脳振フィルタ

「そんなっ……!! おれ、俺が……俺が殺し……俺が殺した!?」

「落ち着いて! ……そもそもこのプラシーボ理論は、まだ正しいと証明されたわけではないわ」


 目の前を真っ赤な血で覆っていた悪夢のビジョンが、徐々に消えていく。


 ……気付けば俺は立ち上がり、テーブルに肘をついて叫ぶように悲鳴をあげて、軽い過呼吸状態になっていた。

 …………苦しい。

 悪夢ではない、別の何かに視界が支配されて、その場でよろめいた。


「クニノブ氏ぃ!」

「ど、どうしよ、顔が真っ青…………! パパ、パパに助けを……!」

「……栄くん、それは言わなければいけないことだったのですか?」


 蓮と南無三に介抱されるような形で、椅子を3つ並べた上で寝かせられる。

 頭上では、円行さんが珍しく険しい表情で栄さんに問いかけていた。

 ちなみに宣撫さんはというと、我関せずとばかりにカラミーチョをもぐもぐと頬張っていた。マジで悪魔女である。


 円行さんに窘められるような形となった栄さんは、まだ整っていない息を口呼吸で鎮めている俺の頭の方に来て、目を見て、話しかけてきた。

 黒い瞳が、戸惑うようにゆらゆらと揺れている。


「ごめんなさい……ショックを与えるつもりはなかったの」

「大丈夫……ですよ。ちょっと、悪い夢を思い出しただけです……」

「……アラマくん。私があなたにこんなことを言ったのは、あなたに、きちんと、志免さんが亡くなったことを認識してもらうためよ」


 栄さんが、顔を近付けてくる。

 髪が一瞬だけ鼻をかすって、ふわっと、甘い香りがした。


「『もう一度忘れれば、また志免さんと会える』なんてことは、絶対、間違っても考えないでね」

「……………………」

「普段ヘンなことばっかり言ってるようだけど………これでも、ちゃんとした死生観は持ってるつもりよ。一度死んだ人間がまた生き返るなんて、本来、あってはいけないことよ」

「………………………………」


 何故だか。

 何故だか分からないが、無性に、泣きたくなった。


「人間が自然の摂理に逆らうなんて、あってはいけないの。命は、死んだら2度と生き返ることはできない、取り返しのつかないものであるべきなのよ」

「…………分かってます」

「それなら、よかった。その気持ちをずっと持ち続けてね」



 8月5日。


 昨日あのあと結局、俺の体調は座って頭を冷やしているとすぐに回復したので、オフ会はすぐにまた再開された。

 といっても、みんな他に話すようなこともなかったので、ただのホラーDVD鑑賞会となってしまったのだが。オカルトマニアたちのうんちくと一緒に見るホラー映画は2倍面白かったから、それはそれで有意義だ。

 円行さんは53歳の年の功か、昔の名作ホラービデオを持参してくれるので、けっこうホラー映画を見慣れた俺たちでさえも思わず声を上げてしまうような作品を鑑賞できるのだ。


 …………それにしても。


 あのオフ会のあとから、俺はずっと、プラシーボ理論……正式な学会での名称、『プラシーボ世界論』のことについて考えていた。

 昨晩はそのせいで眠れなかったくらいだ。


 もしその理論が真実なのだとしたら、宇宙の存在さえ、人間の認識に左右されるものだということになるのだろうか?

 今も部屋に差し込んでくる光を届けてくれている、あの太陽でさえも……人間が認識して生み出したものなのか? 月も? 地球も?


 また思考の渦に飲み込まれそうになったところで、スマホがバイブした。

 …………サブからだ。

 サブとの個人トークは、本人から「絶対に通知を切んなよ! 切ったらなんやかんやして殺す!」と念を押されているので、一応律儀にも約束を守って通知オンにしている。


『おとといはできなかったけど、今日先生に頼んだら実験できるようになったから絶対来いよ! 専門棟3階の第4実験室な!』


 ……おとといはできなかった実験?


 …………ああ、あの電子レンジの実験か。

 よくそこまで電子レンジに固執できるな……。普通は、あれだけやめとけやめとけ危険だ危険だと言われたら、別の出し物を考えるもんだと思うが。

 たしかに俺もその実験には興味がある。電子レンジの中で放電が起きるなんて、めったに見られる現象ではないからな。あと青い火花散ってかっこいいし。あと青い火花散ってかっこいいし!


 とりあえず実験をするならばと、長いこと使っていなかった白衣と安全メガネをリュックサックに入れて、家を出る。

 どんよりとした曇り空の下を、折りたたみ傘くらい持って来ればよかったなと思いながら駅まで歩いていく。


 ……………………………………。


 ダメだ。

 見るもの全てに、プラシーボ世界論を照らし合わせてしまう。


 あの雲も。そもそも、『曇り』という気象概念さえも。

 雨も虹も空も、空気も原子も分子も。

 夏は暑いという当たり前も、俺たちに日差しを突き刺す太陽も。

 イヌという種族も……? ネコという種族も………? 微生物も、細胞も、何もかも、全て、人間の認識が作り出したものなのか?


 ……人間は、神様だったのか?


 赤信号に立ち止まって空を見上げると、なんだか自我を失ったような……自分がいまここに存在することが疑わしく思えてくるような、力ない浮遊感に囚われて、また涙が出そうになった。

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