9-4
込み上げてくる喜びを完全に抑える事など、剣聖には出来なかった。
完全なる無意識下、剣だけが動いた。銃撃と同時、死を受け入れる間すら無かった剣聖の、愛刀だけが振り上げられた。
斬る余裕など当然無い。受け流す事すら出来ない。ただ振り上げられた愛刀は、その刀身を犠牲に銃弾の軌道を僅かに逸らした。ずれた弾道は剣聖の側頭部を抉ったが、その命を奪うには至らない。
何が起こったのか、どうして防げたのかも分からぬ剣聖であったが、その感覚的な余韻が長い間渇望していた物であろう事は容易に理解できた。
———長い間、銃との戦いを繰り広げて来た。
特に最新の銃器は、射程も動作あたりの殺傷力も剣の比では無い。以前は連射性を始めとした弱点があったが、後装式銃の登場と数々の改良を経てそれも克服された。更には先の大戦で短機関銃が歩兵の標準装備となって以来、最早正面きって銃と相対する事は無謀であり、機先を制し撃たれる前に斬るよりほか方法が無かったのである。
しかしそれにもすぐ限界が来るであろう事は分かっていた。弾速の向上は、その威力と相まって撃たれた際の防御を困難にしている。速射性や正確性も飛躍的に改善されており、更なる強化や完全な機械化が成されれば、それを破る事は不可能にも思われた。
そんな中での、一筋の光明である。正に今、剣聖は既存の剣の限界を超越し新たな領域へと踏み出そうとしていた。
狙撃兵との距離が見る見る内に詰まる。銃口の向く先、剣聖は刀の一本を常に射線上へと構える。
当然の事ながら狙撃兵の執った行動は、欠けた愛刀の武器破壊。何時装填したかも分からぬ速射で、剣聖の動線に合せて弾頭を置き撃ちする。しかしそれも僅かな動作で完全に受け流され、少しの足止めにもならない。
今度は包囲の輪を縮めて来た伏兵二名が合流、異常事態を察知した独裁国家の精鋭は狙撃兵と共に剣聖を迎え撃つ。
伏兵の銃撃と同時に姿を消す狙撃兵。完全なる潜伏は、剣聖にすらその精確な位置を悟らせない。同時に散開する伏兵二人は、己へと剣の注意を引きつけるべく攻撃を加える。
剣聖は右側に散った伏兵の方へと狙いを定めると、猛然と走り寄った。周囲には更に伏兵が集まって来ており、剣聖との距離を保って包囲を形成しようとする。
剣聖が斬り付けるその瞬間、放たれた銃弾は僅かに一方向からのみ。射程内に入っていた他六名分の銃撃は、味方の死を最大限に活かすべく斬撃の直後に同時に撃ち込まれる。右手の聖剣で標的を絶命させた剣聖は、身を捻り回転しながら愛刀で銃弾を弾き落とす。
その剣戟の合間を縫って、更なる一発の凶弾が死角より発射。剣聖の認識から外された、刀が間に合わない瞬間を狙っての横腹への一撃。絶対に防げるはずのないその銃弾を、剣聖は愛刀をもって今度は真二つ、鮮やかに斬り払った。
狙撃兵の目をもってしても今の剣聖の所作はぼんやりとしか見えない。銃弾の速度をも遥かに凌ぐ超高速での斬撃、そうとしか考えられなかった。剣聖も狙撃兵も、通常有り得るはずの無い事象に対し自分なりの解釈を付加する。
明らかに人智を超えた剣の動きは、もしかしたら神の領域へと達しているのかもしれないとさえ、周囲の兵達は思わざるを得なかった。
狙撃兵は剣聖の躍動を睨めつけながら、少しも表情を変えずに再び後退を開始、存在を隠匿すべく樹木の陰へと入り込んだ。
