ヒトガタ狂詩曲[3]

 それから数日後。ユキに、ヤガミから人形の修理が終わったという連絡がきたらしい。放課後になって、ナナに声をかけてきたユキは言った。

「あたしだけじゃ迷いそうだから、ナナちゃんもついてきてくれないかな」

「うん、いいよ」

 ナナは快くうなずいて、人形屋までの案内を任された。

 そのまま、ナナとユキはそろって商店街の裏道にある人形屋に向かった。道行く人たちは見向きもしない裏通りに入りこみ、入り組んだ路地を抜ければ、すぐそこに人形専門店は現れる。

 その日は、ツジが店の前の掃除をしていたようだった。「ツジさん」とナナが声をかければ、ツジはナナたちに気づいて「よお」と手を振ってくる。

「ユキちゃんだったか、ヤガミの奴から話は聞いてるよ。あいつなら店の奥にいるはずだから」

「ありがとうございます」

 ユキが丁寧に頭を下げると、ツジは笑って言った。

「久しぶりの客だからな、あいつ張りきってたぜ」

「あ、やっぱりここってお客さんこないんだ」

 素直すぎるほど率直に言い切ったユキに、ナナはぎょっとした。「ユ、ユキちゃん――」

 何もそんなきっぱりと言うことはないのではないかと慌てるナナに、ユキも遅れて失言だったと気づいたらしい。「あ」と、小さく声をもらす。

 けれども、ツジは気にした素振りもなく愉快そうに笑った。

「いいんだって、ナナちゃん。俺たちも、ちゃんと自覚はあるしな」

 そして、竹箒の柄を杖代わりに寄りかかりながら、「ま、ゆっくりしていけよ」と、店の入り口を指す。ナナとユキはツジに軽く頭を下げて、店に入った。

 ツジの言うとおり、カウンターはもぬけの殻だった。ナナはユキを案内するために先に立って、ユキを呼んだ。「ユキちゃん、こっち」

 手招きをしながら店の奥に入っていくナナに、ユキはただ黙ってついてきた。

 店の奥にある和室では、ちゃぶ台の上にきちんと正座したユキの三つ折れ人形とヤガミが向き合っていた。ナナはヤガミが人形と話をしているのかと思って慌てたけれど、どちらの声も一向に聞こえてこない。それでも、ナナとユキに気づくようすのないヤガミに、ナナはおずおずと声をかけた。

「あの、ヤガミさん……」

 すると、ふっと振り返ったヤガミは、ナナとユキを見て、ゆっくりと笑った。

「ナナちゃんにユキちゃんですね、お待ちしていましたよ」

「あの、あたしの人形は直ったんですか?」

 それまでずっと黙っていたユキが、そこでやっと口を開いた。

 気になって仕方がないといったようすのユキに、ヤガミはいつもの優しい笑顔を浮かべて、

「ええ、直りました」と、答えた。

 ヤガミが向かい合っていた市松人形の足を伸ばして見せると、ユキはほっとしたような顔をする。けれど、ヤガミは次には細めていた目を開いて、少しだけ真面目な顔をして言った。

「ただし、このままではまた壊れてしまうかもしれないので、一度ご実家に送り返してください」

 ヤガミのその言葉には、ナナもユキも驚いた。せっかく直ったのに、どうしてまたユキの実家に送る必要があるのだろう。それに、また壊れるかもしれないなんて――


 その疑問は、ユキも同じみたいだった。ヤガミから手渡された人形を、ひったくるようにユキは受け取って、人形を胸に抱きしめて言う。

「どうして実家に送り返さなくちゃいけないんですか? また壊れるなんてどうしてわかるんです、手抜きでもしたっていうんですか?」

「いいえ。手抜きはしていません」

「じゃあ、あたしがまたこの人形を壊すとでも言うんですか? あたし、そんな乱暴に扱ったりしない!」

 いつも穏やかなユキから初めて聞く、明らかな嫌悪の声だった。ナナはそれにびっくりして、ユキをまじまじと見る。ユキはナナには見向きもしないで、制服のポケットから一通の封筒を取り出した。

「お代はここに置いていきます。でも、母さんのいる実家には送らない」

 畳の上に封筒を置いたユキは、ヤガミを見もしない。「失礼します」と、そう言うだけ言って、きびすを返して歩き出してしまう。

「ナナちゃん行こう」

 ユキに呼ばれたナナは、ぎょっとしてユキとヤガミの顔を交互に見てから、慌ててユキの後を追った。後になってから、ヤガミにお辞儀の一つでもすればよかったと後悔したけれど、どうしようもない。

「お、もう帰るのか?」

 店の前にいたツジが、ユキに尋ねた。けれど、ユキは何も答えない。

「ごめんなさい、お邪魔しました!」

 ナナはツジに頭を下げて、急いでユキを追いかけた。

 黙々と歩き続けていたユキが、ようやく口を利いたのは、人形屋が見えなくなってから、ずいぶんと経ったころだった。

「ナナちゃん、もうあの人たちに会わないほうがいいよ」

「え、どうして?」

 突然なユキの言葉に、ナナは驚いて思わず聞き返した。すると、ユキは少しだけナナを振り返って続ける。

「チエばあちゃんに聞いたんだ。この辺りは昔、神社の参道だったんだって。でも神主が狂って神社に火を放って死んで、それで廃れた参道の名残が、この裏道になったって」

 そんな話を聞いたのは、ナナは初めてだった。ヤガミやツジからも、聞いたことはない。もちろん、ハルミにだってそうだ。

「それって、何かの間違いじゃないの?」ナナが聞くと、ユキは首を振って答えた。

「そんなことないよ。チエばあちゃんはこの辺りの歴史に詳しいんだもん」

 ユキが言う分には、今の神社はそれを建て直したものらしいけれど、わざわざ昔の参道に店を構えるような人とは関わらないほうがいいと言うのだ。

 たしかに、ヤガミの言葉はユキには不愉快だったかもしれない。だけど、ナナはヤガミもツジも、本当はとてもいい人だということを知っている。今度のことも、きっと何か理由があったはずだ。

