7月

ヒトガタ狂詩曲[1]

「……見つからないですね」

 人形専門店の奥にあるヤガミの部屋。そこのちゃぶ台の前にきちんと正座をしたまま、ナナは言った。

「そうですねえ」と、ヤガミがちゃぶ台に置かれたノートパソコンを眺める。

 そんなヤガミを見ながら、頬杖をついたツジがちゃぶ台の真ん中でくるくると回り続ける人形――スズを指さした。

「大体、こいつは市販じゃないんだろ? お前の伝手でもどうしようもないんじゃないか?」

「それもそうなんですけどねえ」

 と、困り笑いをするヤガミに、ツジは呆れたようにため息を吐いた。

 ナナがスズを拾ってから、もう三ヶ月になる。ヤガミは知り合いにスズの写真をメールに添付して、見覚えはないかと尋ねてみたのだが、覚えがあるという人は一人もいなかった。ナナはナナで毎日のようにスズを商店街まで連れていって「ちぃちゃん」がいないかをたしかめてもらっている。けれども、結局のところは上手くいかず、スズが「ちぃちゃん」と呼ぶ人物の手がかり一つ見つからない。

 いくら人口の少ない町でも、町人の中から“ち”の文字がつく名前や苗字を持っている人を見つけだすのは難しい。ましてや、町人の名簿すらないのだから、わかるはずもなかった。

「こうなると、地道に聞いて回るしかないでしょうね」

「やっぱり結局そうなるのか……」

 ツジが面倒くさそうに呟く。面倒ごとを持ちこんでしまった張本人であるナナは、肩をすくめて目を伏せた。

「ご、ごめんなさい」

「え? ――ああいや、ナナちゃんのせいじゃないって」

 ぱたぱたと手を振って、ツジは繕ったような笑みを浮かべる。「そもそも、こいつが持ち主の名前をちゃんと覚えていないのが問題なんだし」

 そう言って、ツジがスズを指さすと、ちゃぶ台のステージで踊っていたスズが動きを止めた。

「だって、ちぃちゃんはちぃちゃん」

「そうじゃなくて、苗字とか名前とか」

「ちぃちゃんはちぃちゃん」

「――わかった、もういい。話すだけ無駄だった」

 ツジが呆れたため息を吐いて、ちゃぶ台に突っ伏す。

 そんなツジを見て、スズは意味がわからないと言わんばかりに小首をかしげただけだった。


 こんな光景を、ナナは何度か見てきた。スズは口調がつたなければ、思考もつたなく、理解力もあまりない。だから、会話をしても意味のわからないことが、よくある。

 ユウヅキとはちゃんと会話ができたのに。そう思って、ナナは頭をひねった。ユウヅキとスズの間には、何か決定的な差でもあるのだろうか。そもそも、ユウヅキはチトセの姉が人形に宿っていた。けれど、ヤガミいわく、スズには「とても強い想いがこもっている」のであって、人の魂が宿っているとは言わなかった。

 それなら、どうしてスズはこうやって動いて、泣いて、喋っているのだろうか。考えてもみれば、ナナはユウヅキとスズ以外に、動く人形を知らない。夜な夜な髪が伸びるという人形の話は聞いたことがあるけれど、実際に目にしたわけでもない。それなのに、ヤガミやツジは特別に驚いた風もなく、スズと接している。普通なら、人形が動けば驚くものだろうに。ヤガミやツジは、スズやユウヅキとは違う別の動く人形を見たことがあるのだろうか。


「そういえば、ツジさんはここでアルバイトしてるんですよね」

「まあ一応な」

「どうして、ここなんですか?」

 商店街にだって、アルバイト募集の張り紙がしてあるし、普通はこんな誰も知らないような店のアルバイトなんてしないはずだ。それなのに、ツジはこの人形専門店で働いている。

