第2話 詩人少年ソピロに就いて

 千年猫は、パネルと旅に出ることにした。

 彼等は出発する前に、旅の準備を済ませた。パネルは今まで会った少年たちにさよならを言ってまわった。外に行く、そう聞かされた少年たちはみな、同じ反応だった。

「そんなこと、やめたほうがいいよ。外の世界は穢れているんだ。マイト・イズ・ライトの怖ろしい世界なんだよ。外へ行ってはいけない。それが僕たちのルールだ。そんなの、君だってわかっているだろう。」

 だがそう言うだけで、彼を本気で引きとめようとか、どうしたんだい、話だけでも聞こうかい、そう言ってくれる少年はひとりもいなかった。つまり、パネルはひとりだった。

 「みんな同じ名でぼくを呼ぶ」といってため息をついていた千年猫の気持ちが、パネルには少しだけわかった気がした。

 それから彼等は、旅の支度を整えた。パネルは大きな革カバンひとつにいっぱいの荷物を背負って、丈夫な靴を履いた。腰には革のベルトを巻いて、カンテラをひとつ提げた。千年猫は、とくに準備するものはないので、いつもどおりの姿でいた。

 そして夜が来た。透明な星の光が澄みわたる穏やかな夜に、カンテラの灯は煌々と燃えた。パネルの頬は揺れる明かりに照って、彼の瞳にはうるうると丸い火がきらめいていた。

『さよならは済んだのかい。』

「うん。もう、行こうか。」

『見送りには、だれも来ないんだね。』

「……まあ、ぼくはひとりだからね。」

『そんなもんだよ。』

 そして彼等の旅は始まった。

 

 彼等は、少年の国をぐるっと囲む壁のところまでやって来た。この壁の向こう側は、もう外の世界だった。古びたレンガの壁は風と砂に侵食されて、壁の内側にも砂ぼこりが舞っていた。誰も近づこうとさえしないこんな場所に、警備兵なんて必要なかった。風はひゅうひゅうと音を立て、砂はあちこちに舞い上がり、あるいは溜まって、ここがまだ壁の内側であるとは思えなかった。寂しかった。

 パネルは、カンテラの灯をたよりに壁の出口を探して歩いた。千年猫もじいっと遠くに目を凝らしていた。すると。ぼうぼうと立ちこめる砂煙の向こうに、ちらちらと小さな明かりがひとつまたたいていた。

『あれ。人の灯だろう。』

「でもこんな寂しいところに、どうして」

『まあ、言って訊いてみるがいいさ。もっとも、こんな辺境で暮らしている偏屈な何者かに、取って殺されなければだけれど。』

「・・・やめろよ」

 かすかに揺れるその灯を目指して、彼等は歩いていった。吹き付ける夜風は不気味に響いて、千年猫の言葉もあって、パネルは少し恐ろしくなった。それでも、少年の好奇心は強く、パネルはどんどん進んでいった。

 明かりはだんだん大きくなった。揺らめくのは炎だとわかった。炎の傍には小屋が建っていた。そこへ近づくにつれて、不思議と少しずつ風が弱まった。砂煙も晴れていき、天には澄んだ星空が広がった。空気はゆるやかに大きな渦を巻いて、炎の周囲をゆったりと回りながら、空へと昇っていっていた。

 彼等は、火のところまでやってきた。薪をくべた炎の隣には、少年が座っていた。火は少年の横顔をゆらゆらとあかく照らした。瞳の中に美しい火が燃えていた。少年の瞳はうるうると澄んでいて、どこかかなしみさえ湛えているように見えた。パネルはその目にハッとして、なにか見てはいけないものを見てしまったようにすら思った。パネルは思わず、伏し目になって立ち尽くした。千年猫も、パネルの傍らでじっと少年を見つめていた。

