第9話 九月 大学と思い出 下
再び、車に揺られること数分の後、今度は厳めしいながらも見覚えのある門構えをくぐっていた。
「って、ここは。」
「そうだよ~、じろちゃんの志望校~」
「それで、お前の大学だろ」
俺はこの大学を二回受けに来たのだ、知らないわけがない。
そして、隣にいる詩織はこの大学の現在二回生、つまりは俺の将来の先輩なわけだ。
それにしてもこいつが、先輩か……なんか複雑だ。
車を降りて、勝手知ったる詩織が慣れた様子で守衛に挨拶するのを見ながら、後を追っていると案内されたのは大きな食堂だった。
「ほー、広いな」
「でしょ~」
「人もいないな」
「でしょ~」
大学の食堂は高校時代のものとは、やはり大きさが違う。
生徒の数の違いに比例しているのも、あるが広いキャンパスには生徒以外の人間も利用するため必然的に食堂も広くなる。
ちなみにだが大学の単一敷地で最も広いのは「試される大地」でお馴染みの北海道大学。
その広さは6億平方メートルを超えるとも言われ、敷地内には専用のバスが走ったり、校舎間を自転車で移動したり、冬場に迷ったらガチで遭難するレベルだという。行ったことないが。
付け加えるなら日本国内の全体の敷地面積でいうと、もちろん東京大学だ。
天下の東大様は全国になんと53もの関連施設を保有し全て合わせセ約3万ヘクタールあるという。
うん、単位が変わったからどれくらい広いのか分からないね。
まあ、要はすごく広いのだ。行ったことは無いが。
そんな広い敷地を持つためか、人が少ないと余計に広く見える。
と公園のような校内を歩きながら、建物が集まる校舎郡に赴くと一棟だけ小洒落たものが見えてくる。
それが食堂だ。
今日は日曜だからか、広い食堂には点々としか人の集まりが見えない。
「まあ、多いよりはいいな」
「うん、広々だよね~」
壁に貼られたメニューを後目に、そんな感想を述べていると、詩織が俺の視線を遮った。
その顔はなぜか、得意げだ。
「なんだよ」
「ふふん、今日は私の驕りだよ~」
「はっ。施しは受けねえよ」
浪人を憐れむな、自分の食い扶持くらいは満足させられる。
それに大学生に奢られるなんて、世間が許せても俺は許せない。たとえそれが幼なじみであっても。
これが色々失った俺の最後のプライドだ。
しかし、詩織はそれでも食い下がらなかった。
いつもなら、苦笑いを浮かべながら悲しそうな顔をつつ了承するというのに……
「奢るとは言ったけど、別にお金を使う訳じゃないよ~。ほらこれ」
といって俺に差し向けて来たのは一枚のカードだった。
「何これ?」
「ミールカードだよ、これがあれば一日1000円まで何でも食べられるんだよ~。でも私、そんなに食べないし」
そう言う訳か。
「だから、俺がその余り分を貰って良いってことか」
「そういうこと~」
そもそもそんなシステムがあったことすら知らなかったが、そんな事情があるなら俺もやぶさかでもない。
「だから、助けると思って」
「そうだな、お前が困っているなら……まあ、仕方ないな」
そう言う訳でこれは、施しではない。そう、人助けだ。
ならば、一般的な道徳心を持ち合わせている俺に否定する理由はない。
「うん!お願いじろちゃん」
満面の笑みでお願いをする幼なじみ。
やはり、付き合いが長い分俺の扱いには慣れていた。
向かい合いって久しぶりの二人での昼食。
ちなみにメニューは詩織が『野菜たっぷり海鮮丼』(M)という中身のよく分からない料理。俺が『スタミナ丼』(L)と最近不足がちはビタミンを補給すべく四種の野菜サラダ。
これで占めて986円だから、いい塩梅だ。
それを詩織の大学生活を聞きながら、口に運んでいく。
