心の話

@kazutaka8888

第1話


「心が折れるって、どういう事だと思う?」


「へ?」


あまりに想定外の返事をされ、僕は素っ頓狂な声を上げた。


「どういうことだと思う?」


彼女は柔和な顔で、繰り返した。


「え、えーと、これは真面目な話?」


「もちろん。冗談じゃないわ」


「僕が今貴女に言った事、ちゃんと伝わったかな?」


「伝わりましたとも。その手に持っている指輪の意味も」


サーッと、顔から血の気が引くのが分かった。


「そ、それじゃあ、ととと遠回しにここ断りののの」


「そうじゃない!言葉の通りよ。心が折れるって、柚子(ゆず)君はどういうことだと思う?」


ぎゅっと、彼女が僕の手を握った。


「安心して、断ろうと思っての言葉じゃないの。柚子君の気持ちは凄く嬉しいわ。でもこの話は、今したい話なのよ」


真剣な顔で、彼女は静かに言った。



とても大切な話をするときに、よく彼女はその仕草をした。





僕は伝わってくる彼女の温もりに、徐々に、落ち着きを取り戻して行く事が出来た。


「ごめん、取り乱した」


「こちらこそ、そんなに動揺するなんて思ってなかったの。ごめんなさい」


彼女の表情はまた、柔和なものへと戻っていた。


「えーと、心が折れるってことだけど」


僕はゆっくり話しながら、必死に、模範回答を探した。

しかしそんな姿は彼女に筒抜けだったようで


「思ってるままに話して」


そう、注意された。


「そうだな、絶望するってことかな?」


「そうね。心が折れると絶望するわね」


「真っ白く灰になったりするね」


「それは燃え尽きた状態じゃないかしら」


彼女は笑った。




「うーん、辞書で調べて良い?」


何を問われているのかさっぱり分からなくて、僕は早々に白旗を上げた。


「辞書には、その人を支えていたよりどころがなくなってしまうと、書いてあるわ」


そう言って、彼女はどこか悲しむ様な、懐かしむ様な、不思議な表情を浮かべた。


「珠洲(すず)ちゃんは、心が折れるって、どういう事だと思ってるの?」


もしかしたら、模範解答はこれだったのかも知れない。




「私は、」


そう言葉を切って、彼女は目を伏せた。

握られた彼女の手が、少しだけ、その力を強めた。


「人は皆、心に幹を持っていると思うの」


彼女は静かに、話し始めた。


「そして私はそれを、『自信』と呼ぶ。自信は、成長する中で育まなくてはいけないものよ。生まれながらには持ってないし、取ってつけたように、誰かが用意出来るものじゃない。もし出来たとしても、それはとても脆いものよ」


そこで、彼女はひと呼吸おいた。


「それで、その幹がぽっきり折れてしまう事を、私は『心が折れる』って事だと、思ってる」


伏せられていた彼女の目が、まっすぐ、僕の瞳の中を覗き込む。


「自信になることは、色々あるわ。体力かも知れないし、学歴かも知れない。若さかも知れないし、人によっては、家柄かも知れない」


僕は彼女の瞳を見つめながら、ちらちらと思い浮かぶ友人たちの顔を眺めた。


「自信があると、人は堂々としていられるわ。自分の存在価値を信頼しているから、失敗したり、誰かに疎んじられても、それは痛みや悲しみになったとしても、いつまでもその人を苦しめたりはしない。ああ、こういうこともあるんだなって、やがて経験になっていくの。・・・でも、自信は必ずしも、永遠ではない」


彼女の瞳に、悲しみが宿った様な気がした。




「例えば、凄く体力や筋力に自信があって、毎日毎日ジムで体を鍛えていた人が、ある日体力が低下する病気になった

としたら、どうなると思う?」


「自信を、失っていくと思う」


「そう。初めは「大丈夫、自分はあれだけトレーニングしてきたんだからこんな病気へっちゃらさ」って、思うかも知れない。でも、世の中にはどうしようも出来ない事がたくさんあるの。やがてかつての姿を無くしたその体を、その人は受け入れられるかしら」


「もしその人が持っていた自信がそれだけだったら、立ち直れないかも知れない」


僕のその言葉に、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「うん、もしその人に他に立ち直る事の出来る自信があったなら、その人は病気と共に、別の人生を歩んでいけると思う」


彼女の伝えたい事に、どうやら僕の答えは近かったらしい。



「私は、心が折れるのは、決して悪い事ではないと思うの」


「え?そう?」


さっき心が折れるのはあまり良い事ではない様に話してたから、少しびっくりした。


「うん。でもそれは、子供の頃が良い。無くすものが少なくて、立ち直りが早く、まだ守られる存在である子供の頃が良い。もっというと、子供の頃に心が挫ける経験をしないといけないとも思う」


「それはどうして?」


「人生、いつまでもずっと、己の努力だけで挫折を回避する事は不可能よ。絶対何かしら起こる。怖いのは、大人になって初めてそこで心が折れたとき。耐性が全くないから、子供の頃に受ける痛みより何倍も酷いものになる。人によってはそこで自殺する人もいる」


「人生に絶望したので死にます、みたいな?」


「そう。私は、絶対そんな子供を育てたくない」


「あっ」


彼女が言わんとしていることが、分かった気がした。



「自信を取ってつけることは出来なくても、一緒に育む事は出来るわ。そしてそれは、親の大事な役目だと思う。苦労無く、失敗無く、挫折無く、心配事を先回りして消そうとする親が世間にはいるみたいだけと、私はあまり賛成出来ない。心は本人にしか育てられないんだから、将来を見据えてそれは子供に対してあまりに酷だと思う。子供はいつか親元を離れ、大人になるんだから。独り立ちしていかなきゃ行けないのに、その訓練が全然出来てなかったら相当大変よ」


彼女はまた、柔和な笑顔に戻った。


「私は、何があっても、例えばどうしようもない絶望に打ち拉がれても、また立ち上がっていける様な、たくさんの自信を持った心の強い子を育てたいの。希望を抱いて独立していける人を、育てたいの。それはとても大変だと思う。だって私はまだ20年ちょっとしか生きていない、未熟な人間なんだから」


「2人だったらやっていけるかも知れない!2人じゃ無理でも、俺や珠洲ちゃんの親だっているんだ!それに僕らだってまだまだ成長出来る!」


僕は思わず叫んだ。



「俺と僕がごっちゃになってる」


彼女がクスクス笑った。


「うっ」


テンパったのだから仕方ない。




「あのね、一緒に、育ててくれる?一緒に、親になっていってくれる?」


「もちろんだよ。というか、それに承諾出来なかったら僕は珠洲ちゃんと結婚出来ないんだよね」




ふふ、と、彼女は笑った。


「柚子君がそういってくれるって信じてたよ」


「それはありがとう」


「あら、これは結構大きな賭けだったのよ。だってまだ子供もいない状態でこんな話しをしようとしているんだから、ここで引かれて逃げられても、仕方ないかなって思ってた」


「あの笑顔の裏でそんなこと考えてたんだね」


「うん!」


そう元気に彼女は言って、僕に抱きついてきた。


「不束な嫁ですが、宜しくお願いします」


「こちらこそ、宜しくお願いします!」




こんなことを考えてる彼女が、不束な訳がないと、心でそう強く叫びながら、僕は彼女を強く抱きしめた。




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