということですかな。オールマイティーというのは強みですな、例え不測の事態が起こっても対処できる、と」

「はぁ」

誠真が何を言いたいのか楓も他の四人も計りかねている。お蔭で楓は、はぁ、などと間の抜けた相槌しか打てなかった。

誠真は構わず話を続ける。

「新年の挨拶に伺ったのは勿論ですが、実はそういった件でお願いに上がった次第なのですよ。今申し上げたとおり、良い人材というのは非常に限られております。いちいち探して雇い入れても、思うように使える人間はなかなか育たないし、第一手間がかかりすぎまして。私や楓さんといった立場の人間は、そんな些細なことに煩わされている暇はないですしな」

誠真の目が細められる。

そうでしょうか、と楓がやんわり否定の意を示したが、その言葉は聞き流された。

「人材の確保には推薦が一番なのですよ。それも、信頼の置ける実力のある人物からのものが。自身が有能である人間は、他者にもそれを求めますし、能力の見極めが大変シビアで的確です。その眼鏡に適った者ならば使い勝手も良いでしょうし、こちらとしても面倒な手続きを省けますのでな。そこから見れば、このようにきっちりと側近の指導を行なっている楓さんからのお墨付きならば間違いはないでしょう」

「申し訳ありません、先程から何を仰りたいのかよく分かりませんが、どういうことでしょう?」

楓も迂遠な誠真の言い回しにだんだんと苛々が募ってきたようだ。

「お願いと申しましたのは、当家にひとり人材を融通頂きたいということなのですよ」

「私から、ですか。残念ながらそのような人物はご紹介できそうにありませんわ。特に該当するような方は見当たりませんもの」

「いえ、おりますよ。そのために本日はこちらまで出向きましたのでな」

そこで誠真はいったん言葉を切り、一気に吐き出した。

「当主側近の鷹倉十和を、当家にお返し頂きたい」

十和が弾かれたように顔を上げた。楓はあまりの事にすぐには言葉が見つからない。藤と千鳥は驚愕の表情を隠せずに、無作法ながら誠真をまじまじと見つめてしまう。氷雨は訳がわからないといった様子だ。

楓が一番立ち直りが早かった。

「何のおつもりか分かりませんが、出来かねますわ。十和は私の大事な側近ですので、お譲りするわけにはゆきません」

「これだけ優秀な人材がいれば、ひとり欠けたところで穴埋めは可能でしょう。元々十和は鷹倉の人間ですし、問題はない筈ですよ」

問題大ありだろうがと氷雨がぼそりと言い捨てる。

「勿論、今まで十和に掛かった費用はお支払い致しますよ。教育費と思えば安いものですな。ここまで立派に躾けて頂き感謝しますよ。当家でも役立つことでしょう」

その言い草に、楓の声が低くなる。

「今更何を仰るのやら……あれからもう十一年経ちますわ。迎えに来るにしては遅すぎはしませんか。元よりあのような形で実子を家から追い出したあなたに、はいそうですかとあっさり渡すとでも思っているのですか」

礼儀として言葉遣いはなんとか保っているものの、語尾が怒りで震えている。

「代わりといっては何ですが、女性の使用人をひとりこちらから差し上げましょう。楓さんの身の回りのお世話をするのに、異性では何かと不便で仕方ないでしょう。同性でなければ分からないことはいくらでもあるでしょうしな」

藤が眉を吊り上げる。温和な千鳥もこれはさすがに気に障ったようで、不快感を顔に滲ませている。

「結構ですわ、今のままで不自由はありません。今この屋敷にいる人間が私の理解者です。ひとりたりとも手放すつもりはありません」

楓は取り付く島もない。十和は楓と誠真の顔を交互に見ている。その瞳が時折不安そうに揺れる。

さんざん交渉しているうちに、どちらも気が立ってきてもはや冷静さなど打ち捨ててしまっている。ほとんど怒鳴り合いだ。お互いかろうじて座ってはいるが、掴みかからないのが不思議な程だ。