普段なら、そんな話聞いていれば憤死しそうになるが、あまりに詩織が楽しそうに話すものだからその気もどこかへ失せた。
「それでね……、あっじろちゃんもう食べたの?」
「まあな、お前が話してばっかだったからな」
「も~だったら言ってよ~」
と言ったものの、今まで時間に追われて生きてきたから、いつの間にか食事も早くなっていた。
慌てて海鮮丼を頬張る詩織を見ながら俺はその様子を静かに見ていた。
「なんか、制服の奴もいるが今日はなんかあるのか?」
視界の端に映る恐らく親子連れであろう人の影。
それが妙に気にかかり、俺はそんな質問を投げかけた。
「もご、もごごご、もごお」
「飲み込んでから話しなさい」
大きく、頷いてゴクッと飲み下して詩織は続けた。
「今日、オープンキャンパスだから」
「そうだよな~」
こいつの本命は最初からこれだろう。
「じろちゃん、ここを受験はしてもちゃんと見たことはないよね?」
「うむ」
図星を突かれ思わず偉そうに言ったが、全くの事実だ。
「じろちゃん言ってたでしょ、『敵を倒すなら、まずは敵を知ることから』って。それなのに、説明回とかにもほとんど行かないし」
「ぐぬ」
「私の高校生の時は何回も誘ったのに」
「そうだっけか?」
「そうだよ~、も~」
何だか忘れていたが、俺も浪人する前はこうして普通に詩織と話してはいたが、浪人するとそもそも会うこと自体が減ってその分、会話も
少なくなってしまった。
そのためか、今日はどことなく詩織も嬉しそうだ。
「それで、この後何か予定はあるのか?」
「あるよ~」
「ならさっさと行こうぜ、俺は早く自習がしたい。」
とトレーを持って早々に席を立つ俺達二人。
そこに声を掛けるものが現れた。
「詩織先輩!!」
きゃぴきゃぴとした口調と媚びいるような声音。ほのかに鼻をつくきつめの香水の匂い。それはまるで俺の嫌いな大学生のような様相であり、そして事実大学だった。
「先輩、今日休みじゃないんですか~?」
俺達の後ろに立っていた三人の大学生のうち、一番見た目の派手な女子大生が質問を投げかけた。そう言えば、花火大会で詩織と一緒に居たのもこんなのだったか。
「そうだったんだけどね~、ちょっと用事があってね~」
「へ~、そうだったんですか~。それより聞いてくださいよ~」
詩織の真似なのか、はたまたもともとそういう口調なのかは知らないが、変に語尾を伸ばす大学生A(仮)。
しかし、詩織のと比べるとやはり聞くに堪えない。
口調には性格のようなものが出るのか、どうも演じているようにしか聞こえてこない。
真ののんびり口調をマスターしてる詩織のほっこりのんびり口調とは雲泥の差が見受けられる。
やはり本物は格が違うな。
「それで、ですね~……」
まだまだ会話は続きそうなので俺はとりあえず詩織から距離を置いた。
詩織がそれを横目で見送るも俺は気にせず一歩引いた。
どっちみち俺はこの大学では部外者だ。
詩織には詩織の世界があるし、俺には俺の世界がある。
それでいいはず。
腕を組み、あまり目を向けずに話が終わるのを待っていると誰かの視線を感じ、顔を上げた。
三人いた中の一人、茶髪の大学生が俺の顔をじっと凝視していた。
(なんだ、こいつ……)
大学生と言うだけでも腹立たしいのに、あろうことか俺に眼垂れるとは完全に喧嘩腰だ。
だから俺も負けじと軽く睨みつける。
「……」
「……」
どれくらいそうしていたか。
「じろちゃ~ん、行くよ~。」
詩織のそんな声にようやく正気に戻り、俺はその男から目を離した。
「ああ」
そのまま、俺達は食堂から出てようやく一息ついた。
「だれだ?」
「同じサークルの後輩だよ~」
