第6話


 ハードながらも楽しい特訓の日々は、慌ただしく過ぎていく。

 秋が終わり、クリスマスを祝い、年を越して――あっという間にその日はやってきたのだった。


「……本当に送っていかなくて大丈夫?」

「ありがとう、お母さん。でも、自分の足で行きたいから」


 オーディション会場であるドリーミィ・スター魔法少女事務所は、隣町にある。

 歩いて行くにはちょっと時間がかかるけれど、その時間すらも、私にはなんだか尊いものに感じられた。


 制服の上にコートとマフラー。防寒はバッチリ。

 スクールバッグの中には、筆記試験用の筆箱と体力試験用のジャージ。それに、応募書類一式のコピーと、お守りとして、塗装の褪せかけたドリーミィ・スターのステッキのオモチャが入っている。

 私が小さい頃、一番遊んだオモチャ。きっと、勇気をくれる。


「……じゃあ、いってきますっ」

「いってらっしゃい。気を付けてね」



 * * *



 ドリーミィ・スターのオーディションは、一月中の土日を使って行われる。

 先週もオーディションは行われ、来週も続く。

 改めて、ライバルの多さに眩暈がしそうになるけれど、


『ヒナ様:

 とうとう今日だね! 加奈のドリスタ愛をぶつけてこい!

 当たって砕けろー!!』


『ほなみ:

 砕けちゃマズいだろ……。

 加奈の努力はあたしたちが知ってる。自信持って。ファイト!』


 携帯電話に表示されたメッセージを見て、自然、笑顔が浮かぶ。

 私は、一人じゃない。

 そう思えば、無限の力が湧いてくるようだった。


 携帯電話をコートのポケットに仕舞い、顔を上げる。

 見上げたジャングルジムには、冬の朝だからか、誰も登っていない。


 そのてっぺんに、私はあの日の光景を幻視する。


 この公園に桜が舞うことは、きっと、二度とない。

 植えられている樹はツバキ。春になっても桜は咲かない。

 正真正銘、あの一瞬の、ドリーミィ・スターと私だけの世界だ。


 後ろ髪に触れれば、小ぶりなポニーテールがビョンと揺れる。

 三年前の涙の断髪式以降、定期的に髪を切っていたので、十月のあの日からなんとか伸ばした分でギリギリ結んだショートポニーテールが精一杯だった。

 ドリーミィ・スターの大きくてカッコいいポニーテールとは違う、ちょっと不格好な感じだけれど、それでもやっぱり、『私にはこの髪型だ!』という、確固たる想いがあった。



 * * *



 ドリーミィ・スター魔法少女事務所は、入り口の扉が開け放たれていた。

 入ってすぐのところに置かれたボードの案内に従い、待合室代わりの会議室へと行けば、そこには何人もの女の子が待機していて、案の定というか、ポニーテールの割合が高かった。

 並んだイスの適当なところに腰を下ろし、目の前の白板に書かれた諸注意に目を向ける。


『オーディションは、個人面接一回とします。

 スタッフに名前を呼ばれた方は、荷物を持って案内に従ってください。

 オーディションに関することは、他言しないようお願いします。』


 ガチャリ! ――読んでいると、突然、後方の扉が開いた。

 思わず心臓がドキリと跳ねるも、半身を覗かせたスタッフらしき大学生くらいの男の人は、私の斜め前に座っていた女の子を呼んで、面接会場へと移動してゆく。

 私の口から、ふはあ、と溜め息が零れる。


 その後も扉の開閉の音がするたびに、決まって私は反応してしまう。

 私は予定時間より三十分は早く到着したのだから、順番はまだ先のはずなのに、どうしても気が張ってしまってしょうがなかった。


 緊張でガチガチしているだけというわけにもいかないので、面接の練習のことを思い出して、少しでも本番の緊張を和らげよう。

 頭の中に、行きつけのカラオケボックスを想像する。

 雛ちゃんの変な口調から投げられる質問、その回答を順に思い出していると――


『では次の質問。ドリスタが日本魔法少女アワードを受賞したのはいつ?』

『えっ? えっと、五年前?』

『クイズじゃねーか』

『正解! では次の問題! アワード受賞時にドリスタが出演したラジオの名前は!?』

『よりクイズじゃねーか』

『ぴんぽーん! オール魔法少女ニッポン!』

『加奈も乗るんじゃないっ!』


「……くすっ」


 思わず漏れた笑い声に、慌てて口を抑える。

 周りは特に気にしていなさそうでほっと安心しつつ、やっぱり、笑いそうになってしまう。


 役に立ちそうな練習を思い出そうとしても、頭に浮かんでくるのは、三人でふざけていた楽しい瞬間ばかり。

 でも、それでいいんだと思った。

 だって、こんなにも笑顔になれたんだから。


「――若菜さん。若菜、加奈さん」


 やがて、私の名前が呼ばれる。

 ついに、私の順番だ。


「……はい!」


 荷物をまとめ、立ち上がる。

 スタッフさんに連れられ、『面接会場』の貼り紙のある部屋の前へと進む。


「……それでは、健闘を」


 一言を残し、スタッフさんはその隣の部屋に入る。


 私は一度、深呼吸をした。

 それから、二度、扉をノックする。


「どうぞ」


 女性の声が返ってくる。

 ドキリ。

 また、心臓が大きく跳ねる。


 私は、一つの言葉を思い出す。

 それは、十年前の、大切な思い出の中の、大切な言葉。


――笑顔は、私たちの力になるの!


 これから再会するあなたに、とびきりの笑顔を――!


「……失礼いたします!」


 部屋に入ると、一人の女性が長机の向こうに座っていた。

 濃い目の茶髪を緩く巻き胸元に流し、ニットセーターにロングスカートの女性。

 若いOLさんくらいの印象だけれど、私にとっては、充分大人の女性だ。


 ドリーミィ・スターのデビューが十年前なので、当時の彼女は中学生~高校生くらいだろうか。

 年齢的には、ピッタリ当てはまる。

 目の前の彼女が、ドリーミィ・スターだ――そう認識した途端、


「は、はのっっ!」


 ボンッ! プシューッ!

 なんて音がしそうなくらい、私の顔は真っ赤になって、頭の中は真っ白になった。

 どれだけの覚悟を決めていても、やっぱり、生ドリーミィ・スターの破壊力は尋常じゃなかったのだ――と、冷静に考える自分はどこか遠くの空にいて。


「ほっ、ほんじゅちゅ……本日は、よろしくお願いいたしたしましゅ!」


 肝心の私は、あまりにも、あんまりにも、噛んでいた。

 それでいて真っ赤な顔の全力笑顔はそのままだったから、傍から見ると、たぶん、怖かったと思う。


「よろしくお願いします。お名前をどうぞ、落ち着いて、ね?」


 そんな私を優しく気遣ってくれる、さすがの人格者であるドリーミィ・スター。

 でも、このときの私は、完全に暴走特急だった。


「ひ、はい! 市立っ、第二中学校三年四組、出席番号三十九番、若菜加奈です! すっ、好きなものはドリーミィ・スターで、特技はドリーミィ・スターの物真似で、それでっ!」

「若菜さん、あの、もう大丈夫ですので、お席に、」

「いえ! 大丈夫です! ステッキも……ホラっ! 持ってきました! のでっ!」

「若菜さん!?」

「まずは、ドリーミィ・スターが『砂塵イルカ』と戦った時の――」



 * * *



「――ああああああああああああ!!」


 数時間前の出来事を思い出し、私はベッドの上で頭を抱え、激しくのたうち回った。


 この先の醜態は、もう思い出したくないし、脳が蓋をしてしまったのか思い出せない。

 無理にこじ開けようとすると、おそらくロープで輪を作るか、ビルの屋上への階段を上るか、カッターナイフの刃をチキチキと伸ばすか、そういった行動が付随してくるはずだ。


 こうして、私の一世一代のオーディションは幕を閉じた。

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