第2話 鬼神と黒猫



ボスと初めて出会ったのは、闇オークションの会場だった。


とはいえ、お互い仕事でバッティングをして、死闘を繰り広げた末に意気投合したとか、そういう運命的な出会い方をした訳ではない。

ご主人様を亡くし、闇オークションの商品として売り出されてしまったノラ猫を、法外な額で買い取ったのが警備組織『シリウス』のボス、メテオだったというだけの話だ。


『さぁ、皆様ご覧下さい。ここに居りますのは、あの悪名高き黒猫で御座います!』


ステージ上で高らかに声を上げ、ボクの首に繋がる鎖を乱暴に引くスーツ姿の男。

男によってスポットライトの下に化物の体が投げ出されると、客席は沸き上がり、割れんばかりの歓声が上がった。


『皆様ご存じの通り、この化物は痛みを感じないという特性を持っております』


ほらこの通り、身動ぎひとついたしません。

などとのたまいながら、まるで果物にフォークを刺すかのような気軽さで男がボクの肩にナイフを突き立てる。


『ストレス発散に使うも良し、奴隷として飼うも良し、愛玩用に囲うも良し。大抵の扱いには耐えられる、頑丈な玩具でございます』


今度はまるで愛車でも自慢するかのように、得意気にボクのセールスポイントを述べる男。

なんだか勝手なことを言ってやがるなあ。人権ってなんだっけ?…あ、ボクは人間じゃなくて化物って括りだから、人権なんてないのか。

なんて、肩に刺さるナイフをぼんやりと眺めながら、まるで他人事ひとごとのようにそんなことを考える。

正直もう、何もかもがどうでも良かった。

元々ご主人様おとうさまの為だけに造られたボクだ。ご主人様おとうさまが居ないなら、帰る場所もなければ生きている意味もない。誰に何をされようが、どうなろうが構わないから好きにしてくれ。

と、ボクが勝手に他人任ひとまかせに人生を諦めていたら。

突然客席が一瞬どよめいて、けれどもすぐにシン…と、静かになった。


「決まりだな。そいつは俺が貰い受ける」


静寂に包まれた会場に響いた、低くて凛とした声。

なんだろうと疑問に思う間もなく抱き上げられて、温かい腕に包まれ、気が付くとボクはこの屋敷に招かれていた。


「ようこそユエ。今日からここがお前の家だ」

「ん、分かった。ボクは何をすれば良いの?」

「誰も死なすな、殺させるな。その目に映る全ての者を守れ。それがお前の生きる意味だ」


こうして、ボクは始まった。



■■■



「おい、起きろ!お前なんでこんなとこで寝てんだよ!?」


乱暴に肩を揺さぶられる感覚に目を開けると、視界いっぱいに飛び込んできた赤い長髪。

ド派手なその色に目がくらんで、ごしごしと眠い目を擦ると、鼻先が付きそうな程の距離にウィルゴが迫ってきた。


「おはよ、ウィルゴ。近い」

「おはよじゃねぇよ。お前、なんで部屋の隅で寝てんだよ?どんだけ寝相悪いんだ」


部屋の隅で壁に寄り掛かるように座って眠っていたボクに、ウィルゴがベッドを指差しながら叫ぶ。…朝から元気な奴だな。

つか、別にあそこからここに移動してきた訳じゃねーし。元からここで寝てたんだよ。


「なんでベッドで寝ねぇんだよ。使えば良いだろ」

「落ち着かなかったんだよ」

「ベッドが落ち着かねぇってどういうことだよ…」


お前、本当にノラ猫なんだな。

と、呆れたように大きな溜め息を吐いて、立ち上がるウィルゴ。

どこかに行くのかな?そう言えばウィルゴは、肩まである長髪を昨日と同じようにハーフアップで括って、けれども昨日とは違ってピン止めをいっぱい付けてオシャレしている。

まあ、昨日の仕事で太ももと肩に怪我を負い、一日非番を貰うことになったボクには関係ねーや。

もう一眠りしようと目を閉じる…と、何故かウィルゴにヒョイと抱き上げられ、無理矢理立たされてしまった。なんでだ…!?


「何寝ようとしてんだよ。行くぞ!」

「ボク、今日は休みなんだけど?」

「俺も休みだよ。だから出掛けんだろ」

「一人で行きなよ。ボクは寝る」

「お前、もう忘れたのか。お前は今日から単独行動禁止なんだよ」



…………すっかり忘れてた。



■■■



「ほれ、朝飯」

「ん…、ありがと」


半ば無理矢理連れてこられた賑やかな飲食店の店内で、ウィルゴから手渡された丸い包みを両手で受け取る。

朝飯って言うくらいだから食べ物なんだろうけど、なんだこれ…?


「なんだ、食わねぇのか?腹減ってねぇ?」

「いや…、何これ?どうやって食べんの?」

「は…?お前、ハンバーガー知らねぇの?」

「ウン。初めて見た」


どうやらこれは、ハンバーガーという食べ物らしい。

ウィルゴの真似をして包みを開いてかぶり付くと、なんだか変なものを見るかのような目でボクを見下ろすウィルゴと視線が合った。


「なに…?」

「いや、お前ノラ猫の癖にジャンクフードは食わねぇブルジョアなのか?」

「逆だよ。まともに食事をした経験が無かっただけ。ノラ猫だからね」


ハンバーガーにかぶり付きながら、まともに食事をした経験が無いだなんてまともじゃないことを、なんてことなさげに言うユエ。

そう言われると確かに、少しも表情も変えずに黙々とハンバーガーを口に運ぶ姿は、食事をしているというよりも、ただ与えられた物を摂取しているだけのように見える。


「美味いか?」

「たぶん…」


あまり期待はせずに尋ねると、首を傾げながら返事を返すユエ。

こちらに気を遣うことを全くしない素直な反応が、なんだか可笑しくて仕方がなかった。


「なら良かった。次はもっと美味いモン食わせてやるよ」


小さな口で少しずつハンバーガーを減らしていくユエの艶やかな黒髪をぐしゃぐしゃと撫でてやり、自分の分のハンバーガーを平らげる。

俺から少し遅れてユエが、ペッタンコの腹にハンバーガーを全て詰め込むのを見届けてから席を立つと、ユエが俺に寄り添うようにぴったりとくっついてきた。


尾行つけられてるね」

「なんだ、気付いてたのか」


どうやら勘は鈍ってねぇらしい『黒猫様』に感心しつつ、ビシバシと痛いくらいに感じる殺気に口元を緩める。



さぁて、楽しい休日の始まりだ。



■■■


「で、どこ行くの?」

「とりあえずは様子見だ。よっぽど頭のオカシイ奴じゃなきゃ、こんな街中でドンパチにはならねぇだろ。一旦泳がせておいて、まずは当初の目的を果たしに行く」


行くぞ!と、何故か気合い十分に意気込んだウィルゴに連れてこられたのは…、


「いらっしゃいませ~♪」

「どうぞ、ご自由に鏡に合わせてみてくださいね」


洋服屋さん、だった。


「ボスから頼まれてんだよ。お前の服を揃えてやってくれって」

「3着は持ってるよ」

「いや、それしかねぇのかよ」


自信満々に答えるユエだが、どう考えてもその数は少ない。

つか、持ってるうちの1着はさっきまで着ていたパジャマ代わりのボスのシャツで、もう1着は昨日ステラから渡されたドレスだろ。

っつーことはだ。こいつ、今着ているワンピース以外にまともな服を持ってねぇってことじゃねぇか。


「仕方ねぇ、俺が可愛く仕立ててやるよ」


どうせコイツに好きなものを選べと言っても困惑するだけだろうし、俺がとびっきりのレディにしてやろう。

…とはいえ、俺も別に女に服を選び慣れてるって訳じゃねぇ。どうしようかと店内の服を見繕っていると。


「あら、ウィルゴじゃない。何してるの?」


顔見知りと、遭遇した。


「よぉスピカ。今日も美人だな」

「ふふ、ありがと。ウィルゴも素敵だわ」

「おう、知ってる」


親しげに腕に絡み付いてくる、ハニーブロンドの髪のグラマラスな美女の頭をポンポンと撫でてやる。

腕に当たる柔らかい感触に弛みそうになる頬をしっかりと引き締め直して、自分至上最高に格好良いキメ顔を作った。


「貸せよ、持ってやる」


スピカに手を差し出して、大量の紙袋を預かってやると、くりくりとしたでっかいエメラルドグリーンの瞳でキョロリと俺を見上げて、嬉しそうに微笑む。

荷物を受け取ったせいでスピカの胸は腕から離れてしまったが、感触と温もりはしっかりと脳裏に焼き付いているから、全然残念なんかじゃねぇ。


「また随分と買ったな」

「だってお洋服大好きだもの」

「お前センス良いもんな。あいつにもなんか選んでやってくれよ」


『買いすぎ』はむしろ誉め言葉だと言わんばかりに胸を張るスピカに、大量の紙袋で塞がってしまった両手の代わりに視線でユエを指し示す。

ちょっと目を離した隙に早速店員に捕まっていたユエは、「別に着れりゃなんでも良いよ」とでも言いたげな表情で接客を受けていて、ちょっとだけ可笑しくなった。

あいつ、感情の起伏はあんまねぇ癖に、意外と顔に出るんだよな。


「わ、キレイな子。新しい彼女さん?」

「ちげぇよ。ボスのペット」

「そういう言い方しないの。エスコート役を任されたんでしょう?」

「エスコートっつか、世話係だな。全然懐かねぇ猫で困ってんだよ。お前、女同士仲良くしてやってくんね?」

「またお店に顔だしてくれる?」

「今夜にでも行く」

「やった、約束よ!」

「おう、いい子で待ってろ」


ハシャぐスピカをユエの元へと向かわせ、店内のソファに腰掛ける。

買い物はスピカに任せておけば大丈夫だろうし、俺は次の行き先プランを考えねぇとな。

スピカの店に寄るって約束しちまったし、昼飯は簡単に済ませるか…。などと考えながらユエの様子を伺うと、小走りでユエに近付いたスピカが、愛想の良い笑顔で話し掛けていた。

あの仏頂面が相手でも一応は楽しげに会話をしているように見えるなんて、さすがデキる女は違ぇな。



■■■


店員のおねぇさんの話を聞いていたら、おっぱいでっけーとびっきりの美女に声を掛けられた。


「初めまして、ユエちゃん。私、スピカよ。ウィルゴのお友達なの」

「ん、スピカ…さん?宜しく」


どうやらウィルゴの知り合いらしいので、戸惑いながらも挨拶を返してみる。…けど、キラキラとした輝かんばかりの笑顔はその美貌と相まって、ボクにはちょっと眩しすぎる。

思わずさん付けで呼んじゃったよ。ボスですら呼び捨てなボクなのに。


………ていうか。こんな美人とお友達だなんて、硬派そうに見えて意外とプレイボーイなんだな、ウィルゴって。

別にウィルゴが美人と友達でもボクにはなんの関係もないけどさ。「女なんて面倒くせぇ」とか言いそうなナリをしておいて、美人と友達なのはズルいだろ。と、勝手に裏切られた気分になりながらウィルゴに視線を送ると。

なぜかウィルゴは、大量の紙袋を両脇に抱えてソファに座っていた。

え、アイツいつの間にあんな買い物したの!?ドン引きなんだけど…!


「あ、あれは私の荷物なの。ユエちゃんのお洋服を選んであげて欲しいって、ウィルゴが預かってくれたのよ」


ソファに座って携帯電話を弄っているウィルゴに軽蔑の視線を向けていたら、ボクの視線に気付いたらしいスピカさんが慌てたようにウィルゴを庇う。


「なんだ、良かった。あいつの金遣いの荒さに、あやうく本気で軽蔑するところだったよ」

「そ、それは本当に誤解が解けて良かったわ!」


しれっと悪態を吐くボクに、本気で焦ったような反応をするスピカさん。

なんか、可愛いひとだなあ。ウィルゴもボクみたいな可愛いげのない奴なんかに無駄に買い与えたりしてないで、こういうひとにプレゼントしてあげれば良いのに。


「さて、それじゃあ一緒にお買い物しましょう。ユエちゃんはどんなお洋服が好きなのかしら?」

「さあ、分かんない…」


服選びを任されたとは言っても、自分の好みを押し付けるのではなく、ボクの好みを聞いてコーディネートをしてくれようとするスピカさん。

でもごめん、正直ボクは服なんか着れりゃなんでも良い。好きとか嫌いとか、そういうことを考えて服を身に付けたことなんて無いんだ。


「それじゃあ、好きな色は?」

「それも分かんない。ボク、好きとか嫌いとかよく分からないんだ。ごめんね …」


素っ気ないボクの返事に気を悪くした様子もなく、ボクが答えやすそうな質問を考えてくれるスピカさん。

こんなに一生懸命にボクのことを考えてくれるひとに「分からない」しか答えないのは、さすがに申し訳無い気がして謝ってはみたけれど。ボクにはこれが本当に『申し訳無い』という感情なのかどうかも、正直よく分からない。

ボクが知っているのは「自分の所為で他人を困らせてしまったときには謝るべきだ」という倫理だけ。だから今のボクはただ、『皆の真似をして謝ってみている』だけなのかもしれない。


「なら、今から私と一緒に好きを見つけましょう」

「え…?」

「こんなにたくさんお洋服があるんだもの。2人で一緒に探せば、きっと好きなものが見付かるわ」

「そう…かなあ?」


スピカさんは励ましてくれるけど、正直そんな簡単なことでは無いと思う。スピカさんが思う以上に、ボクには本当に何もないんだ。

だって、『好き』とか『嫌い』とか、そんなプラスの選択肢はボクの生きてきた世界には無かった。ボクにあったのは、『消す』か『消されるか』のどちらかだけ。

感情なんて必要なくて、人間らしさなんてどこにもない。

どうしようもなく欠陥品で、人でなしなんだよ。ボク。


「まずは好きな色を見つけましょう。私のオススメはね、紫!」

「紫…」


あの人の、瞳の色。


「紫って上品で素敵な色だと思わない?私、大好きなの」


紫という言葉に反応したボクに好機を見出だしたのか、スピカさんが大きな目をキラキラさせて畳み掛けてくる。

どう答えて良いか分からずに視線を逸らしてしまうと、


「ユエちゃんも、好き?」


ふわりと優しく微笑んだスピカさんが、ボクの目を見て優しく尋ねてくれた。


「好きかは、分からない。でも…忘れられない色なんだ」


何度も何度も思い出す、あの人の最期の瞬間。

おぼろ気で曖昧な記憶なのに、どうして忘れることができないんだろう?


「きっと、ユエちゃんにとって大切な色なんだわ」

「そう…なのかな?」

「きっとそうよ。だってユエちゃん、優しい顔をしていたもの」

「ほん…とう…?」


優しい顔。

そんな顔、ボクにもできるんだ。


「嘘なんか吐かないわ。ユエちゃんの好き、一つ見付かったわね」

「うん…」

「ユエちゃんの好きな色、私と同じで嬉しい」


まだ実感が掴めなくて戸惑うボクに、本当に嬉しそうに笑顔を向けてくれるスピカさん。

不思議だな。スピカさんの言葉に触れると、なんだかじんわりと胸のところがあたたかくなる。

この感覚、前にもあった気がする…。


「紫。…ボクの、好きな色」


ねぇ、アメジストの瞳の貴方。

誰だか分からない、顔もおぼろ気な人だけれど。

貴方は今も、ボクの中で生きているみたい。



■■■



買い物を終え、仕事があるというスピカさんとは店の前で分かれて、再びウィルゴと2人で街中を歩く。

スピカさんが選んでくれた大量の洋服の入った紙袋はウィルゴが全部持ってくれたので、ボクは手持ち無沙汰状態だ。


「次はどこに行くの?」

「とっておきの場所に連れてってやるよ」


もうそろそろ帰りたいなと思いつつ軽い気持ちで質問したら、ものすごいドヤ顔で『とっておき』だと返された。どうやら相当に自信があるらしい。

とはいえ、もったいぶって詳細は教えてくれないウィルゴに黙ってついてきたら。

連れてこられたのは、街はずれのゲームセンターだった。

………お前のとっておき、ショッボいな。


「お前、ショボいとこ連れてきやがったとか思ってるだろ」

「思われるようなところに連れて来るなよ」

「ハッ、分かってねぇな。今から俺がゲーセンの魅力を教えてやる!」


ボクのうっすい反応に、望むところだと言わんばかりに息を巻くウィルゴ。

どうやらここは彼のホームグラウンドらしい。


「やっぱゲーセンつったらUFOキャッチャーだな」


ヌイグルミのたくさん入ったケースをビシィ!!っと指差して、年甲斐もなくハシャぐウィルゴ。テンション高ぇな。

いや、17歳なら別にゲーセンでハシャいでてもおかしくないのかな?分かんね。

とりあえずまあ…ウィルゴさんが楽しそうでなによりです。


「お前、UFOキャッチャーやったことあるか?」

「ありそうに見える?」

「やっぱねぇよなぁ…。ユエ、お前は今まで人生を無駄に過ごしてきたぜ!」


残念そうに溜め息を吐いて、慰めるようにポンポンとボクの肩を叩くウィルゴ。

うん、まあ、それに関してはボクもそう思う。

なんで今まで無駄に生き延びてきたんだろうな、ボク。

もっと長生きするべき人、もっと他に居ただろうに…。


「仕方ねぇ。今日は俺がお前の人生至上、最高に有意義な1日にしてやる!」


ボクが感傷のようなものに浸っていると、少しもドヤ顔の崩れそうの無いウィルゴがクシャクシャとボクの頭を乱暴に撫でる。


………そろそろ突っ込んでも良い?


一体なんなんだ、お前のそのUFOキャッチャーに対する自信は!?

さすがのボクもだんだんイラッとしてくるから、やるなら早く始めて欲しい。


「まずお前がやってみろ。体感するのが1番だ」

「はいはい。ここにお金入れて、ボタン押せば良いんだろ?」


近くにあったUFOキャッチャーに近付き、コインを入れてボタンを押す。

ボクの操作と連動して動き出したアームが、ケース内に横倒れに配置されている黒ネコのぬいぐるみの胴体部分を掴んで持ち上げた。


―――なんだ、全然簡単じゃん。と、拍子抜けしてしまったボクが気を抜いた刹那。

重さに耐えきれなかったのか、アームは持ち上げたぬいぐるみを半分も宙に浮かせることもできずに、ポトリとその場に取り落としてしまった。

……………は?


「ちょっと!これ、力弱すぎるんじゃねーの!?」

「はっはっは!バカめ、そんな簡単に取れる訳ねぇだろ」


思わずムキになるボクに、勝ち誇ったような笑みを浮かべるウィルゴ。

くっそ、本当崩れないなこのドヤ顔!


「まあ見てろよ。俺がお手本を見せてやる」


横目でボクに睨まれながら、ボクと同じ場所にコインを投入し、ボタンを押すウィルゴ。

ウィルゴの操作したアームは、ボクの時とは違い軽い頭の方を掴んで、ぬいぐるみを座らせるような形に持ち上げる。

まあ、そこまでは良い。狙う場所は人それぞれだ。けど、ぬいぐるみの重さは同じなんだから、持ち上げた瞬間にアームが取り落とすのは目に見えている。

これで取れなかったら笑ってやろうと斜に構えていたら。


―――ガコン


アームに取り落とされたぬいぐるみは、前転をするように前へと倒れ、取り出し口の中へと転がり落ちてきた。


「マジか!ウィルゴすげぇ!」


そんなテクニックがあるのかとウィルゴを褒めると、満足げな顔でぬいぐるみを取り出して、ボクへと手渡してくる。

正直、ぬいぐるみなんか欲しくないけど、よく分からない興奮のせいで、思わず両手で受け取って思いっきり抱き締めてしまった。


「すげーすげー!サンキュ、ウィルゴ」

「お前、少しは可愛いとこあんじゃねぇか」


ぬいぐるみを抱き締めてハシャぐボクの頭をクシャクシャと撫でる、満足そうなウィルゴの言葉に、一瞬思考が停止する。

…………ん?コイツ今、ボクのこと可愛いって言った?


お…おいおい、急にどうしたんだよ。

お前、今の一連の流れでどうして急にボクが可愛く見えちゃったんだ!?

いくらぬいぐるみを抱き締めていようと、ボクだぞ!?スピカさんみたいに美人じゃないし、可愛げなんてそれこそねーし、何よりお前の大好きなおっぱいもねぇぞ!?

ボク知ってるんだからな。お前がさっき、スピカさんのでっけーおっぱいチラチラ盗み見てたの。スキンシップ過多なスピカさんの柔らかい胸が触れるたびに、ニヤケそうになってたの。

そんなおっぱい星人が、平たい胸族が可愛いだって?ウィルゴこそよく分からない興奮のせいで変なテンションになってんじゃねぇの?と、若干心配になってウィルゴを真顔で凝視していたら。

こちらにやってきた学生服の男の子たちが、ウィルゴを見て大袈裟に体を跳ねさせたのが、視界の端に映った。


「うっわ、シリウスの奴だ!」

「やべ、行こうぜ…!」


なんだか、怯えられたし避けられたぞ。

やっぱり、いい歳した奴らがぬいぐるみを取れたくらいでハシャいでたら危ない奴らだと思われるのか。

でも、シリウスって言ってたような…?


「あんなん日常茶飯事だぜ。気にすんなよ…って、気にするタマじゃねぇか」

「シリウスって世間じゃ嫌われ者なの?」


ウィルゴの言う通り、ボク個人は今さら誰にどう思われたところでどうということは無いから別に良い。元より人から好かれたことなんかねーし。

けど、あのボスが創った組織が世間から嫌われているというのは少し意外だった。

疑問に思ってウィルゴを見上げると、


「まあ、俺らは正義の味方って訳じゃねぇからな」


と、肩を竦めてなんでもないことのように答えた。


「『誇りを持てる仕事であり、表の秩序を乱さない仕事であること』。このたった2つの条件をクリアしてさえいれば、どんな奴だろうが命懸けで守るからな、シリウスは」


表の奴らにとっちゃ俺らなんか、マフィアなんかとかと大して変わらねぇんだろ。むしろ、場合によっちゃ奴らのボディーガードをしたりすることもあるし、そりゃあ正義の味方には見えねぇわな。

ま、別に理解して貰おうとも思わねぇし、好かれてぇとも思ってねぇよ。俺もボスに拾われるまではゴミ溜めみてぇな無法地帯でクソみてぇな生き方してたしな。


と、少し懐かしむように遠くを見て自分のことを話してくれたウィルゴ。

コイツも訳ありなんだな。…というよりも、シリウスに居る奴はボクも含めて全員、何かしらの『ボスに拾われる理由』がある人間ばかりなのだろう。

道を踏み外してしまったロクデナシの手を引いて、真っ当な道を歩かせようとしてくれている。それが、シリウスのボス―――メテオなんだ。


「スリに強盗に売春に恐喝。生きるために、なんだってした」

「ボクとは逆だね。ボクは、なんだってしていたらいつの間にか生き延びてた」


聞いていて楽しくもなんともない話をする俺に、同じようなテンションで自分の過去を語るユエ。

『生きるために何でもする』と、『なんでもしていたら生き延びた』。

生き残ったという結果は同じだけれど、モチベーションも捉え方も俺とは全然違う。

ユエはきっと、『生きたい』とは思っていなかったのだろう。


「俺にはさ、恨みしかなかったんだ。俺を捨てた親も、理不尽な環境も、世の中全てが気に喰わなくって仕方が無かった」


不幸な俺は、幸せな奴から何を奪っても許されると思っていた。

酷いことをされたから、酷いことをし返しても良いと思っていた。

俺より上に居る全ての人間を蹴落としてしまえば、誰よりも幸せになれると信じて疑わない、どうしようもねぇクソガキだった。


「お前がノラネコなら、俺はドブネズミだな」


なんて、少しも面白くない冗談を交えてみるが、ユエはもちろん笑わない。

あまり人に話して楽しい過去ではないし、同情されるのもまっぴらごめんだったが、こいつなら何も思わねぇだろうと勝手に納得して話を続けた。


「けど…よ、あの人だけは――― メテオさんだけは、こんなどうしようもねぇロクデナシのクソガキを、拾ってくれたんだ」


今でも覚えている。

初対面で散々殴り合って、床に叩き伏せられて死を覚悟した俺に「一緒に来い」と手を差し伸べてくれたあの人の優しい顔を。

罪に塗れて、血によごれた汚いガキを、必要だと言って抱き締めてくれた温もりを。

帰る家があって、迎えてくれる家族が居る喜びを。


あの人に会えて、喜びを知った。

叱って貰えて、優しさを知った。

許されたいと願って、罪の重さを知った。

一生を掛けて償うと決めて、覚悟を知った。

守りたいと思ったんだ、心の底から。

あの人の誇りを。あの人が何よりも大切にする、『家族シリウス』を。


「メテオさんのために体張るって決めたんだ。だから俺は、誰に何を言われようと胸を張ってシリウスの幹部を務め続ける」


改めて誓いを立てるように宣言して、ユエの小さな頭をくしゃくしゃと撫でてやる。

俺と同じようにあの人に拾われたコイツにも、何か伝われば良い。

メテオさんの言う『守れ』には、まず自分自身のことが含まれてるんだよ。お前も、早く気付け…!


「悪い、つまんねー話聞かせたな。次行こうぜ」


一通りボクの頭を撫でまわして満足したのか、きびすを返してボクに背を向けたウィルゴは。自分の過去にちゃんと納得をして、しっかりと前を向いていて。

どこか誇らしげなその背中は、ボクには少しだけ眩しかった。



■■■



次に連れてこられたのは、大きな噴水のある公園だった。

なにやらとびっきり美味いクレープを食わせてくれるとかで、買いに行ってしまったウィルゴを、噴水の縁に腰掛けて待つ。

柔らかな日差しに思わずウトウトと船を漕いでいたら、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた気がして、ゆっくりと目を開いた。


「ユエ!やっぱりユエです。こんにちはっ」

「アルテミス…?」


おいおいマジかよ。昨日の今日だぜ?

もう二度と会うこともないと思ってたのに。


「また会えましたね。嬉しいです!」

「何してんの、こんなところで?」

「買い出しです。ここは近道で…それから、僕の好きな場所なんです」


だから、ここで貴女に会えたことがとても嬉しい。

と、はにかむアルテミスに、なんて返せば良いか分からず困惑してしまう。

なんだってコイツは、こんなに嬉しそうにボクなんかに話し掛けてくるんだ。

ボクのことなんか、何も知らない癖に。


「そういえば、怪我は大丈夫なんですか?こんな風に歩き回ってしまっては、傷が開いてしまうんじゃ…?」

「そんなんもう治ったよ。昨日も言ったろ、ボク怪我の治りも早いんだ。そういう風に造られてるからね」

「造られている…?」

「色々弄り回されてて、まともな人間じゃないってこと。ま、改造人間ってとこかな」


別に今どき珍しいことでもない。

むしろボクは成功例だから幸せな方だ。

体を弄り回されて、けれども適合できなくて死んでいった失敗作もたくさん居る。そう考えたら、ボクなんかは恵まれている方…なんて、つらつらとそんな言い訳じみたことを話していたら。

悲しげに顔を歪めたアルテミスに、突然ぎゅうっと抱きしめられた。

………あのさ。昨日といい今日といい、お前スキンシップ激しすぎだって。


「酷いことを…しますね」

「別に酷いことをされたなんて思ってないよ」

「痛くなかったですか?苦しくなかったですか?」

「そんなこと、もう忘れた」

「僕は悲しいです。貴女が苦しい思いや悲しい思いをしていたかと想像するだけで、悲しくなります」

「同情なんて迷惑なだけなんだけど。ボクは別に、可哀想な奴なんかじゃない」

「そんな風に思っている訳じゃありません。ただ…、もっと早くに出会いたかった」

「は…?」


貴女に酷いことをする人たちの所から、貴女をさらってあげたかった。

辛いも痛いも怖いも苦しいも悲しいも、貴女から奪い取ってあげたかった。

そうやって自分を、世界を諦めてしまう前に、優しく抱き締めてあげたかった。


「っやめろ…!」


ボクを抱き締めたまま、泣いているんじゃないかと思うくらいに情けない声を出すアルテミスを衝動的に突き飛ばして、距離を取る。

やめろ、気持ち悪い。お前にボクの何が分かるんだ…!


「そういうの迷惑なんだって!ボクは今までも十分幸せだった!!」


そんな風に思ったことなんてない癖に、幸せがどんなものかなんて知らない癖に、口が勝手にでまかせを吐く。

ああ、嫌だな。気持ちが悪い。こんなのはボクじゃない。

コイツの何もかもを見透かしたような真っ直ぐな視線が、気持ち悪くて仕方がない。


「すみません。勝手なことばかり言って。でも僕、貴女に笑って欲しくて」


アルテミスを突き飛ばした反動で、よろけて座り込んでしまったボクに寄り添って、再び手を取るアルテミス。

やめてよ、触んないでと思うのに、何故か優しいその手を振りほどくことはできなかった。


「ユエは今でもとっても可愛いけれど、笑ったらきっともっと可愛いです。僕は、貴女の笑顔が見てみたい」


そう言ってアルテミスが優しく微笑んだ瞬間。

グラリと視界が揺れて、頭の中に何か映像のようなものが流れ込んでくる。

歪む視界の中に見えたのは…………、


『ユエ、貴女は本当に笑いませんね』


アメジストの瞳を持つ、彼だった。

これは夢?いや、ボクの…記憶……?


『笑って下さい、ユエ。ユエは今でもとっても可愛いけれど、笑ったらきっともっと可愛いですよ』


アルテミスと同じ台詞をボクに吐いて、優しく微笑む彼。

以前よりも少しだけはっきりと思い出せたその顔は、どこかアルテミスに似ているような気がした。


「待っ…て……消えないで……!」

「ユエ…?」

「お、なんだナンパか?悪いけどそいつ俺のツレなんだ」


すぐに消えてしまった彼をもう一度思い出そうと記憶を辿っていたら、両手にクレープを持ったウィルゴが戻ってきて、思考が中断する。

フラつく頭を押さえて見上げたウィルゴは、破滅的にクレープが似合わなくって、なんだか可笑しかった。


「っあ!お相手の方が居たんですね。すみません勝手に…!」


急に現れたウィルゴに、慌ててペコペコと何度も頭を下げるアルテミス。

変な誤解をされたくは無かったので、


「コイツは職場の上司だよ」


と、説明したら。


「お前、職場の上司をコイツ呼ばわりしてんじゃねぇよ」


と、すかさずウィルゴに突っ込まれた。


「あはは、仲良しなんですね。…って、そうだ僕、用事の途中でした!すみません、失礼しますっ!」

「おう、気を付けろよ。ちゃんと前見て走れ…!」

「ばいばーい」


どうやら用事を思い出したらしく、ペコペコと再び頭を下げながら去って行くアルテミスの背中を、ウィルゴと2人で手を振って見送る。

まあ、今度こそ、もう会うこともねーと思うけど。


「知り合いか?」

「んー …新規顧客候補?」

「なんだそりゃ。まあ良いや、食え」


アルテミスのことを何と言って説明して良いか分からずに適当にはぐらかしたボクを、呆れたように見下ろしつつ、けれどもそれ以上は深入りせずに、ずいっと両手のクレープを差し出してくるウィルゴ。

手前にあったイチゴのクレープを受け取り、たっぷりの生クリームの中からちょこんと顔を出している真っ赤な頭をかじると…、


「うまっ…!」


初めての感覚に、思わず大きな声がでた。


「なんだ、お前イチゴ好きなのか?」

「分かんない。でも、今まで食べてきたものと全然違う」


イチゴなんか今までに何度も食べたことあったのに、今食べたこのイチゴは、今まで食べたものとは全く違うものに思える位に美味しかった。


「たぶん、ウィルゴが教えてくれたからだ…」

「あん?」

「ボク、食事は『必要な栄養素を摂取する行為』だとしか思ってなかった。でも、さっきウィルゴが「美味いか?」って聞いてくれたから。ボクは次はウィルゴに、せめてイエスかノーで答えられるようにしておこうと思ったんだ」


そうやって意識して食べたら、ちゃんと感想が浮かんだ。摂取じゃなくて、食事になった。

だから、このイチゴが美味しいと思えたのは、たぶんウィルゴのおかげだ。


「ありがと、ウィルゴ。すっげー美味い」

「お、おう…」


俺を真っ直ぐに見上げて、直球で礼を述べてくるユエに、思わず頬が熱くなる。

クソ、調子の狂う奴だな…!けどまあ、ガキが少しでもガキらしくなったみてぇで良かった。


「さて、それ食ったらスピカの店に寄りに行くか。さっき約束しちまったからな」



■■■



「スピカさん聞いて!ボク、イチゴ好きだ!!」


ウィルゴに連れてきて貰ったスピカさんの働く店で、フロア内にスピカさんの姿を見つけて一直線に駆け寄る。

彼女にも、はやく教えたかったんだ。ボクのみつけた好きなもの。


「本当?嬉しいわ、私も好きなの」


駆け寄ったボクの手を取って、本当に嬉しそうに笑ってくれるスピカさん。

不思議だな。スピカさんが笑ってくれると、ふわふわと柔らかい気持ちになる。

彼女を思わず抱き締めたくなるのを堪えて、握られた手を握り返した。


「今度、一緒に美味しいショートケーキを食べに行きましょう。お気に入りのカフェがあるの」


繋いだ手をブンブンと振って、お気に入りの場所にボクを誘ってくれるスピカさん。

ショートケーキは、知ってる。

そういえばあれもイチゴが乗ってたかも。


「うん、行きたい」

「うふふ、楽しみね!」


今度お休みの日を連絡するわと微笑むスピカさんにしっかりと頷く。

早く休みにならないかな。頼めばボスは、また休みをくれるだろうか?


そうだ、仕事と言えば。

スピカさんの働くこの店は、ドレスアップした女の子たちが男性を接待して、お金を貰うシステムらしい。

改めて店内を見回してみると、高そうな絨毯やシャンデリア、それから革張りのソファがフロアにたくさん並んでいて、なんだかボクが感じていた、スピカさんのおっとりとしたイメージとは随分とかけ離れていた。


「スピカさん、こんなゴージャスなとこで働いてるの?」

「うふふ、そうよ。褒めてくれてありがとう」

「ここで働いてるっつか、この店の経営者がスピカだよ」


すげーよな、俺らとそんなに年変わんねぇのに。と、スピカさんの艶やかな髪をくしゃくしゃと撫でながら、感心したように呟くウィルゴ。

お前、人の頭撫でるの好きな。…ってか、ん?経営者ってことは。


「スピカさん、社長さんだったのか…!」

「うふふ、実はそうなの。見えないってよく言われるわ」


驚くボクに、照れ臭そうにはにかむスピカさん。

うん、正直、スピカさんはこんな立派な店の経営をしているひとには全然見えない。

穏やかで気取った感じが一切ないし、人の上に立つ人間特有の威圧感も無い。

ただ、きっと凄く賢いひとなんだろうなぁ…っていうのは、彼女と交わした短い会話の中で思った。

スピカさんは、言葉を選ぶのがすごく上手だから。


ボクのことを想って、ボクのことを知ろうとして、ボクのための言葉を選んでくれる。

だからきっと、彼女の言葉は相手に届くのだろう。…ボクのような、人でなしでも。


「シリウスさんにはね、よくボディーガードをお願いしているの。うちの店のスタッフたちをね、お金で買おうとする人たちが最近増えてきて…」


彼女たちは、奴隷でも商品でもないのに。と、寂しそうに目を伏せるスピカさん。

きっと今までにたくさん、酷いことや理不尽なことを言われ、嫌な思いや悲しい思いをしてきたのだろう。


「私、シリウスさんに会えて本当に良かったわ。警察は、危険が及ぶじゃあ、動いてくれないから…」

「それについては、アイツらも歯痒くは思ってるみてぇだけどな」


警察にはあまり良い思い出が無いのか、悲しい顔をするスピカさんだけれど。

意外なことに、ウィルゴは好意的な物言いだ。国家権力すげー嫌いそうな、反骨精神丸出しのチャラチャラした見た目してやがるのに。


「スピカさんも、戦ってるんだね…」

「残念だけれどね、ユエちゃん。正しいことをしていても、必ず報われるとは限らないわ。強くなくちゃ何も守れない。…だから私には、シリウスさんが必要なのよ」


そう言って寂しそうに微笑むスピカさんは、どこか無理に笑っているように見える。

腕力なんかなくても、スピカさんは十分強いんだからそんな寂しそうな顔をしないで欲しい。


ボクにできることがあるなら力になりたい。さっきみたいに、幸せそうに笑っていて欲しい。


………と、心の中で強く願った瞬間。

先ほどのアルテミスの切なそうな顔が浮かんできた。

ボクに、「笑って欲しい」と言ったアルテミス。

さっきは全く理解できなかった彼の言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。



「正しいことして報われねぇなんて、悲しいこと言うんじゃねぇよ、頑張りや」


重くなってしまった雰囲気を払拭ふっしょくするように、「俺が絶対守り通してやっから、お前は前だけ見て笑ってろ」と、自信満々に、八重歯を見せて笑うウィルゴ。

いつもより少し幼くみえるその明るい笑顔は、不思議とボクまで安心させた。


………それから、ようやく分かった。

スピカさんみたいなちゃんとした仕事をしている人が、どうして警察じゃなくシリウスのような違法組織を頼っているのか、疑問だったけれど。

法律の下ルールのなかではできないことをする』。それが、ボスの考えなんだ。


誰に嫌われようと、誰にも認められなかろうと、困っているひとをいつでも助けられるように。

何にも定められず、誰にも縛られない組織。それが、警備組織『シリウス』なんだ。

………格好良すぎだろ、うちのボス。



「そうね、弱音を吐いてる場合じゃないわ。私には夢があるんだから!」


ボクと同じようにウィルゴの言葉に励まされたのか、力強く拳を握るスピカさん。

後でウィルゴに聞いた話なんだけど、スピカさんのお店で働いている女の子たちは、身寄りが無かったり、家族の暴力から逃げてきたりと、事情のあるひとたちが殆どなんだとか。

そんな人たちに住む場所とお金を稼ぐ場所を提供して、彼女たちが幸せを掴む手伝いをすることがスピカさんの夢だという。

実際、スピカさんのお店で稼いだ資金を元に事業を始めている人も何人か居るらしく、さっきスピカさんと会った洋服屋さんの店長さんもその一人なんだそうだ。

なんていうか、おっとりしてそうに見えて本当にすげー人だな、この人。


「私なんか全然まだまだで、逃げたくなるときも泣きたくなることもあるわ。でもね、困ったときに誰かが助けてくれるのは、きっと正しく頑張ってる人だけなんだと思うの。だからこうして、私はウィルゴやユエちゃんと会えた。それから…メテオさんにも、ね」


そう言って、なんだか含みを持たせた言い方でボスの名を呼び、頬を染めるスピカさん。

もともと美人な人だけど、今の顔はなんだか可愛く見える。こんな美人にあんな顔させるなんて、ボスの野郎、隅におけねーな。


………なんて、和んで居たのも束の間。

急に突き刺すように強くなった殺気を感じて、ウィルゴを見上げる。

もちろんウィルゴも察していたようで、「出るぞ」と、音には出さずに唇だけでボクに指示を出した。


どうやら痺れを切らしたやっこさんはスピカさんも巻き込むことにしたらしいけど、そうはさせねーよ?

スピカさんの大切な場所には、汚い手は触れさせない。

例え、建物という防壁が無くなることで、休日仕様で装備の薄いボクとウィルゴが不利な戦いになろうとも…だ。



■■■



「それじゃスピカ、俺らはそろそろ行くな」

「また来るね。ショートケーキ、楽しみにしてる」


スピカさんに別れを告げ、店から出た瞬間に駆け出して、人気ひとけの無い通りを目指す。

ウィルゴの背中を借りて塀の上へと登ると、「本当に野良猫だな」と、走りながら呆れたようにウィルゴが笑った。

だってお前、足早いんだよ。障害物を避けながら走ってたら、あっという間に置いてかれるっつの。


「ユエ、狙撃に気を付けろよ」

「ウン、分かってる。折角買ってもらった服、いきなり血で汚す訳にいかないしね」


路地裏を抜け出し、転がるようにして傍に駐車してあった車の影へと逃げ込む。

どうやら相手はドンパチをやらかすつもりは無いらしく、撃たれはしなかったけれど、相当数の人数を揃えているようだった。


「あいつら全員、獲物は鈍器だな?」

「みたいだね。まあ、あの人数で銃なんかぶっ放したら、絶対味方にも当たるだろうしね」

「よっしゃ、そんなら隠れる必要なんかねぇな。お前、ちょっとここでじっとしてろ」

「は?ちょっと…!」


ボクの頭をクシャクシャと撫でて、腰にジャラジャラと着けていたアクセサリーの中からナイフの柄のようなものを掴むウィルゴ。

そのままブンと空中で腕をひと振りすると、ジャキンジャキンと鈍い金属音がして、警棒のような武器に成り変わった。


「下手に助太刀しようなんて思うなよ?敵味方区別してる余裕なんかねぇからな!!」


そう言って、ボクの制止も聞かずに駆け出してしまったウィルゴ。

一直線に敵の集団の中に突っ込んでいったかと思ったら、いきなりドロップキックで3人ほど吹っ飛ばした。


「うっわ、嘘だろ…!」


長い手足をブン回して、まるで舞でも踊るかのように華麗に人間を床に沈めていくウィルゴ。

お…鬼強おにつえぇ…!つか、あの人ちょっと笑ってるんだけど。完全に戦闘狂バトルマニアの変態さんじゃないっスか。

い、いや…まあ、ウィルゴさんが楽しそうでなによりですけど。


……なんて、完全に他人行儀でウィルゴの戦闘を見守るボクだけれど。

もちろん自分の仕事を忘れた訳じゃない。

ウィルゴが頑張ってくれている隙に、警察へと電話を掛ける。

街中での事件の報告をするのは、善良な一般市民の義務だからね。



■■■



しばらくしてサイレンの音が聞こえて、それと同時に正気に戻ってくれたらしいウィルゴと一緒にパトカーに揺られる。

ボクの予定では警察に捕まる前にズラかるつもりだったのだけど、どうやらシリウスは警察とも繋がりがあるらしく、下手に逃げることはしないで済んだ。

さっきウィルゴが警察に好意的だった理由に、これで納得がいったよ。普通に友達だった。しかも、親切にも屋敷まで送り届けて貰っている最中だったりするしね。


「まーったく、本当に嫌われ者ッスよね、アンタたち」


助手席から顔を覗かせたのは、チェリーブラウンの髪に、頬のそばかすが特徴的な若い警察官。

からかうような口調ではあるけど、どこか親しげで、悪意は感じない。


「うるせーよ、コルヴィ。てめーが職務怠慢しょくむたいまんすっから俺らが迷惑こうむるんだろ!」

「俺らのせいにしないで欲しいッス!…ま、感謝はしてるっスよ。アンタたちが恨みを一身に背負ってくれてるお陰で、一般市民には害が出ないんスからね」

「感謝する必要なんかねぇ。コイツらは金の為にやってるだけだからな」


コルヴィと呼ばれた若い警官をたしなめるように声を掛けたのは、運転席でハンドルを握っている、黒髪にヘーゼルの瞳を持ったクールなイケメン。

なんとこのイケメン、涼しい顔をして、あれだけ居た残党を全員をウィルゴと共にその場で叩き伏せ、逮捕してしまった超有能な実力派なのだ。

先程の突き放すような言葉とは裏腹に、ウィルゴとのコンビネーション(というよりは、勝手に暴れまくるウィルゴのサポート)は完璧だったし、こうしてパトカーで送ってくれちゃってるし、実は優しいツンデレさんなんだろうとボクは勝手に邪推じゃすいしている。


「またまた~、先輩ってば本当ツンデレなんスから~!シリウスさんのこと悪く言われると一番怒るの先輩じゃないっスか!」

「うるせぇ、殺すぞ」


やっぱりツンデレだった。

して、この後輩はきっと、空気の読めねーバカなんだろうな。


「も~先輩、超怖ぇ」

「コルヴィ、もしものときは連絡して来いよ」

「ボクらで良ければ、守るから」

「え、あれ!?俺、ガチで先輩に殺される感じ!?」

「こいつにんな金あるわけねぇだろ」

「あー…悪い。この話は無かったことに」

「ごめんね、お金の無いそばかすの人とは付き合っちゃいけないってボスに言われてるから…」

「俺の酷い酷くねっスか!?」


もっと優しくして下さいよー!と泣き真似をするコルヴィをウィルゴと一緒に弄って遊んでいたら、車がゆっくりと停止する。どうやら、屋敷へと着いてしまったらしい。

ボクらを迎えに来てくれた構成員の皆にウィルゴが事情を説明してくれているうちに、コルヴィの先輩―――カロンさんに声をかけた。


「カロンさん、送ってくれてありがと」

「別に。…危ない目に遭わせて悪かったな」

「あの程度、別に大したことない」

「ほう…、ずいぶんと腕に自信があるんだな」

「自分に自信なんてないし、実力なんかもっとないよ。ただ、もっとぶっちぎりで死にそうなめに遭ったことがあるだけ」

「そうか」


ボクの根暗極まりない台詞は一言で受け流して、ボクに背を向けるカロンさん。

嫌われちゃったかな?と、車のトランクを漁るカロンさんの背中を眺めていたら、振り返ったカロンさんが「忘れもんだ」と、洋服の入った紙袋とウィルゴがさっき取ってくれたぬいぐるみを手渡してくれた。

あ、そう言えばすっかり忘れてた。ちゃんと拾ってくれてたんだ…。

カロンさんの、深入りしようとしない癖に無駄に優しいその性格に少しだけ興味をひかれ、ひとつ質問したいことができた。


「カロンさんはさ、『守る』ってどういうことだと思う?」

「何だ、急に?」

「ウィルゴに言われたんだ。ボクに『守る』ってどういうことなのか教えろってボスに言われたって」

「ハッ、あいつにんな難しいことを考える頭なんかねぇだろ」


ボクの質問を鼻で嘲笑って、ウィルゴの背中に視線を送るカロンさん。

その眼差しは、ノヴァがボクに向けてくれたもののように優しくて、どうやら相当仲良しさんらしいなと思った。


「アイツは何かを守ろうとか、そんな大仰おおぎょうなことは考えてねぇよ。ただ、自分の大切な奴がいつも笑っていられるように、体を張っているんだ」


アイツはそういう奴だよ。と、一言だけ残して、運転席へと戻っていってしまったカロンさん。


そうか、大切なひとがいつも笑っていられるように。それが、ウィルゴの『守る』か。


ボクも今日、笑顔で居て欲しいひとが一人できた。

彼女が笑顔で頑張れる明日を創るために、体を張るのも悪くはないかな…なんて思いながら。無駄話をしているコルヴィを置き去りにして、ゆっくりと発進したパトカーを、姿が見えなくなるまで黙って見守っていた。



法の元でたくさんを守る彼らと、法の外で目の前の1人依頼人を守るボクら。

手段は違えど目的は同じ。


『誰も死なすな。殺させるな』


「誇り」を胸に、今日もボクらは爪を磨ぐ。


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