言い争いの横で、鷹倉佐和だけは我関せずといった風情だ。正座していた足を崩し、両手を後ろに付いてまるで何かの芝居見物でもしているようにくつろいでいる。

「ですからできない相談だと言っているでしょう、もうお引取り下さい。千鳥、外まで送って差し上げて」

「ご冗談を。こちらはわざわざここまで出向いたのだから、手ぶらで帰るわけにはいきませんな」

「あぁそうですの、結局それが目的でこの屋敷に。新年の挨拶なんて取り繕って、嘘くさいと思っておりましたわ」

見下したような楓の視線に、誠真が激昂する。

「宗家の当主だからといってあまり高慢にならないほうが身のためですよ。代わりは用意するというのだからそれで手を打っておけばよろしいでしょう」

そう言ったところで、ふと顔つきが変わり、口元が歪む。

「それとも男でなければ不自由なさいますか。これだけ男を侍らせていいご身分ですなぁ、毎晩さぞお愉しみのことでしょう。女では用が足りないはずですな」

楓が膝にのせていた手を握り締める。千鳥の顔色が変わった。

「いい加減にっ」

怒りが頂点に達した藤が怒鳴りかけた途端、誠真の真後ろの襖が開き、ほぼ同時に楓の横の障子も開かれた。

襖から奏が飛び出してくる。腰に下げていた警棒を手にしていたが、一直線に走りながらそれを両手で持ち、真ん中から左右に勢いよく振り抜いた。

片方が外れ、中から刃が現れる。

一瞬で間合いを詰め、驚いて腰を浮かしかけている誠真に、物も言わずに頭から振り下ろした。

一呼吸遅れて開いた障子から、響が駆け込んでくる。こちらも長短二本の警棒を握っていたが、既にどちらも刃を見せていた。

そのまま奏が振り下ろした警棒と、誠真の間にからだごと滑り込むと、交差に構えた両刃で奏の凶刃を受け止めた。

「奏、落ち着け!」

「殺す」

楽天家で笑顔の絶えない奏の目が全く笑っていない。

どころか、若干瞳孔が開き気味の恐ろしげな顔つきに変わってしまっている。声もいつものふわふわしたものではなく、トーンが低く、全く感情を持たない話しぶりだ。

「この人、楓に何て言ったと思う」

「聞いてた、聞こえてた。でもちょっと待て!」

言い合いながらも刃は交えたままだが、じりじりと響が押されている。

二人の間に割り込んだ形になった響は上体を反らしていて両手に力を入れにくく、対して奏は斜め上から警棒に全体重をかけている。その上、双子ではあるが、奏の方がわずかに腕力が強い。

その間に誠真は必死の面持ちで東雲兄弟から離れた。四つん這いのまま、肩で息をしている。藤と千鳥は棒立ちになったまま動けない。反対に氷雨は立ち上がってはいるものの、多少面白そうに成り行きを見守っている。十和はもはや蒼白だ。

「奏、引きなさい」

楓の鋭い声が飛ぶ。この騒ぎでも鎮座したままだった楓だが、握った拳は開かれている。

「でも、―」

言い募ろうとする奏に、さらにたたみ掛けるように命じる。

「いいから、いったん離れて。下がって頂戴」

「えー」

声色が普段の調子に戻ってきた。楓との会話に気を取られ、刃に込める力が弱まっている。その隙を突いて、響が一気に押し戻す。

そこへ、開け放たれたままの襖から、景がぴょこん、といった軽さで顔を覗かせた。

「どうしたのこれ、何やってるの奏はもぉ」

そのままあっさりと奏に近づいたかと思うと、その後頭部にがつんと一発お見舞いする。

「痛―」

「早く外に戻るよ、おっ邪魔しましたぁ」

景が奏の腕を掴んで引っ張るようにして座敷を出て行き、取り残された響とその他の面々も呆然としたままた。

我に返った響が、俺も警護に戻る。と景と奏の後を追い、とりあえずその場は収まった。


「何やら邪魔も入ってしまいましたし、本日のところはおいとま致しますかな」

混乱の動揺を隠すように、誠真が声を張り上げる。額にはうっすらと汗を浮かべ、虚勢を張っているようにも見える。

「ですがまた日を改めてお伺い致しますよ。諦めるわけにはいきませんのでな。十和には当家に戻る理由と利用価値がある」

「何度お訪ね下さっても結果は同じですわ。まぁ今度こそ頭からばっさりいかれても責任は持てませんけれど」

片頬をあげて物騒な台詞を吐いた楓に、座敷を出るため立ち上がろうとした誠真が目を剥く。来た時とは打って変わり、足音も荒く座敷を後にする。

誠真に続き、佐和も帰ろうと障子に手を掛けた。依然として座ったままの十和に一瞥をくれ、すぐに視線を戻して乱暴に障子を閉めた。二人の気配が遠ざかっていく。



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