リンゴを巡るエトセトラ

@yoshitaka_ringo

第1話

午前四時、横浜市内の高台にある住宅地。横浜港が遠くに見える。

リンゴの朝は早い。

目覚まし時計で目覚めるわけではない。

九時には寝て四時には起きる、そんな生活がリンゴの習慣なのだ。

早いときには八時に寝て三時前に目覚めることもある。

親友のコナツはオールナイトニッポン(※ラジオ深夜番組)マニアだから宵っ張りで寝汚し(いぎたなし:寝起きが悪い)、正反対だからリンゴのことを、ひいおばあちゃんみたいと笑う。

部屋の東側の窓を開けると、まだ宵ながら初夏の太陽が海の下から横浜を示し始める。

あゝあー。

チューバッカ(※スターウォーズのキャラクター:猪八戒からイメージ)みたいな雄叫びをあげると、いつものように近所の犬たち、鶏たちが呼応する。

おはよう、

今度は地球のコトバで挨拶をする。

世界は美しい。目覚めたばかりはとくに格別だ。産まれたばかりの地球、そんな愛おしさにいつも圧倒される。

まだ夢の中の家族たちを起こさないよう、そっとリンゴは洗面台に向かう。

妹の部屋、父母の寝室を左右に廊下を突き当たるとリンゴの部屋だ。

歯磨き粉の匂いをさせてリンゴは国語の教科書を開く。漢文の先生は今日から新しい単元に入ると言っていた。「四面楚歌」だ。

ぐやぐやなんじをいかんせん、

項羽が虞美人に歌った歌は、荒井由実(※松任谷由実結婚前の初期の名前)の歌と同じくらい切なく、桑田佳祐(※サザンオールスターズ)の歌声くらいエロティックに感じた。

リンゴが予習をするのはもちろん成績を上げたい気持ちもあったが、それ以上に授業を楽しくするためだった。リンゴは国語の教科書が好きだった。新しい教科書が届くとすぐに目を通した。県内有数の進学校である高校には、東大を出た国語科の教師が多く、いつしかリンゴは東大に行きたいと考えていた。教師になりたいのではない、ただ東大のブンガクブ、という響きに憧れたのだ。それが高校の教師たちのおかげで身近に感じられた。

東大のブンカクブには、太宰治(※東大仏文科中退)や小林秀雄(※東大仏文科卒)など教科書で馴染み深いブンガクシャがひしめいていて、夜な夜なノワールトワアある(※萩原朔太郎「青猫」のをあある とをあある、より)、汚れちまった悲しみに(※中原中也)仮面舞踏会(※ヴェルレーヌ)を開いては、夜明けだ、さあ出発、何処へ?太陽と番った海へ(※アルチュール・ランボオ)。100キロだって走れるさ、と「鼠(ねずみ)」(※村上春樹「風の歌を聴け」)やホールデン・コールフィールド(JDサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」)と嘯きながら、怠惰なセーヌ河を漂っている気配がしていたのだ。

そのためには苦手の数学をなんとかしながら、得意な英国でアドバンテージをとらなければならない。現役は無理。なんとか一浪で共通一次を85%取って、2次は英語国語70パーセント、日本史世界史50パーセント、数学25パーセントで逃げ切ろう、そんな皮算用をしていた。でも夜明け前から予習をするのは、なんといっても楽しみのためだった。高校の先生たちはとても授業が楽しい。皆、その道のエキスパートだから奥が深い内容を垣間見られる。だから予習をしておけば、受験勉強用の内容の向こうに、項羽が仁王立ちする足もとで虞美人が儚くなる様子を楽しめた。

力拔山兮氣蓋世 (力は山を抜き、気は世を覆う)

時不利兮騅不逝 (時利あらずして騅逝かず)

騅不逝兮可奈何 (騅逝かざるを如何せん)

虞兮虞兮奈若何 (虞や虞や汝を如何せん)

ぐやぐやなんじをいかんせん

のわああるとわあある

文学はリンゴの愉しみであり、さらに楽しむべく苦手な数学の漸化式の作り方と夜明け前から格闘することも喜びを増すスパイスだった。

La joie venait toujours après la peine. 悦びはいつだって悶え苦しみに倍加される!

リンゴはフランス語も少し齧っていた。

ボードレール、ヴェルレーヌ、アルチュール・ランボオ、ステファヌ・マラルメ、アポリネール、、、文学は音楽とあいまってどこまでもめくるめく愉しみだった。

時代はバブル景気まっさかり、昭和復興を生き抜いた逞しいサラリーマンたちがバリバリと24時間闘いながら世界一アメリカに追いつく勢いでエンパイアステートビルを虎視眈々と狙っていた。

(散文詩的な脱線をたまにするのでご勘弁、閑話休題)

漢文から始めて、数学、そして世界史を勉強すると、下の階のダイニングキッチンからトーストとバターの良い香りがしてきた。甘党の父はそれに自分であずきを煮て作った餡こをたっぷりのせて食べる。

うへえ。

女子のわりにあまり甘いモノは好みでないリンゴは、トーストに高千穂バターをつけただけのシンプルな朝食だ。それに紅茶。紅茶は半発酵の祁門茶がお気に入り。

弟は3つ違いの中学一年生、私立進学校に通いバンド活動に勤しんでいる。地元公立中が荒れに荒れ暴走族が校庭を日中から走り回るような状況を嫌って猛勉強、横浜一番の中学に入って成績もまあまあ上位を維持している。

学校授業に取り入れられた空手にはまっているらしいが、全国レベルの女子に校内大会決勝戦で型の演武でいつも僅差で負け悔しがっている。

リンゴは愛らしい容姿をしているのでもてる。










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