片鱗グレア
「う……うわあああああああああああああ!!」
「キャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「救急車……!救急車呼ばないと!!」
「し………………し、死、し、ししし、死ん…………!?」
「妹子! 妹子ォォォォォォォォォォ!!」
「ああぁあぁぁぁあああ…………!!」
爆撃を受けた住宅街のような、悲鳴と悲鳴と悲鳴に脳が揺さぶられて何もまともに考えられなくなってしまう、地獄絵図。
危険があるって、分かってたのに。
覚悟ができてるって、言ったのに。
何も分かっちゃいなかった。何の覚悟もできちゃいなかった。
妹子に放電が当たったという事実を全く受け止められず、ただただ戸惑って、怖くなって、叫んでいるのが何よりの証拠だ。
……俺たちにこんな実験をする資格は、なかったのかもしれない。
君野先生が言っていた言葉が、次々と浮かんでは、心に刺さるトゲだけを何本も残して消えていく。
『みんな。……いくら、僕がすでに喰らったけど無事だったとはいえ、突然変異的に別の結果が出る可能性もゼロじゃない』 『端的に言う。これは小規模ながらも前代未聞の実験であり、命の保証はできない』 『誰かが責任を負ったところで、失ったものは戻ってくるワケじゃない』
失ったものは戻ってこない。
いまさら俺たちが何を思って何を行動して何を反省したところで、誰が責任を取ったところで、妹子は……この実験で、妹子は…………。
「い、た……頭が……」
「え……!?」
……生き返ることはないハズだった。
まるで何事もなかったかのように、毎朝の気怠げな目覚めのように。俺に預けた体重をゆっくりと自立させて、妹子は頭を押さえながら起き上がった。
呆然。
あまりの驚きに、なかなか感情が蘇ってこない。
徐々に、妹子が無事だったという実感が沸いてきて、恐怖からの感動と安堵に、少し涙が出そうになった。
妹子と仲のいい連中は、涙が出そうになったなんてものではなく、滝のように涙を流して妹子に抱きつき、妹子の無事を喜んだ。
「あぁーん妹子ぉぉぉぉ〜……!! 妹子ぉぉー!!」
「み、みんなどうしたのよ、そんなに泣いて……」
「死んじゃうかと思ったっつーの……! ほんとによかった……」
「し、死んじゃうって……!? え、何があったのよって!」
サブなんかは、自分が先生に頼んでこの実験を行ったこともあり「俺のせいだ!」と叫び嘆いていたが、妹子が無事だと分かってからずっと、膝から崩れ落ちたままの姿勢で動こうとしない。
…………そういえば先生、全然慌ててなかったな。
先生は一歩も動かず、電子レンジのそばで穏やかに安堵していた。
「…………いやぁ、冷や汗かいたよ。先生の時は、バチッと痛みを感じるだけで意識を失ったりしなかったからね」
「冷や汗かいたよじゃないですよ……」
「そう責めないでくれよ。……実は、この実験に命の危険があるとか言ってたのは、半分おどかしみたいなモンだったんだよ」
「え……」
「お、おだ、おおお、お、おどかし!?どういう意味ですか!?」
舌も回らないし足も動かない。サジはへたりこんだまま、這いつくばるように先生に詰め寄って、下から睨みあげた。
気が動転しているとはまさにこのことだ。『自分が主催した実験で仲間が命の危険に晒される』という光景を目の前で見せられて、そのすぐあとに、飄々とした態度で『実は危険はフェイクでした』だ。
2秒で電子レンジを改造してレールガンで先生を殺してしまいかねない勢いのサブを羽交い締めしながら先生の顔を伺うと、ちょっと申し訳なさそうにしながらも、その顔は正しいことをした達成感のようなものに満ち満ちていた。
「電圧測定及び電流測定もしてる。しかも、実は僕が放電を受けたのは1度ではないんだ。同じ研究室の美濃先生も興味を示しちゃって、美濃先生に質問しに来た生徒まで実験に参加しちゃって。合計で7人が、36回くらい放電を受け続けたんだけど、本当になんにもなかったからね」
「だ、だけど、先生だって言ってました!突然変異的に別の結果が出るかもしれないって!」
「あぁ、そりゃもちろん出るかもしれないだろうね。だけど、そんなのは中学生レベルの理科の実験でも言えることだ」
「…………」
「36回の成功例じゃ足りないって言いたいのなら、実験なんかするべきじゃない。失敗は1回目に起こるかもしれないし、1兆回目に起こるかもしれない。もしかしたら1回目だけ失敗して、それから一切失敗は起こらないかもしれない」
「失敗してから後悔しても遅いっていう言葉は!?」
「先生は実験で死んでも後悔しない。だけど大菜くん、君はするんだろうね」
「…………………!!」
「え、なに、お説教ムード?私なんかすげぇ喉渇いたから水飲んできていい?」
「もうちょっと寝てろ。それか今度は本物のレールガン受けてあの世で空気読めるようになってから戻ってこい」
「…………あ、は、はい……?」
「なんでそんな余所余所しい態度なんだよ…」
空気の読めない妹子はさておき。
先生はサブに対して、なおも厳しい言葉をぶつけるのをやめなかった。
「まだ分からないか?この実験は、主に君に対しての戒めだよ」
「…………」
「君が先生に今回の実験の企画を話しに来たとき、思ったよ。……小学生雑誌の組立ふろくを持って、作って作ってと嬉しそうに頼んでくる子供のような目だ、ってね」
「し、小学生…………って……」
「教師に頼めば、たとえやろうとしていることが未知の実験だとしても、何をしても危険がないように、全て安全にセッティングしてくれると思っていないか?」
「………………思って、ました」
「……若い頃はそんなものだ。君の人格や責任をとやかく言っているんじゃない。ただ……」
君野先生の穏やかで厳しい眼差しは、サブだけではなく、俺たちに対しても向けられていた。
……俺も、下手したらサブ以上に、この実験を甘く見ていた。少なくとも、『先生に頼めば安全な実験ができる』と思い込んでいるという点では、自分たちでやろうとしていたサブよりも、依存度が高いと言える。
「実験に望むとき、危険に対しての恐怖を感じた上で、それでも、危険な目に遭っても後悔しないように、ということを心がけているんだ。……少なくとも私はね」
「恐怖を感じた上で……」
「ただの怖いもの知らずじゃいけない。現に君は、自分は本気で『死ぬのなんか怖くない』『この実験で死ぬなら望むところ』と思っていたかもしれないが、妹子くん……井森くんに放電が当たることなんか、考えもしていなかっただろう?」
「……独りよがりでした」
「人間は、家族や愛する人でもない限り、防衛本能を自分のためだけに使う。『自分が危険に晒されている』という認識はあっても、『みんなが危険に晒されている』という認識はすごく薄いんだよ」
「……はい」
「…………おっと、カメラを止めてなかったな」
これがあとでビデオとなって残るのだということを思い出して、先生は慌てて電子レンジの前に置かれた三脚を崩して、ビデオカメラの撮影を止めた。
コンパクトにした三脚を右脇に抱えて、そっちの手でビデオカメラを持って。先生は残った左手で、サジの肩をポンポンと叩いて、笑った。他には何も言わずに、2つを片付けるために準備室に引っ込んでしまった。
「……あ、そうそう、大事なことを忘れてたね」
準備室から声だけが聞こえてくる。
「井森くん、一瞬とは言え意識を失っていたけど……大丈夫かい?」
「え……あ、はい。特に何も……」
「なら安心なんだけど……。先生はこれからちょっと他校に行かなきゃいけないから、無責任だけどあとのことはみんなに任せていいかな?」
「はい、大丈夫です」
「ごめんね、任せたよ大菜くん。電子レンジのコンセント抜いて電気消しといてくれれば、あとは先生がやるから」
「分かりました」
「……あ、出るとき鍵閉めてってね!」
書類をカバンに入れる暇もないのか、コピー紙の束を小脇に抱えて、先生は忙しなく実験室を出て行ってしまった。
生徒だけが取り残されるような形になった実験室で、みんなの溜め息が重なる。
誰が何を言うでもなく、みんな一様に、妹子のもとへ集まった。
「妹子! お前ホントに怪我とかないか!? アタマは大丈夫か!?」
「…………心配してくれてることは伝わるけど、なんか腹立つわ」
「……よかった、ホントよかった……。ごめん、俺がこんな危ない実験に誘ってしまったばっかりに……。先生の言うとおり、俺、自分の命以外何も心配してなかった」
「何言ってんのサブ。私も同じように、自分のことしか考えてなかったよ」
「………………」
「私も、自分じゃなくてアンちゃんやメイちゃんが当たってたら大騒ぎしてたし、たまたま私に当たったからよかったってだけで。……ていうか、みんなそうじゃないかな?」
「妹子ぉぉ…………生きててよがっだよぉぉぉ……」
「あーこらこら、ひっつかないの! ……ってことで、今回はサブも私も、みんな平等に同じだけ反省ってことでいーんじゃない?」
「……ありがとう」
……未知の現象や未確認の危険に足を踏み入れるときに持つべき心構えを、俺たちはまだ持っていなかったということだ。
そんな高尚なものを持つ気はないけど、危険なことをするときに、自分しか見えなくなるのは治したい。自分だけじゃなく、一緒にいる人も同じ危険に晒されているのだということを念頭に置き、その上で覚悟をする。
独りよがりな覚悟ではなく、仲間が危険な目に遭うかもしれないという覚悟を持って実験に望む。そういう姿勢は今のうちに身につけておくべきなのかもしれない。
反省から意識を戻すと、妹子と親しいらしい男子が、額をぽつぽつと突く真似をしながら妹子に何か尋ねていた。
「アタマ、っつーか……脳大丈夫なん? デコに思いっきり電磁ビーム食らったんだから、なんか混乱とか麻痺とかスタンとか毒とかヤケクソになっててもおかしくねーじゃん?」
「どこのRPG世界の妄想だ」
「……混乱、ってほどじゃないんだけどさ。いや…………うーん……」
「え!? 混乱してるの!?」
考え込む妹子はいつも通り元気そうで、今のところは、特に何の障害や外傷も見られない。
『混乱』というワードに引っかかって何やら難しい顔をし始めた妹子を、当然周囲は過保護気味に心配して、みんながみんな、妹子を押しつぶすくらいの勢いで顔を近づけて口々に質問する。
「妹子! 大丈夫なんだよね!? 怪我も何もないんだよね……!?」
「うああああああああああああん妹子ぉぉぉぉ、死んじゃダメぇぇぇぇぇ!!」
「い、一度脳波検査とかした方がいいんじゃないでしょうか!」
「うぁ、ちょ……みんな近い! 暑苦……落ち着けェェェェェェェ!!」
腕を振り回して人間密集地帯から無理矢理抜け出すと、妹子は非常に鬱陶しそうに、そして言いにくそうに、両こめかみを人差し指でグリグリと揉みながら。
「……混乱っていうか、記憶喪失……かな………」
そんなことを、苦笑いで言った。
俺の方を、まっすぐ見据えて、俺の目には残酷に映る、その苦笑いで。
「…………きみは……誰、なのかな?」
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