第4章 レッスン編

第23話


 それは、小刻みな吐息が白く溶ける、寒い朝のことだった。


「……おっ、加奈じゃん」

「穂波ちゃんっ」


 日課のランニングの最中、私は河川敷沿いの道で、穂波ちゃんとバッタリ遭遇した。

 オーディション以降、待ち合わせて一緒に走ることはなくなっていたけれど、ランニングのコースは一部重なるところもあって、こうして出くわすことも偶にあった。


「精が出るねえ」


 穂波ちゃんは薄く微笑んで、自販機からスポーツドリンクを購入、私に差し出す。

 お礼を言って受け取り、クピっ、と一口。


「……ふふっ。穂波ちゃんだって」

「あたしはこれが本分だからなあ」

「陸上、高校でも続けるんだよね?」

「うん。目指せインターハイ、ってね」


 それから少し、ベンチに腰掛けて、昨日見たバラエティ番組の話とか、今日の英語の訳がまだ終わってないとか、そんな他愛のない雑談をしながら小休止する私たち。

 さて、そろそろ再開しようか――と穂波ちゃんが言い、私も立ち上がった刹那。

 突然、すさまじい強風が吹いた。


「うわっ!」

「きゃあ!」


 身体の横からまともに受けて、私はベシャリと地面に転がってしまう。

 打ち付けた肩の痛みに顔をしかめる。


「ッ……この、離せっ!」


 穂波ちゃんの大声がする。

 反射的に、声の方を仰ぎ見れば、薄緑色の触手が穂波ちゃんを絡め取って、空中に持ち上げてしまっていた。


「穂波ちゃ、」


 ゴウッ、ともう一度突風が吹いて、私はまたも地面に転がされてしまう。

 一瞬見えたのは、川からそびえる、触手と同じ体色の巨体。

 足元に生やした幾本もの触手を蠢かす、イカのような生物。


 魔象が、現れたんだ。


「助けなきゃっ……!」


 呟き、痛む身体を押して私は立ち上がる。


 魔法少女になってから、まだおよそ二週間。

 この間コスチュームが完成したばかりで、飛ぶ訓練レッスンも、魔法を自在に操る訓練レッスンも、まだだ。

 星司さんにも、デビューは一人前になってからと言われている。


 でも。

 だからって。

 新米でも、デビュー前だからって、私は魔法少女だ。

 苦しんでる友だちを放っておくなんて、できるわけがない。


 それに、魔法なら、これまでにも何度か――


「くそっ……!」


 目に入ってきたのは、触手に巻きつかれて苦しげに顔を紅潮させた穂波ちゃんの姿。


『魔法の影響が周りの人や建物に及ばないように規模を調整する技術……と、常に研鑽が必要すた!』


 頭を過ぎったのは、すたおの言葉。

 それと、星司さんを吹っ飛ばしたり、事務所をめちゃくちゃにしたりしてしまった、私の魔法。


 魔法の制御技術コントロールを学んでいない私の魔法が、万が一、穂波ちゃんを傷つけてしまったら?

 その足に、取り返しのつかないことをしてしまったら――?


「ッ、加奈っ!!」


 穂波ちゃんの叫びで我に返れば、私の下へ、何本かの触手が向かってくる。

 迷いのままに、私は口を開いた。


「――えっ」


 そして、何かの言葉を発するよりも先に、目の前の触手は細切れになっていた。

 驚きに見開かれた私の眼は、遥か前方、魔象へと疾駆するオレンジ色の長髪を見た。


「あれ、って……!」


 魔象は緩慢な動きで、現れた存在へと向き直る。

 人影は、薄紅のミニスカート・ドレスをはためかせる。携えた赤熱する大剣がガリガリと土手をく。


「はっ!」


 跳躍。イカの巨体へ猛然と迫る。

 撃ち落とさんと襲い掛かる触手に、紅の軌跡が閃く。

 触手は細切れに切り刻まれて、地面に落ちた端から透明な粒子になって消滅。


「――ふっ!」


 一瞬、空中に踏み止まると、渾身の力で紅の大剣を投擲。

 魔象めがけて一直線に飛ぶ大剣は、遮ろうとした触手も、横殴りの強風も、全てを切り裂き、その巨体を貫く。


「――あっ」


 触手の拘束が緩み、支えを失った穂波ちゃんが空中に放り出される。

 苦しむ魔象には目もくれず、魔法少女――ヴァーミリオン・セイバーは、再度空を蹴って、落下する穂波ちゃんをお姫さま抱っこで受け止め、軽やかに着地。


「……怪我はないかな?」


 穂波ちゃんから見上げた光景は、爆散したイカの遺した透明な粒子をキラキラと背負った、さぞや幻想的な、ヴァーミリオン・セイバーの微笑だったことと思う。


「は……はい……」


 頷いた横顔は、潤んだ瞳にハートを宿したような、うっとりとした表情だった。



 * * *



「……ってことがあってね!」

「はぁ~~ん」


 休み時間、私はひどく興奮しながら、雛ちゃんに今朝の出来事を語った。

 てっきり、雛ちゃんも『かっけえええーーっ!』とか乗ってくれるかと思いきや、


「それでアイツ、あんな恋する乙女みたいになってんのね」


 と、どうにも不機嫌そう。

 つられて、私もちらっと穂波ちゃんの方を見ると、窓の向こうの空をぼうっと見つめ、しきりに溜め息をついている。


「ほ、ホラ、穂波ちゃん、ヴァーミリオン・セイバーのファンだったんでしょ?」

「それなー。ああー、くっそー! 加奈たちばっかずるい! 私もヴァイバー見たかったなー!」


 雛ちゃんはプンプンと湯気を出す。

 それで不機嫌なのか、と得心しつつ、私はそれに加えて、前に雛ちゃんがすごく悔しがっていたヴァーミリオン・セイバーとトゥルーハートの共闘も見れていたので、なんだか罪悪感にチクチク刺されてしまう。


「腹いせに、今のうちに穂波のおっぱい揉んだろ」

「やめなよぉ」


 なんて話していると、私のポケットで携帯電話が振動。

 取り出して見てみれば、


『鳥海星司:

 今日からレッスンを再開するが、特別ゲストを呼んでいる。期待してくれ。』


 と、申し訳ないけれど不穏さを感じずにはいられないメッセージ。


『加奈:

 また、すたおですか?』


『鳥海星司:

 そんなわけがないだろう。』


 なんでこの人、ちょっと拗ねたみたいな返事を寄越すのだろう。

 私はどうも釈然としないものを感じてしまう。


『鳥海星司:

 それと、俺は少し遅れるかもしれないが、先に応接室で待っててくれ。』


 追加で届いたメッセージに、思わず溜め息が漏れてしまう。

 なんだか不安な気分を抱えたまま、放課後。

 ぼうっとした穂波ちゃんを心配しつつも学校で別れ、私は事務所の応接室へと。


「失礼しま……、」


 入室の挨拶は、途中で止まる。

 応接室のソファには、先客が座っていた。


「やあ、こんにちは」


 片手を上げたその女性に、私はビクリとなってしまう。

 ジャケットに仰々しいロゴのシャツ、ショートパンツからすらりと伸びた脚はカラータイツに包まれ、優雅に組まれている。ここまではいいとして。

 ショートヘアは赤み掛かった茶髪で、前髪の一部に金のメッシュが入っている。

 耳には、二つのピアス。


 交友関係が雛ちゃんと穂波ちゃん、あとは精々星司さんと優花さん止まりで、興味の対象も魔法少女が中心な私である。

 見た目で判断するのも甚だ失礼ではあるのだけれど、この女性は、ちょっと刺激的と言うか、有り体に言って、怖かった。

 中性的な美人さんだけれど、その容姿も、なんだか凄みを孕んでいるように見えてしまう。


「は、はじめ、まして……?」


 私が、おっかなびっくり、そう返すと、女性はフッと笑うので、私はまたビクッとしてしまう。


「キミが加奈ちゃんだね。まあ、座りなよ」


 と、女性は少し腰を動かし、ソファの隣をポンと叩く。

 もう、明らかに怖かったけれど、だからこそというか、私は逆らえず、


「は、はい……」


 言われるがまま、気持ち距離を開けつつ、ちょこんと腰を下ろす。

 直後、女性の手がするりと伸びて、


「ひぃっ!?」


 なぜか、私の肩を抱いてくる。


「な、なんですか!?」

「いいから、いいから」


 私の困惑を適当に流しつつ、彼女の手は私のふとももにぴたりと触れてきたりするものだから、


「よ、よくないです! よくないですってば……!」


 さすがの私も差し迫った身の危険を感じ、両手でグイグイと押し返そうとする。

 しかし、女性は驚くほどに力が強く、私は少しも離れることができない。

 文字通りの押し問答を繰り広げながら、隙を見ては女性はそのまま私を抱き寄せ、すん、と桜色の髪を嗅いできたりして、


「んん……スプレー、あのピンクのパッケージのやつだね? ほのかに香る汗の匂いも捨てがたいけれど、ウウムかぐわしい……」

「ひいいいっ! へ、ヘンタイっ!!」

「おや、知り合って間もないのに変態呼ばわりとは、もしや失礼だね?」

「初対面でふともも触ってきたり匂い嗅いできたりする人にだけは……、」


 その時、ガチャリ、と部屋の扉が開いて、星司さんが入ってくる。


「せ、星司さんっ!!」


 普段通りの仏頂面が、私にはまさしく仏の如く、なんだか頼もしく見えていた。

 私は救いを求めて声を上げる。


「たすっ、助けて下さいっ!」

朱里あかり、もう来てたのか。早かったな」

「ええ。講義が早めに終わりまして」


 ところが、私の救いのヒーローは、私の心からの言葉をスルーして女性と親し気に話しだす始末。


「あの! 私!! いますが!!!」


 たまらず怒鳴ってしまうと、星司さんはやっとこちらを向いてくれる。


「加奈、紹介しよう。元同僚のヴァーミリオン・セイバーだ」

「そんなことより……へっ?」


 今なんか、すごいことを言われた気がする。

 カクカクと、ロボットみたいな動きで女性の方へ首を動かせば、


「どうも、今朝ぶり。魔法少女ヴァーミリオン・セイバーこと、村雨むらさめ朱里あかりさ」


 よろしく、と涼やかな微笑みに、眩暈を覚えてしまうのだった。

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