ヒトガタ狂詩曲[2]
次の日、ナナとユキは放課後に人形専門店に向かった。
ユウヅキが夢の中で歌っていた歌はもう聞こえないけれど、ナナの足はちゃんと人形専門店の場所を覚えている。細く入り組んだ道をゆくナナについて歩くユキは、辺りを見渡して言った。
「商店街の裏に、こんな道があるんだ。あたし知らなかった」
「私も最初はそう思ったよ」
あのとき、ナナがチトセをさがさなければ、きっと知らないままだった。そう考えると、不思議な気分になる。ヤガミやツジに出会わなかったナナの日常は、一体どんなものだったのだろう。スズは相変わらず動かないただの人形だったのだろうか、それとも今と変わらずに自然と喋るようになっていたのだろうか――
そう考えているうちに、気がつけば人形専門店はすぐ目の前だった。
「ここが人形専門店だよ」
ナナが瓦屋根のさほど大きくない建物を指さすと、ユキは「本当にあるんだ」と、感嘆の息をもらした。
「でも、こんなところに店出しても売れないんじゃないかなあ」
ユキが呟いた言葉に、ナナは内心で苦笑した。たしかに、ほとんど毎日のように店に通っているナナも、お客さんがいるところを見たことがない。それでも、ツジを雇うくらいのお金は入っているのだろう。ナナは店の引き戸に手をかけて、口を開いた。
「ごめんください」
「いらっしゃい、ナナちゃん」
そう言葉を返してきたのは、珍しくカウンターに座っていたヤガミだった。けれど、ヤガミはすぐにナナの後ろにいるユキに目を留める。
「そちらの子はナナちゃんのお友達ですか?」
「はい。今日はユキちゃんから用事があって――」
ナナがそう言ってユキを見やると、ユキは一歩前に出てきて口を開いた。
「初めまして、ヤザワユキです」
「これはどうも。店長のヤガミです。それで、ご用はなんでしょうか?」
「この人形を直してほしいんです」
ユキは言いながら、手に提げていた紙袋から一体の人形を取り出す。綿が詰まったちりめんの振袖を着るその人形は、それなりに年季が入っているようで白い顔にところどころ汚れが見えた。
ヤガミはユキから人形を受け取って、「おや」と、声をこぼす。
「これは三つ折れ人形ですね」
「三つ折れ?」
聞き慣れない言葉にナナが首をかしげると、ヤガミはにっこりして言った。
「ええ、市松人形の手足が動くように間接がついているものを三つ折れと言うんです」
けれど、ユキはそれを否定するようにゆるゆると首を振った。
「でもその人形、足だけ動かないんです。前は動いていたのに、久しぶりに押入れから出してみたら動かなくなってて」
「そうですねえ、見たところは特におかしな点はありませんが――」
ヤガミが三つ折れ人形の足に触れて、関節を調べ始める。足を動かそうとする素振りを見せたけれど、人形の足は曲がらなかった。
「ユキちゃん、でしたね。この人形はどなたからもらい受けましたか?」
「母さんからですけど……」
「その前は誰のものだったかわかりますか?」
「いいえ、そこまでは知らないです」
「そうですか――」
ヤガミは何かを考えるように人形を見つめて、こう言った。
「ひとまずは、この人形を預かりましょう。足の部品を代えれば、また動くようになりますから」
「お願いします」
ユキが軽く頭を下げた。
「よかったね、ユキちゃん」
「うん」
ナナとユキが顔を見合わせて笑っていると、ヤガミは唐突にこんなことを聞いてきた。
「ご家族の中でどこか具合の悪い方は?」
「いませんけど――あ、でも今は実家の伯母さんが寝こんでて――」
すると、ヤガミは納得したように「そうでしたか」と、相づちを打つ。
「わかりました。人形の修理が終わり次第、連絡しますから電話番号を教えていただけますか?」
「はい」
ユキがうなずいたのを確認してから、ヤガミはカウンターの上に一枚の紙とペンを置く。ユキがそれに電話番号を書いて渡すと、ヤガミは「たしかに」と、言って受け取った。
早速、修理の支度を始めたヤガミに一礼をして、用事が済んだナナとユキは人形専門店を後にした。
「ヤガミさん、だっけ。なんだか変わった人だねえ」
人形屋からの帰りの道で、ユキが言った。「あの人、いつも一人でお店にいるの?」
