第10話


「おーい!」

「……わっ」


 目の前で振られる雛ちゃんの掌で、私は我に返った。

 それはちょうど、祝勝会の最中。

 面接練習を繰り返したお馴染みのカラオケボックスに、曲の終わりの余韻が消えていくところだった。


「どしたどした、ぼーっとして! せっかく穂波が『魔法少女ティンクル☆リリィ』のテーマ歌ってくれたんだぞー! しかも振り付きで!」

「お前がいつもしつこくせがむからだろ! ったく……!」


 マイクを使った反響ツッコミを繰り出した後、穂波ちゃんはマイクのスイッチを切って、私の隣に腰を下ろし、顔を覗き込む。


「……加奈、大丈夫? 調子悪いなら、早めに切り上げる?」

「いや、大丈夫、だよ!」


 私は慌てて首を振る。


「昨日、あんまり眠れなくて。それでちょっと、ね。うん」

「昨日……って、ドリスタに会ったんだっけ。何かあったの?」


 ドキッ。

 穂波ちゃんの言葉が図星をさし、私の心臓が跳ねる。


「ははあ……分かったぞう」


 私の反応に、雛ちゃんはにたにたと笑みを浮かべ、ビッと指をさし、


「つまり、ドリスタが寝かせてくれなかったんだなぁー! イヤァあ~~ンっ!」


 グサリ。

 くねくねと自分を抱きしめる雛ちゃんの推測が、無情にも、図星。


「加奈が私たちを置いて大人の階段上っちゃったよお~! どうしよう穂波~~!」

「あたしに振るなバカ!」

「あはは……」


 いつものようにじゃれ合う二人に曖昧に笑いながら、私は昨日の、ドリーミィ・スター――鳥海星司さんとの会話を思い出すのだった。



 * * *



「……魔法少女、ドリーミィ・スターだ」


 その言葉を聞いた時、私は最初、間抜けな顔をしていたと思う。

 鳥海星司と名乗ったこの男の人の話を、特に、その最も重要なはずの部分を上手く咀嚼できていなくて、二度三度と瞬きを繰り返した。


「……ドリ」


 かろうじて扱えたのは、ほとんど意味を成していない言葉の切れ端だったけれど、


「ドリ……ドリ、ドリ?」


 鳥海さんを指で示すと、彼は厳かに頷いたので、


「……ドッキリ?」


 と首を傾げると、鳥海さんは瞠目して首を横に振った。


「隠していて……いや、騙していて、すまなかった」


 彼の言葉に、開きかけた私の口は、一体何と返そうとしたのだろう。

 形になるより先に、刹那、ばたばたと足音を立てながら、


「ごっめ~~ん! 御茶菓子どこに置いたか忘れちゃっててー!」


 まるで雲の切れ間から差し込む太陽のように、優花さんが入ってきた。


「――優花さんっっ!!」

「わっ」


 反射的に私は立ち上がり、優花さんに縋り付く。


「優花さんが、ドリーミィ・スターじゃないんですかっ!?」

「ど、どうどう」


 必死さを丸出しで飛び込んできた私を優花さんは押し留める。


「優花は、事務全般と対外的な『俺』の隠れ蓑をしてもらっている」

「……姉さん?」


 首を上に向けて、優花さんを見上げると、


「えへへ、星司君の、お姉ちゃんでーすっ」


 と、両の頬を人差し指でぷにっと突く仕草で宣言するけれど、それを素直に可愛いと感じられる余裕は、今の私にはなかった。


「だ……だ、だって」


 ぎゅんっ、と音がするような力強さで、私は鳥海さんの方へ首を向ける。


「外見、っていうか性別、全然違う、ですよね!?」

「魔法少女の肉体は全て『魔力』で形成される『偶像アバター』だ」


 思わず変な言葉遣いになってしまった私に構わず、鳥海さんは顔色を少しも変えることなく、平然と答える。


「こ、声もっ、全然っ!」

「声帯も偶像アバターだ」

「キャラも、」

「男の身で魔法少女を務めあげるに足る精神修養キャラづくりは積んでいる」

「と、とし、とか……」

「デビュー当時十歳。今は二十歳はたちだ」


 私のマシンガン糾弾は段々と勢いを失っていく。

 このままじゃ、負けてしまう。認めざるを得ない感じになってしまう――!

