第7話 黄色い協力者
弾丸は、確かに壁から放たれた。
萌黄も弾正も見た。銃を握った腕だけが、壁から生えてきて引き金を絞ったのだ。それが幻ではない証拠に、放たれた弾丸はエイクリーの胸に飛び込み、その身体を吹っ飛ばした。
「エイクリーさんっ!」
一拍遅れて萌黄は、あおのけに
「ああ、大丈夫だ」
エイクリーは瞳をぼんやりと開けたまま、天井を見ていた。萌黄は即座に何かがおかしいことに気づいた。エイクリーのシャツのどこにも、ついていないのだ。弾丸で撃たれた傷口から噴き出したはずの血が、一滴も。
「え…どうして?」
混乱する萌黄に、起き上がったエイクリーはシャツをはだけてみせた。すると裸の胸に、さっきと同じように大きな窓が描いてある。
「『窓に、窓に』だっけ?あらかじめ用意してたってわけか」
弾正は
「ああ、連中はいつでもおれを狙ってる。とりあえず、おれの能力さえあれば、頭をぶち抜かれない限りは、大丈夫なようにはしとかないとな」
エイクリーは片頬を歪めると、鏡台の椅子を退けた。そこにエイクリーの胸とちょうど同サイズの窓が描いてあり、エイクリーはそれにサインを描いた。
「流れ弾に注意してくれよ」
再び発射音がした。エイクリーの胸に飛び込んだ弾丸は、そこから飛び出した。オレンジ色の
「奴を追う」
ガンベルトとライフルを取り上げて、エイクリーは部屋の外に出ようとした。
「ちょっ、ちょっと待て下さい!今のはなんだったんですかあっ!?」
「私を狙っていた連中だ。ついに、姿を現したってわけだ」
「いきなり
どこか釈然としない萌黄に対して弾正は、追う気満々だった。
「変に思うかだ?知るかよ。俺がさっきぶった斬ってやったのは、人間様の腕だ。腕には身体がくっついてる。そいつを仕留めりゃ、話は終わりだろうが」
「先輩は話
萌黄は男の腕が出てきた壁を、ばんばんと叩くと、そこに落ちている、銃を握ったままの革袋の手首を一瞥した。
「信じられますか!?だって!壁の中から手が生えてきたんですよ!?」
「ああ、出て来やがったな。だがよ。他人様の窓を失敬して出て来る男もいるんだ、壁から入ってくる野郎がいたって、不思議じゃねえだろ?」
「違いない」
これには、思わずエイクリーが吹き出していた。
「有り得ない、などと言うことは、通用しない。
エイクリーは萌黄に言うと、屈んで弾正が斬り落とした手首が握ったままの拳銃を取り上げた。
「だが、
見ろ、とエイクリーは銃から手首を払い落した。
「こいつはコルトM1848。サミュエル・コルトと言う発明家が作った、騎兵用の拳銃だ。通称は『ドラグーン』。乗馬歩兵(移動時は騎馬、戦闘時は歩兵になる重装歩兵)である
「だっただあ!?」
「萌黄、私たちとの銃との違いは分かるか?」
銃を手渡された萌黄はさすがに慣れた手つきで銃を扱っていたが、すぐにはっとして答えた。
「
「そうだ。こいつは弾丸と
一八五七年に世界で初めて薬莢式の連発銃を発売したのは、コルトに並ぶガンメーカーであるS&W(スミス・アンド・ウエッソン)社であった。RF(リム・ファイア)弾と言われるこの金属製の薬莢は、弾丸と火薬、雷管を一体化したもので、現在の銃弾の最初期の原型になる。激しい動きをしても雷管が外れず、湿気や天候に左右させないRF弾は、不発や暴発を防ぐ画期的なものだった。
「例えばおれのは三十二口径、これが現時点では最新式だ。萌黄、君がS&W社のそれを持っていないにも関わらず、金属薬莢式の拳銃を持っていることは今は置いておくが、何が言いたいかって言うと、あの男、能力は目新しいが銃は、使い古しが好きだってことだ」
「でも、よく手入れされていますね」
萌黄が一見して気づいた通り、銃は丹念に油が引かれ塵ひとつ、詰まっていない。
「銃には、癖と言うものがある。反動の大きさ、
「おれやあんたと同じ、いくさ屋か?」
エイクリーは微笑を含んで頷いた。
「軍人だな。確かにこいつは、そこらへんの保安官やら騎兵隊やらでも持ってて不思議じゃないが、奴らはそれほど手入れがまめじゃないし、何よりいくら手入れをしようが、ここじゃ持ってるだけで砂が詰まる。だが見ろ。こいつはやたらと小奇麗だ」
