第32話
学校を出て、歩くこと十分ほど。
私は、電話で『マコト』さんから伝えられていたその場所へたどり着いた。
レンガ造りの外観がオシャレな喫茶店。
普段私が入るような気安さを売りにしているお店とは違って、私にはまだ早そうな大人の雰囲気を醸し出す佇まいに、私は慌てて身なりを少し整える。
意を決して扉を開けば、涼やかなベルの音と共にコーヒーの香りが通り抜ける。
「いらっしゃいませ。……お待ち合わせですか?」
「えっあっ、はい」
上品な給仕服に身を包んだ店員さんはにこりと微笑み、店の奥へと案内する。
店の最奥――カウンターや立ち並ぶテーブル席とは距離を開けられ、柱やパーテーション、観葉植物でどこか隔離されているような、そんな席に。
昨日も見た、あの二人がいた。
「こんにちは。まあ、掛けて頂戴」
並んで座った手前側、銀髪の美貌――『マコト』さんが、向かいの席を手のひらで促す。
「……」
私が椅子に腰を下ろす間も、奥側に座った金髪の女の子、『キャロル』ちゃんは黙ったまま、昨日と同様に睨むように私をじっと見ている。
この子とは昨日が初対面のはず、だけど……なにか悪いことしたっけ……?
などと疑問に思いつつも、やっぱりどこか居心地が悪く視線をテーブルに落としてしまうと、そこにスッとメニューが差し出される。
「好きに頼んで。お代は持つから」
「えっ! いや、そんなっ……!」
ぶるぶると首を振る私。
相手とはほぼ初対面に近い間柄で、しかも、メニューに並んだドリンクはどれも一杯でお札が飛んでいくようなお値段で……!
「私が呼びつけたんだもの。遠慮されたら、それこそ困るんだけど」
「うぐっ……で、ですけど」
「早く決めないと、勝手に頼んじゃうからね。一番名前長いやつ」
「わ、わかりましたっ! ありがとうございますっ!」
結局押し切られる形で、私は適当なカフェラテを注文する。
注文を受けた店員さんが立ち去ると、『マコト』さんはふうと一息ついて。
「まずは自己紹介させてもらうけど――私は、
そう語りながら、差し出してきた名刺を受け取る。
大きな魔法少女事務所であるリリプロではそういう制度になっているのだろうか、印刷された名前と、その横の『魔法少女スタッフ』という肩書に頷きを返す。
これまでの二度の魔法少女カミングアウトとは異なり、この時、私に驚きはなかった。
駅前や電話での、いくつかの言葉。星司さん=ドリーミィ・スターを符合させられることも、関係者以外にはありえない。
そして答えありきで考えてみれば、『マコト』という名前も、例のグレイテスト・バーストの命名法則から推測を補強できる――。
「それで、こっちの子がキャロライン・ベル。私の弟子で、もうすぐデビュー予定の魔法少女の卵」
「ど、どうも……」
紹介の間も変わらず向けてくる鋭い視線に気圧されつつも会釈をすると、やっぱり変わらない表情のまま、申し訳程度に頭を揺らした。
「あなたのことは聞いてるわ。若菜さん。星司の弟子で……最初のファン、なんだってね」
「へっ――」
真琴さんの言葉に、私はパチパチと目を瞬く。
弟子というところまでならまだしも、
そのことは、どうやら真琴さんにも察しがついたようで、取り繕うように手を振りながら、
「あー、本人に聞いたわけじゃなくてね? 優花姉さんから、
真琴さんの視線が、僅かに上に動いた。
「髪。その時の、でしょ?」
「……はい」
頷き、前髪を一房摘む。
桜色の影が瞳に映る。
「たまにあるみたいね。魔象の被害を強く受けた時に、その魔力が身体に馴染んで髪の色が変わっちゃうこと」
そう。元は黒かった私の髪は、十年前のあの日、あの出来事を機に、魔象・桜イタチを象徴する桜色に変わった。
当時、ドリーミィ・スターに助けられた後にかかったお医者さんにも、
――魔象の影響を受けて髪の色が変わっちゃうかもしれないけど、身体に悪影響はないから気にしなくていいよ。
と言われていた。
お父さんとお母さんはそれでも心配していたようだけれど、ドリーミィ・スターとお揃いだと暢気に喜ぶ私を見て、徐々に気にしなくなったそうだ。
「そういう子って、魔法少女になりやすいの。魔象の魔力を受け継いで、自分の魔力も上がるから。それと、助けられたことで、魔法少女に対する憧れを強くするケースも多いし」
そう話す言葉に、私は静かに頷いていた。
私自身がそうだし、前に星司さんとの会話の中で、星司さんもそうなのだと――かつて、後の師匠であるグレイテスト・バーストに助けられたのだ、と言っていた。
そして。
もう一つ、頭に浮かんだことを、私は
「真琴さんも――あっ!」
途端に口を噤む。
心の中でずっとマコトさんと呼んでいたから(だってそこしか名前知らなかったから!)、ついその流れで親しくもないのに馴れ馴れしく呼んでしまった。
「えっと、すみませんっ……!」
「真琴で構わないわ。それで?」
気を悪くしていないかという懸念は、そんな風にさらりと流された。
「で、では……真琴さんも、その」
どことなく気勢をそがれた感じになりつつも、お言葉に甘えさせてもらう。
真琴さんの隣に座るキャロラインちゃんの視線がキッッと一層厳しくなったような気がしたのは、うん、きっと気のせいだ。
「真琴さんも、そうなんですか……?」
「ああ……」
納得したように呟いて、髪を掻き上げる。
指の隙間から零れる、銀の髪を。
「そう、ね。私もそう」
「あっ……! 気を悪くされたなら、その、すみません」
やや口ごもった様子にハタと気が付いて、私は慌てて頭を下げる。
そうだ――自分にとっての魔象被害が、怖かったながらも大切な思い出だったからといって、他の人にとってもそうだとは限らない。思い出したくないトラウマかもしれない。
現に真琴さんはばつの悪そうな顔をしていて、私は自分の軽率さを反省する。
「ああ、気にしないでいいわ。っていうか、もう懲り懲りって感じだったら魔法少女なんてやってないから」
真琴さんの反応は予想外にすっきりとしたもので、でもそれは確かに……と思えば、真琴さんはキャロラインちゃんの肩に手を置いて、
「ね、キャロル」
「うん」
と、少女が小さく頷く。
「えっ」
「この子も所謂『後天組』なの。元の髪色も同じようだったから目立たないんだけどね」
「……わたしのことはいいから」
金の髪を梳く真琴さんの指にくすぐったそうな反応をしながら、キャロラインちゃんが言う。
「……で、そう。あなたや私たちみたいにそのままにしてる人もいるんだけど、中には黒とかで染めてる人も多いのね。目立たなくさせてるの。私も昔はそうしてたんだけど――星司も、そうなの」
「……はい」
真琴さんの言葉を、私は頷きで受け止める。
「あんまり驚かないのね」
「はい。星司さんが、私たちと同じ……魔象の影響で魔力を得たということは、以前に聞いていたので。詳しくは教えてもらってないですけど……」
星司さんも、かつての私のように、魔象の被害を受けたところを魔法少女――のちの師匠にあたるグレイテスト・バーストに救われ、魔法少女に強く憧れた、と。
そのことを聞いた時から、漠然と、星司さんは染めているのだろうな、と思っていた。
自分の正体を頑なに隠す星司さんなら、私の桜色や真琴さんの銀色のような、およそ一般的でない髪色をしていると、自分が『魔象被害者≒魔法少女かもしれない』と感づかれる可能性がある、と危惧していそうだ。
「……そう。それも言ったんだ」
小さく呟いて、真琴さんは目を伏せる。
何かを思い出しているように、追憶の時間を過ごして、息を吐く。
やがて、再び顔を上げて、私の目を見据える。
「じゃあ、その時のこと、話してあげようか?」
「……えっ」
思わぬ発言に、私はグラスを取り落としそうになった。
その時のこと――その時のこと、って。
星司さんが魔象に襲われて、グレイテスト・バーストに助けられた、その時のこと?
「知りたくない?」
「……知りたい、です」
単純な好奇心もあった。でも、それ以上に。
私は今日、一歩を踏み出すためにここに来たんだ。
恐れず、進もう。
彼を、知るために。
そして、真琴さんは口を開いた。
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