第4話
――あっ、遅くなるって連絡するの忘れてた。
そのことに気付いたのは、家までもう数メートル、というところだった。
普段の私は、基本的には学校が終われば家まで直帰。たまに無性にやるせなくなって、ドリーミィ・スターに助けられたあの公園に足が向いてしまったこともあったけど、それだって所要時間は数分程度。
すなわち、いつも午後四時とか、そのくらいには家に帰っていたのだ。
それが、どうだろう。
陽はもうとっぷりと暮れてしまい、辺りには仕事帰りのサラリーマンたち。
ファーストフード店で雛ちゃん穂波ちゃんと連絡先を交換したときは、まだ電話もメールも来ていなかった。
その後、携帯電話をバッグにしまって、そのまますっかり忘れてしまっていたのだ。
取り出して、恐る恐る見てみると――着信二十件、メッセージ三十通。
「うわあ」
思わず間抜けな声を上げてしまう。
慌ててかけ直すと、最初のコールが鳴り終わる前に電話を取られた。
「もしもし、お母さ、」
「加奈! 無事なのね!?」
開口一番、安否を尋ねられる私。
一体どんな想像をさせてしまっていたのか――。でも、それだけ心配してくれたということが、とても申し訳なくもありつつ、とても、嬉しかった。
「うん、大丈夫だよ。ごめんなさい、連絡忘れちゃってて……」
「そう……もう、心配したんだから」
二言三言を交わし、もう家の前だから、と通話を切る。
家に入ると、玄関には腕を組んで仁王立ちするエプロン姿のお母さん。
「加奈」
「……はい」
厳かな声音に、しゅんと小さくなる私。
「言うことは?」
「……ごめんなさい」
「他には?」
「えっ……と……」
静かながらも剣呑さを孕んだ怒気に私が答えあぐねていると、ふっ、と相好を崩す。
「……ただいまは?」
「あっ。た、ただいま」
「うん。おかえりなさい」
* * *
そんな遣り取りを経つつ、「遅くなるときはちゃんと連絡しなさい」と、しっかり叱られる。
それから部屋で着替えていると、ちょうど、お父さんも帰って来たようだった。
リビングに出ると、お父さんは入れ違いで自分の部屋に着替えに行ってしまったらしく、とりあえず食卓に着く。
「加奈? そういえば、今日はどうして遅くなったの?」
台所からカレーの良い匂いを漂わせながら、お母さんが尋ねる。
「えっと……その、友だち、と、長話しちゃってて……」
『友だち』の響きに、まだ若干のくすぐったさを覚えながら、私がそう告げると、カラァン、と乾いた落下音。
「お母さん?」
気になって台所へ向かえば、こわばった顔のお母さんと、床に落ちてカレーの染みを転々と描くお玉。
お玉を拾い床を拭きつつ、何かマズいこと言ったかな……?と思っていると、お母さんは素早い動きで廊下に顔を出し、叫んだ。
「お父さーーーん!! 加奈に! 友だち! な・が・ば・な・し!!」
変にリズミカルな調子の詠唱に私が面食らっていると、呼応するように、
「なにぃーーー!?」
の叫び声。
すると、RPGで魔物が仲間を呼んだかの如く、お父さんが血相変えて走ってくる。
着替えの途中だったのか、黒いボクサーパンツ一丁という出で立ちは、魔物というよりそれ未満のゴロツキに認識を改めさせる。
「加奈!」
「はいっ!」
ガシッと肩を掴まれる私。
すごい剣幕だ。一体何を言われるのか、ビクビクしながら待っていると――お父さんの瞳が、じわりと滲んだ。
「友だちが……できたのか……! うっ、ううっ」
「良かったね……加奈、良かったね……!」
私に寄り添い、ハラハラと涙を流す両親。
呆けたように眺めながら、私は悟った。
――そうだ。一番心配をかけていたのは、どう考えたって、お父さんとお母さんだ。
三年前のあの日。一日中泣いて、学校も休んで。
自慢の髪もバッサリ切って。
ぼんやりしたまま中学校卒業目前で。
心配、しないはずがないじゃない。
「……ごめんなさい」
私は涙声で呟く。
「ごめんなさい……ありがとう……!」
家族三人、泣きながら抱き合っていた。
* * *
「――そうだ、加奈」
夕食後、一旦部屋に戻ってあるものを取ってきた私に、お父さんが呼びかける。
「昼頃に知ったんだが、あの、加奈が好きだった魔法少女の……何と言ったか……」
「ドリーミィ・スター、でしたっけ?」
「そう、その子だ。なんでも、オーディションを開催するとか」
「へええー」
食後の一服をしながら語らう両親に、私はおずおずと切り出す。
「えっと、そのことなんだけどね」
「うん?」
こちらを向いたお父さんに、取ってきた一枚の用紙を差し出す。
果たしてそこには、『ドリーミィ・スター魔法少女事務所 新人発掘オーディション 応募申込用紙』の文字。
「……」
用紙を見て、固まる父。
「その……私も。オーディション、受けようと、思う……ん、だけど」
私の言葉に、お父さんはぎこちなく唇を動かし、
「加奈……魔法少女になるのか……?」
と、やっとのことで絞り出す。
うわあ、また、何かスイッチに入ってしまったのかも、と、私は慌てて補足する。
「やっ! まだなれるって決まっては、全然ないんだけど! その、挑戦してみたいかなーって……お父さん?」
そんな私の言葉はしかし、お父さんには届いていなかった。
「加奈が、魔法少女に……? 俺の加奈が、みんなの加奈に……? 大天使カナエルが俺の可愛い加奈に受胎告知アンド堕天ナウ……?」
「お父さん!?」
たぶん、私に友だちができたことの喜びで、もうキャパシティがいっぱいだったんだと思う。
壊れた機械のようによく分からないことを呟きながら、お父さんはやがて、パッタリと倒れてしまった。
赤い目のお父さんから保護者記入欄が埋まった用紙を受け取ったのは、翌朝のことだった。
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