第28話 火の邪神うごめく

「賭けはこれで終わりです。わたしたちは、ゲームの報酬としてあなたから情報をもらいます」

「だから生かしたのか?」

 疲弊ひへいした将軍が、もはや動かせるのは首だけのようだ。

「当然です」

 萌黄も内心の疲労を悟らせないように息を吐きながら、答えた。

「…と、言いたいところですが、半分は違います。わたしが、個人的にあなたを死なせたくなかったから。『すでに何もかも、片づけてある。』さっき、わたしが言い残すことはないか、と聞いたときに、あなたが答えた言葉です。でも、あったじゃないですか。…銃弾から守りたかったものが」

「守りたかったもの?」

 ハスターの問いに、萌黄はさっき将軍が銃弾を迎え入れるときのポーズをしてみせた。拳銃をドローした瞬間、萌黄は見ていた。老将軍は自分の胸に手を当てていたのを。

「まさか、分かっていたのか」

 老将軍は思わず、目をいた。いわおのような表情が崩れ、みるみるけんが取れていく。その太く節くれだった指が、コートの胸ポケットから取り出したのは、小さなロケットだった。銀製の覆いの中に入っているのは、サファイアブルーの美しい瞳をした、ブロンドの少女の肖像画だ。

「…娘さんですか?」

 将軍は、あごを引いて肯いた。

「もう、何年も前に描かせたものだ。…生きているものか、どこにいるのかすらも、もう分からん」

 将軍は弱々しくかぶりを振ったが、言葉通り、完全に見捨て去ってしまっているのかどうかは、そのロケットを大切そうに握り締めたその仕草から見ても、明らかだ。

「おういッ、てめえらだけで浸ってんじゃねえ!そろそろ説明しやがれ!」

「…先輩、なんでいつも水を差すんですか」

「るせえッ、これ以上、メリケン語でしゃべんなッ」

 弾正はずっと、じりじりしながら見ていたようだ。

「さっきからおれ様が活躍しねえなんて、それが一番ありえねえんだよ!やい萌黄、そのじいさんに用事があるんなら、さッさとしやがれ!ちんたら人情話なんてまッぴらごめんだからなッ!」

「もー本ッ当に先輩は、外道ですよね!?」

「ああン!?おめえこそ、後輩の癖に先輩さまをもっと敬えッ!」

「まーまーまー萌黄姉ちゃん」「二人ともそこまでだ」

 殺し合いになりそうな二人を、レズリーとハスターはいち早く引き剥がした。

「恩に着ろ、とは言わないし、萌黄もそのつもりはないだろう。…だがゲームのルールは守ってもらう」

「分かっているさ。もう、私のような老兵に出来ることは、黙ってこの場を去ることくらいだ」

 将軍は踏み荒らした中から、メモを取り上げた。言うまでもなく、ホコリと靴跡まみれだ。

「この世の置き土産のつもりだったが、これじゃあ満足に読めんな」

「書き直すか、あんたが話すか。…好きな方を選べばいい」

 将軍は黙って頷いた。その衝撃的な言葉が飛び出したのは、次の瞬間だった。

「エイワス、と言う農場だ」

「ええっ」

 萌黄の顔から、思わず血の気が引いた。

「…あの男は、偽のピンカートンと組んで、農場主から何かせしめようって魂胆だった」

「やはり目的は黄色い王か…」

 レズリーはそれを聞いて、一気に深刻な表情になった。

 シャーロットがその身を挺して、守ろうとしているもの。

 あの黄色い生物は、ニャルラトホテプ率いる教団が、我が物にしようと執拗に農場を狙ってきた何よりの原因になったものだ。邪神たちは、なぜあれを躍起になって追おうとしているのだろうか。

「クトゥグアもまた、シャーロットさんの農場にあるものを狙っている」

 萌黄も腕を組んで考え込んだ。

「ハスター、つまり全知全能の門を開くためには、やはり、あれが必要だと言うことなのか?」

 レズリーに問われて邪神は、難しそうに眉をひそめた。

「それは…おれにも正直、分からない。…言えるのは、クトゥグアもニャルラトホテプも、その場の行き当たりばったりじゃ行動していないってことだ。何百年もかけて、周到に準備したことを行動につなげてる、わけで」

