第2話

「今日の午後、鷹倉家の当主がお見えになるそうです」

千鳥の言葉に、楓が口に運びかけていた箸を止める。

「鷹倉?何の用かしら」

「新年の挨拶と、最近の無沙汰のお詫びも兼ねて、と仰っていましたが」

「挨拶ね。そういえば鷹倉は御三家の新年会を欠席してたっけか」

吸い物椀を手にしながら藤が思い返したようにつぶやく。

「珍しかったよねぇ。鷹倉って宴席大好きじゃなかったっけぇ」

「宴席っていうか元幕藩の集会が好きなんでしょー。一種のステイタスとか思ってたんじゃないのー」

奏にしてはずいぶん辛辣だ。

「幕臣は格が高いだ何だと馬鹿馬鹿しい。何百年前の考えだ。」

響はまるで吐き捨てるような口調だ。皿の上の卵焼きに、繰り返し箸を突き刺している。

「相変わらず鷹倉を嫌ってんな」

氷雨が響の様子を見て苦笑いしている。せっかく綺麗な形に巻かれていた卵焼きは、響の乱暴な手に掛かってこざこざに崩れてしまっていた。

そう言う氷雨も、まぁ俺もだけどなとつけ加えて吸い物碗を傾ける。

「鷹倉が得意な人間ってあんまりいないと思うなぁ。俺だって苦手ぇ」

お粥を慎重に口に持っていきながら、景も批判意見に一票、のようだ。

「とにかく嫌味ばっかりだしー、人を見下してるような目つきが嫌―」

皆の反応を鑑みるに、鷹倉家というのは相当に顔を合わせたくない相手らしいと見当がつく。

「でもまぁ、来るっていうなら仕方ないわね。面倒だけれど」

楓は何も始まらないうちから、すこぶるだるそうな声を出す。

「楓、食事が終わったら桔梗屋さんにお越し頂きますので、お願いしますね」

「また着物? 毎回用意するんじゃ手間が掛かるわね」

「仕方ないだろ、御三家の奴らに揚げ足取られるようなことは少しでも減らしといたほうがいいしな。また同じ着物ですか、よっぽどお気に入りなんですねぇとかあからさまな嫌味言われるぞ」

藤の忠告で、その物言いがありありと想像できてしまった楓は口の中で溜め息をつく。

「わかったわよ」

しぶしぶ答えながら、楓は十和に視線を走らせる。

会話の横で、十和は一言も発さずひとりうつむき加減に食事を続けている。

その横顔が心なしか青ざめているようにも見え、楓は誰にも気づかれない程度に息を吐いた。


朝食後は皆、それぞれの部屋に戻る。楓も、藤と一緒に個室に引き上げた。

楓の自室は純和風にしつらえられている。床の間、掛け軸、日本刀。本人の好みで黒が基調だ。差し色で赤を加えてはいるが、文机も脇息も、花を生けている花器も黒塗り、障子の枠まで黒という徹底ぶりだ。

それでもどこか女性らしさを感じさせるのは、選ばれているものがすべて華奢で線が細いつくりだからだろう。一歩間違えれば、武骨になりかねないところを上手くかわしている。

「あまり鷹倉には会いたくないわ。疲れるもの」

さらりと襦袢の衣擦れの音をさせて、文机の前に座って伸びをしている。

「そうだな。それだけが理由じゃないけどなぁ」

藤は苦虫を噛み潰したような顔をしている。

徳川宗家が蔦乃姓で家を存続しているのと同じく、御三家と呼ばれた尾張、紀州、水戸の徳川家も姓の召し上げで家を続けている。

ただし、御三家所有の領地はすべて蔦乃宗家に差し戻され、各分家には一定額の金銀と武家屋敷を与えた上での存続だった。

領地を失い収入の絶たれた御三家は、その後随分悲惨な目にあった家もある。新政府が提示した金銀はそれなりの金額だったから、うまく使えば結構な元手にはなったはずだった。

実際、御三家すべてがなんらかの方法により現在も存続している。

ただ蔦乃家は別格扱いだった。宗家だけが密約のお陰で有利な条件だったことに、世代が替わっても未だに反感を持つ家はある。

あの密約で、現在の蔦乃宗家が所有する土地は、全日本国土の実に五割に上る。

午後の顔合わせで、御三家の一家である鷹倉の当主から嫌味のひとつやふたつは覚悟しなければならなかった。

「別に嫌味なんて構わないけど」

「そうそう、もっと他にさ」

楓も藤も、同じ想いを胸のうちに抱いていた。


かたんと障子の開けられる音がして、千鳥が姿を見せる。

「桔梗屋さんがお着きです」

言うが早いか、千鳥の背後から男の顔が覗いた。

「久し振りだな」

「半月前に会ったわ、久し振りって言わないわよ。柊も相変わらずね」

相変わらず、とは呉服店である桔梗屋の店主を務める遊座ゆうざひいらぎのいでたちだろう。

男物とは思えない程に華やかな朱と白の幾何学模様の和服。髪は黒いものの、ミディアムの長さを結い上げるわけでもなく、こちらも飾りや石がふんだんに使用してある簪や櫛で横髪をアレンジしている。とにかく派手、の一語に尽きるだろう。