 すると少年が、ゆっくりと彼等のほうを向いた。少年が優しく微笑むと、パネルはなぜだかどきり、とした。パネルは、なにも言えないでいた。

「・・・やあ。めずらしいね、こんなトコロに。」

 少年は言った。

「立ち話もなんだし、こっちへおいでよ。そろそろひとりにもタイクツしてたんだ。少し、話し相手になってくれるかい。・・・もてなしてあげられるものはないけど」

 不思議な声だった。ぼんやりと淡い光の輪があって、それが心地よく波打っているような、やわらかい倍音がいくつも響く、心地良い声だった。パネルは、やっぱりなにも言えなかった。ただ恥ずかしげに微笑みをかえして、焚き火をはさんで少年と向かい合った。千年猫は何も言わず、パネルのとなりに座った。まるでただの猫みたいだった。

「やあ、ようこそ。ずいぶん遠かっただろう。ここは街からも外からも離れたところだから。・・・ボクはソピロ。ソピロはあこがれ、ってイミなのさ。」

 少年の職業は「詩人」だといった。パネルは、ソピロと話してみたくなった。

「ぼくはパネル。旅に出るんだ。こいつと一緒にね。」

『よろしく』

 目の前で話すパネルの声とは違う声に、ソピロはすこし驚いて目を見開いた。パネルはしてやったり、みたいな顔をしていたけど、そのソピロの目を見た途端、不意をつかれたように、目をそらした。

「キミ、腹話術でも使えるのかい。・・・それとも、その猫は」

『そうだよ。こいつは腹話術なんか使えないよ。使えたら今ごろは街の人気者さ。』

 パネルは「ひとこと多いぞ」という顔をしたが、千年猫はかまわず続けた。

『ぼくは、千年生きた。たぶん、これからもずっと。そしていまは、このパネルのお供で、外の世界へ行こうっていうのさ。』

 ソピロはぱあっと嬉しそうな顔になった。無邪気でそわそわして、好奇心を隠せないようだった。それを見てパネルはようやくほっとした。ソピロはちゃんと人間だった。同時に、彼のその姿がなんだかいとおしくなった。

「きょうは、いい《詩》が書けるぞ。キミたち、ちょっと待っていておくれ。」

 ソピロは小屋に入って、しばらくするとまた出てきた。手には歯車やゼンマイが組み合わさった、鈍い金色や銅色に光る小さな機械を持っていた。パネルの見たことがないその機械には、音叉やガラスの円盤のような部品がついていた。ソピロは、ポケットから古びた金色の巻き鍵を取り出すと、その機械のゼンマイを巻いた。機械は心地よい音を刻んで、ソピロが螺子を回すたび、大小の歯車がなめらかに回転した。それから、手のひらにしっくりくる位の大きさの結晶をとりだした。結晶は透明にきらきら光っていて、六角形や長方形が組み合わさった幾何学的な形だった。ソピロは、機械の音叉と結晶を打ち付けた。

 ――キィィーーーン……………

 すずやかな澄んだ単音が響きわたった。ソピロは微笑んだ。

 それから機械は、ジィィィと静かな音を立てはじめた。歯車がまわった。

「この結晶はね、リブロっていうんだ。ボクの《詩》はみんなこのリブロに書き込まれている。リブロはもとはただの鉱物結晶だけど、こいつがあれば芸術にできるのさ。」

 そう言って機械を指差した。機械の名はスクリビロといった。

「このスクリビロをつかえば、リブロに《詩》を書き込める。書き込まれる《詩》、それは言葉であり、記憶であり、映像である。それはこのスクリビロをとおして再生できる。この空間じゅうに、記録した映像を立体的に映し出せるんだ。ボクの《詩》はそういう、あらゆる透明なものの複合体なのさ。」

「へえ・・・僕でも、《詩》を書けるのかい。」

「誰でも《詩》を書き込めるわけじゃない。『詩人』でないものが触れても、結晶はただの石ころに過ぎない。ただの石をリブロにできるのは、『詩人』だけがもつ感情なのさ。その感情こそ、あこがれなのさ。つよく澄んだあこがれを持つものが触れたときにだけ、結晶はリブロとしての力を発揮する。リブロがその人に呼びかけるんだ。」