独裁国家最精鋭の伏兵達を無視して、剣聖は真っ直ぐに狙撃兵へと詰め寄る。たとえ狙撃兵の精確な座標は見失っても、その方角は決して違えない。接近を阻止すべく攻囲の輪を縮める伏兵達に動じる事も無く、確実に彼我距離を狭めて行った。
樹木や雪に上手く溶け込み、周囲からの銃撃へと神経を研ぎ澄ます。射線を限定し偽動と歩法でタイミングを狂わせ、殺気に合せて軽く刀を振るうとまた前進を続ける。
狙撃兵は銃撃を諦めたのか、先程からいっこうに攻撃してこない。気配を消したまま後退に徹しているようだが、何時発射されるかわからない事が反って剣聖の足を鈍らせる。しかしここで憶すような剣聖でも無く、慎重な足取りながら徐々に速力を上げた。後ろから迫る伏兵達とはみるみる距離が拡がり、すぐに射程外にまで引き離す。
と、その直後、剣聖が急に立ち止まる。前方には途切れた森と凍った川。狙撃兵は既に川の向こう岸に潜伏しており、これを渡らなければ殺す事は出来ない。ここは敵陣奥深く、地の利はやはり相手に有るようだ。この地点を有効に利用する為に狙撃兵は後退したのである。障害物も無く足場も悪い凍河、間違い無くここで仕掛けてくるだろう。
剣聖に考える間など無かった。背後からは六方向から伏兵が迫り、範囲内に入ればすぐさま攻撃して来る。もし期を逃して追い詰められ、対岸へとその身を晒せば確実に狙撃の餌食となる。
剣聖がここまで戦えているのも、やはり障害物で射線が限定されている事が大きい。開けた空間では無限にも近い銃撃を想定しなければならず、そうなれば剣の新たな境地をもってしても防ぐ事は出来ない。
とは言え、迫りくる伏兵達に向かって行けば狙撃兵を逃がす事になり、それは決して許される事では無い。もし狙撃兵を逃せば、剣聖を含めた多くの要人が消されるだろう。神々でさえ、彼の凶弾をもってすれば屠られかねない。
まだ成長の伸びしろがある事も窺え、次に相対すれば剣聖でも勝算は殆ど無い。何せ狙撃の腕だけでなく、今は兵器の改良発達が異常に速いのである。最初の銃撃に関しても、使われた銃の性能が僅かでも高かったならば、剣聖は既に絶命している。
よって剣聖の執り得る行動は、前進以外に無い。が、当然馬鹿正直に突き進むわけでも無い。
飛び出す直前、川と並行に少し駆けると、両手の刀を数度振り払った。数瞬遅れて軋音と共に川床へと倒れ込む巨大な針葉樹達。
それらの枝葉と雪飛沫に紛れ、剣聖は対岸へと走り出した。後方の伏兵は倒れ来る巨木を避けるのに手いっぱいで、剣聖を撃つ余裕など無い。正面からの狙撃兵の銃撃を防ぎさえすれば、追い詰めたも同然である。
倒れた二本の幹の間を走り抜ける剣聖が、もう少しで対岸へと辿り着く地点。
一発目。僅かに進路を変えた剣聖の皮一枚、超高速の銃弾が飛び過ぎる。前方に狙撃兵を視認した剣聖は、更なる加速を見せる。
次の瞬間には、第二射。今度は銃撃より先に愛刀の刀身を射線上に置く。僅かな金属音と共に、剣聖の両脇を破片が飛び去った。
剣聖は少しの減速も無く、一足飛びの間合いへ。三発目、下腹部を狙った銃弾は、黒銀刀に弾き飛ばされた。
最早剣聖と狙撃兵の間に距離は無い。もう一発、撃てば次弾装填は間に合わない。狙撃兵は全身全霊を一撃に込める。これまで練り上げて来た全ての技術を、超至近距離の速射狙撃に出し切る。発射の瞬間、狙撃兵の手がぶれる。狙いの外、予期せぬ動作。如何な極限の状態とは言え、狙撃兵が失敗する筈も無い。剣聖と同じ、新たな次元への第一歩か。ゆらりと虚ろいだ銃撃は、同時に揺らめいた刀身を滑り、剣聖の太腿を抉り取る。
