晴れ童子の雨唄[4]
「とりあえず、蔵に行きませんか? そこでてるてる坊主の材料がそろいますから」
ヤガミのその一言で、ナナは山にあるというヤガミ家の蔵へ行くことになった。万が一、来客があったときのためにと、ツジは店番として人形屋に留まった。
店を出て川沿いにさかのぼれば、一面の田んぼとその向こうの山が見えてくる。田んぼの中にぽつんと立つ駅を見つけて、ナナは妙に懐かしくなった。あそこから、全てが始まった。そんなような気さえする。
ヤガミについて山道を登ること三十分くらいだろうか。遠くに石造りの大きな蔵が見えた。
「あれが蔵ですよ」
息も切らさずにそう言ったヤガミの背中を追いながら、ナナは重い足を動かし続けた。
「ナナ、だいじょうぶ?」
「う、うん……」
さほど急ではないとはいえ、慣れない山道に、もともと運動が得意ではないナナ。ナナの足は鉛のように重くて、一歩を踏み出すのも一苦労だった。けれど、こんなところで迷惑をかけるわけにはいかない。スズの問いにナナがうなずけば、ヤガミも振り返った。
「ナナちゃん、本当に辛くなったら言ってくださいね。負ぶってあげますから」
「いえ、大丈夫です」
意気地になって、頑として首を縦に振らないナナに、ヤガミは心配そうな顔をしただけで、それきり何も言わなかった。
蔵の扉には、大きな南京錠がかかっていた。ヤガミが、持ってきた鍵で蔵を開ける。蔵の中は薄暗くて、周りに保管されているものの大半は、暗がりにほんのりとした輪郭を残しているだけだった。蔵の床は、薄っすらと埃をかぶっている。歩くと、床の上に足跡がついた。
「たしか、ここにしまっておいたんですが……」
ヤガミは、そう言って蔵のすみにあったダンボール箱の中を漁り始める。
「ああ、ありました。ちょっと来てください」
手招きされてナナが傍に歩いていくと、ダンボールの中を見せられた。中には、ピンポン玉サイズの木の玉が、いくつも入っている。その玉からは、嗅いだことのないような、不思議な匂いがした。すると、ナナが肩にのせていたスズが声をだした。
「ナナ、いいにおい。これ、なんていうの?」
スズの質問に、ナナは苦笑した。「ごめんね、私も知らないの」
ナナの答えを聞いて、スズはちょっと残念そうにしたものの、すぐにヤガミが助け舟を出してくれた。
「これは、ビャクダンという名前の香木ですよ。仏像や数珠にも使われますね」
「そんな大切なものをてるてる坊主に使ってもいいんですか?」
仏壇や数珠を作るのに使う木を、てるてる坊主に使うなんて、なんだかばちが当たりそうだ。
「ええ、構いませんよ。僕のものですし、あまり使わないですから」
「ヤガミのじっかは、じんじゃだから、ぶつぞう、いらない?」
「あ……」
言われてみれば、そうだった。でも、それならどうしてヤガミがビャクダンを持っているのだろう。
「とりあえず、ここから三つだけ取って帰りましょう」
「はい」
ナナはうなずいて、ダンボールの中の木の玉を手にする。だけど、どうにもその玉はしっくりとこない。もう一度、別の玉を手にとってみると、今度は手に吸いつくようにつかめた。
「私は、これにします」
ナナが木の玉を両手で包んでそう言ったら、ヤガミが笑った。「いい感性を持っているんですね」
――感性?
ナナが首をかしげているのを見て、ヤガミは教えてくれた。
「ビャクダンの玉にも、良し悪しがあるんです。それを見極める力のようなものですね」
言いながら、ヤガミはビャクダンの玉を一つ手にとって、エプロンのポケットにしまった。
「ツジのは、スズがえらびたい。いい?」
「うん、いいよ」
ナナが笑って言えば、今度はスズがダンボールに飛びこんで玉を漁る。これかな? これかな? それともそっちかな?
「これ、これがいい!」
スズが選りすぐったビャクダンの玉を、ナナに渡す。その間、ヤガミは真っ白い絹みたいな布を、別の木箱から引っぱり出していた。
「これで準備は整いましたね。店に戻りましょう」ヤガミが言った。
ナナは慣れない山道にすっかり疲れていたけれど、ヤガミに迷惑はかけられない。重たい足に鞭を打って、蔵の外へと歩きだした。
蔵から少し歩くこと、五分ほど。スズの動きが止まった。後ろのほうから、車の走る音がする。ナナが振り返ると、白い軽トラックが走ってきた。と、ふいにトラックが止まり、運転席から帽子をかぶった老人が顔を出す。
「ハジメじゃないか。どうしたんだ、こんなところで」
「これはゲンナイさん。僕たちは少し蔵に用がありまして」
軽トラックに乗っていた老人は、ヤガミと知り合いのようだった。軽く頭を下げたヤガミに、ナナもならう。老人はヤガミの隣で会釈するナナを見て、首をかしいだ。
「見慣れない子がいるな。どうしたんだ?」
「先日の地震でいろいろあって、越してきたそうです」
「ああ、この間の地震か」じっとナナを見たまま、老人はひとり言のように呟いた。顔には、いくつも深いしわが刻まれている。つばの下から覗くいかめしい目つきに萎縮してしまって、ナナは気の利いた言葉の一つも口にできなかった。「お寺の住職のゲンナイさんです」と、ヤガミに紹介されて、お辞儀をするのがやっとだった。
そんなナナのようすを見ていたヤガミは、急に思いついたように言った。
「よければ、商店街まで乗せていってもらえませんか?」
それはきっと、ナナの体力を心配して言ってくれているのだろう。けれど、この軽トラックには運転席と助手席しかない。つまりは誰かが荷台に乗って帰らなくてはいけないことになる。
「でも席は一個しか空いてねえからなあ」
案の定、ゲンナイが言った。
「あの、私、荷台でいいです」
とっさにナナが声をあげると、ゲンナイは腕を組んでトラックの中からナナを見おろした。
「そうはいかねえよ。もうすぐ日も落ちて寒くなるし、揺れるから子供には危ねえ」
「僕が荷台に乗りますから。それでいいでしょう?」
「うーん。まあ、ハジメがいいって言うんなら構わねえけどよ」
交渉は、成立したみたいだった。
「お嬢ちゃんはこっちだ」ヤガミが荷台に乗りこむと、ゲンナイがナナを助手席に行くよう促した。
ナナはかちかちに緊張しながら、助手席に座る。ゲンナイはナナが座ったのを確認して、口を開いた。
「しっかりシートベルトつけるんだぞ」
言われるがまま、ナナがシートベルトをしめると、軽トラックが走りだした。
山道はでこぼことしていて、トラックはナナの予想以上に揺れた。荷台のヤガミは大丈夫だろうか。心配してナナが後ろを振り向くと、ゲンナイが言った。
「あいつはそんじょそこらの奴じゃねえ。落ちやしないよ」
「は、はい……」
たしかに、ヤガミは居合い道だの剣道だのと運動が得意なようだし、心配はいらないのかもしれない。それでも、ナナはなんとなく不安になって、人形に戻ったスズとビャクダンの玉を抱きしめるように腕で包みこんだ。
それからは、商店街に着くまで、ナナはずっと無言だった。
ゲンナイの言うとおり、ヤガミはトラックから振り落とされることはなかったらしい。商店街の入り口で無傷のヤガミを見て、ナナはやっと安心できた。
その後はゲンナイに別れを告げて、細い裏路地を通って店に戻った。店番をしていたツジは、カウンターのところに座っていた。
「よう。意外と早かったな」
「ええ、途中でゲンナイさんに会いまして、商店街まで送ってもらったんです」
「ああ寺の住職の」
納得したように軽くうなずいたツジは席を立った。「なら早く奥行こうぜ。客の来ない店の番なんてつまらないからな」
「そうですね」
と、穏やかに笑って、ヤガミは店の奥へと入っていった。
そして、以前ぬいぐるみを作ったときと同じ位置に座って、てるてる坊主を作り始めた。
まずは四角く裁断した布にビャクダンの玉を入れ、布で包みこむ。それから、たまたま店にあった組みひもで、玉が落ちないよう袋状にした布の口をくくった。後は、ヤガミが擦った墨を筆につけて顔を描く。
「本来は顔を描くのは晴れてからだそうですが、まあ今回は構わないでしょう」と、ヤガミは言っていた。
スズはてるてる坊主の顔を描きたがって、ツジのてるてる坊主に顔を描かせてもらっていた。けれども、そのてるてる坊主の顔がスズそっくりで鼻も口もないものだから、ツジは少し不満そうだった。
「お前、絵心がないのな」
ツジの呆れたような言葉に、スズはただきょとんとして首をかしげただけだった。
顔の描き終わったてるてる坊主は人形屋の軒下に吊るされた。ナナはヤガミに教わってスズと二人で歌を歌った。てるてるぼうず、てるぼうず、あしたてんきにしておくれ――
いつかのゆめのそらのよに、はれたらきんのすずあげよ――
わたしのねがいをきいたなら、あまいおさけもたんとのましょ――
ナナとスズは、三番目の歌詞だけは歌わずに、ただただ、てるてる坊主に願いをこめた。
そうして、ナナは夢を見た。白いスカートのようなものをひるがえした女の子が、暗闇の中で誰かに向かって話しかけている。
――明日を天気にしたいのです。どうか、どうか、お力をお貸しください。
――わたしの力が必要なの? わたしの助けが必要なの? それなら力を貸してあげる。
翌朝、ナナは飛び跳ねているスズの声で目を覚ました。
「はれた、はれた、てるてるぼうず、あまいおさけをたんとあげよ、きんのすずもたんとあげよ」
スズの言葉どおり、雨戸を開けば、梅雨とは思えないくらいに青く冴え渡った空が頭上に広がっていた。一階のほうから、ハルミさんが慌しく歩く音がする。きっと今日のお弁当を作っているのだろう。
ナナは目覚まし時計のベルを解除して、急いで服を着替えた。朝食もしっかりと食べ、ハルミに渡されたお弁当と、豆腐のドーナッツが入った包みとをリュックにしまう。ちゃっかりと、小さなビンに移されたハチミツも用意されていた。
空は青く、風は心地よい。絶好のおでかけ日和だった。
「いってきます!」
ナナは、元気よく家を飛び出した。
人形専門店の片すみで、みっつ並んだてるてる坊主の前に、人知れず金色の鈴とお酒が供えられていたのは、また別の話。
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