OUT LAW!!!

スズ

第1話 シリウスと黒猫


ボクには、記憶と呼べるような記憶が無い。


とはいえ、別に記憶喪失という訳ではないから安心して欲しい。

自分の意思を持たず、ただ『ご主人様おとうさま』のためだけに生きることを義務付けられたボクは、覚えておきたい程の経験をしたことが無かったというだけの話だ。

嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことも、苦しいことも、ボクは知らない。何も、知らない。


そうやって、人形のように生きてきたボクは、とある『家族ファミリー』に拾われてこの屋敷へとやってきた。







―――コンコン


自室として宛がわれた部屋のベッドの上で何をするでもなく寝転んでいると、不意に扉がノックされる。

誰だろうと思って視線を投げると、こちらの返事は待たずにドアが開いて、口元に穏やかな笑みを浮かべた青年が部屋へと入ってきた。


「初めまして、黒猫さん。僕はステラ。早速だけど、今から僕とお仕事だよ」


初めましてとボクに声を掛けた彼は、はちみつ色の艶やかな金髪にふわふわと柔らかいパーマをかけていて、瞳は綺麗な空色をしている。

まるでおとぎ話にでてくる王子様みたいな甘いマスクの彼―――ステラに、


「宜しく、ステラ。ボクはユエ。…一応、人間だよ」


と、ベッドの上で上半身を起こしながら挨拶を返すと、何やら大きめの箱を手渡された。


「なにこれ?プレゼント?」

「半分正解。今夜の仕事に使うものだけど、別に返さなくて良いよ。ユエにあげる」

「ふぅん…、ありがと」


ニコニコと穏やかな微笑みを絶やさないステラに口先だけで礼を述べながら、リボンを解く。

ご丁寧に薄紙で包まれていた中身を取り出すと、真っ黒なドレスが姿を現した。


「パーティー会場でのお仕事ってこと?」

「そういうこと。お手並み拝見させていただくよ、黒猫さん」


言いながらボクの髪をひと束すくって、ちゅ…っと毛先に口付けるステラ。

うぅん…、見た目は王子様の癖に、けっこう嫌味な奴だなあ、コイツ。

行動は一見フェミニストっぽいけど、「お手並み拝見」だなんて言葉、圧力でしか無いからね。

飴と鞭を言葉と行動で使い分けて、同時に駆使してくる奴、ボク初めて見たよ。

いきなりこんなアウェイに放り込まれた、大した取り柄もねーか弱い女の子をそんな風に敵視しないで欲しいよね。


「せいぜい足手まといにならない程度には頑張るよ」

「またまた、ご謙遜を。黒猫さん」


ため息を吐きながら控えめな台詞を返すと、ステラが楽しげに重ねて圧を掛けてくる。


ちなみに。

先ほどからステラの呼ぶ『黒猫』とは、真っ黒な髪と金色の瞳を持ったボクに付けられた通り名みたいなモノだ。

この地域では『不吉の象徴』として忌み嫌われることの多い黒猫だけれど、彼らのボスの生まれ故郷では『幸福を連れてくる存在』として重宝されているらしく、この『家族』内では好意的な響きで呼ばれている。

まあ、黒猫が好かれようが嫌われようが、ボクはどっちでも良いんだけど。


「今回の仕事場は少し大きめの会場だから、ノヴァさんも一緒に来てくれる予定だよ。後で紹介する」


ノヴァとは、幹部のリーダーで組織内の実質No.2の実力者だ。…と、さっき説明された。

ちなみに、ステラは組織内のNo.4で、幹部は他に2人居るらしい。


「ユエはボス自らスカウトしてきたスーパールーキーだからね。ノヴァさんも君のこと、気にしているみたいだよ」


ガッカリさせないでね?

と、優しげな声色ではあるものの、やはりどこか威圧感を与えるような口調で微笑みを浮かべるステラ。

おいおい、なんだかバリバリ意識されちゃってるぞ、ボク。

まだここに来てから、ベッドの上でごろごろしてただけなんだけどな…!


と、ステラの態度に内心でため息を吐きながら、渡されたドレスを広げる。


「今回はボク、『女の子』なんだ?」

「どういうこと?」

「いや、今までは割と男装することの方が多かったから」


中性的な見た目をしているらしいボクは、前のご主人様の元では、男として任務に就くことも少なくなかった。

男だと思われていた方が、下手な好意を受け取ってリスクを上げてしまう危険性も減るしね。

…あとボク、悲しいほどにおっぱいねーし。


「確かに綺麗な顔はしてるよね。中性的っていうか、セクサレス―――性別の無いお人形さんみたいだ……って、待って!ここで着替えるのッ!?」

「ん?うん、だってここ、ボクの部屋だろ?」


着ていたワンピースを脱いでドレスに着替えようとしたら、何故か急に慌てたステラに制される。

別に自分の部屋なんだから良いじゃんかと、今度こそ下着姿になってしまうと、眉間を抑えて壁の方を向いたステラにはぁ…と大きなため息を吐かれた。

おいおい、レディの素肌を見てため息吐くって、めちゃくちゃ失礼な奴だな、コイツ…!


「せめて脱ぐ時は一言声を掛けて欲しいな。僕は紳士だから、女性の素肌を見るのは忍びないんだ」

「ふぅん、そういうもん?まあ、忘れなかったら覚えておくよ」

「それ、覚えておく気ないよね」


適当なボクの返答に、ニコッと笑みを作って毒づくステラ。

あはは、よく分かってんじゃん。

ステラもたいがい腹黒そうだけれど、ボクもひとのこと言えない位には性格悪いからね。

まあ、別に仲良しこよしをするつもりもねーしと割り切って、無言のまま着替えを済ませた。


「ステラ、着替え終わった」

「ん。よく似合っているよ。…まあ、そんなシンプルでスタンダードな型のドレス、似合わない方がどうかしてるけどね」


壁に視線を向けたままのステラに親切に声を掛けてやったら、失礼なことを言われた。

別に良いけどね。褒められるとも思ってなかったし。


ちなみに、身に纏ってみたドレスは、背中がざっくりとV字に開いた、シンプルながらも色気のあるシルエットで形作られていて、スカートも膝丈の動きやすいフレアスカートになっている。

背中が開いている所為で、腰まである髪が素肌に触れてくすぐったいけれど、まあそれは後でくくってしまえば問題は無い。

ただひとつ、他に問題を挙げるとすれば。


「ねぇ、ステラ。このドレス、胸がスッカスカなんだけど」


横乳を見せるデザインなのだろうが、残念ながらボクの胸には膨らみなんてものは殆ど無い。掛け値無しにペチャパイだ。

その為、胸元にブカブカとした隙間ができてしまい、あまり大きな動作をすると、肩のストラップがずり落ちて、あられもない姿になってしまいそうだ。

流石のステラも予想外だったのか、若干気まずそうにボクに掛ける言葉を探している。


いや、別にボクは胸とか邪魔だし、全く気にしてないから良いんだけどさ。

でもまぁ…、なんかごめん。



■■■





結局先ほどのドレスは、ストラップを外してリボンを縫い付け、首もとでリボンを結ぶホルターネックスタイルにして貰った。

これなら胸が無くても、リボンさえ解けなければポロリする危険性はなくなる。

まあ別に、見られて困るようなモンでもねーんだけどさ。


それは置いといて。

早速、現場となるパーティー会場にステラと共に車で向かうと、仕立ての良い真っ白なスーツに身を包んだ麗人がボクらを出迎えてくれた。


「君がユエ?俺はノヴァだよ。君の上司」


ボクを見下ろして、端的に名乗るノヴァ。

ぶっちゃけ、組織内No.2とか言うから、もっとイカつくて強そうな奴を想像していたのだけれど。

ノヴァと名乗った男は、スラッとした細身の体型で、格好良いというよりは麗しいとか美しいとか、そういう形容詞の似合う見た目をしている。

正直、このひとの方が守られるべき対象に見えるくらいだ。

それから、あまり感情表現の豊かな方ではないのか、無表情のまま淡々と話す上に、肌も白ければ髪の色も白に近い白金な所為で、なんとも儚げな雰囲気が拭えないけれど。

血のように真っ赤な瞳の奥には冷たい熱を宿らせていて、なるほどただ者ではなさそうだな…と、本能的に警戒心を呼び起こさせられた。


「ふぅん…、ボスが拾う位のものは持ってるって訳だね」


ボクの視線から警戒心を察したのか、意味ありげにボクを見下ろすノヴァ。

目を反らせずに睨み付けるような形で見上げていると、すぐにフッと視線を外して、


「今回は、会場内にはそんなに気を張らなくて良いよ。俺とステラが居るからね。それに、こんなパーティー会場なんて君にとっては役不足だろう」


と、ボクに背を向けて去っていってしまった。


…はは、役不足だって。バカにされちゃったよ。

まあ別に、傷つけられて困るプライドなんて持ってないから良いんだけど。


「さて、僕も持ち場に行くよ。ユエも仕事さえ忘れなければ、好きにして良いから」


僕らはチームだけれど、馴れ合いをするような組織じゃないからね。成果さえ出せば、基本は自由だ。


そう言って、ノヴァとは反対方向に歩いていってしまったステラ。

おいおい、パーティー会場にレディを一人残してどっか行くとか、紳士の風上にも置けない奴らだな。

…いや、うん、仕事なんだけどさ。


とはいえ、ノヴァやステラと違って、この場の誰を、もしくは何を守るのかを一切聞かされていないボクは、さっそく手持ち無沙汰になってしまった。

まあ、「誰も死なすな。殺させるな」という根性論みたいな仕事内容だけはボスから承っているので、ボクはそれに従うまでだ。


とりあえず、パーティーを楽しむ人たちの邪魔にならないように壁際へと移動し、ボーイが運んできてくれたオレンジジュースに口をつけた。


―――それにしても、変なパーティーだな。

何故か会場内の全員が、顔のほとんどを隠すように不気味な仮面を付けている。

もちろんボクも、あらかじめステラに渡されていた仮面を装着してから会場内に入ってきたし、ノヴァとステラも着けて仕事に就いているはずだ。


最初はそういう仮装パーティーなのだろうかと思いもしたが、ボクはこの異様な雰囲気を知っている。

これは、他人と友好関係を築こうとしている人間たちの表情じゃあ無い。

他人を利用価値のある駒かどうかを見定めて見下している奴らの表情だ。

華やかな場なのにどこか澱んだ空気が纏っているのは、このパーティーを楽しんでいる人間なんて誰1人としていないからなのだろう。


…まぁ、よく考えればそれもそうか。

だって、ボクらみたいな奴を用心棒として雇おうとする奴らだ。まともな訳がない。

ただ警備を頼みたいだけなら、国家権力―――すなわち警察の力を借りれば良い。こんな法外な額を払って、どこの馬の骨とも分からない組織に自分の命を預ける必要なんてない。

それでもボクらを雇ったということは、よっぽどの警察嫌いか、警察には頼めない事情があるかのどちらかだ。今回は考えるまでもなく、後者だろう。

…あ、いや、もちろん両方って場合もあるけどね。むしろそっちの方が多いかも。警察には頼れないような事情を抱えた奴ってのは、たいてい国家権力なんてものは嫌いだし信じてない。

ああいう組織は、所詮は他人の決めたルールの中でしか動いてくれないからね。


なんてことをつらつらと考えていた、その刹那。

窓の外に、不穏な気配を感じた。


―――あぁ、そういうことね。


殆ど中身の減っていないグラスをボーイへと返して、わずかに発せられる殺気を辿る。

バルコニーから飛び降りて中庭へと足を伸ばすと、色とりどりの花が咲き乱れる鮮やかな庭園の向こうに、予想通り、狙撃にもってこいの時計塔が建っていた。


さっきノヴァに言われた『役不足』って言葉、ボクじゃあ護衛の任務をするには能力が足りないって言われたんだと思っていたけど、「能力に対して役目が軽すぎる」という、本来の意味での使い方をしていたらしい。

まあ、警備の仕事を役不足とまでは言わないけど、確かに適材適所ではあるよね。



ボクは『黒猫』。

闇に紛れて暗躍するのが本領だ。




■■■



カツカツと煩いヒールは中庭に脱ぎ捨てて、裸足で時計塔の螺旋階段を駆け上がる。

走りながら太股のホルスターに差しておいた相棒のピースメーカー(西部劇でよく保安官が持ってる超カッチョイー小型拳銃だ)を取り出し、ドアを開ける。

同時に、パーティー会場に向かってライフルを構えていた相手の足へと容赦なくブッ放した。


―――ダンッダンッ!!


「ぐあぁあああッ!?」


ボクの気配に気付けていなかったらしく、突然の奇襲になすすべもなく取り乱す狙撃手さん。

ボク、根暗だからか影薄いんだよね。

忍び込んだり奇襲を仕掛けたりするの、超得意。


「動くな。動いたら、次は腕を壊すよ」


照準を相手の肩に合わせたまま、部屋の中へと足を進める。

悔しそうにボクを睨み付ける相手を見下ろしつつ、ライフルを破壊しようと照準をずらした瞬間、相手の瞳の中で影が動くのが見えた。

っやべ…!


―――ダンッ!ダァンッ!!


背後から現れた新手の攻撃を避けきれず、右肩と左太ももに被弾する。

くそー、1人分の気配しか無かったから完全に油断した。格好悪…!


「残念だったなお嬢ちゃん。流石にその腕と足じゃあ、もう銃は使えねよなぁ」


ドクドクと大量の血を流すボクを見下ろして、勝ち誇ったようにニヤニヤと笑みを浮かべる新手の男。

確かに、この肩と足じゃ立つので精一杯だし、まともに銃なんか撃てないだろうね。


もしボクが、だったらの話だけど。


―――ダンッダンダンッ!!


「っぐ、あぁッ!?」


自分の優勢を疑わない相手が油断した隙を狙って立ち上がり、両太ももと右手を潰す。

さすがにこの怪我で、3発も連続で撃つのは無茶だったらしく、肩の骨が軋んだけれど、気にするほどの問題じゃない。


「ぐ…うぅッ…!なん、なんだ、お前?なんでその怪我で、顔色ひとつ変えずに歩くことができるんだ!?」


太ももを撃ち抜かれているんだぞ…!?

と、まるで異形の者でも見るかのような視線をボクに向けて、怯える男。

そうだな。聞かれたし、答えてあげようかな?

別に隠すようなことでもねーしさ。


「ボクさ、痛みっていうものを感じたことがないんだよね。無痛症ってやつ?」

「無痛症…?まさかお前…、あの、黒猫…?」

「あはは、さすが暗殺をくわだてるだけあって知ってるか。そっちの世界では有名人だったもんね、ボク」


あまり言いふらしたくない情報だから隠してたんだけど、ボクに付けられた『黒猫』という通り名は、実は裏の世界では結構有名だったりする。

『正体不明の暗殺者』だなんて、噂に尾ひれがついて、恐れられる存在になってしまっている『黒猫』だけれど。

残念ながらボクは、身体能力の高さや射撃の腕前のような、格好良い才能を持っている訳じゃない。

敵の気配を察知できず、銃弾も避けきれていないこの有り様がいい証拠だ。


ただ、一つ。

『痛みを感じない』という人間として欠けた強さが、『黒猫ボク』が『』である所以だ。


「痛くないから、怖くない。

 痛くないから、鈍らない。

  痛くないから、躊躇わない。

 痛くないから、容赦が無い。

  安全装置なんて持ってねーからさ、ちゃんと壊さないと止まんねーよ」


なんてかたりながら、立ち上がれずに居る男に再び銃口を向けて近付く。


「ボク、人の痛みの分かんねー欠陥品だからさ。うっかりやりすぎたらごめんね?」

「ひ、ひぃ…ば、化け物…!」


どうやら、自分で思った以上に冷徹な表情をしていたらしい。

急に怯えてみっともなく取り乱した男に後ずさりされて、なんだか一気に熱が冷めてしまった。


「おいおい、今更何を言っているのさ。君だって呼んでいただろ。ボクは『黒猫』、不吉を運ぶバケモノだよ」


おどけるようにそう言いながら、男に背を向けてライフルを窓の外へと蹴落とし、時計塔の窓へと足を掛ける。

高さはだいたい3階分程度。この高さならまあ…落ちても死にはしないな。


このまま階段で下に降りて、まだ居るとも限らない新手に入口で待ち伏せされてたら厄介だし、これだけ派手に銃声を轟かせておけば、ノヴァやステラじゃなくても何かあったと気付くだろう。

ギャラリーが増えて面倒な状況に巻き込まれる前に、根暗なぼっち野郎はとっとと退散させて頂くとしようかなと、窓からトン…と身を投げた。



………あ、そうそう。

誤解を招かないように訂正しておくけど、ボクの役目は『殺し』ではなく『囮』だ。

だから、厳密に言うとボクは『暗殺者』ではないのだけれど、まあボクの所為せいで死んでいった人は数え切れない程存在するから、似たようなもんか。

なんと言い訳をしようとボクは、たくさんのひとを恐怖に、絶望に、死の淵に、追いやってきた化け物なのだから。


とかなんとか、ガラにもなく感傷に浸ってみたけれど、正直今はそんな場合じゃない。

急速に近づいてくる地面に、骨くらいは折れる覚悟を決め直していると。

着地の寸前、予定外の出来事が起きた。


「危ないッ!!」


なんと、無謀にも3階程の高さから落下するボクを受け止めようとした馬鹿が居たのだ。

お前の方が危ねーよ。何考えてんの?


「う、ぐッッ!!っ…痛た、うぅ、怪我はありませんか?」


咄嗟とっさに時計塔の壁に足を付いて勢いを殺した所為で、上手く着地ができずにこの大馬鹿野郎の腕の中へとダイブすることになってしまった。

痛めたのか、右肩を抑えながらも大事そうにボクを抱える相手に、どうしてこんな無茶をしたのか文句を言おうと顔をあげると。

宝石みたいに綺麗なアメジスト色の瞳と視線があって、脳内に過去の映像がフラッシュバックしてきた。






脳裏に甦ったのは、窓の外にぽっかりと浮かぶ満月の姿。






月明かりに照らされながら血の海に沈む『誰か』の手を取ったボクは、少しずつ冷たくなっていく肉体を黙って見下ろしている。

もう目も見えていないのだろうか、弱々しくボクの方を見上げたそのひとは、自らの流す血で赤黒く染まった手でボクの頬に触れた。

その冷たい手をとって頬を寄せると、彼は何故か嬉しそうに微笑み、


「ユエ…?無事だったんですね、良かった。どうか、貴女は…幸せに……」


と、最期にボクの幸せを願って、動かなくなった。

顔もおぼろ気で、名前すらも思い出せないその人だけれど。

何故か最期に浮かべたあの笑顔と、アメジスト色の瞳だけは胸の奥に棲み着いて離れずに、時折こうして脳裏に甦ってくる。


ねぇ…、貴方はいったい誰なんだろうね?










「あの、大丈夫ですか?」

「え…?っあ、うん。ボクは平気。貴方は?」


ボーッとしているボクを不審に思ったのか、記憶の中の彼と同じ色の瞳を持った男に心配そうに顔を覗き込まれてハッと我に返る。

そっちこそ痛がっていたけど大丈夫なのかと聞き返すと、


「あ、僕はアルテミスと言います。この屋敷の使用人です」


自己紹介をされた。


「いや、名前じゃなくて怪我。肩痛めたの?平気?」

「あ、そっちでしたか!僕は大丈夫です。そんなことより、貴女の方が大怪我をしているじゃないですか!血がっ…!」


言いながら、ビリビリと自分の服の袖を破って、ボクの傷に巻き付けるアルテミス。

おいおい、お前使用人なんだろ?

そんな高そうなシャツ破いちゃって、旦那様に怒られねーの?


「あ、シャツは大丈夫です。気にしないで下さい。僕が怒られることなんて、貴女の怪我に比べたら大したことはありません」


あ、やっぱ怒られはするんだ。

それは本当に申し訳ないことをしたな。

いや、全部コイツが勝手にしたことなんだけどさ。

と、アルテミスの若干噛み合わない返答に、ポリポリと頬を掻くボク。

頼んでない世話を焼かれて、半ば一方的に恩を着せられたけれど、だからと言って何も感じないボクではないはずだ。

さあ、ボクの中の申し訳ないという気持ちよ、湧き上がって来い!

さあ!さあっ…!


ん?あれ、おかしいな。

ボクの罪悪感、見当たらないぞ?

まあいいや。


「ボクの怪我は気にしなくて平気だよ。痛みを感じない体なんだ」


便利でいいだろ?

と、ボクを抱き締めるアルテミスの顔を見上げて得意気に笑うと、何故か酷く泣きそうな顔をしたアルテミスの両手に、右手を握り込まれた。


「ちょっと…?」

「貴女はもしかして、自らあの上から飛び降りたのですか?」

「あー…うん、まあね。ボク怪我しても痛くねーし、治るのも人より早いんだ。いいだろー?」

「ダメです!いくら痛みを感じなくても、体は少しずつ壊れていきます。こんな無茶なことをしていたら、いつか死んでしまう…!」


痛みを知らないのは、とても怖いことです。

と、たった今会ったばかりの、こんな命知らずのバカに対して、本当に心配そうに強く手を握り直すアルテミス。

あはは。お前いい奴だな。ボクみたいな奴なんて、早く死んだ方が良いのに。


「心配してくれてありがと。次からは気を付けるよ」


この世には死と隣り合わせの世界でしか生きられないロクデナシが居るだなんて、きっと知りもしないだろうアルテミスから離れて、立ち上がる。


…少し、喋りすぎたな。

自分のことを他人に話すのなんて、そう言えばいつ振りだろう。


「そうだ、この時計塔の上に暗殺者が居るから通報しておいて。貴方の手柄にして良いよ」


暗殺事件を未然に防いだことが分かればシャツを破いたお咎めもきっと軽く済むだろうと思い、アルテミスに手柄を譲る。

優しい腕の中から抜け出して返事を聞かずに歩き出すと、背後でアルテミスが立ち上がる気配を感じた。


「待って下さい!!あの…、また会えますかっ!?」

「はぁ?お前、何言ってんの…?」


何を言われても無視するつもりで居たのに、「また会えるか」だなんて初めて掛けられた言葉に驚いて、思わず振り返って応じてしまう。

ボクを追いかけようとしていたのか、肩を押さえながら走り出そうとしていたアルテミスは、すげー必死な顔をしていて、思わず吹き出してしまった。


「ははっ、なにその顔。必死すぎだろ」

「わ、笑わないでください…!また会いたいんです、貴女と」

「ふ…、分かったよ。ボクの負け。お前、変な奴だな」


キラキラと月明かりに輝くアメジスト色の瞳で真っ直ぐにボクを見つめるアルテミスに根負けして、降参だと両手を上げる。

別にもう、隠すような名じゃないんだ。

誇りを持って、ボスに貰ったこの名を名乗ろう。


「ボクは月。警備組織『シリウス』の、しがない下っぱ構成員だよ。どうぞご贔屓ひいきに」


言いながら、道化師ピエロのように仰々ぎょうぎょうしく頭を下げる。

とはいえ、使用人の少年なんかに警備組織なんてものを依頼する機会なんて無いだろうから、ご贔屓もなにも無いんだけどさ。


「ユエ、またきっと貴女に会いに行きます。だから、どうか無茶はしないで…!」


アルテミスの言葉を背中に受けながら、ヒラヒラと片手を振って今度こそ振り返らずにその場を立ち去る。

何故か勝手に緩む頬を抑えきれずに、手のひらで口元を隠すと、じんわりと胸のところが暖かくなってきたような気がして、首を傾げる。

不思議に思って胸の辺りに手をかざすと、


『また会いたいんです、貴女と』


頭の中に、照れたような表情とともにアルテミスの声が浮かんできた。


「これで、2人目だ…」


ボクの記憶に棲み付いてしまった、アメジスト色の瞳を持つ2人のひと。


どうして彼らのことが忘れられないのか、今のボクには分からないけれど。

いつか分かる日が来れば良いな…と、僕にしては珍しく前向きなことを想った。




■■■




ポタポタと血を垂れ流しながら屋敷の門へと辿り着くと、黒いハイエースが物凄いスピードで走ってきて、ボクの目の前で急停止する。

何事かと思って目の前の車を凝視して立ち尽くしていると、運転席の窓が開いて、強面こわもてのイケメンが顔を見せた。


「迎えに来た。乗れ」

「あ、ウン」


ブルーグレイの涼しげな瞳で後部座席を指し示されて、思わず素直に指示に従う。

スライド式のドアを開けて中に入ると、


「おいてめぇ、何こんな簡単な仕事で怪我なんてしてやがんだよ」


大量のゴツいアクセサリーを両手や首元にジャラジャラと着けた、真っ赤な髪のヤンキーに凄まれた。


「えぇと…、ザコでごめん?」

「悪いと思ってねぇのに謝んな」

「はは。じゃあ、うるせーなあ放っといてよ」

「テメェ…いい性格してやがるじゃねぇか…!」


素直に(口先だけで)謝ったら怒られたので、本音を言ったら怖い顔で睨まれた。

じゃあ、どうしろって言うんだ。


「まあ良い、とりあえず座れ。手当てしてやる」


俺もまあ、昔はよく怪我したからな、応急処置くらいなら出来んだよ。

とかなんとか言いながら、テキパキと手際よく傷口に包帯を巻いていく赤毛のヤンキー。

最後の包帯を巻き終えて金具で留めると、


「うし。戻ったらちゃんと医者に看せろよ。あくまで応急処置だからな」


と、なんだか満足そうに笑顔を見せた。

このヤンキー、見掛けこそ凶悪そうだけど、ステラよりは性格良さそうだな。


「そういや、まだ名乗ってなかったな。俺はウィルゴでコイツはレオ。ステラの同僚でお前の上司だ」

「ウィルゴにレオね。ボクは月、宜しく」


テキパキと救急箱を片付けるウィルゴに礼を言い、レオにも視線を投げる。

ミラー越しに目があったレオに小さく会釈をしてみたけれど、フイ…とすぐに視線を反らされてしまった。

えーっと、コミュ症の方なのかな、レオは。


「にしても、お前本当に黒猫かよ?不吉の象徴とか言われて恐れられてたっつー奴が、こんな仕事で怪我負うか?」

「ボクが恐れられてたのは強いからじゃないよ。止まらないから。全身穴だらけにされようが、手足をもがれようが、死ぬまで動き続けるから。痛みを感じないボクは、それができる」

「んなどうしようもねぇこと自慢してんじゃねぇよ、馬鹿」


『黒猫』の強さの秘密を誤解していたらしいウィルゴに間違いを指摘してやったら、何故か呆れた様子で叱られる。

『黒猫』を『最強の暗殺者』だと幻想を抱いているやからは少なくないので、てっきりガッカリされると思ったのだけれど、予想外の反応だったな。


「はぁー…つか、そういうことか。ボスが言ってた意味がようやく理解できたぜ」


長い溜息を吐いたかと思ったら、今度は一人で納得しているウィルゴ。

おいおい、ボスは一体ボクの何を吹聴ふいちょうしたんだ…?


「お前に『守る』ってことの意味を教えてやってくれって頼まれたんだよ。面倒くせぇから断ろうと思ったが、なるほどこりゃ重症だ」


重症だなんて言いながらも、どこか楽しげな表情でボクの頭をワシャワシャと乱暴に撫でまわすウィルゴ。

さっきから怒ったり満足そうだったり呆れたり、感情表現の豊かな奴だなぁ。


「仕方ねぇから俺サマ直々にお前を躾け直してやるよ、黒猫」


ボクの頭を撫でていた手を下へと滑らせて、クイッと顎を指先で持ち上げるウィルゴ。

予想外なウィルゴの行動に反応できずにされるがままになっていると、ボクのアホ面が面白かったのか、くしゃりと顔を緩ませたウィルゴにクックッと声も無く笑われてしまった。


―――参ったね、こりゃ。

ステラには対抗意識を持たれて、ウィルゴには興味を持たれてしまったらしい。

レオとノヴァは今のところボクには無関心そうだけど…、どうなんだろう?


そんなことを考えながら車に揺られていたら、いつの間にか窓の外は見覚えのある風景へと変わっていて。

ボスの元へと帰ってきたのだと、ようやく気が付いた。





■■■





「おかえり、ユエ。君のお陰でパーティーは何の問題も起きずに無事に終了したよ。…代わりに君は、ちっとも無事じゃないみたいだけれど」


さすがに血が足りなくなってきたのか足元がおぼつかなくなってきてしまって、レオに手を借りて車から降りると、ボクを待っていてくれたらしいノヴァに、呆れたような顔で見下ろされる。

つくづく今日は、人から呆れられる日だなぁ。


「どうしてそんな無茶をしたの?」

「無茶?別にしてないよ。いつも通りのボクだったけど」

「……そう。君は、そういう子なんだね」


綺麗な顔の眉間に皺を寄せて詰め寄ってくるノヴァに首を傾げると、はぁ…と小さく溜息を吐くノヴァ。

それから、すぐに凛とした真剣な表情になって、


「なら、こうしよう。ユエ、今から君には単独行動を禁止する。君は24時間365日、常に俺たち幹部の誰かと行動を共にしてもらうから」


と、ボクの目を真っ直ぐに見据えて宣言した。


「君がその考え方を改めるまで、俺たちは君から目を離さないから、そのつもりで居て」


どうやらボクは今から、幹部サマ方の監視下に置かれることになるらしい。

まあ別に、VIP扱いをされるとは思っていなかったし、ある程度の拘束くらいは覚悟していたから良いけどね。

だってボクは、たくさんの人を死に追いやって来た化け物だ。こんな奴を野放しにするなんて、危険極まりないに決まっている。


だから、ノヴァの意見には概ね賛成なのだけれど。

分からないのは、ボクを監視下に置いて行動を制限すると言いながらも、ボクを危険人物だとも化け物だとも思っているようには見えないノヴァの心境だ。

包帯の巻かれたボクの肩にそっと触れる彼の視線は、どこか優しげなのだ。


「ユエ、分かった?」

「うん。それがNo.2からの命令なら、ボクはそれに従うまでだよ」

「いい子。…そうだね、ゆっくり時間を掛けて俺たちが君をレディにしてあげるよ、ノラ猫さん」


そう言って一瞬だけ薄く微笑んで、踵を返して屋敷へと戻っていってしまったノヴァ。

本当に、何を考えているのか読めない人だ。


……まあ、いいや。

どうせボクみたいなどうしようもねー欠陥品になんか、すぐに興味を無くすだろうし。

ボクはボクで、束の間の安息の地をせいぜい活用させていただこう。







…と、いう訳で。

こうして、とある『家族ファミリー』と『黒猫バケモノ』の共同生活が始まった訳だけれど。

ボクの関わる話の結末なんて、どうせ悲劇にしかならないだろうから。





まあ、あんまり期待はせずに楽しんでいってよ。

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