線虫、不明瞭、慄然。

「青が、死の色……?」

「青い服着てるメガネの子の行く先々で死人が出る、とか、そういう意味ですか?」

「なんでいきなりバーローの話しなくちゃいけないのよ……」


 苦笑いと咳払いをセットでひとつ。栄さんは気を取り直して、今度は別の資料を俺たちにくれた。

 こっちもニュースサイトの記事みたいだ。タイトルは『”死”は青の光を発する!?最新生物学の研究に迫る!』。

 ……なんか、どっちもお堅いニュースサイトではなさそうだな。どちらかというと俺や南無三たちがいつも見ているような、主にアニメやゲームの情報を取り扱うアフィリエイトブログの記事に近いレイアウトだ。


「この記事に書いてある通り……線虫せんちゅうの一種、『シー・エレガンス』が瀕死の状態になっているところに紫外線を当てると、シー・エレガンスが体の内側から青色の蛍光、つまりはブルーライトを発しているのを観測できたらしいわ。そしてその光は腸に沿って体全体に伝播していって、最期の瞬間に最も強さを増し、死亡後すぐに消えた……」

「この記事……! ブルーライトが全身を伝って、それに続くように細胞が壊死していったって……!?」

「ウソだろ、ブルーライトって、浴びるだけでそんなんなっちまうのか!?」

「スマホやパソコン無しでは生活できなくなっているような現代、ブルーライトが網膜の細胞を破壊して失明してしまうかもしれない、という話は有名よ。ちなみに私のメガネもブルーライトカット加工済み」


 ま、マジか……。

 ブルーライトが目に良くないっていうのは漠然と聞いてたけど、そんなレベルだったなんて。最近の妙な目の疲れも、夜遅くまでスマホいじったりPCで双子葉ちゃん見てるのが原因だよな……もしかして、視力がガタ落ちしてるんじゃ。

 ブルーライトの怖さに愕然とする男子2人を尻目に、栄さんはまた新しい資料を投げてきた。空気抵抗にふわりと浮かぶそれを慌ててキャッチする。

 タイトルは『ニセの記憶を作る技術!? 理研が特殊光学技術による記憶の書き換えに成功か』。まさに俺たちのこれからの研究と深く関係しているものだ。


「これは、さっき言った『生物が死ぬときに青い光を発する』のとは関係があるかどうか分からないけど、とにかく、記憶改変装置を作るのなら絶対に知っておきたい情報ね」


 記事に目を通す。


 殺人事件の目撃者が、本当に事件を目撃していたのに記憶が混乱していたり、間違った事実を真実だと思って疑わない場合がある。

 これは、脳内部のニューロンが興奮している状態で見た情報はうまく記憶として書き込まれず、思い込みに左右されやすくなってしまう、一種の『反射』とでもいうべき現象のためだ。こうしてできた誤った記憶のことを過誤記憶という。

 今回博士が成功させた実験で判明したのは、海馬で記憶を保持しているニューロンにブルーライトを照射し、『ニューロンが興奮して記憶入力が正常に行われなくなった状態』で別のエングラムを結びつけることで、本来結合するはずだったエングラムとは異なる誤った記憶を脳内に作成できるということだ。

 たとえば、ある部屋の記憶に『痛み』という恐怖体験の記憶を結びつけることによって、特にその部屋で酷い目に遭ったことがなくても、『その部屋は怖い』という認識が生まれるのだ。


 ……斜め読みなので正しく読み取れているかどうかは分からない。エングラムもどういう意味のワードなのか分からないし。ただ、この『過誤記憶作成』において、ブルーライトが重要な役割を持ったファクターとして登場することが重要だ。


「ブルーライト放電を受けた人たちは、記憶を消されたのではなくて、おそらくブルーライト照射によって元の記憶が過誤記憶に書き換えられてしまっているのよ」

「そうか……たしか、ゲームが発売されてないのに、それを買った記憶を持ってるヤツがいたな。あれも、この過誤記憶のせいだったのかもしれねーな」


 君野先生といっしょに実験をしていた生徒に、片っ端から最近変わったことがなかったか聞き出した中で、下級生が困惑気味にこう言っていた。


 『記憶喪失ですか……。あーそういえば、記憶喪失ではないですけど、昨日買ったはずのゲームがどこを探しても見つからなくて。しかも財布からゲームを買ったぶんのお金が減ってなくて……それで公式サイトを調べてみたら、そもそも発売は延期したらしくて。『深海戦記モルワイデ6』っていうタイトルで、世界一ソフトウェアから出てたはずなのに……』


 この生徒の証言だけ、ただの記憶喪失ではなく記憶改変だったのも、もともとブルーライトに備わっている性質が『過誤記憶の作成』だったのだとしたら頷ける。


 つまり、俺たちがこれからやるべきことは……。


「やるべきことは見えたわね」

「はい!」

「『狙った記憶を、改変される前の内容に書き換える』こと。今みたいに、ランダムで選ばれた記憶がランダムな内容に書き換えられるという点を改良する……ってことですね!」

「そういうことね」


 第一段階として、やるべきこととそのプロセスは分かった。

 ……海馬のニューロンにブルーライトを当てる、という行程が、今のところ『脳ミソにLEDライトぶち込んで直接照らす』という100%死ぬ筋肉解決法しか考えられないのが問題だが。

 いや、ネガティブなことを考えるのはやめにしよう。ひとまず一歩前進だ。


「私からの調査報告はこれで終わりよ。あと、私がこの研究チームに入る上で2人に守ってほしいことがあるんだけれど……」

「……記憶復元装置を、記憶喪失の被害を受けた人の記憶復旧以外に使わない。そうですよね?」

「それについても邦信から聞いてます。もちろん、戻すべきものを戻し終わったら、装置はバラバラに解体して処分しようと決めてるんで、安心してくださいッス!」

「え、解体しちゃうんか? 理研も研究してるような内容なんだし、研究機関に渡してしっかり活用してもらうべきだと思うんだけど……」

「いいえ、サブくんの言う通り、バラバラにした方がいいわ。科学者の中にはこの技術を悪用しようと思っている人間も多くいるはずだからね……」


 栄さんに否定されて、ハッとした。

 『科学者たちは……特にプラシーボ世界論を議論し、研究している連中は、本当に神になろうとしている』『彼らはそれを、『記憶操作装置』という機械を使って実現しようとしている』……。

 阿賀チミコの手帳の文面は、今日だけで何回フラッシュバックしただろう。これのせいで前までとは性質の違う悪夢も見るようになるし、自分の中で思っているよりかなり強烈に印象に残っているようだ。

 手帳に書かれてあった陰謀論をまるまる信じるわけではないが、もし本当に偽薬聖会などという厨二ネーミング集団が科学者の中に潜んでいるとするなら、研究機関に記憶復元装置を渡すなんて行動は、速攻でバッドエンドに繋がる最悪手だ。迂闊な行動は控えるようにした方がいいだろう。


 偽薬聖会か……。

 栄さんは記憶復元装置を悪用する科学者に心当たりがあったり、プラシーボ世界論について知っていたりするようだが、肝心の偽薬聖会については何か知っているのだろうか?

 質問しようと顔を上げ、サブと雑談して……というか一方的にオカルト話をまくし立てて笑っているその横顔を見た瞬間、俺は怖くなってやめた。

 ……もしも栄さんが偽薬聖会に関わっているとしたら。そんなことをちょっとでも考えてしまう自分がたまらなく嫌で、歯噛みしながら下を向いた。

 この前掃除したばかりの絨毯の上には、すでに少しホコリが落ちていた。


「さてっと……じゃあ今日は顔合わせくらいの気持ちだったし、これくらいにしときましょうか」

「はい! ありがとうございました!」

「こちらこそ、なかなか興味深い実験内容で、調べるのも久しぶりに楽しかったわ。あーそうそう、なんかウチの研究チームのリーダーが急に渡米しちゃってねー? 帰ってくるまでの間は夏休みってことになったから、私はいつでもヒマよ。前日までにラインなりメールなりで呼んでくれたら、大抵は参加できるわ」

「そ、それは嬉しいですけど」

「と、渡米……ッスか? 急に?」

「もともと自由な人だったんだけど、『夏なのにこんなジメジメしたところで仕事なんかやってられっかー!!』……とか言って飛び出して行っちゃったの。海水パンツと浮き輪とシュノーケルだけ持って」

「なんというか……今頃、ゴーグル忘れたことを後悔してそうですね」

「『このメガネさえあれば万事オッケーだぜ!!』とか言ってたから、そんなことないと思うケドなー」

「サングラスですらねーのかよ……」

「すごい数の特許持ってたり博士だったり新細胞の発見をした研究チームに参加してたこともあったり、とっても優秀な人なんだけどね」


 バカと天才は紙一重、とはこういうことなんだろうか……。ていうか話を聞く限り、研究所から海水浴セット持って、仕事中に、着の身着のままで海に行ってるんだよなその人?

 君野先生もどこかズレてるというかネジが外れてるような面があるが、高専教師の何十倍も頭おかしいなその人。

 数日後、『高名な科学者だった〇〇氏が行方不明になっていることが明らかになりました』というニュースが出ないことを祈っている。


「じゃ、今日は解散ってことで。今度集合する日時はまた連絡します」

「おう。スケジュール管理まで任せちまって、悪いな」

「いいんだよ。……お前にスケジュール組ませると、ゼッタイ『毎日』とか言われて予定表が真っ黒に染まるからな……」

「あはは……さすがの私も、毎日研究は願い下げね」

「善は急げ、って言うだろ? 何日にも分散させてやるより、1日まるまるかけてサクッと終わらした方が効率いいんだよ!」

「お前が毎年泣いて実践してるよな、夏休み課題で。……言っとくけど、今年はマジで見せねーからな。妹子にでも見せてもらえ」

「ごめんなさい考え改めます! ちょっと待って見捨てないで!! アイツの計算してる時の字めちゃくちゃ汚いの知ってるだろ!?」

「じゃあ栄さん、さよなら」

「……え、ええ。そんな状態で平然とサヨナラされても、困惑しちゃうけど」


 鬱陶しくすがりついてくるサブを引き剥がして投げ捨て、今度こそ栄さんにサヨナラと挨拶して、廃ビルから退出する。


「ちょっと待ってってば! 英語! 英語は見せてあげるからぁぁぁぁぁ!!」



 廃ビルを出たあと、日本橋を離れてちょっと歩き、道頓堀へ。

 昨日、戎橋の上空から蓮と一緒にヘリコプターで見た景色に一切の偽りはなく、ワシミグループの青い鳥の姿をしたキャラクター・『ワシミホーク』は今日も自信満々に、羽を閉じて許されざる角度でドヤ顔で……数々の要素が絶妙に人をイラッとさせると評判のポージングをしている。

 そもそも『鷲見』なのになんで『ホーク』なんだよ。普通にイーグルでよかっただろうに。

 ……ああ、イーグルにしちゃうと、大阪ではタイガーのファンがうるさいからか。イーグルはセで、ホークはパだから、対立が少ないとか、そういうアレなんだろうな。知らんけど。

 こんなクソどうでもいい疑問に勝手に終止符を打ったところで、この胸の奥の言いようのない不安が取り除かれるはずもなく。俺はこの上ない無力感に打ちひしがれ、溜息をこぼした。


 戎橋の上には、今日も外国や他県からの観光客が来ていて、記念撮影をしている。

 今までと変わらない風景。

 唯一変わってしまったのは、彼らが写真を撮る時のポーズが、クリコポーズではなく、後ろのなんかムカつく鳥を真似たものになってしまっている点だ。

 きっとこれから先何十年と変わるはずがないと思っていた、というか変わることが想像できなくて、変わるだなんて一度も考えなかった、疑いもしなかった確定的な風景が、いとも簡単に崩された。


 ……日本橋を離れて歩く途中、俺はずっと、ここ最近で生まれた疑問について考えていた。


 『アカサは何故死んだんだったっけ?』


 当然覚えていると思っていた。だから必要に迫られるようなこともないし、『アカサは昔死んだ』ということだけ覚えて、その理由などについてはフタをしてきた。

 俺にとってかなり辛い思い出だったのだけは覚えている。だから記憶にフタをしてしまったのだろうと思っていた。


 だが、記憶の箱のフタを開けても、中は空っぽだった。


 思い出そうとすると、今まで感じたことのない奇妙な感覚が頭に流れ込み、かゆいような痛いような、あるいは軽い乗り物酔いのような、おかしい気分になってしまうのも、不可解だった。

 ……アカサの死を俺が忘れたら、アカサはまた幽霊として復活し、また消えていく。死んでしまう。

 だからこそ……もし俺がアカサの死について何もかも忘れてしまっているのなら、ちゃんともう一度記憶に刻み込みなおす必要があると思った。


「……子供の頃のことを思い出せ。アカサといっしょに遊びに行った場所が、あったはずだ………」


 午前中に記憶復元装置のミーティングが終わったあとの半日。

 調べてみよう……子供の頃のあの日、なぜアカサは死んでしまったのか。


 スマホがバイブして、サブから個人メッセージが送られてきた、と通知。

 ……………………。

 たぶんメチャクチャつまらない上にクッソどうでもいいことなんだろうけど、いちおう見てみることにする。

 これでまだ夏休みの宿題がどうこう言ってたら、俺はヤツをカーネルサンダース人形よろしくこの道頓堀川にブッ沈める用意があると思えよ。

 送られてきた文面は。


 『ブルーライトの放電のことさ、次から、”蒼き死の光を纏いし稲妻ニューロンレーザー”って呼ぶことにしようぜっっっ!!』


 ………………………………。


 いちおう返事を打って返してやることにした。

 なんかもう、却下するのもダルくて。


 『漢字鬱陶しいからニューロンレーザーでおk』

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