第4話 砂漠の神話に就いて その2

  少年よ、渇くことはない。

  はじめての詩を書いたその時から、君はもう詩人であるのだから。


  しかし少年よ、求めすぎてはいけない。

  君の詩は、求めれば与えられるものではないのだから。


  少年よ、案ずることはない。

  詩とは「彼方へ」の眼差しが散らす空中の火花なのだから。


  しかし少年よ、急ぎすぎてはいけない。

  最後の詩を書くその時は、求めずとも向こうからやってくるのだから。


  少年よ、憧れよ、見上げよ、少年よ。

  目の前で燃えている新世界に手を伸ばせ。

  此処でない何処か、光の波として伝わる向こう側の声を聞け。

  そして眼差しを送り続けよ。


  少年よ、信じて行くがよい。

  永遠なる真実の砂漠を行くがよい。

  少年よ、信じよ。

  君の詩を、心に湧くただひとつの言葉を信じよ。

  信じよ、そして語りかけながら生きよ。

  声を聞く者を信じて歌え。

  少年よ。この世で最後の詩人よ。

  少年よ、生きよ。


 パネルは、その声をすべて聞いてしまったあとで、かれが置かれた状況を把握した。そのあとで、かれがさっきまで砂漠に立つ構造物の前にいたことを思い出した。

 かれは薄ぐらい空間にいた。炎のゆらめきが空間の四隅を照らしていた。閉めきった空間はひんやりと涼しく、土埃のにおいがした。かれの前にはひとりの人間が立っていた。パネルにとっては、それはおそらく人間である、というほかはなかった。つまり、かれの見たことのない人間、のようなもの、がそこに立っていた。パネルは、それが人間であるのかそれとも違うものであるのかわからず、ただそこに立ち尽くしていた。

 千年猫は、その人間のほうへ、しずかに歩み寄っていった。

「おまえは、この若い旅人の、伴のものかな?」

 その人間が猫に向かって話しかけた。

『そう、ぼくは千年生きた。たぶん、これからもずっと』

「そうか、おまえは、人の言葉を解するのか」

『…おどろかないんだね』

「年を取る、というのは、そういうことだ」

『ふうん。でも、こいつが友というのは、少しちがうな。伴でもない。ぼくはただ、こいつについて回ってるだけさ。』

「なるほど、そいつは面白い。ただの猫ではないようだな。…して、若い旅人さんよ」

その人間は猫から視線を上げて、離れたところに立っているパネルに呼びかけた。

『ああ、こいつはいま驚いて何も言えなくなってる。なにせ、生まれてこの方、少年のすがたをした人間にしか出会ったことがないからね。』

 猫はそれから、その人間と少し話をしたようだった。そのあとで、すこし離れたところでまん丸な目をして立ち尽くしているパネルの方を振り返った。

『ねえ、そんなにおどろくことはない。人間だよ。きみを取って食ったりはしない。』

 パネルはまだなにも言えなかった。ただ、猫が「人間」だという、そこにいる見たことのないものをじっと見つめていた。でも、その目は驚きと怯えから、好奇心へと変わっていっていた。

『老人だよ。…きみは見たことがないだろう。ぼくも会うのは初めてだけど、話にはきいたことがある。つまり、きみたち少年よりも、ずっと長く生きる人間のことさ。その人間は、きみたちよりずっと生き、少年のすがたを失い、それでも生きる。その成れの果てのすがたさ。……まあ、ぼくよりはうんと年下だけどね。』

 それを聞いて、パネルはようやく一歩踏み出した。猫がいう「老人」という人間と話してみたくなった。パネルが老人の前に立つと、老人は、彼の周りにあった杯を差し出した。パネルはそれを受け取ると、一気に飲み干した。驚くほど冷たい水だった。渇きが一瞬にして失せた。パネルは千年猫にも飲ませてやろうと、かれの方に杯を差し出そうとした。そこには、もう満足そうな顔で座っている猫と、口が広い空の杯があった。老人は微笑していた。パネルは、しかたなく老人の勧めにしたがって腰をおろした。

