第2章 科学と理想の放電現象
失笑レールガン
第4実験室には、想像していたような大掛かりな準備や下処理は施されていなかった。
ゴム素材でできたシートが床と壁一面を覆うように貼られ、敷かれていることには少し驚かされたが。電子レンジは放電が外に飛び出ないように補強されているどころか、ドアがとっぱらわれてるし、付き添いの先生や先に集まっていた仲間たちも、白衣を着て保護メガネを付けている以外、特別なものは身につけていない。
……これで先生の許可を取れたのだとしたら、実はこの実験、俺の認識以上にラクで安全なものなんじゃないか?
俺の姿を見つけたサブが、ほかのメンバーを引き連れてこちらに寄ってきた。
「どーよ邦信、けっこう簡単に許可取れたぜ!」
「……ホントにこんなので大丈夫なのか? 床と壁を絶縁体にしてる以外、特に安全対策が為されてない気がするんだけど……気がするっていうか、普通に考えてヤバイっていうか……危ないことはゴメンだっていうか……死ぬならサブ一人で死んでほしいっていうか……」
「『っていうか』で濁せばどんな悪口も許されると思うなよ!」
サブのことだ、こういう面白い実験をするためなら、いろいろ説明を誤魔化して先生に許可を出させた可能性も否定できない。
本当にちゃんと許可を取ったのか確かめるべく先生の姿を探す。ていうか、おとといよりもめちゃくちゃ参加者が増えてるな……。
実験大好きな理系とオタクの集まるこの学校のことだ、電子レンジを用いた放電なんてレアな実験を見れると聞いて、このクソ暑い中を飛んで来たのだろう。もしくは、リアルレールガンを見たい某ラノベファンとか。
とりあえずクラスの友達と軽く挨拶しながら進み、今回の実験の監督を務める非常勤講師、君野先生の前へ。
君野先生は電子工学を専門に教えている講師で、その他電気製品の加工や製造も一通り詳しい。この実験の監督を頼むならまさに適任だと言えるだろう。
しかし、だからこそ。
電気の怖い面を俺なんかの何十倍も熟知している君野先生だからこそ、こんなずさんな実験準備の中で実験することに対して許可を出すなんて、到底思えなかった。
「先生、今から行う実験の内容について、ちゃんとサブから全部聞きましたか?」
「ああ、なんでも10円玉をレンジでチンして、誘導電流と放電現象を使ったレールガンを作るそうだね?」
「10円玉ぁ!? レールガンん!?」
……あ、安全どころか、昨日より危険度が増してるじゃないか!
第一人者でもないし学校で習ったところ以外はそんな熱心に勉強してないのでわからないが、数センチ四方のアルミ箔で起こす放電と10円玉で起こす放電、どっちが危なそうかと聞かれたら、たぶん後者だろう。
……マジで身震いしてきた。何考えてんだあの馬鹿は。
「よ、よく許可出しましたね……?」
「そりゃ、めちゃくちゃ面白そうな実験じゃないか! レールガンは全高専生の夢だと思うよ! 無論、私含めてね!」
「でも、こんな……ゴム敷いてるくらいの安全対策で大丈夫なんですか?」
「あぁ。それについては問題ない」
俺は次に先生の口から出てくる言葉は、てっきり『人に放電が当たることはまずないからね』とか、そういうのだと思っていた。
だが、実際に先生が言ったのは、ある意味それの真逆とも言うべき言葉。
「人に当たっても大丈夫なように、電子レンジの出力を改造しておいたからね」
「………………え?」
呆然とする俺を置いてけぼりにして、他の生徒たちにも聞こえる声で、先生は説明を始めた。
「今回使用する電子レンジでは、電磁波……マイクロウェーブの代わりに、電子情報コース教師陣の実習中に出来た、特殊なブルーライトの光が放出される。
光も電磁波だから、誘導電流と放電は問題なく発生する。それと、これがとても不思議なんだけど……この光が生み出す誘導電流は、電圧値こそ何万という単位だが、電流値が大体0.09〜0.24アンペアと、ものすごく低いんだ」
……放電に当たっても大丈夫、とか言ってたのはそれが理由か。
「発生する誘導電流は電磁波の種類と関係ないんじゃないですか?」
「そのはずなんだけどね……まぁ、ついこないだの補修実験の時に偶然発見されたものだから検証ができていない、というのもあるけど」
「あ、安全の保障無くないですか、それ……」
「いや、すでに人体実験はしてあるよ」
「えっ!?」
人体実験……!?