 「詩人」ソピロ。《詩》を描く少年。彼は、パネルがそれまでに出会ったどんな少年たちとも違った。どんな少年たちより純粋で、どんな少年たちより美しく、そしてどんな少年たちよりさびしそうだった。ソピロの言葉や表情やしぐさは、好奇心にあふれて生き生きしていた。けど、ときおりふっと、ものすごくさびしい顔をするのを、パネルは見逃さなかった。そのときのソピロは、遠くをみつめて、まるで死を夢見てでもいるかのようで、パネルはおそろしさと、せつなさと、なんとなくいとおしいのと、さまざまな感情がいちどに押し寄せてくるのを感じた。

 ソピロは、かつて外の世界に行ったことがあると言った。外の世界にはいろいろな国があって、そこには少年たちとは違うたくさんの人々が暮らしている。国によって人々も、ルールも、考え方もみんな違う。ソピロは、パネルの知らないたくさんの物語を語った。語りながら、《詩》を披露した。彼はいくつものリブロを取り出した。色とりどりの結晶体は、それぞれが違った形をしていた。そのどれにも、パネルのみたことのない世界の記憶が、映像が詰まっていた。空中に、たくさんの国々のたくさんの映像が映し出された。見たことのない人々、聞いたことのない言葉、触れたことのない空気。それらがめのまえに形をもって、ありありと再生された。でもその映像はほんものではなく、その世界に触れることはできなかった。パネルはその世界を、自分の目で見たくて、たまらなくなった。

 そうして、夜はすぐに更けた。

「今夜はもう遅いから、ここに泊まっていくといい。満足なことはしてあげられないけど。」



 彼等は、ソピロのもとで一夜を明かした。朝、別れの時はすぐにやってきた。

「ありがとう・・・それじゃ、ぼくたち、そろそろ行くよ」

「うん。ボクも久しぶりに誰かと話せてよかった。パネル、キミはきっと『詩人』だ。それから、キミもね。キミはいい目をしてる。」

『そうかい。まあ、だてに千年も生きてないからね。』

「ねえ。そうだ……パネル。これ、持って行くといい。」

 ソピロはどこからか、青い大きな結晶を取り出した。パネルはそれを受け取ってよく見た。その青はどこまでも深く、手のひらの上で複雑に色を変えた。まるでひとつの宇宙のようだった。

「それ、キミへの餞別だ。そいつは特別なリブロで、めったに手に入るもんじゃない。そいつにはいくらでも《詩》を書き込める。キミの旅の最初から最後まで、ぜんぶを記録したとしても埋まらないだろう。まあもっとも、キミがそれを使えるのは、キミが『詩人』であれば、の話だけどね。」

 そう言って微笑むソピロの表情は、パネルが『詩人』であることを確信していた。

「リブロには言葉を、それから記憶を書き込める。想念が最もつよくなった時、リブロはかならず言葉に反応する。リブロは書け、と呼ぶ。その呼ぶ声が聞こえるかどうかが、キミが『詩人』であるかどうかの分かれ目さ。もし、リブロの声が聞こえたのなら、これを使うといい。」

 そうしてあの不思議な小さな機械―スクリビロ―を取り出し、パネルに手渡した。

「ゼンマイを巻いて、この先端の音叉をリブロと打ち合わせる。澄んだいい音がする。すると、記録が開始される。書記者の想念にしたがって、《詩》は自動でリブロに書き込まれる。想念が弱くなれば、記録もそこで止まる。再生するときは、この青いボタンを押すんだ。このてっぺんの幻燈盤から光が出るから、そしたら円盤の上に結晶をのせてごらん。…あとは、きのう見た通りさ。リブロは結晶質だから、永久になくならない。一瞬の記憶を、永遠にできるんだ。もっとも、もとの結晶によっては、もろいものもあるんだけどね。」

「・・・ありがとう。きっと、たくさん《詩》を見つけるよ。」

「キミならきっと、いい《詩》が描けるよ。……そうだそれから、キミたちに、ボクのほんとうの《詩》を、みせてあげるよ。」

 そういうとソピロは得意気な笑みを浮かべた。彼は、どこからか長い金の鉤針を取り出した。それは少年の背丈ほどもある細長い棒で、ちょうど編み物につかう鉤針を、細く巨大にしたような道具だった。