「若い旅人さんよ。突然こんなところに案内してすまない。客人が訪れることはないものだから。驚いていることだろう。…安心しなさい。ここは安全だ。わたしは、この場所を護っている者だ。君たちが、この遺跡にやってきたのを見て、ここへ導いたのだ。……ここは遺跡の中だ。代々びとに与えられた部屋だ」

 老人は微笑みながら言った。彼はどうやってここへ彼等を導いたかは言わなかった。けどパネルには、それが不思議なことには思えなかった。ソピロの力を思い出した。きっとこの老人も、「詩人」なのかもしれない、と思った。

「やあ、ぼくはパネル。…少年の国から来たんだ。」

 老人は応えた。

「おお、かの、少年の国からか……彼方、砂漠の向こうに有るという国…そこに住むものは、みな若き少年の姿だという。……伝承はまことであったか」

「きみは、なんだかおもしろい言葉を使うんだね。外の世界の言葉、なのかな。ねえ、いろんな話をきかせておくれよ。」

 それを聞いて老人は言う。

「若い旅人さんよ。…いや、パネルといったな。パネル少年。君は、ずいぶんと遠くから歩いてきたようだ。君はなにゆえに、旅をするのか、少年よ。」

「ぼくは…外の世界をみたい。外の世界へ、どこか違うところへ行ってみたい。それで、いろんな言葉を手に入れたいんだ。」

「そうか、旅にあこがれ、ただ旅をする、というのか。旅は実によい。旅は人生だ。人生は旅だ。古より幾多の者たちが、旅に生き、旅に死に、そして人生を旅としてあらわしてきた。……少年よ、君も、君だけの旅路を見つけるがよい。そこには艱難も辛苦も、たくさんの歓喜も、それからあまたの別れも、待っていることだろう。」

「ぼくは、いろんな世界をみたい。いろんな人に会いたい。行く先は、きまっていないけれど…」

『それで最初の到着地もみつけられずに、砂漠でさまよっていたというわけさ』

パネルは猫のほうをみて、それでいいんだい、というような顔をした。

「そちらの猫さんは実に聡明だ。だが、聡明さは時に、大切なものを見過ごさせる。ときには愚鈍に、迷うことも肝要なのだ。パネル少年、君はどうやらその点においては、彼を導くべき存在だ。」

「そうなのかい?いまのところ、かれにはあきれられてばかりなんだけど」

『まったくだよ』

「パネル少年。君はまだ、外の世界というものを知らない。君はまだ若い。大切なものの探し方も、行くべき場所の見つけ方も、それを探すための歩き方も知らない。だが君には、ひとつの重要な心がある。」

「あこがれ、というものかい」

「おお、そうだ。君はしっかりとわかっているようだ。」

『砂漠へ出る前に、出会ったある少年から聞いたことの受け売りさ。少年はたしか、《詩人》だといった』

「そう、詩人!…かれはソピロ、という名だったんだ。ソピロは、あこがれという意味だと言っていた。かれはぼくに、いろんな世界を見せてくれたんだ。かれは、言葉でなんだって創造できたんだ。それでぼくも、かれが見せてくれたような場所へ行ってみたいと思ったんだ。…そのかれが教えてくれた言葉、それが『あこがれ』さ。それは《詩人》の条件である、とね」

「そう、すべては開かれている。あこがれによって開かれている。あらゆる可能性へと開かれている。その無限の可能性の砂漠のなかで、迷いながら進む。だが一歩は確実に前へと進む。その一歩を導くもの、それこそが『あこがれ』なのだ。怒りより悲しみより、あこがれは強い。人はあこがれに導かれ、旅をする。旅は迷いだ。だが迷いは、最後にはかならずひとつの道を成す。それは、君にしか成し得ない旅となる。君にしか描きえない旅路を描く。」