 以前、ヤガミはツジが“人形の声を聞く力”があるからアルバイトとして雇っていると言っていたけれど、どうしてツジにそういう力があるとヤガミは知っていたのだろう。

 問いかけるナナに、ツジは一瞬だけ呆けたようにナナを見て、それからまた笑った。

「ヤガミとは、ガキのころからの仲なんだよ」

「じゃあ、ツジさんとヤガミさんって幼馴染なんですか?」

「ええ、まあ――そうなりますね」

 パソコンの画面からナナに目を移して、ヤガミが言った。

「もともと、この店は僕の祖母の店だったんですが、僕が高校生のときに祖母が急に亡くなりましてね。それで、店を継ぐために高校を中退したんですよ。そこまではよかったんですが――」

 そこで言葉を切ったヤガミは、言いづらそうに目を泳がせる。そのようすに、ナナが首をかしげると、ツジが口を開いた。

「こいつ、整理整頓がとんでもなく下手なんだよ」

「――ヤガミさんが?」

 穏やかな性格といい、丁寧な口調といい、ヤガミはきっちりしているように見えるものだから、ナナにとってそれは意外な話だった。

 思わず、ヤガミへと顔を向けたら、当人はばつが悪そうに苦笑した。

「お恥ずかしい話ですが、ツジさんの言うとおりなんです。ですが、この店の人形にはいわくつきのものが多いですから、他の人を雇うわけにもいかなくて」

「それで、ツジさんに?」

「そういうこと」

 わかったか? と、ツジに言われて、ナナはぽかんとしたままうなずいた。

 人は見かけによらないと言うけれど、全くそのとおりだと思った。でも、「いわくつきのもの」とはどういうことだろうか。

「この店にある人形も、動いたり喋ったりするんですか?」

 ナナが尋ねれば、ヤガミは一度スズを見てから答えた。

「喋ることはありますね。ですが、めったなことでもない限り、動いたりはしません。それが人形ですから」

「じゃあスズは……」

「とても珍しい例です。人形は、持ち主の感情や状態にひどく左右されますが、もともと魂の宿らない人形が動くのは極稀なことなんです」

 それでヤガミはスズを見て、とても強い想いが宿っていると言っていたのか。

「ひょっとすると、スズが持ち主の名前を覚えていないのも、持ち主の状態に左右されているからかもしれませんね」

「それって、持ち主がスズのことを忘れているかもしれないってことですか?」

「可能性としてはあり得ます」

「そんな――」

 スズは泣きじゃくるほどに持ち主のことを思っているのに、持ち主は忘れてしまっているなんて。

 それではあんまりスズがかわいそうだと、言葉を詰まらせたナナに、けれども、ヤガミは優しく微笑んだ。

「ですが、スズが持ち主のもとへ帰ろうとするのは、持ち主がスズをさがしているという可能性にも繋がるんですよ」

「でも、それだと矛盾してないか? 忘れてるのにさがすっておかしいだろ」

 ツジが怪訝そうに言うと、ヤガミは「まあそうですね」と、うなずいた。

「ツジさんの言うとおり、こうして矛盾する人形は持ち主とは別に個々の意識を持っているので、どちらが持ち主の意識なのか、判別が難しいんです」

「それなら、逆の可能性もあるってことか」

「ええ。でも持ち主がチトセちゃんくらいに幼い場合は、本人が自分の名前をはっきりと認識していないと、人形も持ち主の名前を認識できない場合がありますね」

「というと、スズの持ち主は園児くらいってところか?」

 再びちゃぶ台に頬杖をついたツジが、ヤガミを見てそう言う。ヤガミは黙って、うなずいた。

「おそらくですが、それが一番可能性としてはあり得るでしょう。スズ自身の口調もどこか幼いですし、僕らの歳で人形遊びをする人は多くはないですから」

 たしかに、人形遊びなんて大人はほとんどやらない。

「なんだよ。どっちにしろ、お前が覚えてないのが悪いんじゃないか。持ち主の名前くらい覚えておけよ」

「だって、ちぃちゃんはちぃちゃん」

「ああ、はいはい、わかったわかった」

 代わり映えのないやりとりに、ツジは降参だと言わんばかりに両の手をあげ、ため息を吐く。そのようすが、歳の離れた小さな弟か妹を相手にする兄のように見えて、少し微笑ましかった。


 このころ、ナナの通うカイセイ中学校では、学校行事の七夕にそなえて、生徒全員が折り紙を折っていた。

 この学校行事は、山の上にあるというヤマボシ中学校との共同行事で、互いに飾りつけた笹を交換し合うらしい。交換し終わった後は願いごとを書いた短冊を笹に吊るして、一緒に燃やすのだという。

 けれども、カイセイ中学とヤマボシ中学では生徒の数がまるで違い、生徒数がカイセイ中学の倍近くあるヤマボシ中学のほうが、断然立派な七夕飾りを作るらしかった。そのため、ヤマボシ中学の生徒たちは笹の交換を嫌がるらしい。けれども、それがカイセイ中学全体に火をつけてしまった。現在のカイセイ中学の上級生たちは率先して七夕飾りを作っていて、それに巻きこまれるような形で一年生、さらには教師まで、空き時間があればどんなところでも折り紙を折るようになっていた。飾りに使う折り紙は学校で支給されるのだけれど、この折り紙もふんぱつして、千代紙を使っている。

 かくいうナナも、もともと手先が器用なこともあって、これを機に折り紙を折り始めた。まずは簡単な輪つづりから貝、ちょうちん、ふきながし、そして一枚星――折っていく内に、次第にナナもやる気が出てきて、家に帰っても七夕飾りを作るようになった。スズもナナが折るのをを見て、興味が湧いたらしい。折りかたをナナが教えてやると、小さい身体で四苦八苦しながらも、飾り作りをするようになった。

 けれど、ナナが眠った後にもスズは折り続けているものだから、朝起きてみると、部屋中が七夕飾りで埋めつくされていたことがあった。これにはナナもびっくりして、一瞬で眠気が吹き飛んでしまった。その日は、大きな紙袋にスズの作った七夕飾りを入れてクラスの委員長に渡したのだけれど、ひどく驚かれたのは言うまでもなかった。

「上級生が喜ぶよ」

 と、笑った委員長は、よもや人形が折っただなんて夢にも思っていないのだろう。ナナは、ただただ苦笑して、曖昧にごまかすしかなかった。


 七月七日の七夕が近づいてくるにつれて、学校中が浮き足立つのをナナは感じていた。七夕行事のために部活は休みになって、ほとんどの生徒たちが放課後になっても帰らずに、教室で七夕の飾りを作る。

 いつもなら、ナナもその内の一人になるのだけれど、今日はハルミにおつかいを頼まれている。無心に飾りを作るクラスメイトたちを眺めながら、ナナが帰り支度をしていたときだった。ふいに、教室を一人の女子生徒がよぎっていく。

「ユキちゃん?」

 とっさに、口からその名前がこぼれたけれど、何か考えるように難しい顔をしたユキは、それに気づかない。少しだけ顔をうつむけたまま、ユキは教室を出ていってしまった。いつもなら、教室に残ってみんなと一緒に飾りを作るのに。

 ――なにか、ようすが変だ。

 けれど、そのときのナナは、ただその背中を見送ることしかできなかった。


 帰りに寄った商店街で、ナナがハルミに頼まれた食材を買って家に帰ると、いつものようにベベとハルミが出迎えてくれる。ベベに足かけにされて、いい加減みすぼらしくなってきた垣根を見たハルミは「新しい垣根に植え替えようかしら」と、ぼやいていた。いっそのこと、ブロック塀にしたほうがいいかもしれない。それだったら、どれだけベベが足かけにしたって潰れたりはしないのだから。

「おかえりナナ」

 ナナが自分の部屋に入るなり、机の上で留守番をしていたスズが言った。

「おりがみしようよ、おりがみしよう」

「うん、わかったわかった。今、用意するから」

 せびってくるスズに困った笑いをしながら、ナナはカバンをおろして中から千代紙と今日出された宿題を取り出す。スズが千代紙に飛びついてきたので、ナナはすぐに手を離した。それから、宿題を机の上に広げる。その傍らで、スズは早速せっせと七夕の飾りを作り始めていた。

 ずいぶんと折り紙が気に入ったようすのスズに、ふとナナは疑問を覚える。

「“ちぃちゃん”は折り紙はしなかったの?」

「ちぃちゃんは、しないよ。ちぃちゃんは、スズといっしょにあそぶの」

 スズのいう「ちぃちゃん」は、いわゆる人形遊びの好きな子らしい。スズを丁寧に繕った跡があることからして、人形が好きなのは当然なのだろうけれど。

 ナナは、シャーペンの頭を口元に当てて考えた。「ちぃちゃん」とは、どんな子なのだろう。

 てるてる坊主を逆さづりにして「雨にしておくれ」と頼んだり、人形遊びが好きらしいことといい、あまり活発なイメージはしない。「ミっちゃん」や「ユウコちゃん」のような子だろうか。それともユキのような――

 はたと学校でのことを思い出した。そういえばユキのようすがおかしかったけれど、どうかしたのだろうか。

「何か悪いことじゃなければいいけど……」

 そうひとりごち、ナナは学校の宿題に取りかかった。


 けれども、翌日もその翌日も、ユキのようすはおかしいままだった。他のクラスメイトに話しかけられても、どこかうわの空で、心ここにあらずといった感じだ。何か悩みごとでもあるのかと尋ねられても「なんでもないよ」と、いつもの笑顔で返す。七夕の行事のせいかとナナは思っていたけれど、その行事が終わった後も、ユキのようすはおかしいままだった。

 ユキのそんなようすを気にかけながら、ナナは放課後に図書室を訪れた。七夕行事以来、折り紙を折ることが楽しくてしかたがないらしいスズのために、折り紙の本を借りようと思っていた。

 と、そのとき。ナナが本棚の間を歩いていたら、見覚えのある後姿を見つけた。

「――ユキちゃん」

 静まり返っていた図書室に、ナナの声は思った以上に大きく聞こえた。

 ナナに背中を向けていたユキが、驚いたように振り返る。

「ナナちゃん――」

 そこで、ナナはユキが手にしていた一冊の本に目を留めた。暗赤色の重厚な表紙の本。見覚えがある。一度、ナナも借りたことのあるその本は、

「“人形の歴史”……?」

「ナナちゃん、知ってるの?」

「うん、私も一度だけ借りたから」

 ナナがうなずくと、ユキはちょっとだけ笑った。

「じゃあ、あたしとおんなじだね。あたしも、この本借りたことあるんだあ」

 そう言って、ユキが背表紙の裏にあるポケットから抜き出したのは、一枚の図書カード。そこには、たしかにユキの名前が書いてある。けれど、そこにはもう一つ覚えのある名前が記されていることに気がついた。

「このヤガミハジメって……ヤガミさん?」

「ナナちゃんの知り合い?」

「うん、人形専門店の店長さんで、家が神社の――」

 ナナがあたりさわりのなさそうな範囲でそう答えたら、ふいにユキの顔色が変わった。

「ねえ、その人形専門店ってどこにあるの?」

「どこって――商店街の裏道だけど」

「裏道?」

「そう、入り組んでるから迷いやすいんだけど……」

 ナナは急に変わったユキのようすに驚きながらも、聞かれるままに答えた。すると、突然ユキは顔の前で、ぱんと手を合わせる。

「お願いナナちゃん、あたしをそこに連れてって!」

「え?」

 ユキの突然の申し出に、ナナは思わず目を丸くする。

「私は別にいいけど……ユキちゃん、どうかしたの?」

 不思議に思って尋ねるナナに、ユキは「実はね」と言葉を続けた。

「あたしが母さんからもらった人形が壊れちゃったの」

 ユキの話によれば、それは両手足の動く古い市松人形らしいのだけれど、少し前から、その両足が動かなくなってしまったらしい。その人形の壊れた時期というのが、ちょうど七夕行事のころで、ユキは毎日図書室に足を運んで、どうにか直せないかと人形の本を読み漁っていたのだという。

 それでユキのようすがどこかおかしかったのだと、ナナは納得した。今は遠くにいる母親にもらったものだから、とても大切にしていたのだろう。

「ナナちゃん、明日空いてる? 用事がないんだったら、明日そのお店まで連れていってほしいんだけど……」

「うん、大丈夫」

「よかった、ありがとうナナちゃん」

「ううん、ユキちゃんが元気になってよかった」

 いつもの調子を取り戻したユキに、ナナはほっとして笑った。

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