第1話 パネル少年に就いて
かれ──千年猫が少年と出会ったのは、少し寂しいかわいた夜だった。かれは少年の国のはずれにある、坂と石畳の街を歩いていた。白壁の家々に囲まれた細い坂道を、かれは歩いていた。壁には松明が提げられて、その明かりは三日月いろのかれの目のなかでうるうると揺れた。
少年は、そのとき星を見上げていた。かれは教会で行われる夜の集会を抜けだして、入り口の小さな石階段に腰かけ、頬杖をついていた。少年の瞳には星がまたたいていた。物憂げな横顔を、教会の窓から漏れるひかりが照らした。かれのため息は、遠くから聞こえる少年たちの歌声のなかに溶けていった。
千年猫は、道のむこうでゆれる灯の中に、少年の姿を見つけた。猫はどうしてか、その少年の横顔から目が離せなくなった。
お腹のすいた顔──
猫が少年の横顔に抱いた最初の印象は、そんなだった。猫は少年の傍へ歩いていった。少年は、〈あした15歳の誕生日を迎える14歳の少年〉の姿をしていた。
「やあ、きみもひとりなのかい。」
少年は猫の背中を撫でた。猫は少年の隣に座って、じっと少年をみつめていた。
『きみは、お腹がすいているね。』
千年猫はかれに念じた。少年は、びっくりしてまん丸な目をしていた。猫は三日月の目でみつめたまま、また思った。
『きみの横顔、きっとお腹をすかせた顔だ。』
「…おまえかい。おまえ、喋れるのかい。」
『喋れやしないさ。だってぼくは猫だからね。けど、ずっと生きてるうちに、きみたちの言葉は覚えたよ。…ぼくは思いを念じているだけさ。』
「ずっと?」
『そうさ。ぼくは、千年生きた。たぶん、これからもずっと。』
「千年…!じゃあ、千年生きたから、千年猫だね。」
『みんなその名でぼくを呼ぶよ。まったく、人間てのはいつの時代も変わらないもんだね。』
「…ぼくはパネル。まあ、見てのとおり、ひとりさ。」
『きみもじゃあぼくと同じだね。まあ、気にすることはない。生きていれば、誰だっていつかはひとりになるのさ。…それが少し遅いか、早いかの問題さ。』
「ふふ、おまえ猫のくせにずいぶん分かってるんだね。」
『まあ千年も生きてるからね。』
それが、千年猫がパネルに言った最初の箴言だった。少年はそれを聞くと、傍らから一冊のノートを取り出した。古い革の表紙をめくって、少年はなかに挟まっていたペンを取った。そして、最初の箴言を書き留めた。
「“生きていれば誰だってひとりになる”と…。その言葉、もらったよ。」
『そのなかに、いろいろ書いているのかい。』
「そうさ、でもぼくだけの秘密。…今はね。」
『そんなの集めてどうするんだい。』
「旅に出るのさ。」
『どこへ。』
「外の世界さ。ぼくはこの国の外へ行って、いろんな言葉を手に入れたい。」
『へえ、そうかい。でも、きみたちのルールでは、外へは出ちゃいけないんじゃなかったかい。』
「それは老少年たちが勝手にきめたルールさ。“外の世界は穢れている。強さが支配するおそろしい砂漠なんだ”って。ぼくたち少年は弱さと繊細さのいきものだから、強さの世界では生きていけない。だから外へは出るなっていうのさ。…けど、ぼくは、旅に出たい。外の世界を見たい。もっとたくさんのことを知りたい。」
『そうかい。それは結構なことだねえ。』
「そうだ。きみも一緒に行こう。千年もここにいたんじゃ、つまらないだろう。」
『外の世界も似たようなものさ。きっとここみたいに人間がいて、それぞれが自分のつくったルールで自分を縛って生きている。』
「行ってみなきゃ、わからないじゃないか。」
『まあ、いいさ。どうせぼくもひとりだし、付き合ってあげるよ。…それに、きみのそのお腹をすかせた顔、気に入った。なんだってきみがそんな寂しそうで、地平線の向こうからやってくるものをずっと待っているみたいな目をしているのか、知ってみたくなった。』
「その“お腹がすいている”っての、ほんとにぼくのことかい。」
『ほかに誰がここにいるんだよ。』
こうして、千年猫とパネルは出会った。そして、旅に出ることにした。
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