 パネルは、老人の言葉に聞き入っていた。その目は、あこがれに輝いていた。

「だがあこがれには、時にそれと対峙するものも必要だ。あこがれは強い。強いがゆえに、惑う。惑えば、暗き道に入ることもある。袋小路に立ち尽くすこともある。たとえ大空に飛び立とうとも、太陽に近づきすぎれば翼が灼ける。あこがれは強いがゆえに、そのような危険も持ち合わせている。…パネル少年、君はじつに良い友を見つけたようだ。彼は聡明だ。その聡明さこそ、君の暗き道を照らす光になるだろう。強きあこがれと、それを導く聡明さと。君たちは実によい友だちだ。彼はまだ、君を友だとは認めてはいないようだが、それでも私には、君たちは唯一無二の親友に見える。君たちは、種族も年齢も異なる。だがそれでも、君たちは、同じ目をしている。あこがれを持つもの。聡明さをもつもの。そのいずれもが、同じ目をして、共に旅をする。互いが互いをおぎない、導き、そして道を成す。なんと、素晴らしいことではないか。」

 千年猫とパネルは、同時に顔を見合わせた。でもなんだかきまりわるいようで、すぐに目を逸らした。先に言葉を発したのは猫のほうだった。

『まあ、うまいことやってみるよ。……ぼくも、行くところはないからね』

「ぼくも、ひとりだ。きみもひとりだ。でも今は、こうして旅をしている。」

「そういうことだ」

そういって老人は笑った。優しい微笑みだった。

「ところできみは、なんだってこんな砂漠のまんなかにいるんだい。ぼくたちをここへ連れて来てくれたあたり、不思議な力を使えるようだけど…きみも、ソピロとおなじ《詩人》なのかい?」

「わたしは《詩人》ではない。わたしの運命は、この世に生を受けた時から決まっておった。わたしは守り人だ。わたしの一族は、代々この地を護る守り人なのだ。いまはもう、この遺跡となったもの…ここに、かつては、我々のカミが祀られていたのだ。古の時、ここには繁栄をきわめた帝国があったという。帝国には緑も、街も、あらゆるものがあった。帝国の民は偉大なカミを祀り、この巨大な石の神殿を建てた。我が一族は、そのカミのしもべとして、神殿を護る一族であった。その血族だけが、神殿に出入り出来た。神殿に出入り口はない。カミより授かった力により、カミの導きによって、我が一族は神殿に入り、その清浄を保っていた。わたしは、その遠い末裔なのだ。国が滅び、かつての肥沃な大地が砂漠へと変わったいまも、わたしは代々の伝承を受け継ぎ、この神殿を護っている。これは、わたしの宿命なのだ。」

「それじゃあ…きみは、ずっとここにひとりでいるのかい」

「そうだ、わたしは常に一人だ。だがそれも宿命なのだ。」

『でも、食べ物や水はどうするってのさ。まさかそれさえ《カミのチカラ》じゃないだろう?』

「まことに、猫さんは聡明だ。そう、常には私はここで一人だ。だが、わたしには家族がおる。家族は、ここから少しはなれた砂丘の盆地に暮らしておる。わたしは時おり、一日だけそこへ帰る。そこには小さな湖と、わずかな緑がある。その盆地に身を寄せあい、わたしの家族や、数百の人々が暮らしている。それが我々砂漠の民であり、かつての帝国の末裔なのだ。」

パネルの目は輝いていた。

「じゃあそこには、まだむかしの国のすがたが残されているのかい?」

「いまではもう、かつての生活も文化も、残されてはおらん。帝国が滅んで長い月日が経ち、緑豊かな大地は砂漠に変わった。その砂のなかに、あらゆるものは呑み込まれていった。……だが、我々は神話のなかに、その栄華を記録した。神話は、かつて厖大な物語だったという。盲目の語り部たちが代々口承で受けつないでいたのだ。…いまは、それさえも、ひとつの物語を残すだけになったのだが…。」

「それは、どんな物語なんだい?」

「ならば、聞かせてやろう。我々砂漠の民に伝わる神話を。」

 パネルの目がいっそう輝いた。あこがれに満ちた目だった。胸元がキィーンと涼しくなった。パネルは、待ちきれないようすだった。

 猫はちらり、とパネルを見上げた。それから、老人の方を見た。

 老人は語り始めた。

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