「サークル? お前、そんなのしてたの?」
「し~てたよ~」
今更の質問にぷんすかする詩織を宥める。
「そうか、そうか。それは良かったなー、でなんのサークルなんだ?」
「ん~、テニ……」
「止めろ、今すぐ」
「えっ、なんで~?」
「なんででも」
古今東西、テニサーという団体にロクなものはない。
もちろん入部したことなどないが、なにより俺のゴーストがそう囁いている。
あそこはやばいと……
「でもみんないい子だよ~、
「峰君……」
「ほら、さっきいた男の子」
「ああ、奴か」
「峰君もじろちゃんと同じで浪人で私たちと同い年だよ~、だから話もしやすいんだ~」
ほう、奴も浪人か。
しかし、どうも仲良くなれそうにない。
なぜなら大学生だからだ、以上。
「それにしても、お前が先輩かー。時代も変わったな」
「別に高校の時も後輩はいたよ~」
「そうだっけ?」
「そうだよ~」
とは口で言いつつも、内心では結構にキテいる。
思えば詩織とは学年的に俺の二つ上だから、こうなることは普通に想像ついていたのだがやはり目の当たりにすると胸に迫るものがある。
事実、詩織が後輩と話しているときに俺は居場所なかったわけだし。
浪人生にとってはこういった年齢ギャップがなによりもしんどい。
年齢と学年が一致しない当たり前だが、当たり前だからこそ深く意識してしまうことだってある。
考えるだけ無駄なはずなのに……
「ついたよ~」
詩織の無駄に間延びした声に、頭を戻され俺達は足を止めた。
「どこだ? ここは」
立ち止まった場所は校舎の中のさらに奥の広めの講義室だった。
中を見渡せば制服姿の男女に 休日モードの中年のおっさんなど何だか良く分からない顔ぶれだ。
とりあえず俺達二人は教室内の真ん中あったりの席に腰を下ろして待っていると前のドアが開いてがまたおっさんが入ってくる。
そして開口一番にこう言った。
「私は文系が嫌いだ」
のっけから強烈な一撃を繰り出すそのおっさんの一言に瞠目しながらも俺はそのおっさんの話に聞き入る。
「もう一度言っておく、私は文系が嫌いだ。
理由は公私合わせればとても両の腕では足りないのだが、一番を上げろといわれればやはりその粗慢さであるといえる」
と教壇の上のおっさん、もといおそらく教授であろう方は滔々と話を続ける。
「あの文系という生物は基本的に自ら行動を起こすという事をしない。まるで無法者の如く、怠惰で放漫な生活を送りその駄欲を満たそうとする。
さらに酷いのは、あれらがただ自堕落であり続けるのではなく我々、理系の人間の功罪までも奪い去るという暴挙に出ることだ」
言い分はかなりひどいものだが、なぜが妙に親近感を覚える。
何故だろう……
「我々が汗水流して得た研究成果をまるで我が物のように振りかざしそして、産みの親である我々よりも利益を不当に得る。
しかも愚かなことにそれを当たり前のことだと長年誤想し、たまに論文を出したかと思えば『正義』だの『神』だの取るに足らないものばかり……」
そんな調子で目の前のおっさんは生き生きと語り続ける。
その姿はどこか輝いても見えた。
気がつけば一時間が経過し最終的に「リア充爆発しろ」という趣旨の締めくくりでようやくスピーチは終わった。
なんだったんだ……これは。
「うちの学部の先生。しかも主任教授だよ」
まじかよ、この大学終わってんな。
「ほら、じろちゃんうちの大学第一志望でしょ。だったらうちの先生も知ってもらった方が良いかな~って」
「でも、お前機械学部だろ?建築志望の俺には関係ないんじゃ……」
「う~~、もう!」
俺が言いかけたところで、詩織は何故か頬を膨らませそっぽを向いた。
なんだ、こいつは?
