第3話 砂漠の神話に就いて その1

 千年猫とパネルは、どこまでも広がる砂漠に立っていた。後ろには高い高い壁がそびえていた。ソピロが開けてくれた出口は、もうなかった。少年の国には、戻れなかった。

 彼等は、砂漠へと歩き出した。歩き出していくばくもしないうちに、熱風がひゅうひゅうと音を立てはじめた。風に乗って砂粒が飛び、彼等の頬を絶え間なく打った。

『やっぱりやめといたほうがよかった、って思ってるだろ』

「そんなことないよ。……全然、ない。………………ないったらない」

『余計なこと喋ると、口に砂が入るよ』

 うるさい、とパネルは思いながら、千年猫の冷ややかな目を見つめた。感情のない三日月色の瞳は、ただの猫と変わらない目だった。ただかれの声だけが、その目の向こうから聞こえてきた。猫の目は、まっすぐに遠くを見つめていた。もう国には戻れなかった。彼等は歩きつづけた。

 一歩一歩踏みしめるごとに、砂を含んだ風は烈しくなった。パネルは右腕の袖で口と鼻を抑えながら、前かがみになって歩いた。千年猫は、パネルの風下を確保しながら、できるだけパネルが盾になるようにして歩いた。それでも、風はかれの全身を砂まみれにした。さすがのかれも目を細めていた。

 砂はパネルの靴の中や、袖のなかにも容赦なく入り込んだ。服は砂ぼこりで黄土色に染まり、かれの髪にも絡みついた。少年はいつの間にか、砂漠を放浪する旅人の姿になった。千年猫の青い毛なみも黄色くくすんで、行く先のない野良猫のようになった。それでも彼等は進んだ。どこかここではない場所を求めて進んだ。

 しばらく進むと、砂嵐はしだいにおさまった。代わりに、強烈な日射しが彼等を襲った。さっきまであんなに吹きまくっていた風はピタリとおさまり、じりじりと煮立てるような暑さがやってきた。砂丘は地平線の彼方までつづいて、見えるものは黄土色一色の砂の世界だった。遠くの空はぼうっと黄色く霞んでいた。風のない砂漠に、音はなかった。砂を踏む彼等の足音だけが聞こえた。彼等は、何も喋らなかった。口を開けば途端に渇きが襲った。持ってきた水は少しずつ減っていった。彼等は何も喋らず、ただ地平線の向こうだけを見つめて歩いた。彼等は歩き続けた。

 砂漠の景色は少しづつ変化する。砂に足を取られ、靴のなかに次々に砂が入り込んでくる丘陵地帯。そこを抜けると、小石がごろごろと転がる砂礫地帯。強烈過ぎる太陽によって、すべてが灼かれてしまったあとのような黒い石の群れ。更に歩けば、礫は少しずつ細かな粒子になる。一帯が黄緑色のガラス質の結晶でできた地帯。どの地帯の上にも、同じ空が覆っている。空に雲はなく、どこまでも青い空間だけが続いている。その真ん中に、太陽がおそろしい光を放って輝いている。彼等はその中を、ひたすら歩き続ける。どこまでもどこまでも歩き続ける。すると今度は渇ききった堅く平坦な地面のつづく土地に出る。それでも彼等は歩き続ける。砂漠の真昼は長く、日は傾かず照らし続ける。その中を彼等は黙って歩く。更に歩けば、また砂丘のつづく地帯になる。ようやく日は傾く。日が傾けば、すぐ夜が来る。砂漠の昼夜の寒暖差は激しい。昼間の暑さとは正反対の、肌寒い夜が来る。彼等は砂漠で夜を明かす。持ってきた食料が一日分減る。歩き通した疲れに、深い深い眠りが襲う。眠れば、もう朝だ。再び昇った太陽は、地平線から顔を出してすぐ活動を始める。また暑い暑い日中がやってくる。じりじりと上昇する気温に、汗ばんで目が覚める。目が覚めれば、歩き出さねばならない。そうして歩く。歩き続ける。どこまでもどこまでも、歩き続ける。水は減っていく。歩き通せばまた夜が来る。食料はどんどん減っていく。また朝が来る。また歩き出す。水はもう、ほとんど無い。


 遠くに、蜃気楼が見えた。

『逃げ水だよ。ほんものの水じゃない。』

「いや…ちがう、水じゃない。あれは」

 パネルの指差した先には、巨大な構造物がそびえていた。どうやら自然のものではないらしいそれは、天に向かって延びる三角形をしていた。三角形の裾の方は丸みを帯びて崩れていた。周囲には四角く切りだされた岩が無数に積み重なっていた。パネルはそれを見て、すこし歩くのが速くなった。千年猫はその後ろを、少し離れて追いかけていった。

 しばらく歩いて、構造物の目の前まで来た。パネルはその巨大なもののてっぺんを見上げた。風が稜線を駆け上がり、天辺で渦を巻いていた。

「なんだろう、これは…ひとの造ったものだろうか?」

『さあね。まあ、ひとつわかるのは、ここに水はないってことさ。こんなものにかまってないで、はやくどこか水のある場所を見つけないと、……干からびるよ。』

 そういって千年猫は、構造物に背を向けて歩き出した。パネルは夢中で構造物の周りを調べて歩いていた。猫は少し進んでしまってから、パネルがついてこないので、仕方なく振り返った。

『おいおい……おいて行っちまうぞ。』

 パネルにはもう猫の声なんて聞こえていないみたいだった。猫は仕方がないので、かれについて歩いた。

「どこかに入り口があるかもしれない。」

 そういってパネルは、構造物を形成する巨大な方形の岩のひとつひとつを、ていねいに調べていた。








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