第30話 邪炎の脅威
尋常では、起こりえない爆発だった。
上がった炎も大きかったが、同心円状に広がったと思われる衝撃波の振動もすさまじい。
「ダイナマイトか」
レズリーは爆風にテンガロンハットをさらわれそうになりながら毒づいたが、もしそうだとするなら爆薬の量は想像を絶する。たった一撃で上がった火柱は、建物の大きさを軽く超えていた。
(いったい、何が爆発すればあんな威力が出るんだろう…)
爆発と言えば萌黄は、戊辰戦争で見たアームストロング砲を思い出す。上野戦争で薩軍が持ち込んだあの西洋砲の威力と衝撃波は凄まじいものだった。
爆破が周囲にまき散らす被害は、多岐に渡る。ダメージを与えるのは大別して四種類、爆炎と衝撃波と、その衝撃波で舞い上がる破片や石くれ、そして酸欠である。だが、それ以上に衝撃波とともに伝わってくる爆音も、馬鹿にならない。
着弾とともに、振動をはらんで伝わってくる音は、甲高いを通り越して激痛である。鼓膜に五寸釘を直接ぶちこまれたかのようだ。これを昼夜問わず繰り返されれば、刀を構えて立ち向かう気骨すら、萎えてくる。
かって東照大権現(徳川家康)は大坂の陣において、イギリス製の大筒をぶっ放し、大坂城に籠る淀殿を震え上がらせて、講和を持ち込んだとされるが、大音量による威嚇は、戦場にいる生身の人間たちの本能的恐怖に訴えかける。
だが今、目の前で起こった爆発は、それとはまた別の質のものだった。数千メートルの射程距離を誇示するアームストロング砲のように、物理的根拠はないが、萌黄の生理的直感に訴えかけるぬぐい難い印象だった。
爆発の威力は、点火される爆薬の量に左右される。助燃剤を使用することもあるし、指向性(爆発させる方向)によって衝撃波の伝わり方も変わってくる。しかし、目の前で起こっている爆発は、まるで空気そのものが爆薬であるかのようだった。
目の前にあるすべてが、燃え上がっている。こんな現象は、初めて見る。これほど離れていても、恐ろしい熱量の痕跡を感じるのだ。言うなればこれはそう、空の上から太陽が落ちてきたかのようだ。
「来るよ、萌黄姉ちゃん…」
いつになく緊迫したハスターの声に、萌黄は背を強張らせた。
来る。
その言葉のもたらす意図に気づいたからこそ、萌黄は緊張したのだ。理屈より、肌で感じた、と言い換えた方がいい。だが、
(あんなところに…いる?)
それが理解できなかった。あれほどにすべてが燃え上がっている場所では、酸素は燃焼し尽くし、呼吸すらもままならないはずなのに。
近づいてくる。何者かが。炎が舐める中を、その足で歩いて。爆炎のさなかに、その人影が浮き上がってきたとき、萌黄は息を呑んだ。ハスターが来る、と言ったのは、人間ではない。その緊迫した声が表すように、人ならぬ邪神だ。
それは思ったよりも若い、それも端正な顔立ちをした男だった。エメラルドグリーンに潤んだ瞳に、焔が映って閃き、彫りの浅いロシア系の骨格だ。栗色の無精髭がかすかにあごを覆っている。背丈は、傍らにいる弾正とそれほどに変わらないほどで、ほっそりとした体型だった。
この風景にそぐわないほど、純白に仕立てさせたスーツにも帽子にも、なぜか
(この男が、クトゥグア…)
萌黄は思わず息を呑んだ。
目の前にいる紳士がハスターの言う、邪悪な炎の邪神なのだ。土の邪神、ニャルラトホテプを追いかけ、全知全能の門を開こうとする、今ひとつの災厄。そうただの言葉で説明されただけでは素直に信じられなかったかも知れないが、今のを見て確かに納得せざるを得なかった。
あの炎の中を、火傷の一つも負わず、意識も喪わず。
平然と歩いて来れる人間がいるはずがない。たとえ、どんな
ありえないことは、ありえない。
(この男、やっぱり人間じゃない…)
この直感は理屈ではない。おのれの生死を賭して実戦経験を積んだ人間だからこそ、肌で分かる、いわば運命的直感のようなものだ。
証拠に、萌黄よりもよっぽど場慣れしているはずの弾正や、レズリーも仕掛けてはいかない。萌黄やハスターと同様、ただ茫然として炎の中から現れた男を見守るだけだ。
男は物憂げにため息をつくと、スーツの肩を神経質そうに払った。
「ハスターか。…なまぬるい風の邪神、今度はどんな人間に取り入る気だ?」
じろりと、クトゥグアは鮮やかな薄緑色の瞳をきらめかせた。
「去れ、炎の邪神。ここに、お前の求めるものはない」
ハスターは決然と言うと、萌黄より前に立ちはだかった。
「それはおれが決めることだ。おれは誰の指図も受けない。特にお前の指図はな。…ふん、相変わらず、息苦しい奴だ。お前といると、息が詰まるんだよ息が」
と、クトゥグアが取りだしたのは、テキーラの入ったシルバーメタルのスキットル・フラスコだ。蓋を開けると、中に入っている薄い黄金色の液体を、クトゥグアは一気に飲み干した。
「てめッ、なにのんきに呑んでやがる…!」
我に返った弾正が喰ってかかろうとした瞬間だ。空になったボトルの蓋を勢いよく締め切ったクトゥグアは、こちらに向かってフラスコを放り投げてきたのだ。
(なんだ…?)
