第2章 契約編

第9話


「ホラっ、捕まえてごらんなさ~い♪」

「待ってよ加奈~♪」


 甘い匂いのたちこめる、ピンク色でふわふわな空間。

 ワタアメみたいな雲の上を、私はスキップで駆けていく。

 後ろからは、大好きな魔法少女、ドリーミィ・スターが軽やかに空を飛び、私を追いかける。


「つっかまーえたっ!」

「わあっ!」


 ドリーミィ・スターが私に抱き着いてくると、私は勢いに耐え切れず転倒してしまい、ドリーミィ・スターと二人、ふわふわの飛沫を散らしながら倒れ込む。


「えへへ、捕まっちゃったぁ」


 私がはにかみながら頭を掻くと、


「もうっ! これじゃ、いつまで経っても追いかけっこのレッスンは合格できないよ?」


 ドリーミィ・スターは可愛らしく頬を膨らませて、私のおでこをツンと指で突く。


「だって……」


 私は斜め下に顔を逸らす。

 ドリーミィ・スターは真剣さが足りないと怒るけれど、私はドリーミィ・スターとだったら、いつまでだって二人で追いかけっこしていたいの思っているのだから――


「えっ……?」


 かあぁっ、と、ドリーミィ・スターの顔が真っ赤になる。


 あ、アレっ!? もしかして私ったら、声に出しちゃってた……!? 

 やだっ、恥ずかしい、と、私の顔も真っ赤になってしまう。


「もう、いけない子だね、加奈は……♡♡♡」


 ドリーミィ・スターはうっとりと目を細め、私の頬に掌をあてがう。

 そのまま、少しずつ顔を近づけてくる。

 私もの意味を察し、きゅっと目を閉じようとして、


「……?」


 ふとももに、何か硬いものが当たるのを感じた。

 不思議に思い、ふとももに接したドリーミィ・スターのスカートをまじまじと見てしまう。


「ふふっ、気になる?」


 視線に気づいたドリーミィ・スターが、艶やかに微笑む。


「いいよ。加奈になら……見せてあげるね♡♡♡」


 そう言って、ドリーミィ・スターは、ソロリソロリとスカートの裾をたくし上げていく。

 まさか、誰も見たことがない、ドリーミィ・スターの一番大事なトコロが――!?


「わ、わっ……!」


 私は声を上げながら、目を離すことができなかった。

 この甘美な誘惑を前にしては、楽園の秘境を暴くかのような背徳感も、しかし極上のスパイスでしかなかった。


 少しずつ、少しずつ、焦らすようにして露わになる健康的な肢体。

 果たしてその秘奥には、雄々しく屹立する第二のドリスタ♡ステッキが――



 * * *



「――ほあああああぁぁぁっ!!?」


 絶叫と共に、私は跳ね起きた。


「……はあ、はあ……!」


 息が荒い。

 びっしょりと汗も掻いていて、肌に張り付く髪やパジャマがちょっと気持ち悪い。

 暗闇の中、視線を巡らす。ベッド、机、クローゼット、本棚――私の部屋だった。


「……夢?」


 口に出してみると、確かな実感があった。

 さっきまでの世界、急転直下の逆転満塁サヨナラ負けは、つまり、夢だったのだ。

 バクバクと大声で鳴いていた鼓動も、次第に落ち着きを取り戻してくる。


 傍らの目覚まし時計を見てみれば、時刻は深夜の三時。

 お父さんとお母さんは寝つきがいいから、さっきの叫び声で起こしてしまったということは、たぶん大丈夫のはず。

 もし起きていたら、今頃私の部屋に飛び込んできているはずだし。


「……うんっ、寝よう、寝よう!」


 私はことさら明るく独り言ちて、布団を掛け直す。


 穂波ちゃんとのランニング特訓は、私の燃えつきもあってオーディションを境に一段落することになったけれど、ランニング自体はその後も習慣になっていて、ちょっと遅らせた朝の六時からの日課にしている。

 その日課まで、まだ少し寝ることができるのだ。

 身体はまだ、気持ち悪さが残っていたけれど、身体を拭いたりシャワーを浴びたりするより、私は今、とにかく寝てしまいたかった。


「寝て起きたら、きっと夢……全部夢になってるから……」


 いっそ呪詛のように呟きながら、私は固く目を瞑る。

 羊が一匹、羊が二匹と数えていると、頭の中でメエメエ鳴くデフォルメされた羊たちのもこもこの毛が、あの夢の中のワタアメの雲に思われてきてしまい、私はぶんぶんと頭を振るのだった。



 * * *



 そんな調子で、私はついぞ眠ることができなかった。

 でも、結局のところ、眠ったところで変わらないものがあるということを私は知っていたし、人はそれを現実と呼ぶことも知っていた。


 私がずっと憧れていた、最高に素敵な魔法少女、ドリーミィ・スター。

 彼女の正体が男の人であるということは、まぎれもなく、現実だった。

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