第8話
入試から、一週間と少しが経った、二月の土曜某日。
私は二度目となる、ドリーミィ・スター魔法少女事務所に来ていた。
今日は遂に、ドリーミィ・スターとの第一回顔合わせがあるのだ。
* * *
話はしばし、約一週間前に遡る。
試験を終えて家に帰った私は、お母さんとひとしきり泣いて喜び合った後、用意されたお祝いのケーキに舌鼓を打ちながら、お母さんの話に耳を傾ける。
昼頃掛かってきたドリーミィ・スターの事務所からの電話では、合格の通知と顔合わせの日程、そしてもう一つ、非常に重要な報せがあった。
「なんでも、今回の合格者は加奈一人だけらしいわよ」
「ぶはっ!」
ふわふわのスポンジと甘いクリームを無情にも噴き出し、ゲホゲホと咳込む。
慌てて差し出されたジュースを飲みつつ、続けて曰く、『加奈さんが魔法少女の仲間を楽しみにしていらしたようでしたら、大変申し訳ありません。』とのこと。
ドリーミィ・スターの丁重な気遣いに感じ入りながら、私の心臓はどうしようもなく早鐘を打つのだった。
だって――だって! 私とドリーミィ・スター、二人きりなんだよ!?
もちろん、一緒に苦楽を共にいて頑張る仲間がいないのは寂しい。
ドリーミィ・スターにも、師匠を同じくする二人の仲間がいた。
魔法少女トゥルーハートと、魔法少女ヴァーミリオン・セイバー。
三人の鮮やかな連携の前には、どんな大きな
でもっ!!
でも、それ以上に――二人っきりという展開に、私は頬が緩んでしまうのを抑えられない。
『ドリーミィ・スター師匠! よろしくお願いします!』
『うん! 今日も二人っきりの秘密のレッスンだよ♪』
『でも、文字通り手取り足取りなんて……あっ、そんなとこまでっ……♡♡♡』
……なんてっ!
『師匠の背中を流すのは、弟子の役目ですから!』
『ありがとー! でも、いつもやってもらってばかりは悪いから、今日は私が、加奈ちゃんの背中を流してあげるね♪』
『やんっ、そこはっ……♡♡♡』
……なんてっ! なんてっ!!
と、そこで私はぶんぶんと
違うの違うの、私のドリーミィ・スターへの想いはそういうやつじゃないの!
でもでも、ついつい、ダメな私が鎌首をもたげてしまうのだ。
結局顔合わせ当日まで、ずっとにやにや悶々としながら過ごしてしまう。
数日前に無事、高校の合格通知ももらい、二次募集という後顧の憂いもなく顔合わせに臨むのだった。
楽しみに思いすぎて、昨夜はあまり寝付けなかったくらいで、遠足前の小学生かっ、と自分で自分の頭をコツンと叩いてみたりして。
明日は雛ちゃん穂波ちゃんと祝勝会だし、ああ、なんて素敵な週末!
* * *
指定された時間の、五分前。
遅れず、でも早すぎず、これくらいがいいのかな――と、こんなところまで気を回してしまう。
緊張を胸に、今回はしっかり閉じられていた事務所の扉をノックすると、
「はーい」
と、面接の時も聞いた、あの、ドリーミィ・スターの声が返ってくる。
「しつっ、失礼、します!」
「あっ、若菜ちゃん! 久しぶりだね~!」
扉のすぐ傍には、待ち望んでいた
今日はロングのワンピースなドリーミィ・スターはふわりと微笑んで、胸元に手を添える。
「そういえば、自己紹介がまだだったよね。
「は、はいっ! ふつつか者ですが、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いしますっ!」
ビシリと直角のお辞儀をしながら、私はこの時、『優花さん……優しい花……まさにドリーミィ・スターにピッタリな素敵な名前……』と、デレデレにふやけていた。
表情筋に鞭を打って清楚な笑顔に戻してから顔を上げると、鳥海さんは「あっ」と手を打ち、
「そうだ! 若菜ちゃん、どんな呼ばれ方がいいとかって、ある?」
ぐはあっっ!! ――と、まるで吐血するかのような幸せな衝撃が、私を襲った。
「よ、呼ばれ方、ですか……?」
「うん! こういうのって、先に聞いといちゃった方が楽かな~って」
面接の時とは違い、プライベートではとってもフレンドリーな印象の鳥海さんの口からは、次々と魅力的な言葉が湧き出てくる。
つまり、大好きなドリーミィ・スターが、私を、私の望むままに呼んでくれるんですか……?