人間が放電を直に浴びたってことか!?
生徒が不安にざわざわと色めき立つ中、先生は苦笑しながら頭を掻いた。
「この実験のリハーサル的に、昨日先生一人でこの実験をしたんだけど………」
「ちょっ……まさか!?」
「思ったより拡散的に放電するもんだから、何度か繰り返しやってるうち、電子レンジのドアをぶち壊しちゃってさぁ。はははは、アタマに当たっちゃったんだよ、放電がさ」
「………………………」
あ、当たっちゃったんだよ、じゃねーよ……。
事前に機器を使って電圧値を知っていたとはいえ、命の危機ってレベルじゃねーぞ。ていうか電子レンジのドアを破壊してる時点で、けっこうな破壊力持ってるんじゃねーか。
周りの生徒たちも、この実験バカ過ぎる先生に呆れ返ってしまって失笑している。この人、新しい何かとか発見したら、それについての実験で死ねるなら本望って本気で思ってそうだからな……。
ってか、電子レンジのドアが最初から取れてるのはそれが理由なのか……。
ここでサジが挙手した。
「先生、幼稚な質問だとは思いますが……。その放電に当たった時、痛みとか衝撃とか、どんなことを感じましたか?」
サジはムカつくことに、普段はチャラチャラしてるくせに、先生と話す時は俺なんかよりも礼儀を心得ている節がある。
もっとも、こういうTPOを弁えてて、空気が読めてちゃんとしてる所が、こいつのカリスマを形作っているのだろうが。
だが先生はその簡単な質問に、深く考え込むような素振りを見せた。
「……それがね、大菜くん。困ったことに、何も変わったことがないんだ」
「変わったことがない?」
「冬場に、ドアノブに触った時とかセーターを脱いだ時みたいな、パチパチッとした電気は感じるんだけど、それだけなんだ。放電だからどうとか、ブルーライトだからどうとか、特殊要素が全くない」
「特殊要素がない……ですか……」
人ごみの中から、チャラそうな専攻科生がハイハイと挙手する。
「要するに、喰らったダメージとか衝撃だけで言えば、ただの静電気と変わらねぇ、ってことスか?」
「そういうことになるね。電圧は大体8000〜11000ボルト、電流がさっき言った通り、0.09〜0.24ミリアンペア。奇しくも、どちらも静電気の数値と似ているね」
喰らっても、静電気でバチってなるのとほぼ同じだから大丈夫、ってことか。
隣から話し声が聞こえてくる。
サブと……妹子か。
「な、な、妹子。静電気ってそんな電圧高ぇの? 俺は毎年そんなのをバチバチ喰らってんのに生き残れてるの?」
「サブちゃんも前習わなかった? ……静電気を喰らっても平気なのはね、その電流値の低さのおかげなワケ」
「電流が低けりゃどんだけ電圧が高くても大丈夫なのか?」
「……限度はあると思うけど、まぁそういうことっしょ。静電気のあのバチッて感じも、一瞬だけ電気が流れるから痛いってだけで済んでるわけで、もし電流がすごかったら、その電圧がずっと流れ続けることになるの。
例えるなら、1ミリアンペアが波〇拳1発ぶんだとしたら、1アンペアはその約1000倍だから、〇動拳の直系の1000倍の長さのビームを、ダウンする暇もなくずっと喰らい続けるわけ」
「oh…………」
……フェタリティすぎるだろ。
あまりの残酷な説明にサブも納得せざるを得なかったようで、若干実験に弱腰になったように見えた。
他にも生徒からいくつか質問が寄せられ(といっても、ほとんど『この技術に応用できますか?』とかの企業的な質問だったので、興味なくてあまり覚えてない)、それがひと段落したところで、先生は真面目な顔になった。
「みんな。……いくら、僕がすでに喰らったけど無事だったとはいえ、突然変異的に別の結果が出る可能性もゼロじゃない」
