第13話
夕方の公園に、キィキィと、金具の軋む音が溶けていく。
おしりの下にハンカチ一枚、私はブランコに腰掛け、ぼうっと黄昏ていた。
少し寂れた公園には、私以外に人影は無し。冬の今は、寒いし、陽が落ちるのが早い所為かもしれない。
暗い空間に私だけがぽつんといるという風景は、まるで私の心を映したかのようで、思わず、溜め息が零れてしまう。
昨日の体験講義を経て、確かに分かったこと。
鳥海さんは、良い人だ。
手作りと思しき資料に映像。
性別とか、口調とか、そういう違いはあれど。やっぱり、ドリーミィ・スター、なんだと思う。
それでも。それでも、私はまだ、踏ん切りがつかないでいた。
鳥海さんがどう、という方向ではなく、私の心が、まだ整理をしきれていなかった。
喩えるならそれは、いろんな色の糸が絡み合い、縺れ合った、歪な色彩の玉。
騙された、裏切られた、なんて、独り善がりな想いも、あるかもしれない。
でも、それよりも、何よりも。
私の中で、一番の障壁になっているもの。
それは――、
「――だ~れ、だっ!」
突如、視界が暗く染まる。
「わひゃあっ!」
突然の事態に、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
ふんわりと香るいい匂い、そしてもっとふんわりとした背中に当たる感触にドキドキと心臓が激しく鳴るまま、私は答える。
「ゆ、優花さん……?」
「当ったり~~!」
嬉しそうな声音で、両腕に買い物袋を提げた優花さんが前に回り込んでくる。
「こっちのスーパーで特売してたんだ~。大漁、大漁!」
と浮かべる笑顔は、今の私にとって、極楽から伸びた蜘蛛の糸のようだった。
私の悩みを相談できる人がいるとすれば、それは、全ての事情を知っている優花さんを置いて他にいないはずだ。
それに、私にとっての最大の問題についても、オトナの優花さんなら、ズバリと正解を導き出してくれるかもしれない。
「あの……ちょっと、聞いてもらっても、いいですか?」
「んっ? 何か相談事?」
「はい……その、ご迷惑でなければ……」
私が上目遣いにそう言うと、優花さんは良いこと思いついた、と手を鳴らす。
「加奈ちゃん! 相談はしたいけど、外で立ち話もなんだなあ、って思わない?」
優花さんの言葉に、私は一瞬、きょとんと目を丸くする。
「え……っと、そうですね。寒い、ですしね」
「そうよねっ!」
前のめりになった優花さんは、ぎゅっ、と私の手を握る。
「そしてそんな寒い日は、お鍋でも食べて温まりたいなあ、って思うよね?」
「え、まあ、はい」
「よしっ!」
流されるままに返事をする私を置いてけぼりにして何やら喜ぶ優花さん。
と、彼女は握った私の手をそのままに、どこかへと歩き出す。
「えっ、えっ」
「それじゃあ、レッツゴー!」
「どこに、ですかっ?」
引っ張られる私が辛うじて発した言葉に、優花さんはムフフと含み笑いをし、言った。
「私のお家に連れ込んじゃいます!」
* * *
時計の短針が何度か周って、今は午後の八時。
優花さんが暮らすマンションの部屋で、私はクッションの上、人心地ついていた。
(ちなみに今日は、しっかりとお母さんに連絡を入れたので、そっちは大丈夫だ。)
「はーい、食後のお茶でーす」
「す、すみません、何から何まで……!」
優花さんは「いいのいいの」と言いながら、このお茶もそうだし、お鍋の準備まで、テキパキとこなしていた。
そのお鍋も、身体も心も温かくなるような絶品。こんな美味しいご飯を鳥海さんも毎日食べているのか、と思いきや、1Kの部屋には鳥海さんの生活の跡は見受けられない。
「星司君は事務所に寝泊まりしてるんだよー」
と、優花さんは先んじて解説。
「だから今日は、二人っきりの女子会だよ! ふっふー!」
いつもよりも気持ちテンション高めで、優花さんは私の隣に腰を下ろす。