一体どうしよう。ここで選択を誤れば、一生後悔するかもしれない。
人生にリセットボタンはない。つまり、これが最初で最後のチャンス、かもしれない――!
「……」
「?」
私はしばし、脳内世界に没入する。
現状は『若菜ちゃん』。苗字+ちゃん付け。
それは、まだ知り合って日の浅い関係の私に対しては、礼節と親しみが絶妙に調和した、まさしく、ベストな呼称。
こんなところに至るまで、さすがにドリーミィ・スターは完璧な魔法少女だ。
この模範解答を、私は敢えて崩してしまうべきなのか?
今は苗字+ちゃん付けに甘んじて、これから徐々に親密度を上げていって、少しずつ呼称もステップアップしていけばいいのでは?
がっつきすぎは悪手なのでは――?
「異議あり!」
私の脳内会議室に轟く声。
口を挟んだ者の元へスポットライトがあたれば、そこには机に両肘を立てて口の前で手を組んだ、雛ちゃんの姿。
脳内雛ちゃんは、現状維持を主張していた脳内穂波ちゃんに対し、こう続ける。
「このイベントは、ドリスタの方から持ち掛けてきたもの。すなわちドリスタは忌憚のない希望を求めているのであり、ここでの正答は、ズバリ『遠慮しないこと』ではなかろうかっ!」
「っ……一理、ある……!」
脳内穂波ちゃんが悔しげに唸る。
それを見て脳内雛ちゃんは得意げになって、
「そこで私が提唱いたしますのは!」
と、判決速報みたいに高々と
そこには、意外なまでの達筆にて記されし『カナカナ』の四文字。
……そう、それはかつて友だちに恵まれていた小学校時代に、私が彼女たちから呼ばれていたあだ名だった。
「いやいや、それはさすがに性急すぎるだろ!?」
と、あまりの蛮行に脳内穂波ちゃんが立ち上がる。
「でも、ドリスタに『カナカナ』って呼ばれるとか、加奈は絶対喜ぶじゃん?」
「それは、そうかもだけど! ってかなんで雛が加奈の昔のあだ名知ってんだよ!」
「だってこれ結局は全部脳内だしー?」
「な、なんかムカつく……!」
激しく火花を散らす私の脳内会議。
でも、いつまでも悩んでいるわけにもいかない。
現実世界でも既に一分くらい経過していて、頭を抱えてウンウン唸っている私のことを、鳥海さんがいい加減不審に思ってもおかしくない頃合いだ。
なお、「もう手遅れでは?」と言いかけた脳内雛ちゃんは、脳内穂波ちゃんの鋭いツッコミのチョップを受けて床に転がった。
私はとうとう顔を上げた。
私よりちょっと背の高い鳥海さんを上目遣いに、口を開く。
「か……加奈、で、お願いします……!」
それは、折衷案。
良く言えば良いとこ取り、悪く言えばどっちつかず。
実に日本人的な、間を取った意見を私は採用した。
嫌がられやしないか、内心ビクビクしていた私の不安を吹き飛ばすように、
「おっけー! 私のことも、優花でいいよ、加奈ちゃん!」
と、鳥海さん改め優花さんは、素敵な笑顔を返してくれた。
私は、もう、本当に感激していて、今にも滂沱の如くに涙を流さんばかりの状態だった。
脳内会議室には天上から光が差し込み、鳥は歌い、花は咲き乱れ、脳内雛ちゃんは楽しそうに、脳内穂波ちゃんは照れくさそうに、手に手を取って健闘を讃え合うダンスを踊る。
呼び方も決まったところで、と、優花さんは私を部屋へ案内するために歩き出す。
私は素直に従いながら、幸せな気持ちのままに口を開く。
「その、私……ドリーミィ・スターと名前で呼び合うの、小さい頃から、ずっと夢見てて……!」
「そうなんだー。ふふっ、夢、叶えてあげちゃうね!」
ああ――初日から、なんて素敵すぎるイベントなんだろう!
こんなことがこれからずっと続いてしまったら、私はどうなってしまうんだろう?
こんなに幸せで、罰でも当たるんじゃないか?
と、なんだか空恐ろしくなってきてしまう。
煩悶しているうちに、部屋の入り口に着いた。
小規模なオフィスの廊下を少し歩くだけの時間が、終わってしまうことが心から惜しくなるくらいに尊くて、でもこれからは、そんな時間が何度も訪れるのだと思うと、やっぱり、これは夢なんじゃという不安すら過ぎってしまうようだった。
「どうぞ!」
と言いながら、優花さんが扉を開けてくれる。
お礼を述べながら部屋に入れば、ガラス張りのテーブルを二つのソファが挟んだ、まさに『ザ・応接室』といった佇まい。
「ごめんね。もうちょっとかかるから、加奈ちゃんはそっちに座って待っててね」
「あっ、はい」
私がおそるおそるソファに腰を預けると、優花さんは部屋のポットから手早くお茶を淹れ、
「あっ、ど、どうもっ」
「では、ごゆっくり~」
と、一礼して部屋を去っていった。
耳をすませば、隣の部屋へと入っていったようだった。
ぽつんと一人、部屋に残され、私はどうにも落ち着かない。
ちょっと来るのが早かったかな、と少し凹んでみたり、それにしても、もうドリーミィ・スターこと優花さんとはこれだけお話しているのだから、今更こんな落ち着かなくなるのも変な話だなあ、とか考えてみたり、手持ち無沙汰を思索で紛らわせようとした。
時折お茶をチビリと飲みつつ、待つこと数分。
隣の部屋の扉の開く音がして、それから、部屋の外をコツコツと歩く音。
音は、この部屋の前でピタリと止まる。
一瞬の空白の後、
ガチャリ――と、扉が開く。
「っ――!」
私は、入ってくる優花さんに失礼のないよう、慌てて立ち上がって背筋をピンと伸ばし、
「……??」
思わず、面食らってしまう。
入ってきたのは、茶封筒を携えた、男の人だった。
年のころは、大学生くらいか。黒のジャケットに、白いシャツを着ている。
身長は、たぶん、普通くらい。体格も、普通か、ちょっと細いくらい?
やや長い黒髪はあまり手入れをされていない印象で、切れ長の眼差しと感情の乏しい表情を含めて、少し怖そうな印象だ。
「……あっ」
私はその姿に、見覚えがあった。
「オーディションの時の……?」
私たちオーディション応募者の案内をしていた、スタッフの人だった。
面接の直前に声を掛けられたのを、今思い出す。
「ああ。二週間ぶり、か?」
「はあ……」
「まあ、楽にしてくれ」
気の抜けた返事をしてしまう私にそう続け、彼はソファを手で促す。
流されるままに再び腰掛けると、私は不躾ながら、無意識にキョロキョロと見回してしまう。
……あれ?
優花さんは?
ドリーミィ・スターは?
そんな私の様子を気に留めることなく、スタッフさんは向かいのソファに座る。
抱えていた茶封筒をテーブルに置くと、気難しそうな表情で手を組み、口を開く。
「……さて、まずは自己紹介からだな」
直後、私を襲う衝撃は、ドリーミィ・スターの復活に端を発するこの怒涛の数か月間を締めくくるに相応しい、私史上、最大級のものであった。
「これからキミの指導にあたる、
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