生徒たちも、黙った。
みんな、緊張しているのかもしれない。実際に俺は今日の説明を聞いても、まだちょっと怖い。
「端的に言う。これは小規模ながらも前代未聞の実験であり、命の保証はできない。もしこれで、障害が残るような怪我をしたり命を落とすようなことがあった場合、先生はちゃんと責任を負うよ。だけど、誰かが責任を負ったところで、失ったものは戻ってくるワケじゃない。
レールガンとか珍しい実験にワクワクする気持ちは、同じ理系の人間として大いに分かる、というか先生の方がその気持ちは何倍も大きい。……だけど、何度も繰り返すがこの実験は安全が保証されていない。もし怖い気持ちが勝っているのなら、実験ビデオは撮影しておくから、あとでそれを見てくれ」
君野先生の顔は、穏やかだった。
俺たちと昔の自分を重ね合わせているかのような、懐かしんでいるような。目を細めて、口元に笑みをたたえていた。
「実験でもスポーツでも、『好きなことに命を賭ける』って、聞こえがいいけど、実は格好良くも何ともないんだ。ただ命知らずなだけのバカさ、試験前にゲームとかの好きなことをやりまくって撃沈するのと、何も変わらない。
いいか、この実験に『立ち会わない』という選択は、けして『逃げる』ことと同じじゃあない。……それでもこの実験に立ち会いたいと強く願うなら、残ってくれて構わない」
さっきまで、特殊なブルーライトについて盛り上がっていた浮き足立った雰囲気は、先生の話を聞いた今の俺たちにはこれっぽっちも残っていなかった。
先生は、俺たちに緊張感を持たせてくれたのだろう。
教科書に載っていて誰でもやったことのある実験は、楽しんでもいいものだ。だけど、誰もやったことがなくて、誰も安全を保証できない実験は、常に死の可能性と隣り合わせで、緊張感を持つべきものだ。
と、一人の生徒が手を挙げた。
「……僕、怖いからやめときます。残るみんなの前でこういうこと言うとアレだけど、こんなので死んだら、絶対後悔するし……」
それに続いて、続々と退出者が出た。
「わ、私も……ビデオで見れるなら、命を危険に晒したくないかな……」
「オレ、明日デートあるし。カノジョを残して死ねないっつーか」
「……俺も、なんか怖くなってきたからやめとくわ」
7人くらいが退出して、残ったのは約10人くらいになった。
見たところ、サジや妹子など、おととい教室に集まっていたメンツは残っているようだ。
ちなみに俺も、なんやかんやで怖さよりも興味が勝ってしまっているので、迷いなく残ることに決めた。
「……オッケー。じゃあ、これからビデオ用の映像撮影もするし、実験の概要をもう一度確認しておこうか」
先生は実験室に隣接している準備室から、三脚とビデオカメラを持ち出してきた。どちらも実験データ記録用の学校の備品である。
ビデオカメラは、まっすぐ電子レンジの方に向けられている。
赤い光が点灯した。撮影が開始されたのだろう。
咳払いして、先生はビデオカメラが音を拾えるように、実験の説明を始めた。
「この実験は、金属の電磁誘導を使った、放電観測実験である」
「あ、先生。これ一応、俺は『とある電子の
「サブ! 雑音入れんな!」
「……ん、んん。……えー、実験の内容としては、E科の実習で偶然出来た、特殊なブルーライトを、電子レンジのマイクロウェーブ放出部から代わりに出るように改造。その改造電子レンジで10円玉を1分温めるというものである。電子レンジのドアは放電現象の観測のために取り外している。
手順は極めて少なく、一般の家庭でもできるような物品でできる実験であるが、安全の保証はないため絶対に専門の実験室等以外で実験を敢行しないように」