「逃げろ皆ッ!」
ハスターが叫ぶのと、そのフラスコから爆炎が噴き出すのが同時だった。同心円状に広がる衝撃波が、土臭い埃と石くれを巻き上げる。衝撃に合わせて飛び出した萌黄が、姿勢を低くして身を守らなければ、吹き飛ばされるところだ。
またもう一つ、ありえないことが起きた。
なんと今、
(空の水筒が…)
爆発した?
ボトルには、酒が詰めてあったはずである。だが今のは酒に引火した燃焼ではない。それにクトゥグアはそれをこれ見よがしに飲み干してから、こちらへ投げつけてきたではないか。また万一、あれが爆弾だとして、いつどうやって点火した?あの男は、ボトルの蓋を締めただけじゃないか。
(どうなってる…?)
必死に理性を保ち、状況を見極めようとしても、あらゆる矛盾の波が常識を押し流してしまう。こんな混乱した頭では戦えない。どころか、こんなカオスな世界で、生き残ってなどいけるのだろうか。
「どこにいる皆ッ、無事かいッ!?」
ハスターの声が、萌黄を現実に引き戻す。風の邪神は、一瞬で竜巻を吹き起こして、砂埃を吹き飛ばしたのだった。爆弾フラスコを投げた炎の邪神は、一歩も動くことなく、ハスター以外に三方向に散った、『敵』の反撃を見極めようとしている。
このとき、砂埃に紛れて、もっとも肉薄していたのは弾正だ。幕末、アームストロング砲が炸裂する中、一撃必殺の抜刀攻撃を得意としていた弾正は、音と煙に紛れて移動することにこの中で一番、
「らあっ」
飛び込みざま、袈裟懸けに斬る抜き打ちがクトゥグアを襲おうとした刹那だ。白いスーツの袖から炎の邪神が取りだしたのは、硬い殻に包まれたクルミの実だった。
そしてこの場にいる全員がまたもや、視た。
こりこりと手の中で鳴らせた三つのクルミの実を、宙に舞わせたクトゥグアが、親指を鳴らす。すると銃弾の発砲音のような鋭い音を立てて、クルミが炸裂したのだ。
(うそ…?)
確かにあれは、食べられるクルミだった。だが、それがまたもや手投げ弾のように爆発した。激しい炎と衝撃波を噴き出して燃え盛ったのだ。常識で説明できる現象ではない。
「うおおおおっあっちいいいいい」
火だるまになった弾正だったが、辛うじて急所は守ったのか、ごろごろと砂地を転がって自力で延焼を食い止める。無策無謀の割には、命拾いしたものだ。
「先輩ッ、危ないです!てゆうか、無暗に近づかないでくださいよう!ったく…かっこわる(小声)」
「おい、今てめえかっこわる、って言ったな!?聞こえてんだよ!心配してねえだろ!?」
「そっ、そんなことより先輩ッ、早くクトゥグアの能力を見極めないと!」
萌黄は露骨に話題を変えた。
「能力だと…?」
それを聞いていたクトゥグアは、鼻を歪めてせせら笑った。
「笑わせんな。…お前ら、今さらそんなこと言って何になるんだ?」
「おいッこっちを見ろ!」
懲りずにレズリーが、ショットガンの銃口を向けた。
「つまらない手品も、そこまでにするんだな。こんなところで、爆弾なんか使いやがって。何が炎の邪神だ」
「おい、笑わせんなって言ったばかりだぞ」
炎の邪神は、銃口を恐れる様子もない。むしろ鼻先に駆け寄ってきて、銃口を平手で塞いだ。
「そこの腐った風野郎から、聞いてないようだな。それとも理解できないか?…能力じゃないぜ、おれは炎の邪神なんだ」
「レズリーさん駄目だッ、銃から手を離せッ!」
ハスターの忠告も虚しかった。クトゥグアが平手を当てた瞬間、引き金も絞っていないのに、ショットガンは爆炎を上げて破裂したのだ。
「ぐああああっ」
火傷と飛び散った散弾にまみれ、レズリーは苦痛の叫びを上げたがクトゥグアは火傷はおろか、スーツにすす汚れ一つ受けていない。
「お前らが使う炎そのものが、おれだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます