第19話


「……ねえ、加奈」

「?」


 二限の数学が終わった後の休み時間。

 私の席にやって来た穂波ちゃんは、少し浮かない顔をしていた。


「一限も二限も、割とそうだったんだけどさ」

「うん」

「なんか……声、枯れてない?」


 遠慮がちに言われたその言葉に、私は「うっ」と図星を突かれる。

 確かに、そんな予感はあった。

 出席の返事や、先生に当てられて答えるとき、なんだか喉の調子悪いなあ、と。


 原因にも、心当たりはあった。

 ずばり、事務所で大声出し過ぎなのだ。


 星司さんも優花さんも、本人たちなりにはきっとすごく真剣で、私のこともよく考えてくれてはいるのだけれど、時たま致命的にズレていたり、突拍子も無かったりして、ついつい慣れない叫び声をあげてしまうのだ。


「それに、なんだか疲れてるっぽいし……」

「ち、ちょっと、ね……あはは……」


 と、なんだか気まずくて視線をそらしてしまう私のところへ、今度は雛ちゃんもやってくる。


「なんだなんだー? 加奈、なんかエロいレッスンでもしてんのー?」

「お前、そんな発想ばっかか」


 呆れ顔でツッコミを入れる穂波ちゃんの傍ら、私は数日前の、初めての変身のときのことを思い出してしまい、何も言えず、さっと顔に赤みが差してしまう。

 そしてそれを、二人にしっかりと気付かれてしまう。


「えっ、マジ!?」

「だ、大丈夫なの!?」


 興味津々に、あるいは心配そうに身を乗り出してくる。


「う、うん! 全然大丈夫、っていうか、そういうの、ないから! ねっ!?」


 私は慌てて取り繕うけれど、二人はなんだか納得いかないご様子で、どちらからともなく席を離れ、コソコソと耳打ちし合う。

 こういうところでやっぱり二人は息ピッタリだなあ、なんてぼんやりしていると、二人は真剣な表情で戻って来る。

 雛ちゃんがゴホンとわざとらしく咳をして、


「加奈。レッスン、見学させてもらっていい?」

「ええっ!?」


 その予想外な言葉に、私は驚いてしまう。


「なん、なんで……?」

「いやあ、ドリスタを疑ってるわけじゃないんだけどね?」

「ウム……だが我々は、加奈の準保護者として、娘の無事を知る必要があるのだ」

「なんだよ準保護者って。普通に友だちとして、でいいだろ」

「やァん、そんな冷たいこと言わないでよパパァ~ん!」

「誰がパパだ!」


 流れるように漫才を始めてしまっているけれど、私を心配してくれている気持ちは本物だと思う。

 だからこそ、私は悩んでしまう。


「え、えっと、どうだろっ……? む、むずかしい気も、するんだけどー……?」


 視線を忙しなく動かす私。


 なぜ私がこんなに渋っているのかというと、当然、ドリーミィ・スター星司さんであるということを知られてはならないというのがある。

 そしてその為の隠れ蓑であるところの優花さんが、なにか外せない用事があるとかで、ちょっとの間、事務所に来れないそうなのだ。


 つまり、今、事務所には星司さんしかいない。

 二人を連れていけるわけがない、のだけれど……


「い、一応、訊いてみるね!」


 じっと、鬼気迫る眼差しの二人に、つれない返事などできるわけがないのだった。

 私は携帯電話を取り出して、宛名が見えないように身体の裏でコソコソと隠しつつ、星司さんにメッセージを送る。


『加奈:

 友だち二人がレッスンを見学したいって言ってるんですが……だいじょうぶでしょうか?』


 送信したところで予鈴が鳴ったので、雛ちゃんと穂波ちゃんはそれぞれの席に戻っていく。

 程なくして返事が来て、私は例によって教科書を壁にして確認する。


『鳥海星司:

 構わない。』


 簡潔な返事に、私は思わず『えっ、本当にだいじょうぶなんですか!?』と追撃。

 答えて曰く、


『鳥海星司:

 ああ。名案がある。』


 とのことで、頼もしいような、なんだか嫌な予感がするような、複雑な心境の私。

 やがて次の休み時間を迎え、二人が「どーだった?」とやって来るので、


「あ、うん、大丈夫だって」


 と告げると、雛ちゃんは大きくガッツポーズ。


「よっしゃ! これで生ドリスタだ!」

「目的変わってるぞ、バカ」

「あ、あはは……!」


 やっぱり、どうにも、不安。

 そんなこんなで、私は放課後、二人と連れ立って事務所へと向かうのだった。



 * * *



 たとえ重い足取りであっても、いつかは目的地には着いてしまうもので。


「へえー。なんか、フツーって感じ?」

「失礼かよ」


 とうとう、事務所の前に並ぶ雛ちゃんと穂波ちゃんと私。

 到着の直前、私は再度、星司さんに『もうすぐ着きます。本当にだいじょうぶですか?』としつこく訊いてしまうものの、星司さんからの返事は無し。

 不安の色が、濃くなってくる。


「おーい、加奈ー! 早く入ろうぜー!」


 雛ちゃんが、待ちきれない、という様子で私を呼ぶ。

 扉の前にスタンバった雛ちゃんは期待に瞳を輝かせ、いつもクールな穂波ちゃんは何でもない風を装いつつ、けれどどうにも落ち着かないみたいで、ちょっと伸びてきた毛先を指でいじっている。


「じ……じゃあ! 開けますねーっ!」


 最後の頼みの綱に、私は大きく声を出しながら扉を開ける。

 やっぱり物音ひとつ返ってくることはなく、開いた扉から、三人で事務所に入る。


「へえー……」

「ふーん……」


 雛ちゃんと穂波ちゃんは、興味深そうにキョロキョロと事務所内を見回す。


 中は、おそらく普通のオフィスとかと似た、何の変哲もない事務所だ。

 入り口の扉から、向かって右手に広めの会議室。奥にトイレと、地下への階段。

 左手には給湯室。その奥には応接室と、もう一つ奥に星司さんのデスク兼自室――と、そこで、その星司さんの部屋の扉がガチャリと開く。


「あっ……!」


 まずい、と思った。

 今、星司さんが部屋から出てきたら、二人とバッタリ鉢合わせしてしまう。


 私は咄嗟に祈る。

 神様、お願い! なんか、どうにかなって――!


 と、そんな、私の祈りが通じたのかどうか。

 部屋から、ふわふわと浮かびながら現れたのは、掌大くらいのサイズの、濃い黄色をしたヒトデだった。

 触腕の一本をこちらに向けて振りながら、別の一本を器用に動かして扉を閉める。

 中央の盤の部分の顔には、満面の笑み。


「みんな~、よく来てくれたすた~!」


 甲高い濁声だみごえの持ち主が何者なのか、私たちは知っていた。


「あっ――!」


 穂波ちゃんが驚き、


「す――!」


 雛ちゃんが瞳を輝かせ、


だーーーっ!!」


 私は気が付けば全力で飛びついて、ヒトデの形をした、ドリーミィ・スターの相棒マスコット、『すたお』を抱きしめていた。

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