横に並ぶサジが、「実験データ用のビデオってあんなこと言うんか?」と耳打ちしてきた。
……理系バカどもがこのビデオを見て自分で実験したくなっちゃった時のための警告だろ。知らんけど。
「なお、効果があるかは不明だが、現在実験室の壁と床は1面に絶縁体が張られている。……それでは、実際に実験に移る」
先生は電子レンジのターンテーブルの上に、ピカピカの10円玉を載せた。
……いよいよ、レールガンが……もとい、放電現象が見られる。
命の危険に対する恐怖よりもワクワク感が勝ってしまうような理系バカたちは、息を飲んで先生の手を見つめた。電子レンジの分数を設定するツマミを握る、先生の手を。
先生は一度だけ、ビデオに映らないように俺たちの方を向いて、しっかりとうなずいた。
「……それでは、始める」
1分のところまで、ツマミを回して手を離すと、先生は飛び退くように電子レンジから距離を置いた。
電子レンジという箱の全方向から10円玉に向かって、ブルーライトが放出される。青い光が電子レンジの内部を照らす様子は、けっこう綺麗だ。
…………1秒、2秒。
何も起こっていないように見えるが、この間、電磁誘導によって生まれた電気が、10円玉に帯電して、溜まっていっている。
その帯電する電気量が、10円玉が溜められる電気の量を超えた瞬間に、放電現象……レールガンの発射が起こる。
4秒、5秒、6秒…………。
そして7秒後。
ジ……ジジ……ジジジジジ。
疼くような音が聞こえてくる。10円玉に、小さな青い光の玉ができた。
「あ……!」
「…………きた!」
アニメやテレビの効果音みたいな、バチバチ、ビリビリって感じの音だ。
青い光の玉。……まだ小さいが、おそらくこれが放電だろう。
2秒ほど、明滅するように大きくなったり小さくなったりを繰り返して、10円玉に火花を散らせた後に。
バチッ!!
低い唸りと高い悲鳴が合わさったような音とともに、急激に肥大化した青い光の玉は、稲妻となって、放出された。
先生の言ったとおり、とても拡散的に、上下左右に激しく火花と稲妻を飛ばしている。
「せ、先生! 止めましょう! もう見たいものは……」
見れました。
それを言おうとした瞬間、まさに雷が落ちるような一瞬の出来事。
俺の肩の上を、稲妻が走った。
バチッ、と、大きな感電音が鳴った。
「……………………え?」
全てがスローモーション。
稲妻が自分の真横を通過した反射で後ろを振り向いて、そこで見たのは、最初から狙っていたかのように、妹子の眉間に稲妻が着弾している瞬間だった。
妹子は、きょとんとしていた。
だけどすぐに、瞳から色が消えて……。稲妻の青い光が、全てを奪っていくように、瞬いて消えていって…………。
あんなに鮮やかだった青い稲妻が、モノクロな世界のものになる。
チン、と場違いな音とともに、1分のタイマーが終わって、ブルーライトの放出が止まる。それに遅れて、俺の背中に、一切の力が抜けた妹子の体が覆いかぶさってきた。
声が、出せない。
みんな、同じ。
時間差で、どうしようもない恐怖と、取り返しのつかないことをしてしまった、最悪の悲愴が。感情の奔流が、とめどなく溢れてくる。
「あ…………え、嘘……だろ……妹子…………?」
サブが、膝から崩れ落ちた。
そして俺も、今まで抑えていた声が、叫びが、止められなくなって。動かない妹子の体を抱き抱えるようにして。
叫んだ。
「妹子ぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
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