最近、俺の幼なじみの様子がおかしいのだが……もしかしてさっきの教授のせいだろうか。
「違うよ、森田先生はホントはまじめな先生だよ」
さらにプンスカと熱を上げる詩織を宥めつつ、俺達は次の場所へと移動した。
その後に案内された場所は二階の教室が並ぶ、その一角に位置にするフリースペースのような場所だ。
「んで、ここは?」
「ここは私の入ってるサークル?っていうより学校活動クラブの会議室かな」
「テニス以外にもしていたのか。
「どっちかと言うとこっちの方が本気だよ~」
「それは安心だ、にしても会議室にしては随分殺風景だな」
文字通り、フリースペースのここには椅子や大きな円形の机はいくつも並んでいるもののホワイボードとやパソコンといった機器の類は見当たらず、また、無意味に広いことなどからおよそのような感じはしない。
「流石にプリンターとかは学科事務室に貸してもらっているけどね。大半はここで過ごしているかな」
「ほ~、それで何してんだ?」
「簡単に言うなら、私達で独自の発電機を作ってそれを学校とか大きめの公共施設に販売するっていう活動かな?」
「販売って、お前商売してるのか?」
「商売ってほどでもないよ。売っているのはあくまで市が管轄している所だから
お金のやりとりは私達とは別の所で管理されているし、実際に私達には一円も入ってこないし、あくまで授業の一環だよ。」
なるほど、つまりは模擬企業経営みたいなものか。
研究、開発、販売、管理、までの一連の流れを自分たちで行って経営のノウハウを学ぶ的な奴か。
なにそれ、意識高すぎぃ……
といっても、なんだかんで詩織らしい活動にも思える。
思い返せば、詩織は昔から生徒会やら子供会やらの長といったあまり益のないことを進んでやっていたような気がする。
これもその延長なのだろうか……
「にしても、よくそんなこと始めようと思ったな」
何の気なしの言葉だったのだが、詩織はその場で足を止め静かに語りだした。
「最初はそんな気はなかったよ。ただ入学してからの学内案内であの先生の話を聞いてなんかいいなぁ~って思って」
あの教授の何が良いのだろうか……
「なんかじろちゃんに似ているし」
「微妙に嬉しくない理由だな」
「えへへ~。でも割とこういう活動はどこにでもあるものだよ~」
「そうか?あんまり見ないが」
「有名じゃないからね~、ここの活動も学部のホームページにはあるけど大学全体の活動記録にはないからね~」
大学が大きくなればなるほどこういう個々の活動の紹介は目立たなくなるらしい。
「だって、うちの大学サークルも部活も多いし、全国大会に行くような所もあるから」
なるほど、広告するには宣伝するネタにも困ってもいないわけか。
「もうちょっとメジャーな奴にしても良かったんじゃねえの? そっちの方が目立つだろうし」
特に考えも他意も言ったセリフなわけだが、思わぬところから反響があった。
「おお、明見君じゃないか」
「あっ先生、やっぱりいた」
詩織が手を振るその先に居たのは、先ほどまで階下の教室の壇上でご高説を垂れていた教授だ。
「とすると、君の隣に居るのが噂の次郎くんというわけか。」
突然、見ず知らずのおっさんにファーストネームで呼ばれ何とも不快な気持ちになりつつ俺は渋面で頷く。
「やはりか、どおりで良い目をしていると思った」
ほほう、これは中々の慧眼の持ち主とお見受けする。
確かに俺のこの澄んだ瞳は、生まれたての仔馬のように光り輝いており、幼少の頃はその瞳見たさに家の周りには常に人だかりが出来ていたと専らの噂だったという。
浪人してもなお、その輝きが消えていなかったとは……俺も何とも罪造りな男だ。
「嫉妬と軽蔑をここまで剥き出しに出来ると人間を久しぶりに見た気がする」
「そうなんですよ、じろちゃんホントにやんちゃで私もよく困っています」
なんで、お前は俺の保護者面なんだよ。
そして、やっぱりそっち方向かよ。
別に期待してはなかったけど、わざわざ遠回しでけなすこともないと思います、はい。
「それで、俺は何でここに来たんだ?」
小声で隣の詩織に問いかけると、さも当然の様に答える。
「それは、もうじろちゃんに先生は会わせるためだよ」
「先生って……」
「そう言えば、自己紹介が遅れたかな。機械システム工学科主任の室町だ」
「あっ、どうも……」
といって互いに握手を交わし、親交のようなものを深める。