「ううん、普段はアルバイトしてるツジさんって人がいるんだよ。けど、今日は倉庫の掃除でもしてたのかも。お店の中にはいなかったから」
「ふーん、そっかあ」
ユキは空っぽになった紙袋を揺らしながら、空を仰いだ。ナナもならって、空を見あげてみる。商店街から見る空は、たくさん並んだ店の屋根に挟まれているみたいで、なんだか窮屈そうだった。
「ねえナナちゃん、ナナちゃんは七夕の行事のときにどんなお願いしたの?」
突然そんなことを聞かれて、ナナはちょっと口ごもった。
「私は――探し人が見つかりますようにって」
「探し人かあ。それってどんな人?」
「え? ええっと……名前か苗字に“ち”の文字がつく人……なんだけど」
「なんか変わった願いごとだね」
「う、うん――」
さすがに拾った人形の持ち主のことだとは、正直に言えない。話をごまかそうと、今度はナナのほうから話題を振った。
「ユキちゃんはなんてお願いしたの?」
「あたし? あたしは早くお父さんが定年になりますようにって書いたよ」
それもまた、ずいぶん変わった願いごとだった。
どうしてそんな願いことなのかと聞いてみたら、
「だって、定年してくれたら、一緒に母さんの実家で暮らせるでしょ?」
という言葉が返ってきた。
「それよりさ、ナナちゃん。あたし、名前に“ち”がついてる人知ってるよ」
「え、本当?」
ナナは驚いて、思わず声が大きくなってしまった。
「本当だよ。あたしの家の近くに住んでるんだ。よかったら今度の週末に一緒に行かない?」
「うん、行く」
「わかった。じゃあ、あたしこっちだから、また学校でね」
「うん」
十字路でユキと別れた後、ナナは急いでハルミの家に向かった。
週末、ナナはこっそりとカバンにスズを忍ばせて学校前でユキと待ち合わせをした。
ユキに案内されてナナが辿り着いたのは、一軒の平屋だった。今度こそスズの持ち主かもしれないと思うと、自然と緊張する。
けれども、その平屋に住んでいたのは、
「チエばあちゃん、遊びにきたよー」
「おお、おお。ユキちゃん、よくきたねえ。そっちの子はお友達かい? こんな年寄りの家によくきてくれたねえ」
そう言って、ユキに「チエばあちゃん」と呼ばれたその人がナナを見る。それはナナが想像していた“ちぃちゃん”とは全く違う、腰の曲がった白髪のおばあさんだった。想像していたよりも、ずっと歳を取っている。
それでも、念のためにと、カバンからスズの顔だけを出してチエをスズに見せたのだけれど、
「ちがう。このひと、ちぃちゃんじゃない」
予想を裏切らなかったスズの言葉に、ナナはがっかりするよりも、拍子抜けしてしまった。ここまで差があると、返って馬鹿馬鹿しくて、どうでもよくなってくる。
とりあえず、チエの家の居間に案内されたナナとユキは、ちゃぶ台を囲んで座った。
「今、お茶菓子を持ってくるからねえ」
そう言ってチエが台所に歩いていくのを見送って、ユキがこっそりとナナに耳打ちをしてきた。
「どう? チエばあちゃんは」
「ううん、私の探してる人じゃないみたい」
ナナが首を横に振って答えると、ユキは少し残念そうな顔をして「そっか」と、呟いた。
「ごめんね、役に立てなくて」
「いいよ、ユキちゃんのせいじゃないから」
それから数分と経たないうちに、お盆に和菓子と湯呑みをのせてチエが戻ってきた。
「熱いから気をつけるようにねえ」
「ありがとうございます」
差し出された湯のみを受け取って、お礼を言う。一度、軽く口をつけてから、湯呑みをちゃぶ台の上に置いた。出された和菓子は芋ようかんで、木の枝を加工したようなおしゃれなようじが、お皿の上にのっている。角をようじで切り取って口に含むと、甘いサツマイモの味が口に広がった。
「さあて、今日は何をしようかねえ。お手玉はこの間やっただろう?」
「うん。どうせだから別の遊びがいいな、あたしは」
「そっちのお嬢ちゃんは何かしたいことでもあるかい?」
「私は、特には……」
ナナが首を横に振ると、チエは「そうかい」とうなずいて、少し難しそうな顔でナナを見た。
「お嬢ちゃん、お雛様は持ってるかい?」