「見ていてごらん。」

 ソピロは微笑んだ。すると彼は、空にむかって金の鉤針を振りはじめた。

「このあたりかな……あ、ここだ!」

 ソピロは、つま先立ちになって、腕を精一杯伸ばしてなにかを引っ掛けようとしていた。

 いっしゅん、空に張られた弦をピン、と弾いたみたいに、なにかがひっかかったみたいな感触で、空気がちょん、とふるえた。

 ソピロがちょん、とやったところを中心にして、無数の小さな鈴が鳴らされるような音が、空じゅうに響いた。同時に、青空から透明な雫が降りそそいだ。鈴の音と雫は、円形の波紋になってどこまでも拡がった。

 青空に、宇宙が広がっていた。

 それは紛れもなく宇宙だった。空にぽっかりと空いた穴に、見たこともない星座や銀河が輝いていた。パネルは、首をながく伸ばして、その宇宙に見入っていた。ソピロは、得意げな顔をして立っていた。手を後ろ手に組んで、まだ鉤針を持っていた。

「これがボクのほんとうの《詩》さ。ぼくの《詩》は宇宙だ。ほんとうの『詩人』とは、めのまえにあるけどみえない宇宙を、誰にでもみえるようにちょん、とひっかけるシゴトなのさ。ぼくには、この鉤針がひとつあればいい。…これはキミにはできないよ。想像を現実の世界に映し出すには、それなりの想像力と、それなりの言葉が必要だからね。」

 パネルは、言葉を失ったままソピロのほんとうの《詩》に見入っていた。ソピロの心地よい声がそれに加わって、パネルはほんとうに宇宙を漂っているかのようだった。

「もし、キミが旅をたくさんして、いくつも《詩》ができたと思ったら…きっとまた此処へ帰ってくるといい。そのときは、キミもほんとうの『詩人』になれるはずさ。」

 パネルは、言葉に詰まった。ふいに、これでソピロとお別れなんだというのが湧いてきて、どうしようもなくかなしくなった。

「・・・ねえ、ソピロ。きみも、きみもさ、ぼくと一緒に来ないかい。ぼくは、きみとならきっと、素晴らしい旅にできると思うんだ。」

「ありがとう。キミがそう言ってくれてうれしい。『詩人』として、キミのようなひとに、そう言ってもらえることは、最大の賞賛だよ。これで、ボクの《詩》は救われたかな。ボクも、キミと旅に行ってみたい。・・・でも、いいんだ。」

 そうしてソピロは微笑んだ。その微笑みはあまりにもさびしかった。もう二度と会えないような気さえした。パネルは、それでも、彼を説得できる言葉をもたなかった。彼のその澄んだ深い眼差しに、なにも言うことができなかった。ソピロは、じゃあ、そろそろだね、と言った。そして、

「ここから行くといい」

 ソピロは、国境の壁に向かってさっきの鈎針をちょん、とやった。すると空間がピン、と音を立てて歪んだ。壁にはもう、ぽっかり出口があいていた。壁の向こうに、砂漠が見えた。空は広かった。

「ぼくはほんとうの『詩人』だからね。ほんとうの『詩人』の言葉は、なんだって創造できるんだ。・・・ボクは、もうたくさんの言葉を知りすぎた。ボクの思うものならば、なんだって目の前に作れるようになった。だから、パネル、キミといっしょにいられるのは嬉しいけれど・・・でも」

「そうか、きみにはもう旅は必要ないのかもしれないね。」

「・・・そういうことさ。」

 ソピロはまた微笑んだ。

「外の世界には、キミの知らないものがたくさんある。たくさんの言葉が、物語がある。キミはキミのあこがれを道しるべに、いろんなものを見てくるといい。キミなら、きっとほんとうの『詩人』になれる。そのお腹の空いた顔を見て、ボクは確信した。地平線の彼方からやってくるものを、じいっと焦がれた顔で期待している。そんな顔をしてるのは、だいたい『詩人』さ。」

 パネルは、はじめて千年猫と出会った夜のことを思い出した。千年猫も、パネルに同じようなことを言ったんだった。

 そうして彼等は、少年の国に別れを告げた。

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