が、時既に遅し。剣聖の間合いの中。黒銀刀の一撃を防いだ狙撃銃は、真二つに鉄屑と化した。
狙撃兵は既に飛び下がっており、凍河上へと出ようとする。詰め寄る剣聖。副武装の小銃が火を吹くと同時に、金属音と鉄を斬る音。ばらばらになった小銃を手放しながら、投げナイフを放つ。そのような児戯では足止めにもならず、軽く払われ最早一刀の間合い。雪上に転がった狙撃兵へ、剣聖が追い討ちに斬りかかる。
その刹那、腰から引き抜いた拳銃の早撃ち。追い詰められた最期の最期、半世紀前の技術を活用した狙撃兵の切り札。銃を抜いて引き金を引くまで、正に一瞬。と同時に、振るわれる黒銀の聖剣。
狙撃兵の手首は斬り落とされるも、一瞬遅れて発射される銃弾。気迫か鍛練か執念か、既にその肉体と切り離されたはずの死肢が、鉄の銃身をして炎を吹かせる。咄嗟に防いだ愛刀をへし折り、銃弾は剣聖の反対側の腕へと食い込んだ。
手首と共に落ちる拳銃は、発砲の反動で僅かに狙撃兵に寄る。極僅かな座標のずれが、戦いを紙一重の物へと変える。残った手指で拳銃に飛び付く狙撃兵。撃たれた反動で仰け反りながら、愛刀を捨てて黒銀刀を持ち替える剣聖。己の手首ごと構えた拳銃と、その手首を斬り落とした聖剣が再び交錯する。
甲高い銃声が一発。放たれた銃弾ごと、拳銃が真二つに斬り上げられる。縦に裂けた手首に目を遣る事も無く、狙撃兵の片腕は既に胸元へと運ばれている。勢いそのままに剣聖へと倒れ込むと、飛び退く剣聖へと取り出した手榴弾を投げつける。
即座に爆破地点から側方へと避ける剣聖。狙撃兵はもう一度、二つ同時に手榴弾を掴むと片方の安全ピンを口で引き抜いた。が、そこで漸く自分が大量に吐血している事に気が付く。恐る恐る喉元に触れると、夥しい量の血液がそこから流れ出ていた。何時斬ったのか、何時斬られたのか。
狙撃兵は神でも拝むかのような視線を敵へと向け、ゆっくりと動きを止める。黙ったまま僅かに表情を動かすと、両腕を胸に添えながら安らかに爆散した。
人智を超えた神の業。後方から援護に駆け付けた伏兵達は、そう形容するしかない脅威を前に一目散に逃げ出した。勝ち目が無いから逃げた訳ではなく、何故逃げ出したのか自問する事すら出来なかった。
剣聖も彼らを追う事はしない。そんな些細な事はどうでも良くなっていた。何より彼らの己への視線が、既に敵としての認識を遥かに超え、一つの信仰へと昇華されている事に気付いてしまっていた。それと同時に剣聖は、そんな人間の精神の脆さに深い悲しみを覚えた。
剣聖の中に神など居ない。あるのはただ、対象を斬ったという事実だけ。対象を斬るのに他の何かを斬った気もするが、それが何かも分かっていない。そしてそれは決して神だとか宗教だとか、そんな有難い物で無い事だけは分かっていた。加えて、決してその何かに精神を囚われてはならない事も、理解するともなく感じていた。
剣聖は赤く燃え上がる南方の空に背を向けると、肉と鉄の残骸を踏み越えて森の中へと消えて行った。
剣聖が無双する話 山塚三 @yamatsuka
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