こばなしたち

凪瀬涼

第1話 ミネストローネ


風邪を引いた。

普段はほとんど風邪を引かない私だが、珍しく熱も38.5℃を超え、頭痛に苦しみ夜はほとんど寝れず、バイトのシフトも代わりが見付からず迷惑をかけた次第だ。しかし、重い身体とぼやける視界でたどり着いた近所の病院からは効かない薬をやたらと処方され、結局治らず友人との旅行をキャンセルし、暇な大学生の長い春休みに詰め込んだ予定は一瞬にして消えた。

暇だ。暇すぎる。だがしかし、何もできない。

音楽を聴くにも痛む頭に響くし、マンガを読むにもすぐ疲れてしまうし、出掛けるなんてもってのほか。眠ろうにも頭が痛すぎて眠れないし、何か食べようにも冷蔵庫はすっからかん。

去年、地方から上京してきて初めての一人暮らし。ずっと憧れだった。今では少し珍しい二世帯住宅で、実家では気を遣う生活を送っていた。だが、一人暮らしを始めてここまで大きな風邪は初めてだ。実家にいれば、兄は学校を休むことに不満をもらしつつ心配してくれて、おじいちゃんが病院に連れてってくれて、おばあちゃんが食べやすいおいしいごはんを作ってくれて、母親が仕事帰りにゼリーを買ってきてくれて、普段無口な父親が「大丈夫?」と声を掛けてくれてから眠るのに。


この寂しさは、ないだろ。


それを掻き消すように、母親に「風邪引いた」と一言だけLINEをする。きっと今頃、みんなの夕飯を作って、みんなで食べてる時間だ。来ない返信を待つのを諦めて、頭痛と旅行のキャンセル料の金額を忘れたふりして目を閉じた。


***


ふと目を覚ますと、瞬時に痛む頭。完全に冴えてしまった目でスマホを確認すると、午後10時。目を閉じた時間から三時間も経っていない。

またしばらく寝れないやつだ……と落胆していると、LINEの返信が来ていたようだ。母親からだ。

「風邪大丈夫!?明日お休みだから、何か食べやすいもの作って送ろうか?食欲ある!?」

返事を見た瞬間、とりあえず食べ物に食い付いた。台所も食器にあふれ料理するスペースもないし、まず気力がない。風邪なのにコンビニから買ってきたものはいかがなものか……と思い、ほとんど食べずに過ごしてきた。本当にありがたい。

「何か野菜を食べやすくしたやつ送ってください……」

という何とも曖昧な返信を送った。いざ何が食べたいか、と問われると頭に浮かんだのは"野菜"だった。すると、明日の午後には届くようにするという返事がすぐに返ってきて、それを楽しみにしながら、どうせ眠れないだろうが再び目を閉じた。


***


翌日、配達員のおじさんから荷物をもらい、早速封を開けてみる。そこにはインスタントのスープやゼリー、父親が買ったらしいやたら大きいフルーツグラノーラ、母手製の郷土料理やおかずが何品かあった。その中で、一際大きく厳重に包まれているものがあった。

え、何か真っ赤なんだけど。なにこれ。

その袋を持ち上げてみると、ミネストローネが入っていた。ミネストローネは私の大好物。しかし、他の家族には人気がなく、実家ではほとんど作られなかった代物だ。他のおかずを冷蔵庫にしまい、ミネストローネは別の器にあけ、すぐにレンチン。

ジャガイモが煮崩れしてスープにとろみがついており、とりのモモ肉とベーコンはほろほろと柔らかい。温かくて、いくらでも飲めそうだ。火傷をしないよう、ゆっくり飲んでいると、ふわっとショウガの香りがした。

ミネストローネにショウガ?でも見た感じは見えないしな……

少し気になって、母親に荷物が届いたことと一緒にミネストローネのことを聞いてみた。

「すりおろしてちょっとだけね。生姜苦手なのは知ってるけど、身体には良いから!」

「いつもカレーで文句言われてたから、今回ばかりはすりおろしてやったわよ(笑)けど、気になったのならごめんね」

こんな返事が返ってきた。カレーで文句を言っていた、というのは、元々私自身ショウガが苦手だが、母親も祖母もカレーにはそれを薄切りにして入れていた。カレーだから見分けがつかず、何度もがりっと噛んでしまっては、その食感とキツい味に「せめて刻んでよおおおそれか入れないでよおおお」といつも悲痛な訴えをしていた。その訴えはカレーの日に届くことはなかったが…………。

食品は違うものの、私が言っていたことをちゃんと覚えていてくれて、わざわざ手間をかけて、私のことを考えて作ってくれたミネストローネ。

「いや、暖まるしおいしいよ。ありがとね」

少し照れくさくて素っ気ない返事も、お母さんなら分かってくれるかな。きっと分かってるはずだ。あの人は、何だか目ざといから。

「じゃあ、あとはゆっくり休んで、早く家に帰ってきなさいよ。お父さんも心配してるからね~。おやすみ!」

その返事を見て、またゆっくりとスープを食べ始めた。食べやすい温度になって、優しくお腹に流れていく。ゆっくり食べたって、これは私のためだけのスープなんだ。誰にも取られやしない。ほっこりと暖まった身体から力が抜けた。今日はきっと、ゆっくり寝られるだろう。

「ごちそうさま。」

空っぽになった器の前で小さく合掌し、歯磨きをして布団に入った。うん、暖かい。静かに目を閉じて、明日は何のおかずを食べようか、なんて考えてるうちに、そっと夢の中に入っていった。


fin.

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