不意に触れた肩に思わずドキッとするも、このままだと御馳走になってほんわか喋ってそれで終わってしまいそうな予感がふつふつと沸いてきて、それが嫌というわけではないけれど、私には本題があるんだ、と意識を揺り戻す。
「その、相談、なんですけど……」
「んー、なにかな?」
そう切り出すと、優花さんは笑顔で首を傾げる。
私は意を決し、まとまらないままの思いを、まとまらないながらも精一杯の言葉で、優花さんに伝えた。
――鳥海さんのことが嫌なわけではないこと。
「鳥海さ……星司さん、私のこと、待ってくれてますし、対応も、すごく気遣ってくれてるっていうか、優しいですし。あと資料とか絵とか、丁寧に作ってくれて嬉しいですし、私が小っちゃい頃描いてたイラストみたいなおめめぱっちりのイラストとか、なんかちょっと、可愛いなって思いますし、」
――でも、自分の心には解きほぐせない
「なんですけど、ですけどね? まだちょっと、もうちょっと、っていうか。やっぱりビックリしたし、これからどうなるか不安だし。ちょっとこう、騙されてた、っていうか、そんな悪し様に言う感じじゃないんですけど、やっぱりちょっと、悲しい、っていうか、」
――私の言葉を、優花さんは逐一頷きながら聞いてくれている。
「それに、正体は男の人でした、って言われて、ハイそうなんですかって、すぐになっちゃったら、今までドリーミィ・スターに憧れてた気持ちは、なんというか、すぐ受け入れられちゃうようなものだったの? とか、それってむしろ、ドリーミィ・スターに失礼なんじゃ? っていうか、いやいつまでも渋ってる方が失礼だとは分かってるんですけど!」
そして。
「あと、あと……!」
そして、私にとって、一番の、看過できない、大問題。
それを、口にする。
「――私っ! 私、中身が
暴走モードに片足突っ込んだ変なテンションで、私は優花さんに捲し立てる。
「それに! あのっ、昔とか、戦ってるドリーミィ・スターの、下から見上げるスカートの中とか、ちょっとこう、見えそうになっちゃったりしてる時とか、すっごい、ドキドキして、見ちゃいけないって思って目を塞ごうとして、でもやっぱりチラチラと追っちゃって……!
本当は、男の人なのに、そんな、」
耳まで真っ赤にしながら、私は叫ぶ――。
「私! ヘンタイなんでしょうかっ!?」
ご近所迷惑とか頭から抜け落ちて、私は、叫ぶ!
「男の人のスカートの中身に興味津々な、どヘンタイな私は、ドリーミィ・スターの弟子に相応しくないんでしょうかっっっ!!?」
言い終えて、ハアハアと荒く息をつく私。
優花さんは目を閉じ、難しい顔でしばし沈思黙考する。
やがて、カッ!と目を開く。
「……分かったわ。加奈ちゃんが、どうすればいいのか」
「ほ、本当ですか!?」
こんな短時間で、答えに辿り着くなんて!
私の尊敬の眼差しの先、優花さんは、じり、とこちらににじり寄ってくる。
「ゆ、優花さん?」
「大丈夫……怖がらないで」
腕を一本ずつ、そろりそろりと交代で前に出しながら、まるで覆いかぶさるように、優花さんはさらに身体を近づける。
胸と胸が触れ合いそうなほどの至近距離。
ドキドキと高鳴る鼓動を知られまいと、私は身体を引こうとするけれど、背中はすぐに本棚にぶつかってしまって、これ以上動くことができない。
「じっとしてて。加奈ちゃんに、必要なことだから」
淡く照った唇から紡がれる言葉が、やけに心の何かを掻きたてる。
必要なこと。……必要なこととは? ナニゴト……!?
いろいろな展開を思い描いてしまう私の顔へ、すう、と優花さんの手が伸びる。
「すぐ、終わるから……」
「っ……!」
私は身を固くして、目を閉じた――。
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