見た目としてはただの気の良さそうなやせ形のおっさんだが、なんかこう色々と元気だ。
握力とか普通に強いし。
大学の教授と言えば、もっと無口で大人しい感じか、高給取りのエリートというイメージしかなかっただけに目の前のおっさん、もとい主任教授はの印象はなんともアレだ……、一周回ってなんだか人間味を感じる。
「ところで明美君に君を、紹介されたのだがどこかで研究でもしているのかな?」
「……」
沈黙だけがその場を支配した。
そして、俺のメンタルがイイ感じにすり減った。
最近はなれたが、浪人の身だと履歴書とか自己紹介をするときに普通に困る。
女子はなんでも最後に「女子」とつければそれで上手くまとまると聞くが「浪人系男子」とか「草食系男子」より立場がなさそう。
最早だたのニートの方がマシだ。
ちなみに個人的には「浪人女子」はありだと思います。お洒落にガサツな所とか、擦り切れた感じとか微妙に萌えるし。
と若干現実逃避をしながら精神状態の安定を図りつつ、あってないようなプライドをかなぐり捨て素直に挨拶した。
「えっと、大学にはまだ入ってなくて来年ここを受けるつもりです」
「なるほど、浪人生か」
といつもの同情的な反応を喰らうのかと思いきや、
「全く懐かしいものだな。あの頃はよく試験の金で雀荘に行ったり、入試の前日に地元の友人達としこたま飲んで試験に遅刻したりもしたな」
相手も浪人だという話に微妙に共感を抱いてしまう。
ただもう少しまともだったら尊敬までしていたかもしれない。
「おっと、昔話が過ぎたか。それで君は何か私に用件でもあるのかね?」
ん?俺は特にそんなものはないのだが。
詩織の方をちらりと見ると、うんうんと笑顔で頷くばかり。
これはもう、今更「なにもない」とお茶を濁すのも難しいそうだ。
取りあえずの取っ掛かりとして、先ほどの講演から切り込むことにした。
「えっとさっきのあの講演は……」
「やはりその話が気にいったか!広報担当からうちの大学の広告に模擬講義を開いて欲しいというから、奇をてらってみたら。ほれ見ろ、あの事務の石頭共。やはりこっちの方の受けがいいじゃないか」
何やらブツブツと愚痴を垂れながら、今度はこちらに顔を向ける。
「それで、あの話の何を詳しく聞きたい?」
「いえ、詳しくとかというより……」
趣旨が分からないとは言えない。
「文系の話かね。あれは我ながら傑作だと思っていたのだが、君はどう思う?」
「どう、思うって……」
「いや、答えづらい質問だったかすまない、すまない。
言い訳をするわけでないが、私も流石に本心で言っているわけではないよ」
そこで教授は一息つく。
「何分、最近中退したり、休学する学生が多いもんでね。その理由も大半が学力不振ときたものだ。なんでも自分の思っていた修学内容とは違うとかでね……
もっと事前に色々と調べて欲しいとも思ったのだが、何分そもそも大学の講義を受ける機会がないと来た。そんな時に私の元に体験講義の話が来たわけだ」
「だから、あんな内容に?」
詩織のささやかな疑問に教授は頷く。
「そもそも私の主な講義課程は三期生と四期生が対象だ。残念ながら現役の高校生にする内容ではない。ただ、多少なりともこの大学の気風を知ってもらおうと思ったのが……」
「それで、あの講演を」
「そういうわけだ。理工学というのは、そのイメージだけで嫌厭されがちだがことにこの国ではその役目は多大なものだ。だというのに、今や理工系志望者の数は文系学部の半分を割り込んでいる。だから、少しでも気を引こうとな。事務と文系の連中には内緒だがな」
にんまりと笑うその顔には、どこか子供のような無邪気さが滲み出ていた。
それが、今の俺には少しまぶしく見えた。
先ほどの会話を皮切りに俺はこの大学の話を聞くことになった。
元々俺の志望学部は建築学だ。
別段、建築に興味があるわけでも、精通しているわけでもないが
単純に何をやっているのかハッキリしているという点でこの学部を選んでいた。
それ以上の理由はない。
元来大学の学部なんて具体的に何をしているなんてわからない。
総合キャリア学部や地域創生学部など聞いてもピンと来ない。
まあ、この辺りなら少数派だからまだしも機械学部や情報学部なんてメジャーなものでも具体的に何を勉強するのか分からない。
将来は自動車や通信系の企業への就職になるのだろうか
そんなあまり深く考えることのなかった疑問に教授は懇切丁寧に答えてくれた。
「基本的にだが、理系の学部での講義内容は数学、理科だ。
まあ、学部によって専門は変わるが機械であれば四大力学をメインで修学して情報なんかではアルゴリズムや統計学なんかをやるな」
ふむ、つまり高校の延長といわけか。
「とはいっても、なんでも学だけ詰め込むわけじゃない。
例えば、キャリア教育と言って実際に企業を交えての研究開発やそれを見越したプレゼンや集団作業のイロハなんかも学ぶ機会もある」
つまりは社会人に必要なスキルは最低限学べるという訳か。
「まあ、この辺りの比重は大学によりけりだがうちの大学は学にかまけず、実力を鍛えようというのが修学方針だ。そのあたりのバカ大学よりかは、まともだと思ってくれていい」
誇らしげにそう言う教授の顔はなんだか、テストで100点を取って喜ぶ子供ように無垢であった。あとから調べた所、大学の教育方針というのは中学や高校までのと違って画一的でないとのことだ。
指導要項やマニュアルが最低限しか送られない大学ではその学部の主任や教授たちで指導方針が決められる。
だから、当然のことのようにそのあたりのことは就職に影響する。
ちなみにこの大学の昨年の就職状況は100パーセント。
もちろん、全員が正規の採用である。
さらにその中で、一部上場しているような大手企業への就職率は4割を超えている。
ここ数年では最高の数値だという。この功績はどうにも今前に立っている室町教授の賜物らしい。
詩織がどや顔でそう教えてくれたのだ。
「まあ、本音を言えば私達の立場からすれば優秀な学生ほど、こちらに残しておきたいものなんだがね」
と苦笑いで笑ってみせた。
「なんにせよ、大学は自由の場だ。そりゃかつての様に、人生の夏休みだなんて呼ばれていたほど今は生易しくはないがね。ここにはチャンスも環境も揃っている。つまり私が言いたい自由の意味は学びの場の多さだ。
明美君のように自らの手でプロジェクトを起こす者もいれば、自分で会社を立てる者、海外へ赴き外の生徒から多大な影響を受けてくる者。
およそ今までの生活の中では得られないことを学び取れるのが大学という場だ。
もちろんそれには、勇気を出して手を挙げる度胸とそれを続けるだけの胆力が必要ではある。
それでも得られるものは思い出だけではない。
もし、君がうちの大学……いや、これはうちに限った話ではないが大学というこの国の最高学府に足を踏み入れる気があるのなら、是非ともそのあたりを考えてもらいたい。今の社会で求められている事はどこで学んだのかということではなく、何を学んだのか……ということなのだから」
室町教授との話を終えた俺達は最初に言った通り、図書室で二人並んで勉強していた。
まあ勉強していたのは主に俺だけだが、その間に詩織は特に何をするわけでもなく、ただ俺の手元をじっと眺めてる。
どうも勉強している俺の姿を眺めるの好きなようだ。
だから俺も何も言うことなくひたすらに手を動かしてづける。
普段なら人に見られながら勉強なんて出来ないが相手が詩織だと別に気に障らない。
そうして時間は着実過ぎていった。
ただスラスラと小刻みにペンを動かす音だけが周囲に鳴り響いて、まるで今この時が世界から隔離されたかのような印象すら受ける。
今日の俺はそんなことぼんやり考えるくらいに集中していた。
おそらく、今日の室町教授の話がいい刺激になったのだろう。
そんな中で重めの問題にペンがふと止まり固定されていた首を持ち上げると、周りにいた人の姿はほとんど見えなくなり視界の端でん~と背筋を伸ばす詩織が目についた。
そして目が合うと詩織はニッコリと笑いかけ、不思議とその時に花火の時の顔が思い浮かぶ。
詩織も祭りを共に過ごす相手とかいるのだろうか。
そんな益体も突拍子もない事を考えていると、詩織がすり寄ってきた。
「偉いな、静かにしてて」
気持ちを悟られないように、あえて変なこと言うと詩織も頬を膨らませる。
「も~、ここは図書館だよ。静かにするよ~」
プンスカしながらお道化る俺に詩織は付け加える。
「それにじろちゃん、すごく生き生きしていたから……」
それは……なんだ……気を使ってくれたのか。
有り難いが、生き生きとまで言われるとは、何ともこそばゆい。
ある意味で楽しいと思えるほど理解できたのだから。
「それに今は人がいないからちょっとくらいなら大丈夫だよ~、ほらこのくらい近寄れば声も漏れないし」
と言ってさらに俺との距離を縮める。
思わぬ幼なじみの行動にアタフタしていると詩織がポツリと呟く。
「前は私が教えてもらっていたのに、何だか今は少し逆だね。私は大学生でじろちゃんより先に行っているから」
「……」
「ごめんね。私、ちょっと無神経だったかも。」
「別に怒ってねえよ、ただそんな時もあったかなってな。」
「あったよ。」
詩織は自信ありげに言う。
「じろちゃんは凄かったよ、保育園でも小学校でも中学校でも……
高校受験の時なんて何度もじろちゃんに助けられたし。私が知らないことを何でも教えてくれた」
「そこまでねえよ」
「そこまであったよ」
珍しく自分を曲げない詩織はそのまま申し訳なさそうに俯いた。思えば俺も中学
まで勉強が出来ていた。成績は常に学年でも一ケタだったし、地元でも最優秀の高校にも難なく合格できた。しかし、高校で多くの挫折を味わい俺は部活という逃げ道にまんまと逃げ込んでしまったのだ。それ故に、今こうしてそのツケを払っているのだ。
「でも、私はじろちゃんに何も出来なかった。現役の時は自分の事で一杯一杯だったし、去年も……」
現役はともかく、去年は自分から外界との接触を断っていた。人との交流を極端に避け、ほとんど人間不信に近かったと思う。
そして、それは詩織も例外でない。
「別にお前は悪くないだろ」
俺は当時毎日のように届いていた詩織からのメールを無視し、距離を開けていた。徹底的に。別に詩織の事が嫌いだったとかそう言う理由ではないのだが、落ちたショックとそこからの冷たいの一言なんかでは済まされないほどのその態度は、正直今の自分から見ても稚拙で冷酷なものだと思える。随分とバカなこをした。落ちたショックで幾分かはまともになたが正直今、詩織がこうして普通に俺と接してくれているも不思議なくらいだ。ちなみに最近では月に一度の頻度でメールはしている。
「あの日、じろちゃんのおばさんからじろちゃんの事を聞いて初めて私は間違えていたのかなって。強引にでもちゃんとじろちゃんの話を聞いてあげれば良かったのかなって。もっとちゃんと面倒を見ておけば良かったのかなって」
寂しそうにそう言う詩織。
「だから、あの時は俺が……」
と言いかけて口どもる。
俺が何を言おうと詩織は結局責任を感じるだろう。
詩織は昔の俺に多少世話になったことに恩を感じて、そのためにあの時気を掛けられなかったことを引きづっている。
やっぱり詩織は根が優しい。
それはこいつの昔からホントに変わらない美徳だ。
だから、そんなこいつに俺が言うこともいつもと変わらない。
「はあ……」
俺は一息ついて、もう一度ゆっくり言い放った。俺らしいことをいつものように。
「いいか?俺は受験の女神に愛された天下の浪人様だ、大学生に同情されるのも責任を感じられる謂われもねえよ。」
そう言って俯く詩織のデコに軽くデコピンを見舞う。
「ううっ」
「だからお前はどっしり構えておくだけいいんだよ。変に気を回すのも、塞ぎ込むのもらしくないぞ。」
俺の言葉に詩織は少し顔色も良くなる。
「心配するな、俺はもう間違えるつもりはない。
少なくとも努力すれば何でも叶うなんて、大それたことを思う程ガキでもねえし、今は俺が一人で受験をやっていると思えるほど思い上がっていない」
それが、今までの一年半で良く分かったことだ。
今思えば、かなり当たり前すぎてどうでもないことだが、そんなことにすら俺は最近まで気がつけなかったのだ。
酷いものだと思う。
「もう一度言う。お前は安心して、そこで待っていてくれ。俺は絶対にそこにたどり着いてみせるから。必ず、合格して隣に並んでやるから」
今度はそう言って頭を撫でた。
思いのほかに、低い位置にあったその頭は前よりも撫で心地がいい。
「うん、とりあえずじろちゃんがいつもみたいに元気そうで良かったよ」
頭の上の俺の手を両手で押さえながら、ようやく笑顔を向けた詩織に俺も少しほっとできた。
「俺もお前が大学を楽しんでいるようで良かったよ」
半分、投げやりそうに言って俺達は向かいあう。
そこには以前よりも少し大人っぽくなった幼なじみが、昔と何も変わらない笑顔で微笑んでいた。
センター試験まであと……143日
予備校ぐらし! 風見 新 @mishinn
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