前進
けたたましいチャイムの音で葵は目を覚ました。
時計を見ると、まだ六時前だ。軽く伸びをしてベッドから抜け出した。その間もなり続くチャイムに苦笑する。
「葵? おはよう! 起きてる?」
インターホンをとると元気な保奈美の声が飛び込んできた。
「今起きた」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
ぺろりと舌を出している保奈美が、画面から笑顔を寄こしていた。
「今日はきちんとしてるんだ」
こんな早朝にもかかわらず、きっちりメイクもして髪もセットしてる。通常運転の保奈美だ。
「あはは。気になって早く目が覚めちゃって。通勤するお父さんに回り道してもらっちゃった」
「昨日と逆だね」
パジャマ姿の葵が言い、二人して顔を見合わせてふふっと笑った。
「葵、着替えておいでよ。焼きたてのパン、買ってきたから。あと、サラダとスープとデザートも作ってきちゃった」
大きな荷物を指して言う。確かに香ばしいパンの匂いがしている。
「何これ、全部持ってきたの?」
「うん、目が覚めたら何かしてないと早く出てきちゃいそうだったから」
「十分早いけど。…………一体何時に起きたの?」
「四時前、かな」
思わずぷっと吹き出してしまう。
「遠足前の子どもみたい」
「あれは夜寝れないんでしょ。もうっ、いいじゃない。気になったんだから。でも。
…………どうだった? なんて聞かなくてもわかるよ」
「え?」
「だって、葵の表情が昨日より晴れ晴れしてる。・・・星、作ってもらったんだね」
「…………うん」
「よかったね」
微笑みあってうっすら涙を浮かべる葵と保奈美。朝の陽射しの中、優しい空気が二人を幸せにする。
「じゃあ、お言葉に甘えて着替えてくるね。お皿とか、好きに使っていいから」
保奈美にテーブルのセッティングを頼み、ベッドルームのドアを開けた葵は目を疑った。
壺がないのだ。窓際に置いていたはずのステラの壺。
「え…………ええ!?」
思わず大声を出してしまう。
「何? どうしたの?」
葵の声に保奈美が飛んでくる。
「ないの」
「ないって何が?」
「壺。壺がないの。ステラの壺が…………」
呆然と立ちつくす葵が見つめる先のミニテーブルの上には何も置かれていない。
「消えちゃった? …………ここに置いてたの?」
「うん…………」
「やっぱりオカルト!?」
まだぼうっとしている葵に茶化すように言うと、葵は自信なさげに答える。
「…………そうかも?」
「え? 本気にしないでよ~。でもさ、妖精なんでしょ? よく大人には見えないとかいうじゃない。必要じゃなくなった人には見えなくなるのかもよ?」
慌ててフォローする保奈美を小首を傾げて訝し気に見る。
「私が嘘を言ってたとは思わないんだ?」
葵の言葉にきょとんと目を丸くして、一瞬のちに大爆笑する保奈美。
「まさか! 昨日の葵と今日の葵を見ててそれはないよ! 葵は一昨日までと昨日と違うって言ってたけど、それは見てないから置いとくとしても、昨日と今日とじゃ表情が全然違うんだよ? 何もなくてこんな風にはならないでしょう」
「そんなに違う?」
「違うよ~。昨日も悲愴な感じはだいぶ和らいでると思ったけど、今日は・・・なんだろ、朝の光? みたいなのを感じるよ、葵から。オーラが違うっていうかさ。だから、何もなかったなんて思わない」
「ありがと。信じてくれて」
真っ直ぐに葵の目を見て言ってくれる気持ちが嬉しい。
「さ、今度こそ着替えてきて。朝食食べながらゆっくり昨夜の話聞かせてよ」
保奈美が可愛らしくウインクを決めて部屋を出ていくと、葵はしばらくステラの壺を置いていた場所を撫ぜてから、プルンと首を振って気持ちを切り替えると服を着替えた。
不意に感じるふわりと抱きすくめられているような感覚。遼の息遣いを感じるほどに優しい空気。
葵は鏡に映る自分の表情が保奈美の言うように確かに変わっているのに気づいた。
星を作ってもらったから? それで私の心もちが変わったから?
つい二日前までは、遼がいない寂寥感に押しつぶされそうになっていたのに。すぐそばに遼を感じる。
「ステラ、本当にありがとう」
小さく呟いてリビングに戻った。
「それで? 最後は打ち上げてもらってさよならしたの?」
「うん、お礼も言わないまま。すうっと消えていっちゃったっていうか私の意識がなくなったっていうか。あ、思い出した!」
ぱちんと手を叩いて葵が身を乗り出した。
「一番最後にね、ステラが言ってたの。『明日の朝届く一通の封筒の導くままに行ってごらんなさい』って」
「封筒?」
「そう」
言いながら玄関へ向かいポストの中を確認すると、確かに一通の封筒が入っていた。
宛先は、秋吉葵様方 松本遼様 になっている。遼の写真関係の物だろう。遼は家族に写真をやることを反対されてから、葵のこのマンションにその関係の物を全部持ってきていた。写真を続けていることは家族には内緒だったのだ。
葵はその受取人のいない封筒を手にしてリビングに戻った。
「本当に封筒があった。…………遼宛だけど」
「遼宛ってどういうこと?」
「両親に反対されてたから、写真関係の物は全部うちに置いてたのよ。郵便もうちに届くようにしてたし」
「え、遼ってそんなに本格的に写真やってたんだ? いいカメラ持って撮ってたのは覚えてるけど」
「だって、保奈美に言ったらすぐおばさんや遥香ちゃんにしゃべっちゃうじゃない」
「確かにね」
保奈美とその彼氏は遼の幼馴染だった。遼の母や妹とも大の仲良しなのだ。
「それで、なんの手紙なの?」
「…………私が開けていいのかな?」
「封筒の導くままにって言われたんでしょう? いいんじゃない? 開けてみようよ」
躊躇いがちに開けてみると、中から出てきたのは遼の作品がコンクールに入選したという知らせだった。郵便局で手違いでもあったのか、そこにある日付は十日も前のもので、そのコンクールの優秀作品の展示が今日からとなっている。
「葵、見に行こう」
保奈美が葵の目をまっすぐに見て真剣な声で言った。
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