「へッ!そいつはめでてえこった。おれたちはいつまで経っても、馬のケツ追ってろってか」

 弾正が聞こえよがしに嫌味を吐いたが、萌黄が翻訳しなかったので皆、黙殺した。

「その男は、クトゥグアと言う火の邪神の化身だそうですが、その男について知っていることを教えてもらえませんか?」

 将軍は息をつくと、押し殺した声で言った。

「奴は北部の政治犯と言う話だった」

「政治犯?」

 萌黄は目を丸くした。

「正確には、殺し屋だよ。…北軍南軍どこにでも頼まれて、金に雇われれば、誰でも殺す。しかも武器は一切、使わないそうだ」

 同じテロリストでも、要人暗殺のスペシャリストと言うところだろう。何度か投獄されているが、その殺し方の特異性ゆえ、証拠が挙がらない。なので使い勝手もいいために、その依頼主がこぞって保釈金を支払い、捕まるたびにその悪党を獄から放ち続けているらしい。

「厄介すぎる悪党だが、よく聞く話だな」

 レズリーは重たいため息をついた。この時代、一部の政治家や資本家が、今よりも大っぴらに社会の表裏を取り仕切っていた。腕の立つ人殺しも、使いようなのである。

「へッ、江戸じゃあお白洲取り仕切るお奉行も、ンな阿漕な真似はしねえぜ」

「悲しいが、誰もが資本カネでなびく、それがこの世界でね」

「クトゥグアに、武器はいらないよ。あいつは火の邪神だ。証拠を残さずにやろうと思えば絶対にばれないし、投獄されても自力で逃げられる。悪党の依頼を受けるのも、保釈金を払ってもらうのも、面白がってやってることだろうよ。…つくづく気に食わないやつだ」

 クトゥグアの話ともなるとハスターは敵意を剥き出しにして、歯噛みをした。

「だがそれがなぜ大人しく、チャールズに連行されていた?」

「あんたたちの言う通り、面白がってやってたんだろうよ」

 将軍は苦い顔で、肩をすくめた。

「ピンカートンにはわざと捕まったんだ、とは、自分で言っていた」


 鉄道資本家の娘を、誘拐犯ごと爆殺した。

 資本家は激怒し、懸賞金をかけた上でピンカートン探偵社に追跡を依頼した。

「お陰で二頭馬車を仕立ててもらえたよ」

 西海岸までピンカートンを足代わりに使ったとでも言いたげな、口調だった。捕縛され、長旅をしてきたのにも関わらず、その男は純白のスーツに帽子、ぴかぴかのスーツケースに札束をぶちこんで、将軍たちの前に現れたと言う。

「せしめた金だ。これで、街をならず者で満たせ。追ってきた連中は全員殺すんだ。…そしたら残りはお前たちにくれてやる」

 そしてクトゥグアは、ブームタウンを出て行った。それから一度、様子を見に現れることはあったようだが、結局その消息は、サンフランシスコで絶えたそうだ。


「これで少し絵図は見えてきましたね」

 将軍の話を聞くと萌黄は、解せたように言った。

 ジャイルズはニャルラトホテプ側と思われたがその実、クトゥグアの手飼いだ。ピンカートンの制服と身分を使って、エイワス農場を乗っ取ろうとしていたのだ。

「となると、すぐに牧場に戻らなくてはな」

 レズリーはもどかしげに歯噛みをする。

 サンフランシスコにいるクトゥグアはジャイルズの死と、ファーゴ社の金庫の中の、自分の荷物が強奪されたことを知っている。ジャイルズの足跡をたどって、必ず、シャーロットのところへたどり着くに違いない。

「戻るなら、人数分の馬くらいは調達しよう」

 将軍は、言った。

「私に余生を与えてくれた礼だ」

「ありがとうございます、将軍」

 萌黄は礼を言うと、西の彼方にきらめく陽をみた。

「戻る頃には、日暮れですね…」

 夜になればまた、ミ・ゴが来襲する危険性すらある。情勢は思ったよりはるかに、切迫しつつあった。



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