「それなら持ってましたけど……たぶん、もうないと思います」
ナナのお雛様はガラスケースに収められたそれほど大きくないものだったけれど、あの地震できっと壊れてしまっているだろう。
すると、チエは言った。
「それはいけないね」
「え?」
なにが、どうしていけないのか。ナナが首をかしぐと、チエは続けた。
「今日は紙雛を作ってあげようかね」
「チエばあちゃん、紙雛って何?」
「紙で作ったお雛様みたいなもんさ。立ち雛とも言うがね」
「紙の、お雛様――」
ナナが小さく呟くと、チエはにっこりして再び立ちあがった。「それじゃ千代紙でも持ってくるかね」
しばらくして戻ってきたチエは、平たい箱を持っていた。チエがふたを開けると、中には色とりどりの千代紙が目に入った。
「さあ二人とも好きな千代紙を取って」
チエに促されて、ユキが箱いっぱいに詰められた千代紙の中から一枚を手に取った。その後に続いて、ナナも赤地に鞠の絵柄が入った千代紙を手にする。
「まずはあたしが作るから、それを真似して作るんだよ」
そう言ってチエは千代紙を一枚取り出すと、紙の一辺を五ミリ幅で谷折りにして、千代紙の白い裏面を表に出した。次はそれをひっくり返して、先ほど谷折りにして作った白い帯状のものを着物のあわせに見立てて紙を折る。紙がおむすびのような形になったら、それを今度は千代紙の柄が見えるよう、左右に広がった部分を襟に対して垂直になるように三度谷折りにする。
「こけしみたい」
小さく呟いたナナの言葉に、チエは笑った。
「そうだねえ、言われてみれば似ているかもしれないねえ」
それから、チエはもう一枚色の違う千代紙を手に取ると、それを半分に二回折って長方形の帯状にした。それを紙雛の身体に巻きつけ、あらかじめ用意してあったガーデニング用のピックみたいなものを合わせ目のところにさしこみ、筆ペンで顔を描く。できあがったのは、立ち姿の女雛だった。
「男雛はこれに鳥帽子をつけてやれば完成だよ。二人もやってごらん」
チエに言われて、ナナもユキも自分で選んだ紙を折り始めた。
「いいないいな、ナナはいいな。スズもやりたいやりたい」
そんな声がカバンの中から聞こえたけれど、ナナはそ知らぬ顔をしながら、呟く。家に帰ったら、教えてあげるからね。
ユキも、チエも、スズの声なんてまるで聞こえていないようすで、黙々と折り紙を折っている。ナナも止めかかった手を再び動かし始めた。
できあがった男雛と女雛は、人形屋で買ったお雛様よりもずっと地味だったけれど、どこか親近感が持てるような素朴さがある。その後は紙雛だけでなく、ハスの花やユリ、ニワトリなんかも作って、日が暮れるまでずっと折り紙で遊んでいた。
お寺の鐘が鳴って、ナナとユキが帰る時間になると、チエは玄関先まで見送りにきてくれた。
「おじゃましました」
「おお、おお。またおいで」
「うん、またくるねチエばあちゃん」
笑顔を残してきびすを返したユキの後を追おうと、ナナがチエに背を向けかけたとき。ふいに、チエが「お嬢ちゃん」と、ナナを呼んだ。
なにかと思ったナナが振り返ると、チエはさっきまで浮かべていたはずの笑みを消して、怖くなるくらいに真面目な顔をして立っている。チエの変わりぶりに、ナナはびっくりして声も出なかった。一体どうしたというのだろう。困惑するナナに、チエは言った。
「それを片時も離さずに持ちなさい」
チエの視線の先には、ナナの持つ手提げカバンがある。「形代は、お前さんを守ってくれる」
「形代……」
チエが口にしたその言葉に、ナナは覚えがあった。たしか“人形の歴史”に書いてあったはずだ。人の代わりに厄を負うために作られたもの、それが形代だと。
――それは、さっき作った紙雛のことだろうか。
「覚えておきます」
ナナはチエのようすに戸惑いながらも、うなずいて一礼すると、先にいってしまったユキの後を追いかけた。
だから、ナナは知らない。ナナの姿が見えなくなるまで、チエがじっと玄関に立っていたことを。いつまでもいつまでも、その背中を見つめ続けていたことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます