二〇一五年十一月二十四日。
Re:side
拓磨くんは全国指名手配されているとでも言うようだった、昨日のニュース。
それを踏まえて昨日の夜、私たちの出した結論。それは、「警察が怖いから、当面の外出は控えよう」というものだった。
仕方ない。出張っても成果だって大して上がる見込みがないのに、余計なリスクを増やすわけにはいかない。もっとも学校のある私は、普通に出掛けるんだけど。
「言ってくるね。今日は早めに帰るから」
拓磨くんにそう言い置くと、私は自転車に乗った。十一月二十四日の風は、気持ち寒いように感じられる。
学校までの道程は、もうすっかり頭にも自転車にも染み付いている。感覚に従って自転車を走らせながら、私は昨日のあれこれを思い出した。
家を出なくたって、私たちに出来ることはある。
昨日一日を通して、色んな情報が手に入った。それを整理するのも、必要なこと。
「……授業中にでも考えようかな」
ぽつりと呟いたその言葉はトラックの走行音に紛れて、たぶん誰にも届いていない。
タクマくん。
否、御殿山拓磨くん。
彼は昨日から数えてちょうど二ヶ月前、この市内にある児童福祉施設を脱走した。行方不明の届け出を受理した警察が捜索しているけれど、未だに捕まらない。
しかし、その本人は空き地で何らかの理由で殴り倒され、一撃で気絶し記憶を失った。直前まで確実に持っていたのは、破れた一枚の手紙と封筒だけ。そこには、『御殿山円佳』という名前だけが読み取れる。
今まで出揃っている情報は、そんなものだ。
「分からないのは脱走した理由と、二ヶ月もの間どこで何をしていたのか、ってところか……」
ルーズリーフに纏め終わると、私はシャープペンシルをくるくる回した。やっぱり、これじゃ情報が少なすぎるわ。
「上の空だねえ、咲良」
隣の席の有沙が、にやりと笑っている。
「ちょっと、ね」
「なに? 小説の設定が煮詰まってるの?」
「違うよ」
似たようなものだけど、と付け加えてみる。どっちにしたって、黒板の前で繰り広げられている倫理の授業には今は興味がないし。
「それに有沙、『煮詰まる』の正しい用法知ってる?」
「え? 分かんなくなって「あーっ!」って混乱する事じゃないの?」
「逆だよ。ほぼ完成に近づくって事」
「へえ……そうなんだ」
ぽかんとした有沙の目が、意識の外に消える。私はまた黙って、考え事を続けた。
一日なんて、経つのはあっという間だ。
ぼーっと悩んでいるだけで、時間は勝手に過ぎていく。気がついたらもう放課後だ。
結局、何も思い付かないな……。やっぱりまだ、知ってる事が少ないからかな。
ちょっと凹みつつ、私は自然と帰る準備をしていた。と、同じ文芸部の友達が声を掛けてくる。
「咲良、部活行くでしょー?」
その声に私は動作を止めた。しまった、部活の事をすっかり忘れてた。
でも、拓磨くんの事もあるし……。
「……今日は、パスしようかな」
ごめんね、と私は小さく頭を下げた。「ちょっと用事があるの」
「えー。副部長さんしっかりしてよー」
「それは関係ないでしょ」
苦笑いを残し、私は足早にそこを遠ざかる。
だいたい、文芸部ってなんで週に二回も部活をやるんだろう。
どんな人だって執筆作業は独りでやる訳だし、二回も部活で顔を会わせる意味がないと思うんだよね。部活って言ったって、リレー小説でも書くんならともかく、
という不満を副部長の私が持っている事に、たぶん気づいている部員はいない。先輩の部長に一度だけ文句は言ったけれど、それがいいんだよの一点張りだったのを覚えている。
小説を書くのは好き。でも、ああいう雰囲気は正直……あんまり好きじゃない。
部活の度に思う愚痴を頭の中だけで再生しながら、私は帰りの自転車に乗った。サドルが冷えていて、気持ちが悪かった。
そうか。もう、秋もお仕舞いなんだなぁ。
「ただいま」
そう言ってドアを開けると、拓磨くんの声がした。
「あ、お帰りなさい」
重たいカバンを床に置くと、私は部屋に入った。ああ、家の中の空気ってどうしてこんなにあったかいんだろう。熱力学的に。
「何をしてたの?」
「はい、一言で云うとヒマだったんですけど、あんまり咲良さんの私物を漁るのもどうかと思ったので……」
拓磨くんは背後の本棚を指差す。
「ここにある本を少し、めくってみていました」
「……マジ?」
「咲良さんって、意外と少女漫画も読まれるんですか?」
う、見つかったか。前に買った少女漫画数冊を、私は文庫本の裏に隠していたんだ。周りには秘密でいたのに。
「たまによ、たまに。そういう所からネタを拾ってくる事もあるからね」
「へえ……」
……何だか妙に拓磨くんが目を輝かせているので、私は付け加えた。
「……私は、濫読派だよ。新書も読むし、面白いものなら論文だって読むもの。英字新聞とか無理して読むこともあるし」
中学一年生に新書はあんまり分からないかなと、ちらりと思った。
拓磨くんは、にっこりと笑った。
「何だか、僕の中の咲良さんのイメージはそんなに間違っていないかなって思いました」
「どんなイメージ?」
「上手く言葉では言えないんですけど……何て言うか、すごく真面目で自立的だなって」
そうなのかな?
私自身は、そんな風に意識した事は一度もないんだけどな。
「自立的って、どんな感じに?」
「そこは僕にもよく分からないんです」
「はぁ……」
本人も分からないで言ったのね……。まあ、いいや。
今日は久しぶりに時間も取れた訳だし、今度こそ小説を書き進めよう。ノートパソコンの電源を入れた私は、画面を起こしてログインする。
拓磨くんはまた、手にしていた本に目を戻したみたいだった。
私の作家歴は、今日──正確には昨日で、ちょうど二年と二ヶ月になる。
中学三年の秋始め、私は初めて小説を書いた。日常の愚痴の延長線上みたいな、今思えば駄作の極みみたいな作品だった。それでもひとつの作品に仕上げられたのが、その時はすっごく嬉しかったんだ。
一年以上かけて書き上げたそれらを、私は学校の文芸部とインターネットで公開している。そこはどちらも、色んな人たちが自分の作品を見せ合い、批判し合い、お互いの技術を高めあっている場所だ。だんだん私のキーボードを打つ手にも力が入ってきて、今ならそれなりにしっかりした文章を書ける自信はある。
『作品』と銘打った文書ファイルを開けると、そこにずらりと並んだタイトルを私は順にスクロールした。
今書きかけているのは、「
今や毎日何万件も、世界中を飛び回るEメール。それらは相手も中身も様々だ。そういうメールの一つ一つに込められた気持ち、受け取った相手の気持ちを描く小説として、私は十ヶ月近く前からこれを書き続けている。つまり、短編集に当たる。
もっとも想像で書いているものだから、実際にそんなメールが交わされているとは思えないんだけどね。
「それ、何ですか?」
突然肩越しに声がかかって、私は慌てた。
「えっ、こ、これ!?」
「はい」
「……小説、だけど」
画面に映る拓磨くんの目が見開かれた。私は対照的に小さくなる。
「小説書いてるんですか! 咲良さん、すごいです」
「そんなすごいかな……?」
「僕、文筆の才能は全くないので、羨ましいんです」
そう……なんだ。あんまりそういう感じは受けないんだけどな。
「書いてみる?」
私はイスをちょっとバックさせると、拓磨くんにパソコンの前を譲ってみる。拓磨くんは目を瞑って手を降った。
「い、いえ僕が書いたって大したモノにはなりませんから!」
「そう?」
なら、いいや。無理強いする気は元から無かったし。
イスを戻そうとすると、拓磨くんがぽつりと溢した。
「……詩なら、いいんですけど」
「あ、じゃあ詩、書いてみる?」
拓磨くんの目が、いつの間にか妙に真剣になっている。
「分かりました。書いてみます」
カタッ、カタッ。
ゆっくりゆっくりキーボードを叩く音が、低い天井に響いている。
単純に打つのに馴れないのか、それとも思い付かないのか。どっちにしてもまだまだ掛かりそうだ。
どんなのを書き上げてくるんだろうな。少しわくわくしながら、私は部屋の窓からぼんやりと空を見上げていた。最近は暇な時は大概、小説の事を考えるようにしている。他に考える事がないのもあるけれど、その日一日で体験した色んな事を、小説の設定として活かして記憶に残すっていう意味もある。
今日の「MAIL」は何にしよう。舞台の街のモデルはどこで、主人公とメールの送り先はどんな関係で、どんなメールを送って、受け取った相手は何を思うのか。そういう事を空想している時間って、実は執筆時間よりも楽しい。
メール……
────『生き甲斐を無くした私には、もう未来はないのかもしれませんね……』
その時、空想に耽ろうとしていた私の脳裡を掠めたのは、拓磨くんが持っていたあの手紙の文面だった。
あの手紙にだって、ううん……世界中の全ての手紙には、必ず出した人がいて、宛先がある。
そして、直接口で伝える事の叶わない、でもどうしても伝えたいと願う、思いがある。
この人は、この手紙を通して一体何を伝えたかったのだろう。何を訴えたかったのだろう。この手紙から分かることはきっと、たくさんあるはずなのに。肝心な部分が抜け落ちすぎて、ほとんど分からないよ……。
──でも。
抜け落ちているのは、拓磨くんも同じだ。
私はまだ、この子の事をほとんど何も知らない。それでも接しはじめて三日、行動から読み取れる程度のこの子の
拓磨くんだって闇雲に施設を飛び出したりはしないはずだ。拓磨くんの過去を知るだけでは、この事件は解決を見ないような気がする。もっとこう……内面を、私たちも知らなければならない。
「書けました」
拓磨くんの声に、私ははっと意識を目の前に戻した。
時計を見ると、まだ三十分も経っていない。
「もう書けたの?」
「はい、何だか意外と筆が進んじゃいまして」
照れ気味に下を向きながら、拓磨くんはパソコンの前のスペースを空ける。見て、っていう意味だろうか。
テキストソフトに浮かび上がった明朝体の文字列を、私はじっと眺めた。
『あなたはどこへ行ったの?
ぼくはどこへ来たの?
あなたという光の中に ぼくは生き
けれどその光はもう とどかない
失ったものの大きさを
ぼくは知ることはないだろう
もうぼくはぼくではない
戻りたいとさえ思わない
でも
あなたという存在の知覚は
見えない煙の向こうから
たしかにぼくを喚んでいる
知りたい 識りたい
見たい 視たい
聞きたい 聴きたい
漠然とした好奇心がぼくを動かす
引き替えに消えるものがあったって
ぼくは喜んで棄ててやる
煙のはれた その彼方に
のぞんだセカイがあるのなら』
……難しい。
ただ、漠然とそう思った。
「あんまり文体とか詩っぽくないですよね……。やっぱり詩も、難しいです」
画面は決して見ないようにしながら、拓磨くんは後書きみたいにそう続ける。
「……ううん、私も詩は苦手なの。これ、いいと思う」
「そうですか?」
「うん」
「なんか、現役小説家さんにそう言ってもらえると、嬉しいですね」
「そうかなぁ」
口元にだけ笑いを作ると、私は画面をもっと覗き込んだ。
この詩の主人公の一人称は、『ぼく』。
だとしたら、主人公は拓磨くん。
『あなた』は今、拓磨くんの側にいない。それはきっと、拓磨くんの記憶の事なんだろうな。
早く見つけたい、知りたい。そんな悲痛な声が、今にもパソコンのディスプレイから浮き出して来そうに思えた。
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