「つまりは奴も、お船に乗ってここまでやってきたってことかよ?」
「恐らくは。上海疎開地の軍人たちは、
「じゃあ奴はどこに、逃げたんでしょうか?」
「根なし草の考えることは、同じさ。つまり、私たちとそう変わらないはずだってことさ」
出口も入口もない壁を一瞥してエイクリーは、首をすくめた。
「傷を負って逃げるとしたら、現地の協力者のところしかない」
エイクリーに言われるまま萌黄たちは、街に出た。
まだ穏やかな昼の陽が、賑わう街には落ちている。
急坂の多い地形は、ケーブルカーのない時代からすでに健在だが、立ち並ぶ建物は開拓時代の定番であるコロニアル様式のバルコニーのついた粗末な木造だ。銀行や衣料品店、酒や菓子を扱う店などあるが、野生の獣の皮や爪を扱う店や銃砲店も目立つ。丘の上はまだまだ街と言うほど整備されておらず、広大な農場も点在していた。
「何しろこの街が出来て、まだ五十年も経っていない」
と、エイクリーは、壁の男のことなど忘れたように街を案内する。
広大な西海岸の船着き場に、白人が定住しだしたのは一八三五年のことだと言う。
それまでのサンフランシスコはスペインやメキシコの占領下にあったものの、ネイティヴアメリカンであるオローニ族(コスタノ族)たちが小さな集落を持つ、漁師村に過ぎなかった。
それが現在のポーツマススクエアの近くに、イギリス人開拓者が自営農場を経営しだすと徐々に人が集まる港町になったと言う。人口爆発の最も大きな要因は、一八五〇年代のゴールドラッシュであった。カリフォルニアの金鉱を求めて数えきれないほどの移民がこの港で溢れかえり、人口はあっという間に二万五千人を越えたのだ。
イギリス人、ネーデルランド人(オランダ)、ドイツ人、イタリア人、そして
「へん、移民の街てわけか。だがなあ、ここなら長崎の出島の方がよっぽど垢抜けてら」
弾正はエイクリーの説明を退屈そうに聞いていた。
「なあ、あんた。おれらは観光に来たいわけじゃねえんだ。あんただって狙われてるんだろ。どうしたってんだよ、現地の協力者とやらは」
「これから会うんだ。船内で手紙のやりとりをしていた人なんだがな」
と、言うとエイクリーは旅行用の鞄から、薄汚れたガラス瓶を取り出した。
「なんだそりゃ」
しっかりと封をしてあるその瓶は、ジャムを作る瓶のように見えた。だが弾正と萌黄が不審に思ったのは、その中に詰まっている黄色い物体だ。
「船荷で、こいつを受け取ってたんだ。彼女からね。『肌身離さず、こいつを育てる』ようにと」
同封されて来たらしい手紙を受け取り、萌黄は眉をひそめた。
「確かにそのように書いてあります。大体それ、何の生き物なんですか?」
「分からない。だが、生きているらしい。そこにも書いてあるが、彼女はこうも依頼してきている。最低日一回は、ミルクを飲ませるか、チーズを食べさせること」
エイクリーは酒場に入ると、新鮮なミルクを分けてもらい、小さなカップで瓶の中に注ぎかけた。
「うえあっ、気持ち
弾正が悲鳴を上げたのも、無理はなかった。なんとエイクリーがミルクを与えた瞬間、その黄色い物体は瓶の中で動いたのだ。波打つような、躍るような動きだった。
どうもそれは限りなくゆるい軟体でありながら、確かに『生きている』ようだった。ミルクの白い滴もチーズの欠片も、そいつは『食べる』ようだ。瓶の軟体は普段、卵黄のような、朱を含んだ鮮やかな黄色なのだが、心なしか食事をするとその色が
「なんだよ!?協力者ってこいつの親玉だろ!?お前こそ、なんか化け物に
「分からない。だが、彼女に頼るしかないんだ」
「確かに、人の名ではありますね」
萌黄は、手紙の末尾に書かれている名前を、そのまま読んだ。
「シャーロット…シャーロット・ワイエス」
と、瓶の軟体がまた激しく踊り出したのは、まさにそのときだった。
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