似たもの親子

三砂理子@短編書き

似たもの親子

ぱちりと目を覚ますと、人工的な明かりが目に飛び込んできた。反射的に目を閉じようとして、光が痛くない、ということに気づく。次に気づいたのは、自分が今何か台のようなものに寝かされている、ということだった。背に硬い感触があった。

「おお、起きたか! おはよう、ようこそ!」

頭上から声が落ちてくる。男の声だった。聞き覚えのないその声に、何故か懐かしさを感じる。

そうしてふと、自分という存在について、そして、落とされた声について思う。

(私は、だあれ? 貴方はだあれ?)

ぱちぱちと瞬きを繰り返す。目が痛くなったわけではなかった。疑問が浮かんだという、それを表す動作だった。

「おお、すまんすまん。眩しかっただろう。感動してついぼーっとしてしまう、俺の悪い癖だ。身体を起こしてくれて構わんよ」

視界に腕が映り、目の前にあった明かりを消した。部屋の照明は他にあるようで、部屋が真っ暗になることはなかった。眩しさのせいで瞬きをしたわけではなかったけれど、それを伝える必要はないと判断して無言のまま起き上がる。

「おはよう、どこか異常はないかな?」

「異常ないわ、博士」

無意識でそう答えて、それから思考が追い付き理解する。

(そうだ、彼が私をつくった博士なんだわ)

後ろを向けば白衣の男が立っていた。乱雑に跳ねた、脱色したような金の短髪は、中でも前髪が異様に短い。年齢不詳の顔立ちに、赤のカラーグラスをかけた目は鋭い三白眼。白衣の中にはよれたグレーのタートルネックと黒のジーパンを着ている。

「そうか、よかったよかった。ああ、そうだそうだ。一応自己紹介しておこうか。初めまして、アリア。今日が君の誕生日だ。おめでとう。俺は君の創造主たる男、少し人の道を外れた、しがない研究者さ。名前は……ああ、ああ、忘れてしまったな。もう長いこと呼ばれていなかったから。だから、さっきそう呼んだように、博士と。そう呼んでくれて構わない」

博士が視線を上から下に動かす。

「ああ、ああ、完璧だ。特にこの、球体関節がいい」

博士がそう満足げに頷くから、私も視線を自らに向けた。自身の手足の球体関節をまじまじと見た後、自分が一糸纏わぬ姿だと気づいて、私はぎゅっと身体をこわばらせ悲鳴を上げた。

「博士の馬鹿ーー!!!」


私は生まれたその日から、まるでメイドロボットのように博士の身の回りのお世話をするようになった。私は毎朝自分の姿を鏡で見る度、それはとても滑稽なことのように思えた。

褐色というには黒過ぎる土色の肌は、その色に塗装されたわけではなかった。むしろ塗装しなかった結果そうなった、という方が正しい。私のこの身体は、皮膚や球体関節だけでなく眼球や髪の毛の一本一本細部に至るまで土でできているのだと、博士はそう教えてくれた。粘土ですらない、そこら辺にある土壌や泥で。

どういう技術が私をつくり、そして命を吹き込んだのか。それは私には分からない。ただ、博士が私に与えてくれたのは、命令に従うだけの安易な人工知能ではないということは、私が一番良く分かっている。

ブロンド髪と赤い瞳に対して、何故肌の色はそのままなのかと問えば、「面倒になった」と投げやりな答え。博士は誰よりも天才的な科学者なのに、それでいて誰よりも出不精なのだった。そしてその怠け癖のせいで、私は毎朝土色の姿を見る度、そして泥の手で家中を掃除する度に卑屈な気持ちになるのだった。


「あなた、汚らしい色をしているのね」

「そうね」

空き部屋の掃除をしていたら、刺のある笑みと共に妹が声をかけてきた。妹、というのは形式的なものだ。博士がつくった姉妹ドール。私が先につくられたから、姉。けれど身体的な特徴としては彼女の方が大人である。私は十に満たない程度の少女の身体を参考に、彼女は大人のそれを参考につくられた。

「みすぼらしい身体。ガラクタみたい」

「そうね」

心無い言葉を返しながら、掃除を続ける。

彼女は私にそう言えるだけの優位性がある。彼女は私と違って土色の肌をしていないし、球体関節もない。透き通るように綺麗な白い肌は人間のそれと寸分違わない。

本当のことを言われているだけなのだから、それに対してむきになって何かを言う必要はないと思った。

それに、優位性があるからといって、私が彼女を羨むか否かはまた別の話だ。私は、彼女の白い肌やグラマラスな身体を羨む気持ちは多少あっても、黒ずんだ肌の色にコンプレックスを持っていても、自分に球体関節がついていることを疎ましいと思ったことはないのだった。むしろそれがついていることを誇示するように、いつもノースリーブの白いシャツに短い黒のキュロットスカートを履いて、関節がむき出しになるようにしている。

しかし彼女は私のその態度が気に障ったらしく、私に聞こえるように舌打ちをした。背後にいるので表情は見えなかったが、おそらくしかめ面なんだろう。

「ああ、ああ。こんなところにいたのか、愛しい子」

不穏な空気を割るようにして部屋の扉が開き、博士が入ってきた。うっとりとした声色と瞳と共に妹を抱きしめる。博士は最近、自身がつくった彼女にとても熱を上げているのだった。彼女も私に向けていた刺を即座に隠し博士を抱き返す。

「マスター、私を探してくれていたのですか?」

「そうだ、君を探してたんだよ」

「うふふ、嬉しいですわ」

抱き合いながら言葉を交わし、そしてそのまま二人だけの世界に入ってしまうと、寄り添いながらどこか別の部屋へ行ってしまった。扉を閉める直前、妹は最後に私に何か言葉を投げかけたが、意識を二人から逸らしていた私はそれを聞きこぼしてしまった。


夕刻、博士の研究室に入ろうとすると扉が勝手に開いてとっさに身を引いた。ここひと月の間に数度、博士に会いに来ていた中年の男性が出てくる。

「では、どうぞよろしくお願いします」

「ええ、、またご連絡しますよ」

扉の向こうから博士の声がする。お辞儀をして振り向いた男性と目が合ったのでぺこりと頭を下げると、男性はにっこりと微笑んで去っていった。

「おお、アリア。ちょうどいい、何か飲み物を持ってきてくれ。まったく人間の相手をすると胃がむかついて気分が悪くなる」

扉から首だけを出して男性が遠くに行ったのを確認すると、博士は脱力しながらそう言った。

「一年以上も誰とも接触がなければそうなるのも仕方ないでしょう。紅茶でいい?」

「いや、もっとジャンクなものがいい。コーラとかないのか。それに誰とも接触してないわけじゃない。アリア、お前がいるだろう」

「私は人間じゃないわ」

研究室の奥にある炊事場に向かいながら、人間嫌いの博士に声を投げる。

博士は基本的に、外部の人間を家に上げることを嫌う。今日来ていた男性以外の人間が家にいたのを私は見たことがない。彼の男性は仕事だから仕方ないのだと、博士が前にぶつぶつと不満を漏らしていた。

「お前は人間じゃないからいいんだろう」

「あの子は?」

(人間のように美しいあの子にも、博士はそう言うの?)

こぼした問いは博士の元には届かなかったようで、返答はなかった。好都合だと思って、冷蔵庫からコーラを取って部屋に戻る。

博士はコンピュータのディスプレイに顔を極限まで近付けて、恨みをぶつけるようにキーボードを叩きつけていた。

「博士。視力が落ちるわよ」

「どうせもうほとんど何も見えてない」

「じゃあ眼鏡をかけたら?」

博士のつけているカラーグラスに度は入っていない。

「眼鏡は嫌いだ」

「カラーグラスはかけてるじゃない」

「グラスと眼鏡は別物だ」

私には理解できないわ、と会話を放棄してコンピュータとコード類で荒れている机を少し片付けてそこにコーラを置いた。

「アリア、お前俺につくられたくせに俺の思考が理解できないのか」

「できるわけないでしょう、博士の考えることなんて」

「それはアリアが理解しようとしないからだろう。俺の思考回路は至極単純だぞ」

「何言ってるの。博士の思考回路は怪奇すぎて常人の理解できるものじゃないわ」

天才であるということは、頭がおかしいことなのだと私は思っている。たとえば、博士がつくるものはどれも一般には実現不可能と呼ばれるような、奇跡と呼んで何ら遜色ないものだけれど、それをつくることの意味については常人の理解を得られることはまずない。けれど博士は理解されないことを気にしていないし、人間嫌いであることも相まってこうして人里離れた地で引きこもりをしているので、博士の頭が少しおかしくても何ら不都合はないのだった。

博士は横に置かれたコーラをがぶがぶと一気飲みすると再びディスプレイに額をつけるように見つめて何事かを打ち込み始めた。こうなると博士は研究に集中して周りが全く見えなくなってしまうので、私はその散らかった部屋を掃除し始めた。


「博士!! いい加減にしなさいーー!!」

研究室の扉を勢いよく開けて中に入る。日が落ちかけている時間に、電気のついていない部屋で博士はディスプレイと睨めっこをしていた。

半月ぶりに見る博士の姿はひどい有様だった。髪は手入れされていないのが一目で分かるほどにボサボサで根元は地毛の黒が数センチ伸びており、髭も伸び放題、目の下には真っ黒な隈ができている。風呂どころか着替えすらろくにしていないようで、服はくたびれきっている。そして博士のいる机の周囲には空のペットボトルや簡易食料の包装が散乱していた。

そのくせ、博士自身はそんなみすぼらしい状況をまったく気にもせず、半月前と変わらずキーボードを叩きつけていた。もう一度、「博士!!」と怒鳴る。

「ん? ……ああ、アリア。どうしたんだ、そんな怖い顔をして」

博士はあたかも今気付きましたという風なきょとん顔でこちらを見た。

「研究室から出てこなくなってもう二週間以上経つのよ。研究に熱中するのはいいけど一週間を過ぎたら最低限お風呂に入ってと言ってるでしょう。部屋もこんなに散らかして、掃除するのは私なのに」

「あー悪かった悪かった、次から気をつけるから、すまん、すまん」

その発言は前にも何度となく聞いた、というのは思ったけど言わなかった。博士の病的なほどの研究好きは今に始まったことではない。一度没頭すると、文字通り寝る間も惜しんで研究し続ける。その邪魔はあまりしたくないので、そうなったらしばらくは研究室には立ち入らないようにしているのだけれど、半月もこもりきりでいるのは毎回のことながら心配になる。

「……あれ? 博士、グラスは?」

思考が冷静になると、博士がカラーグラスをかけていないことに気付く。怒りの中で、他の惨状に意識が集中していたようだった。

グラスをかけていない博士を見るのはこれが初めてだった。茶色の瞳は金の髪に馴染んでいない。

「仮眠するのにグラスを外し忘れたら、割れた」

そう言って博士が差し出してきたのは、左右のレンズが割れたカラーグラスだった。

「直らないの?」

博士の技術力なら、度の入っていない割れたレンズを修復するくらい半日もかからないだろう。

「そんな暇なかった。速達で買っておいてくれ」

「なくても困らないんじゃない?」

「困るから、駄目だ」

どう困るの、と問えば博士は

「ああ、いや。うん。うん、困るんだ」

と珍しく言葉を濁した。

「じゃあ、これと同じやつを頼んでおくわ。部屋の掃除をするから、博士はお風呂入って髭剃ってきて」

「はいはい」

荒みきった博士を風呂場に追いやる。

「博士、替えの服ここに置いておくからね」

着替えを脱衣所に持っていくと、浴室からシャワー音に紛れて 「おー」と間の抜けた声が返ってきた。


「ふぁー、いい湯だった」

半月分のゴミを捨てて掃除をしていたところに博士が風呂場から戻ってきた。髪は黒かった根元が金に染め直され、髭は全て剃られ、引きこもりの面影は目元の隈だけになっている。

見間違えるほど清潔になった博士に、けれど私の視線はその喉元に注がれていた。

「博士、寝る?」

「寝る。あー、三日後に彼女にここに来るよう言っておいてくれ」

言うが早いか、博士はソファに横になると寝てしまった。

博士が彼女と形容したのは件の妹のことだった。彼女には名前がないが、この家にはマスターと私達姉妹だけしかいないので呼称に困ることはない。

「博士ー、寝た?」

しばらくして博士に声をかけると、半月分の睡眠不足のせいか、博士は静かに寝息を立てたまま反応を返さなかった。おそらく三日後に彼女を連れて起こしにくるまで目を覚まさないだろう。掃除の手を止め、そっと博士に近づく。

「はーかーせー」

はーかーせ、と繰り返し呟きながら、寝ている博士の首から上をまじまじと眺める。ポニーテールが無意識に揺れた。

私は、博士の喉仏が好きなのだった。博士は普段タートルネックを着ていてあまり見ることができないけれど、こうしてたまに見える博士のごつごつと出張った喉仏に私はフェティシズムを感じて、ありもしない心臓が高鳴る音がするのだった。

このフェティシズムのことを、私は博士に話していない。心音の幻聴は何か不具合を起こしているのかもしれないけれど、それはまるで人間のようで、構わないと思うのだった。


研究室の扉に手をかけたところで、中から声が聞こえて反射的に扉から離れる。それとほとんど同じタイミングで扉が開いて、出てきた男性にデジャヴを感じた。相手方も私のことを覚えていたようで、見覚えのある微笑みを向けてきた。

記憶にある場面と違うのは、彼の後にもう一人が出てきたことだった。

「では、博士、この度はありがとうございました。大切に可愛がらせていただきますよ」

「いえいえ、こちらこそ。また何かの縁があれば、どうぞよろしくお願いします」

「ええ、是非。さあ行こうか。君も彼に挨拶していきたまえ」

「はい、マスター。博士、今までありがとうございました」

そう短く述べて男性に寄り添うのは私の姉妹ドールである彼女だった。男性は去り際に再び私に笑いかけ、彼女は私に見向きもせずに幸せそうに男性の腕に絡みついていた。私はお辞儀をすることも忘れて立ち去る二人の背中を見つめていた。

「どうしたんだアリア、入らないのか?」

扉の前で立ち尽くしていた私に博士が手招きをしてきて、それでようやく私は研究室の中へ入った。

「さっきの二人は、どういうことなの?」

「うん? ああ、彼女は彼に売ったよ。もう飽きたしね。だからもう隣の部屋は片付けてくれて構わないよ」

売った? と小首を傾げると、博士は人差し指を立ててにやりと笑った。

「一億。これでまた数年は人間と会わなくて済む」

「一億は数年で使い切るような金額じゃないでしょう。どれだけ無駄遣いするつもりなの」

博士は外に買い物に行くようなことは絶対にしない。全てネット通販に頼りきりだし、そのネット通販だって、自分で宅配を受け取ることは絶対にしない。全部私にやらせるのだ。

「研究費、研究費だって」

博士はそう言ってへらへらと笑った。そうやって軽口を言い合いながら、けれど私は内心不安でいっぱいだった。脳内アラートが鳴り響く、そんな幻聴が聞こえる。

「博士は、私のこともそうやって売るの?」

平静を装って聞いたつもりだったのに、その声は隠しようのないくらいに震えていた。その滑稽さに、顔をうつむかせる。

「うん? なんで俺がアリアを売ることになるんだ?」

「だって、飽きたら、売るんでしょう?」

だって彼女は、あんなにも博士に愛されていたのに。それなのに売られてしまったのだ。私もいつ売られてもおかしくないんじゃないかと、沈んだ声でそう言えば、博士は私の手を取り再びへらへらと笑った。

「自分で言うのもなんだがな。アリア、お前の球体関節はとても素晴らしい出来だ。お前は完璧な、俺の理想の人形なんだよ」

私の球体関節をじんわりと撫でながら、人間嫌いの博士は言う。

「あれは人間の女みたいなものだ。事実、人間と差のないようにつくったしな。女には飽きるがね、お前のこの球体関節には飽きることがない」

顔を上げると、博士の金の髪と赤いグラスが目に入った。買い直したばかりの赤いカラーグラス。その奥の瞳に私が映っている。ブロンドに赤い瞳。まるで博士と同じ色合いだと、気づく。

「じゃあ、球体関節以外は?」

「球体関節以外? うーん、そうだな、まあまあだな。その肌の色は、人間らしくなくて嫌いじゃない」

「そっかあ」

その言葉に、思わず笑みが漏れる。コンプレックスだった土色の肌さえも誇らしいと思うような、そんな気持ちになった。

今日は博士はタートルネックを着ていて喉元が見えない。だというのに、ばくばくとフェティシズムの音が聞こえるのがおかしかった。もしかしたら、博士の心音が聞こえているのかもしれない。私は女で、人形で。博士は男で、人間で。どこまで行っても違う存在なのに、どこか似ているから。髪の色とか、目の色とか。だから、今私の耳に聞こえるフェティシズムの音は、博士の私の球体関節に対する音なのかもしれないと、そんなことを思った。

「ねえ博士。私もね、」

博士の喉仏が好きなのよ。そう告白しようとして、けれど思い直して口をつぐむ。博士はきょとんとした顔になって私の言葉の続きを待っていたけれど、私は飛ぶようにして博士の首元に抱きついて、それをはぐらかした。


End.








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

似たもの親子 三砂理子@短編書き @misago65

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