笑顔

「んーと、葵。ちょっとお洒落して出かけない? 写真展の後、お祝いしようよ。ね?」


 朝食の片づけを終わると保奈美が提案した。

 今日は朝からずっと保奈美のペースだなぁ、と苦笑しつつ頷く。


「じゃあ、服選ばなきゃ」


 今日は家で保奈美とおしゃべりのつもりだった葵はスウェットのワンピースというラフな服に着替えていた。


「…………お洒落ってどの程度?」


 ベッドルームへ向かいながら振り返ると、すぐ後ろをついてきていた保奈美がぽそっと小さな声で言った。


「ねぇ、…………私、強引過ぎるかな?」

「え?」


 俯きかげんで立ちつくしている。


「今朝、早く目が覚めたって言ったでしょ? でね、いろいろ考えたんだ。昨日のこととか、これまでのこととか。

 それで、…………もっと葵と深く関わっていきたいなって思ったの。

 今までどこか少し遠慮してたっていうか、葵の領域に無理に踏み込んだら駄目かなって思ってるところがあったのよね。

 だから手紙や留守電を残してるだけで、会えなくても諦めてるみたいな感じがあったんだけど。

 昨日、泣いてくれたでしょ? 私が駆けつけたとき。それで…………もうちょっと強引に踏み込んでもいいのかな? って思ったの。

 …………迷惑かな?」


 さっきまでの勢いはどこへやら、ぽつりぽつりと言う。

 葵の胸にまた温かいものが溢れてくる。


「保奈美。全然迷惑じゃないよ。

 私もね、遼以外を私が受け入れようとしていなかったんだなぁって思ったもの。これからは変わる努力するから、力になって」

「葵~」


 抱きついてくる保奈美を受け止める。

 葵は保奈美に自分のことをもっと知ってもらいたくて訊いてみた。


「ねえ、私の中学校までの話とか家のこととか、遼から聞いてる?」

「…………あ、それ、私が情報源なの」

「え?」

「遼が葵に片思いしてた頃、ちょうど私と拓海と付き合い始めたばかりで、三人ずっとちっちゃい頃から一緒だったのになんかぎこちなくなってて。遼にも彼女ができたら変わるかなぁ~って応援するつもりで葵のこといろいろ調べちゃった」


 ぺろりと舌を出す。

 憎めない仕草だなぁっていつも思う。


「遼には怒られちゃったけど。余計なことするなって」


 それで遼はいろいろ知ってたわけかぁ。

 謎が解けてくすくす笑い出してしまう。


「葵? 怒ってない?」

「ないない。…………ありがとう。半分保奈美のおかげだったんだね。遼とつきあえたのは」

「そんなことはないと思うけど…………」

「本音を言うとね、三人の仲の良さにちょっと嫉妬してたところはあるのよ。だから余計に打ち解けられなかったっていうか。…………まさか裏でそんな風に貢献してくれてるとは思ってなかったわ」


 保奈美が昨日より更に身近に感じてくる。


「服、選ぶの手伝って」

「オッケー」


 にっこり笑う保奈美をベッドルームに招きいれクローゼットを開けると、すぐに保奈美は一枚のワンピースを選んだ。ワインレッドのシックなデザインのもの。ハイウエストで花のモチーフがアクセントになっている。


「これがいい!!」

「…………どうして」

「どうしてって…………なんとなく?」


 それは、遼が昨年の秋に買ってくれたもの。遼の、そして葵の一番のお気に入り。


「葵はさ、ふわふわしているようで芯がしっかりしてるし、深みのある大人色のこのワンピース、よく似合ってるよ」


 試着したときに目を細めて遼が言ってくれた言葉が浮かんでくる。


「…………指輪にも似合ってるし」


 言われて手を目の前に持ってきて指輪を見つめる。

 

「あの日…………あの最後の日に遼がくれたの」


 浜辺で葵の指にはめてくれた感触がよみがえる。そして手を繋いで歩きながら親指で確認するようにこすっていた感触。

 葵はそっと指輪にキスをした。

 ぽろりと涙が零れる。

 ふわりと保奈美が何も言わずに抱きしめてくれる。抱きしめてくれているのは保奈美なのに、まるで遼に抱きしめられているような不思議な感覚。


 …………これもステラの魔法なの? 今日は朝から空気が優しい。遼がずっと側にいてくれているように感じる。


「うん、この服にするわ」


 遼が選んでくれた服と指輪。遼の想いに包まれて行こう。 




 そこは割合広いギャラリーだった。このコンクールの規模もかなり大きいものだったんだろう。


 遼の最後の作品──。

 遼があの最期の日に言っていた言葉がゆるりと葵の頭の中で回りだす。


「今度のは自信があるんだ。もし入選しなかったら、審査員の目が節穴だってことだよ。ま、賞なんてほんとのところはどうだっていいんだけどさ。俺自身があの作品の素晴らしさを分かってるんだから」

「ふふっ。ほんとにすごい自信ね」


 あの時葵は微笑みながらそう答えた。審査員の目は節穴ではなかったわけだ。


「めずらしいね。あいつがそんな自信過剰なこと言うなんて。ちっちゃい頃から嫌味なくらいなんでもできたくせに、そういうことあんまり言わない奴だったのに。それとも葵の前では言ってたの?」

「ううん。普段は言わなかった。私もめずらしいなって思ったよ。よっぽど自信があるんだなぁって」


 今朝までコンクールのことなんてすっかり忘れていたけれど、葵はその作品に少なからず興味を覚えた。


 遼があれだけの自信を持っていた写真。──一体どんな作品なんだろう。

 

 そんなことを思いながら葵は中に足を踏み入れた。


「結構たくさん来てるね」


 葵の隣で保奈美がきょろきょろしながら言う。

 両側の壁には色鮮やかな写真が並んでいる。ところどころにセピア色の絵。それぞれに個性がある。

 二人は順番にその写真たちを見ていくことにした。

 大きさも題材も様々で、それぞれがとても輝いていた。あるものは可憐で儚げだった。気高く美しいものもあったし、微笑みをさそうような愛らしいものもあった。

 技術的にどうとかいうことは葵には全くわからなかったけれど、どれもみんな温かいと思った。撮った人の気持ちが伝わってくる。あの骨董品屋アンティーク・ショップで感じたような安らぎを覚えて、葵は自分でも知らぬ間に微笑みを浮かべていた。

 遼が写真を撮るのにつきあったり、被写体になったり、現像を手伝ったりはよくしたけれど、こういった写真展に来たのは初めてだった。


 これが、遼の愛した世界──。


 とても優しい気持ちで葵は回廊を進んでいく。淡い優しさでできている水の中を泳ぐようにして歩く。

 葵の中に小さな想いが生まれた。


「どれも素敵だねぇ」


 保奈美も並んでいる写真の一つ一つに見入っている。


 と。


 先にその角を曲がった保奈美が大声を上げた。


「…………葵!!」

「しーっ」


 思わず人差し指を口にあてる葵を見て首を竦めるものの、今度は手振りで葵を呼ぶ。なんだか随分興奮しているようだ。

 わけがわからないながらも保奈美の方へ足を進め角を曲がると、そこには──。


 一際ひときわ大きな写真。


 一枚だけかけられているその写真の中で、一人の少女が幸せそうに微笑んでいる。この世の中で一番幸せだ、とでも言いたげな表情で木漏れ日の中──。


「わ…………たし…………?」


 それは紛れもなく葵の笑顔だった。彼女自身も見たこともないほど幸せそうな表情。遼と一緒のときはいつもこんな表情かおをしていたのだろうか。

 立ちつくす葵の隣に保奈美が並んで肩を抱く。

 写真の正面に立って見上げると、何とも言えない思いが湧きあがり、葵の眼から涙が溢れ出た。周りに大勢の人がいるというのに、そんなことはお構いなしに頬を伝って流れ落ちる涙。悲しいわけではなく、葵自身もなぜ自分が泣いているのかわからなかった。わからないけど、涙が溢れて止まらない。

 ふと隣を見ると、保奈美も顔をくちゃくちゃにして泣いている。

 葵は一昨日のステラの見せてくれた夢を思い出した。


「いつでも笑っててくれ。…………お前の笑顔が一等好きだよ。お前は笑顔が一番よく似合う」


 そう言って微笑んだ遼の顔が、涙でぼやけて半分霞んだ視界の中で、写真の中で幸せそうに微笑んでいる葵の笑顔と重なって見えた──。

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