 ナナは、ユキの目を見て言った。

「ユキちゃん、私やっぱりヤガミさんたちと会うよ。二人とも、いい人たちだもの」

 今回の理由だって、話せばきっと教えてくれるはずだ。

 けれど、ユキはナナから目をそらす。

「そう、なら止めないけど」

 それっきり、二人とも話をしなくなってしまった。そのまま、明るい日差しと人の声で賑わう商店街の傍に出る。

「あたし、今日はお父さんの手伝いがあるから。それじゃ」

 振り向くこともしないまま、ユキはナナをその場に残して、早足に去っていってしまった。ずしりと、気が重くなる。もう家に帰ってしまいたい気分だったけれど、今日はハルミにおつかいを頼まれている。ナナは、肩を落としながら商店街のほうへと向かった。

 と、そのとき誰かがナナの肩を叩く。はっと振り返ったナナの目に映ったのは、少し息を切らしたツジだった。ナナは驚いて、ツジを見あげる。「ツジさん、どうしてここに……」

「ちょっと店を抜け出して来たんだよ」息を整えながら言って、ツジは人差し指を二度ほど動かした。「ほら、あの子――ユキちゃんって子のようすがおかしかっただろ」

 ツジの言葉に、ナナの眉尻が少し下がる。それを見て取ったのだろう。ツジは頭を掻いて、商店街とは反対の方向を指差した。

「そっちに公園があるんだ。俺でよかったら、話を聞くよ」

「でも、今日はおつかいがあって……」

「それなら、後で俺も手伝うって。そんな顔してたら、レジのおばちゃんがびっくりしちまう」

 大げさに驚いた顔をして見せたツジに、ナナはちょっとだけ笑ってしまう。安心したように、ツジの表情が和らいだような気がした。


 人気のない公園のベンチに二人で座り、ナナはツジにユキから聞いたことを話した。

「あー、あのばあちゃんか。そういえば、あのばあちゃんも名前に“ち”がつくんだよな」

「チエおばあさんのこと、知ってるんですか?」

「ああ知ってるよ。この辺りじゃ有名な語り部だからな」

「語り部?」

 ナナが首をかしげると、ツジはうなずいて続けた。

「そう、昔話みたいなのを話すことを職にした人のことだよ。もともとはイズモにいたらしいけど、この辺りの歴史にも詳しいんだ」

「じゃあ、ユキちゃんの言っていたことは……」

「本当さ。参道のことも、神社のこともな」

 あっさりとツジに肯定されて、ナナは返って拍子抜けしたような気分になった。でも、まるでそんなことは気にしていないかのようなツジの態度に、少しだけ安心にも似た感情を覚える。

「ただ」

 そう呟いて、ツジは腕を組んだ。「問題なのは、それを理由に、あのユキって子がヤガミの話を聞かないことだな」

「話を聞かないって……人形を実家に送るっていう話ですか?」

「そうだ。ヤガミが何を考えているのかは知らないけどよ、あいつが言うからにはそうした方がいい」

「そう、ですよね」

 ヤガミは、あれでも人形専門店の店主だ。例え、さかのぼった先祖が気狂いを起こしていたとしても、ヤガミの言葉を無視するのはあまりいいことだとは思えない。ナナはユキのことが気がかりになって、うつむいた。何か、ユキに悪いことが起きなければいいのだけれど――

「――三日」

 ナナがじっと指を見つめて黙り込んでいると、ふいにツジがそう言った。

「三日だ。その間に、俺がチエってばあちゃんにかけ合って、ユキって子を説得してもらう」

「そんなこと、できるんですか?」

 目を丸くして見あげたナナに、ツジはにやっと笑った。

「なあに、あのばあちゃんの言うことなら真に受ける子なんだろ。それなら、ばあちゃんの方にかけ合えば問題ないさ。相手は大人だからな」

 よっと。そんなかけ声をつけてベンチから立ちあがると、ツジはナナの前に立って屈んだ。ナナの頭にツジの大きな手が触れて、目の前にツジの顔がおりてくる。

「それまで、あの子とは気まずい思いをするだろうけど、三日の辛抱だ。頼むよ」

「はい」

 ナナはゆっくりとうなずいて、ツジの目を見返した。

 その返事に、ツジは満足げに笑い、ナナの頭を撫でてから顔をあげる。

「そうと決まったら、次はおつかいだ。手分けして買ってこよう。そっちの方が早く終わるからな」

「ええと、じゃあツジさんはこの紙の上半分をお願いします」

 ナナが買い物のメモを半分に千切って、手渡す。ツジはそれを受け取って、にやりと笑った。「わかった」

 そして、お互いの役割を果たすために、ナナとツジは足早に商店街へ向かった。

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