呉服商としてのつき合いは勿論だが、楓の幼馴染でもある柊は、屋敷の誰に対しても物怖じせず遠慮のない声を投げかける。

「まぁな。似合ってるだろ」

「肯定も否定もしないでおくわ」

「何だよそりゃ」

柊が口を尖らせる。

千鳥が笑いを押し殺しながら、障子を静かに閉めて出て行った。柊がすぐに畳に座り込み、持参したたとうを広げ、着物を取り出す。

「今回のも自信作。一回試着してみて」

ぼんやり着物を眺めていた楓が顔を上げる。

「柄や生地を選んだ覚えがないのだけれど」

「楓の好みはよく分かってるつもりだし、大体今日の午後に着るんじゃオーダーで仕立てなんか到底無理だからな」

「そうね」

眉をひそめながら楓がつぶやく。

どちらかと言えば着用する当人の楓よりも、それを管理する藤のほうが和服をきちんと検分していて、何やら立場があべこべでおかしいが、ここではこれが常態だ。普段襦袢で過ごしているのを見ても推測できるとおり、楓はあまり衣服に頓着しない。

「おかしなものよね」

ぽつりとつぶやいた楓の言葉に、二人が顔を上げる。

「何がだ?」

広げた着物を畳みながら、柊が尋ねる。楓は立ち上がり、外廊下とその先の庭に面した障子を開けた。

丁寧に刈り込まれ、整えられた広々とした庭園と、それを守る塀のはるか向こうに高層ビルが建ち並んでいる。

「世の中にはあんなに高いビルもある。綺麗な洋服も、便利な道具もたくさんある。ここだけ、この屋敷のなかだけ時間が止まってしまっているみたいだわ。古い屋敷に住んで、着づらくて動きにくい和服を着て、幕臣だ何だと時代錯誤な話をしているのよ」

普段の楓とは違う陰りのある表情に、藤と柊は顔を見合わせた。が、すぐに藤が応酬する。

「屋敷にだって現代のものはあるだろ。使いやすいようにリフォームしてあるんだから。キッチンは最新型のものを入れてあるし、トイレはタンクレスでウォッシュレット。風呂はまぁ、流石に檜風呂は撤去しなかったけど洗面台は入れただろ?しっかり時代の波に乗ってるよ」

「そうそう、各部屋にエアコンも付いてるし」

おどけながら柊が付け加える。

でも冬はエアコンが効かないんだよなと藤がぼやく。やっぱり型落ち品を買ったからかなとぶつぶつこぼす藤に、それはエアコンじゃなくて一部屋が広すぎるせいだと思うぞ、と柊はつれない返事だ。

二人のやり取りを、目を丸くして聞いていた楓がふっと表情を和らげた。


しばらく会話を楽しんでいた柊だったが、次の約束があるからと席を中座した。

帰ろうと立ち上がりかけて、楓に顔を向ける。

「楓、たまには見送りしてくれたっていいんじゃないの?」

「ええ、別に構わないけれど」

ゆっくりと立ち上がった楓はそのまま柊と連れ立って外廊下を出て、玄関に向かった。

屋敷そのものの面積に比例して、玄関もかなりの広さを有している。現代的なマンションにある、せせこましい靴脱ぎ場のようなそれとは比べものにならない。

それだけに欠点もあり、例えばこの広さでは暖房なしだと、冬はかなり冷える。

「何か話でもあったのかしら?」

草履を履く柊の背中が見える。

「さすが幼馴染み。よく分かったな。まぁそんな深刻な内容でもないけどな」

「じゃあ早くして。ここは寒いわ」

楓はとんとんと軽く足踏みをして寒さを紛らわせる。両手は指先まですべて、袂のなかに入れて、少しでも暖を取ろうとしている。

「今回会うのって鷹倉だろ。この前うちの店に来たんだよ」

楓が一瞬目を細めた。

「そう」

「怖ぇな、いきなり声のトーン下がったぞ。宗家に伺うとかって和服一式買っていったけどな」

玄関の壁にもたれ、物憂げな楓は、なかなか言葉を返さない。

「十和、気を付けておいてやれよ。あの連中相変わらずだったぞ。俺も常客じゃなきゃ顔も見たくない奴らだ」

「わかってるわ。忠告ありがとう」

「あぁ、んじゃまたな」

柊が引き戸を閉めて出て行った後も、楓はしばらく上がりかまちに佇んでいた。


昼食が終わった後に、楓は十和の部屋を訪ねた。

「十和、入っていいかしら」

「……どうぞ」

静かな声だ。楓は、十和の声を聞くのが好きだった。不思議に落ち着き、それでいてたゆたうような危うさも見え隠れする。

それがどこから来るものであるかを、楓は知っている。

十和は読書をしていたようだ。楓が襖を開けると、背を伸ばして襟元に手をあて、居住まいを正した。

楓は構わず、十和の正面に座る。

この部屋は、住んでいる本人の性格がよく表われている。

とにかく物が少ない。だが、その数少ない所持品はどれも丁寧に使い込まれ、長年大事にされてきたような雰囲気を醸し出している。

楓は部屋を見回し、十和に視線を移す。

目が合った十和がひっそりと微笑む。普段は無表情で口数も少ないが、楓にはよく話し、笑う。楓にとっては嬉しいことだった。

「十和、もうすぐ鷹倉の当主が到着するようだけれど」

十和の肩がゆらりと揺れた。両手を軽く握っている。

「……そう」

「顔を合わせなくて済むように、奥に入っていたらどうかしら」

「……大丈夫」

「じゃあ、せめて私のすぐ側にいるようにしておいて頂戴」

「……あぁ。きっと、多分何も変わっていないんだろうね。性格だから、もうどうしようもないだろうけど」

顔を歪めて嫌な事を思い出したように話している。鷹倉家が話題に上る時は、いつもそうだ。

十和は、元御三家・尾張徳川家、現在「鷹倉」家の現当主の次男に当たる。

中学入学とほぼ同時期に「当家に多大な悪影響を及ぼすため」などという訳の分からない理由で勘当され、家を追い出された。

元々幼い頃から御三家の宴席でよく顔を合わせ、同い年でもあったために親しかった楓が、側近として雇い入れる形で蔦乃家に引き取った。

それから十一年間、十和は一度も実家に帰っていない。


「そうね。でもここまでの話にしておきましょう。今から嫌な思いをすることはないもの」

十和がこくりと素直に頷いた。その頭に、楓がおもむろに手を伸ばす。十和の髪から、簪を引き抜いた。まとめていた髪がはらはらとほどけ落ちる。

背中までかかる長さも相まって、一見女性のようだ。

「この簪、そろそろ替え時じゃないかしら?私が使っていたものだから雑な扱いだったし、状態が悪かったでしょう」

「……いや」

十和の表情が柔らかさを取り戻す。

「……取り替えてしまったら意味がない。この家に入った時に、お守りだって楓がくれた物だ」

「そういえばそう言ったわ。水晶がついてたからあげたのだったけれど、私もどうして他の物を用意してあげなかったのかしら、男性が簪なんて使えないでしょうに」

言いながら簪を指先でくるくると回す。

石に照明が当たって時々思い出したようにちかりと光る。

水晶って護身守の意味があるんだったわね、と誰ともなしに楓が呟いている。

「……その簪を挿すために髪を伸ばしたんだ。袂に入れても胸元に挟んでも、何かの弾みで折ってしまいそうだったから」

言いながら簪を楓から受け取り、両手でアップに結い上げていく。終わってしっかりと楓の目を見据えた。

「……これがいいんだ」

そう、と首を振った楓は十和に微笑みかける。

「私は部屋に戻るわ。邪魔してごめんね」

楓は立ち上がって襖に手を掛ける。十和の声が背中から追いかけてきた。

「……楓、わざわざありがとう」

「どういたしまして」

楓はそのまま後ろ手に襖を閉めた。


昼食をそそくさと済ませ、来客の訪問を待つ。普段は親しい友人や懇意にしている商店(主に桔梗屋)、年に数回催される御三家の宴席以外、屋敷に人が訪れることはあまりない。そのせいか、誰もが少し落ち着かない。

藤の助けを借りて着替えを済ませた楓が、自室の障子を開けて庭を眺める。

響は庭にいるが、奏の姿が見えない。どこかでいつものように、日向ぼっこでもしているのだろうか。

いつも沈着なはずの響も、今は外塀の瓦の上を行ったり来たりとせわしない。

「響、ちょっと」

楓が声を掛けると、塀から軽々と飛び降り、庭をゆっくりと横切ってくる。腰のベルトに吊っている警棒がぶつかり合い、がちゃがちゃと音を立てる。

「何だ。」

「これから鷹倉が来るって、朝に聞いたでしょう」

「あぁ。」

響はぶっきらぼうで誤解されがちだが、よく聞いていると、ちゃんと伝えたいことが確実に伝わるように、しっかりと話してくれているのが分かる。

「警護は普段どおりの配置だけど、どちらかというと、私より奏を見ていて欲しいの」

基本的に警護の役割を果たす東雲兄弟は、屋敷全体というよりはいつも楓の周りに付いている状態だ。

「努力はするが、あまり期待するな。いつも言ってるけど、力はあいつの方が上だ。」

「大丈夫よ。響の目があれば、少しは違うと思うもの」

「だといいがな。」

「嫌な言い方するなよな。虚勢でもいいから任せろとか言ってくれ。余計不安になる」

楓の部屋から出てきた藤は、思い切り心配そうな顔だ。

「物事には限界ってものが。」

「頼むからそれ以上言うな」

その時、千鳥が廊下の向こうから小走りに駆けてきた。

「鷹倉家の御車が到着しましたよ」

その声を潮に、皆一斉に客座敷まで動き始めた。









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