第25話
「……」
きょろきょろと、電信柱の陰から陰へ。
こそこそ走りで事務所の壁に背中をピタリ。
扉を少しだけ開けて、ちらっ、中を覗く。
「……」
「加奈」
「ひょわあっ!」
声に驚き跳び上がって、慌てて振り返れば、無表情で私を見下ろす星司さん。
バクバク言ってる心臓をなだめながら、はああ~と安心の溜め息。
「驚かさないでくださいよぉ……」
「それはこっちの台詞だ。泥棒かと思ったぞ」
星司さんは私の横を通って事務所へと入ってから、立ったまま動かない私に気付く。
「入らないのか?」
「えっと……今日、その、村雨さんは……?」
そう、私がスパイのようなこと(決して泥棒ではない)をしていた理由。
ずばり、村雨朱里さんこと、魔法少女ヴァーミリオン・セイバーを警戒していたのだ。
あの後も、結局三本まで『やられて覚えるなんとやら』を続け、一本も取ることができなかった。
その度に罰ゲームと称したセクハラが横行し、私の心労は加速していくのだった。
「ま、私は華の
と、髪をさらりと流しながら宣うけれど、どう考えてもノリはいかがわしいお店でいやらしいオジサンがするのと同系統に思われて仕方なかった。
いや、そういうお店の実態とか、よく知らないけれども。
そんなわけで、今日は村雨さんがいるのか、いたらどんな辱めを受けることになるのか、戦々恐々としていた私であった。
「ああ。朱里は今日は休みだ」
「ほ、本当ですか!?」
ぱああっ――と、私の心の曇天は急速に晴れていった。
良かった。たとえ明日にはまた曇りだして雨まで降るかもしれなくても、とりあえず今日という日が晴れてくれて本当に良かった。
朗らかな気分で星司さんの後から事務所に入る。
「だから、今日は朱里がいなくてもできるレッスンを行う」
「いなくても、って……魔法の技術のレッスンなんですよね?」
「ああ」
事務所の扉を閉めた私に、星司さんは意味深な視線を送る。
「喜べ。今日は魔法少女の醍醐味の一つ――飛行のレッスンだ」
* * *
地下室、マジカル★デスルーム。
ここに来る途中、スキップで階段を降りると危険だということを学んだけれど、それはそれとして、私は既に魔法少女態に変身。
例の魔法陣リングに立ち、ちょっと低い目線になったリングの外の星司さんと向かい合う。
「魔法少女の飛行は、実際のところ、風属性の魔法の応用だ」
説明しながら、星司さんは持ち込んだ簡易の白板にさらさらと絵を描く。
「主に、自身の足元に風を集中して浮かび上がり、」
魔法少女イラストの足の下に、風が集まってる感じの渦巻き+吹き上げる感じの『|||』。
「適宜、力や方向を調節して飛ぶわけだ」
吹き上げる縦棒を増やしてみたり、足の腿の横に矢印を描いて方向を示したりして、私に「な?」と同意を求めてくるので、とりあえず、頷く。
「……でも、それって」
「ああ」
私が言いかけた言葉に、今度は星司さんが頷く。
「難易度は、高い。第一線で活躍する魔法少女の中にも、苦手とする者は多い程だ。ヴァーミリオン・セイバーもそうだ」
言われて思い返してみれば、確かに、ヴァーミリオン・セイバーには空を飛び回るイメージはなかった。
跳躍したり、空中に踏み止まったり、あるいはそこから方向転換や突進を繰り出すことはあっても、ドリーミィ・スターのような『自由に空を舞う』といった感じではない。
「一番大事なのはセンスだな。俺やトゥルーハートは割と早めに慣れたからな」
「センス……」
その言葉が、私に重くのしかかる。
魔法少女になったからには、やっぱり私も、ドリーミィ・スターみたいに自由に空を飛び回ってみたい。そう思うのは、きっと当然のことだ。
もしセンスがなかったら、と思うと、なんだか一歩目すら遠く感じてしまう。
「……まあ、やってみないことには分からんさ。ともあれ、まずはチャレンジだ」
「は、はいっ!」
それでも、背中を押してくれる人がいれば。
私は星司さんの言葉に力強く頷く。
「足元に風を集中、だ。いきなり飛ぼうとせず、まずは軽く浮かぶくらいのイメージから始めるんだ」
「はい!」
言われた通り、風の魔法を想像上で練る。
漠然と『足元』と言っても難しかったので、とりあえずのポイントとして、ヒールシューズとリングの間の空間を風が循環するイメージを強く念じた。
そうやって、しばらく黙々と瞑想していると――ふわり、と身体が持ち上がる。
「……わっ!」
両手を広げて、全身でバランスを取りながら、ふよふよと浮かぶ。
リングから数センチメートル浮いただけの状態だったけど、私はなんだか込み上げるものを感じて星司さんの方を見れば、立てられた親指に笑みがこぼれる。
そうだ。
私は今、たった少しだけだとしても、宙に浮いている。
当たり前だけれど、足が床に接していない。靴が空間を掴んでいないという、『なにも無い』っていう感覚が、『確かに浮いている』という実感をもたらすのが、なんだかおかしな気分だ。
身体だけでなく、心もぷかぷかと浮かびそうな、素敵な浮遊感だった。
「中々筋が良さそうだ。これなら、今日はレッスンまで行ってしまうか」
そう言うと、星司さんは一旦部屋を出る。
しばらくして戻ってきた手にはエコバッグを提げていて、中から風船とヘリウムガスの缶を取り出すと、ガスを風船に注入。
手を離せば風船は緩やかに浮上していき、やがて天井にぶつかった。
「あれをキャッチして俺のところに持ってくること。飛行レッスンの初歩だ」
「あれを……」
首を真上にして見上げる、風船と天井。
この部屋は、地下一階と地下二階がぶち抜きで作られている。天井は結構遠い。
でも、ドリーミィ・スターはあれくらいの高さをびゅんびゅん飛び回っていたし、私も、そんなことができたら気持ちいいだろうなあ、と思う。
「……分かりました!」
勢いよく返事したところで、ふと気付いてしまう。
「……あの、星司さん」
「なんだ?」
「今回は、罰ゲームは……?」
言ってから、言わなければよかったと後悔した。
星司さんが、『おお忘れてた』みたいに手をポンと叩いたからだ。
「今回も、ちゃんとあるぞ」
「うわあ……」
バッグから、昨日と似たようなボックスを取り出す。
私のげんなりした様子を見て、星司さんは取り成すように、
「安心しろ。これの中身は朱里が考えたやつじゃない」
「あっ、そうなんですか」
私は心から安堵する。
『おっぱい』だとかなんだとか、あんなものを星司さんにやられた暁には、なんかもう星司さんを殺して私も死ぬしかなくなるところだった。
そうなると、誰が中身を用意したんだろう? まあ、星司さんが作ったんだとすれば、きっと朱里さんほど酷いことにはならないだろう――
「優花姉さんが考えたやつだ」
絶 対 ヤ バ イ !!
私はガクガクと震えだす。魔法が途切れなかったことが不思議なくらいに動揺している。
だって、あの優花さんだよ? アルバムとか、洗脳とか、すごい
一体どんなものを――!?
「どれ、試しに引いてみるか」
「ちょっ!」
私の制止も虚しく、星司さんはひょいと一枚掴み上げて、音読する。
「ふむ……『ドリーミィ・スターの大好きなところランキング、ベスト5発表』」
「うわあああああ……!!」
さすが優花さん、とんでもない人である……!
そりゃあ、私、ドリーミィ・スターのことは、その、大好きでして、好きなところの五個や十個挙げるのも、造作もないことではありましてですが!
目の前に! 本人! いるのは!
無! 理!! DEATH!!!
「む、加奈、魔法が乱れてるぞ」
「はひいっ!」
私は背筋をピーン!と伸ばして、なんとか風の流れも元に戻す。
優花さん作の罰ゲーム、この時点でもう勘弁してほしいけれど、一発目でこれなのだから、他にはどんな魑魅魍魎が潜んでいることやら。
ともすれば、これはまだマシな部類である可能性も高い。
「……ふんっ!」
ぱちん! と両手で頬を叩く。
絶対に失敗は出来ない!
気合を入れ直した私に、星司さんも「やる気満々じゃないか」とご満悦。
ええ、やる気というか、(罰ゲームを)やらない気満々ですとも。
「上昇するには! どうしたらいいですかっ!」
「魔法に垂直方向への指向性を持たせるイメージをする。あるいはそうだな、上昇気流を生み出す感じか。暴走しないように気を付けろよ」
「はい!」
並々ならぬ気迫とは裏腹、魔法の運用自体は慎重に、まずは少しずつ魔法に上向きを指示。
それだけでは、自重を支える以上の強さを持てないみたいで、徐々に魔法の出力も増幅するような、蛇口をおっかなびっくり回しているような感じで、イメージを膨らませる。
すると、身体がゆっくりと浮上していく。慌てて、腕でバランスを取る。
「良い調子だ!」
「は、はい!」
本当は腕を使わず、同様の風を適宜身体に纏わせることで上手くバランスを取るそうなのだけれど、今の私にはこれが精一杯だ。
それでも私は、順調に高度を増していく自分自身に、どこか余裕のようなものを覚えつつあった。
今は大体部屋の中頃だろうか。身一つでそこに浮かんでいる非日常感覚が楽しい。
下を見れば、やはり高さを感じてしまって少し怖いけれど、弟子の順調な成長に気を良くしている星司さんとも目があったりして、私もなんだか嬉し――
「……き」
気付いてしまう。
このアングル。
もしかしなくても、星司さんから見て、私のミニスカートの中は、完全に……
「きゃああああーーっっ!!」
刹那、私の足を巡っていた風は、荒れ狂う暴風へと一気に変貌。
「加奈っ!?」
星司さんの狼狽えた声は、私が頭のてっぺんで風船を割りながら天井に激突した音にかき消されて、私の耳に届くことはなかった。
魔力耐性のある素材で作られているという天井の味は、おそらく生身でぶつかったのと同じようなすごく痛い味わいで、
「……きゅぅ」
と、私は真下のリングにぼてっと落下。
次いで、目を回して私は気を失う。それに伴い、変身も解除。
安全性に考慮した、落下の衝撃を和らげてくれるというリングでなければ、夕方には目覚めることも、大きなたんこぶだけで済むこともなかったかもしれない。
とはいえ、罰ゲームが有耶無耶になったのは、九死に一生を得た思いだった。
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