 追い詰められた私の心は、二週間ぶりの暴走モードに切り替わる。


「じ、じゃあ! 次の問題っ!」


 脳内穂波ちゃんの「クイズじゃねーか」のツッコミは、頭のどこか遠くで響く。


「ドリーミィ・スターにとっての、魔法少女の力の源は!?」


 雛ちゃんすら知らなかった、私の伝家の宝刀。

 大上段から振り下ろした必殺の一撃は、果たして、


「――決まっている。笑顔だ」


 無慈悲なまでの仏頂面で、真剣白刃取り。


「そ……ん、にゃあ……」

「か、加奈ちゃん!?」


 オーバーヒートした私は、前日の寝不足も相まって、ふらり、と倒れてしまうのだった。

 薄れゆく意識の中で、私は一つの真実に辿り着く。


    鳥海とりうみ星司せいじ

     ↓

  とりうみ・星

     ↓

 とりーみー・すたー

     ↓

 ドリーミィ・スター


 ドリーミィ・スターの師匠、魔法少女グレイテスト・バーストが無類のダジャレ好きであることを知るのは、まだ、先の話である。



 * * *



「はあ……」


 私は思わず、深く溜め息をついてしまう。

 そんな私の様子を見て、二人はじゃれ合う手を止める。


「……ま、アレよ! 相談とかあったら、なんでも乗るかんね!」

「うん。遠慮なく話してよ。友だちなんだからさ」


 雛ちゃんと穂波ちゃんの言葉に、私は何度目とも分からない、じぃん、とした感動を覚え、


「あのね……」


 と、つい全て話してしまいそうになり、ドリーミィ・スターの正体が男の人だなんて、バラしていいはずがないことに思い至って、


「あ、え、えっとね……その……お、」

「「 お? 」」

「お、男の人、とって、どうやって付き合ったらいいの、かな……?」


 苦し紛れに、とんでもない相談をしてしまうのだった。


「をっ、男!?」

「なになに! まさか彼氏できたのか加奈めーーっ!」

「ちがっ、違うんだけどね!? 付き合うって、そういうのじゃなくって! えっとえっと……!」


 しどろもどろになりながらも、私はなんとか、不自然でなさそうな理由を思いつく。


「……その、魔法少女になったら、ファンの人とかと、交流ってするでしょ?」

「ああー、確かにね」

「リリプロの握手会とか、毎回すごいニュースになってるよな」


 リリプロ――リリカル・プロダクションは、業界でも最大手の魔法少女事務所だ。

 数多くの魔法少女を抱え、CD発売や握手会、テレビやCMへの出演などのファンサービスにも余念がなく、多くの魔法少女志望者にとっての憧れの事務所なのだ。

 年末のでっかい歌番組にも毎年ソロだったりユニットだったりで参加していて、かくいう私も、この間のは雛ちゃん穂波ちゃんと実況しながら見たものだった。

 近くの街にも支部があって、ドリーミィ・スターの元同僚のトゥルーハートが所属している。


「でもさー、ドリスタって、そういうのやんなくない?」

「うっ」


 雛ちゃんの鋭い指摘に、思わず唸ってしまう。


 リリプロ所属の子に限らず、魔法少女は、メディアへの露出に積極的な子が多い。

 単純にファンサービスを大事にするという子も多いとは思うけれど、実のところ、目立ちたがり屋さんが多いのだ。『魔法少女はアイドル的な自己承認欲求の充足効果が高い』とかなんとか、いつか、テレビのコメンテーターが語っていた気もする。


 でも、ドリーミィ・スターは、メディアへの露出が極端に少ない魔法少女だった。

 テレビ出演もCM出演もなく、CDも一枚も出していない。

 ラジオ出演も、魔法少女アワード受賞時に、一番人気の魔法少女ラジオ『オール魔法少女ニッポン』に一度だけ出たきりで(ちなみに、その回はファンの間では伝説の回として崇められている)、その時も、ファンや関係者への感謝の言葉や当たり障りのない世間話に終始し、プライベートな話題は全く出なかった。

 私も昔、ドリーミィ・スターももっとテレビに出ればいいのに、と物足りなく思ったものだけれど、彼女、否、彼の真実を知った今となっては、なるほどと納得するしかなかった。


「それは、そうではあるんだけど……うう……」


 痛いところを突かれてしまったことと、二人をなんだか騙しているようなチクチクと胸を刺す罪悪感とで、段々と語調が弱くなっていく私に、雛ちゃんはふうと息をついて、


「まっ、不安なのは分かるぜ? 加奈、あんま男慣れしてなさそうだもんね」

「それは失礼だろお前……」

「そんな加奈もご安心! 中学で実はモテモテだった、こちらの穂波大先生にエロい質問はお任せだ!」

「ぶふっ!」


 雛ちゃんに突然話を振られ、穂波ちゃん大先生はアイスティーを噴き出す。

 私はその話題が初耳だったので、ちょっとばかり、興味津々だった。


「へええー! でも、分かるなあ。穂波ちゃん、可愛いし、カッコいいもんねっ!」

「いやっ、そんなことない、けど……」


 真っ赤に照れてしまった穂波ちゃんは、続く雛ちゃんの「なにせこのおっぱ」という台詞を最後まで言わせることなく、ゴスッ!! と鈍い音をカラオケボックスに響かせた。


「……まあ、その」


 炸裂させた手刀をさすりながら、穂波ちゃんが口を開く。


「ファンとか、告……とか、とにかく、さ。相手は自分のこと、良いな、って思ってくれたわけだから……。

 男とか、女とか、そういうの関係なくてさ。真っすぐ、誠実に……付き合う、っていうか、こう、ね? してあげたい、よな……って」

「……」


 穂波ちゃんの考え方に、私は瞳をキラキラとさせて、尊敬の気持ちで見つめる。


「穂波ちゃん……その、すごいね。すごい……!」

「やっ! 別にあたし、すごくなんか、」

「いやあーー、すごいッスよ! さすがッスよ穂波・ザ・えろえろ大先生っ!」

「雛ァアッ!!」

「うわあ、キレたーー!?」



 * * *



 家に帰って来て、机の上に置かれた茶封筒に触れる。先日の顔合わせの帰り際に渡されたもので、中には魔法少女の契約に関する書類が入っている。

 フィクションの世界では使い魔的小動物と交わす契約も、実際は、誓約書や保険に関する規約、保護者の同意書などで構成されているのだ。


 そして、もう一つ。

 同封されていた手紙に書かれていた文章を目で追う。


『もし、契約について考え直したいという場合には、一週間は待とうと思う。

 再オーディションをしなければならない都合上、それ以上は待てない。

 すまないが、了承してほしい。

 また、判断の一助になればと、座学のレッスンを体験してもらう準備もある。

 必要であればだが、一考してくれ。』


 私は穂波ちゃんの言葉を反芻する。

 真っすぐ、誠実に。


 私に、できるのだろうか。


 正直なところ、自信はなかった。

 憧れの気持ちが募り過ぎていて、理想化していた面もあったと、今では思う。

 十年もの時間をかけて育まれた神聖視に抗う術が、果たして、あるのか。


 分からなかったけれど、できる限り、真っすぐ、誠実に相対したいと思った。

 来る水曜日、私はドリーミィ・スター魔法少女事務所へと赴くのだった。

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