晴れ童子の雨唄[2]

 それからというもの、ナナは毎日のようにヤガミやツジのいる人形専門店に足を向けるようになった。ハルミの家とそこ以外に、このカミシキでナナの行くところなんてない。ヤガミもツジも、そんなナナを快く出迎えてくれた。

「ナナちゃん、部活は何部に入っているんですか?」

 この日も放課後に人形専門店を訪れたナナを出迎えたヤガミが、唐突にそんなことを聞いてきた。この日は学校から真っ直ぐにここへ来たので、スズは一緒じゃない。

「ええと……一応、手芸部に」

「へえ、やっぱ女の子だな」

 ナナがぽそぽそと答えると、ツジが関心したように言った。それに、ヤガミが相づちを打つように口を開く。

「ツジさんは不器用ですからねえ」

「お前の手先が器用すぎるんだよ。男のくせに裁縫なんかしやがって」

 むっとしたようすのツジに、ナナはきょとんとヤガミを見た。

「ヤガミさん、お裁縫するんですか?」

 すると、ヤガミは「ええ、まあ」と、はにかむように笑って、ツジが店の一角を指差した。

「あそこにあるぬいぐるみ、全部こいつが作ったんだぜ」

 指差された先には、質素なテーブルがある。その上に並ぶのは、おおよそ「人形専門店」には不釣合いな、クマやウサギのぬいぐるみだった。

 以前、ナナが疑問に思った、あのぬいぐるみたち。

「あれ、ヤガミさんが作ったんですか?」

「そうなんだよ。俺は人形専門店なんだからやめとけって言ったのになあ……」

「いいじゃないですか。チトセちゃんも喜んでくれてましたし」

「それって初めて来た時の話なんだろ? しかも、一度っきりの」

「そうですけどね」

 ヤガミは少しだけ困った笑いをして、それからナナを見た。

「ナナちゃんは裁縫が好きなんですよね?」

「あ、はい。小さい頃からずっと」

「でしたら、一緒に作ってみませんか? まだ時間も早いでしょう?」

 今日は部活がなかったから、まだ三時半だ。帰る時間までまだ十分ある。

「いいんですか?」

「ええ」

 ヤガミの申し出に、ナナは嬉しくなって、うなずいた。

 テーブルの上に置かれた作ったぬいぐるみは、どう見ても市販のものにしか見えなくて、ナナも作り方が気になっていた。フェルトでも綿でもない、ふわふわとした毛に覆われた布地で模られた動物たち。よくテディベア展なんかで手作りのそういうテディベアを見たことがあったけれど、そのときから気になっていた。


「じゃあ場所を変えましょうか。ちょっとついてきてもらえますか?」

 そう言われて、ナナがヤガミについて店の奥に行くと、コンクリートの床から少し高い位置に和室へ続くあがりがあった。そこで靴を脱ぎ、ヤガミとツジとナナの三人で和室にあがる。

 和室は四畳半ほどで、すぐ右脇には急な階段がある。部屋の広さを考えると、ヤガミは二階で寝ているのかもしれない。部屋の真ん中には、年季の入ったちゃぶ台が一つと、奥の床の間に何か細長いものが横にして置かれている――時代劇なんかで見たことがあった。刀だ。

「あの刀、本物ですか?」

 ナナがおそるおそるヤガミを見あげて問えば、ヤガミは「本物ですよ」と、なんのためらいもなく言い放った。

「代々伝わる家宝なんです。他にも幾つかありますが、僕が持っているのはこれだけですね」

「か、家宝……」

 耳慣れない言葉にすっかり驚いてしまっているナナに、「あいつの実家は神社なんだ」と、ツジがこっそりと耳打ちをしてくれた。

「あいつ、あんななりして剣道と居合い道の有段者でな、師範代まで負かしたことがあるんだ」

 あんな穏やかそうな物腰の青年なのに、意外な一面だった。ある意味では、ヤガミに家宝の刀が渡されたのもうなずける。師範代をも負かしたというのだから、刀を持ったヤガミは豹変でもするのだろうか――そんな明後日なことを考えてしまった。


 ちゃぶ台を囲むように三枚の座布団を敷く。ヤガミは、どこからともなく持ってきた毛皮のような布と型紙をちゃぶ台に置いて、座布団に座った。

「さ、ナナちゃんも座ってください」

「はい」

 ヤガミに促されてナナが座ると、左隣にツジが座った。

「ツジさんも作るんですか?」

 そうナナが尋ねたところ、ツジは「まさか」と言って笑った。「俺は二人の作業を見てるだけだよ」

「つまらなくないですか?」

「全然。むしろ俺はそっちのほうが楽しいんだ」

「え?」

 作るのを見ているだけで本当に楽しいのだろうか。わからないと首をかしげるナナに、ツジは微笑ましそうに笑った。

「どうせ俺には作れないからな。やってもしかたないだろ?」

「そう、ですか」

 そういえば、ユキが四苦八苦して作ったマスコットは、とても可愛いとは言えない代物だった。本人にできないことをやっても楽しくなんてないのかもしれない。ナナだって、苦手な運動をやっていても、やっぱり楽しくはない。

「それじゃあ、どのぬいぐるみを作りますか? 型紙はクマとウサギとペンギン、それからカッパがありますけど」

「じゃあ……私はペンギンで」

「これですね」

 言われて、ヤガミから白いボール紙を手渡される。くちばし、右翼、左翼、胴体、そして足とパーツごとに分けられた型紙をナナが確認していると、そのようすを見ていたツジが変な顔をした。

「というか、なんでカッパ? ペンギンとかはわかるけどよ」

「以前に注文があったんですよ、二体ほど。とてもいかめしい素敵な名前をつけてもらってました」

「いかめしくて素敵な名前って――」

「たしか、ヨシムネとミクニという名前でしたね」

 ――いかめしい。たしかに、いかめしい名前だ。

「いかめしすぎるだろ」ツジがげんなりと呟いた。「時代劇じゃあるまいし」

「どうも時代劇がお好きだったようです。おじいちゃん子だったそうなので」

 ヤガミは微笑ましいとでも言うように目を細めて、タンスから裁縫箱を取り出した。

「ナナちゃんは、針と糸は持ってますか?」

「はい、いつも持ち歩いているから」

「それなら裁ちバサミと、かんしだけで十分ですね。まずはモヘアを裏側にして型紙を写してください」

 どうやら、モヘアというらしい。毛の生えた生地と、ペンをヤガミから渡される。ナナは言われたとおりに生地をひっくり返し、型紙に沿ってペンで線を描いた。

「できたら裁断しましょうか。残す縫いしろは五ミリくらいでいいでしょう」

 それからは胴、羽、足、くちばしと順々に縫ってパーツを作った。ヤガミに借りたかんしを使って表に返し、綿を詰める。テディベアほど簡単ではなかったけれど、後はその容量で繋ぎ合わせるだけだった。最後にグラスアイという黒いボタンのようなものを目の代わりに縫いつけてぬいぐるみが完成する。


「へえ、器用なもんだなあ」

 ツジが、ナナの作ったペンギンのぬいぐるみを見て、感嘆の声をあげた。

 ナナの作った青いペンギンは、ヤガミのものと比べると少し不恰好ではあったけど、ナナは十分満足だった。

「ちゃんとしたぬいぐるみなんて初めて作った」

 思わず頬を緩めるナナに、ヤガミは微笑んで言った。「初めてとは思えないくらい上手にできてますよ」

 褒められて、なんだかナナはむずがゆくなって、はにかんだ。けれど、ヤガミはナナの笑顔を見つめて、少しだけ表情を変える。

「物を作る喜びとは、たまらないものでしょう。でも、決して忘れないでください。作られたものは、あくまで物なんです。生きものとは違う」

 ナナにはヤガミの言うことがわかるようでわからなかった。

 たしかに、ものはものでしかない。それはわかる。だけど、スズは? あんな風に――人間のように笑ったり泣いたり踊ったりするスズは、どうなのだろう。

 ――わからない。

 首を傾げるナナに、ヤガミは少しだけ苦笑した。と、そこでふと顔をあげたツジが大きな声を出した。

「おい、もう五時過ぎてるぞ」

「えっ?」

「ナナちゃん、親戚の方には何時までに家へ帰るように言われてますか?」

 冷静に対処するヤガミの言葉で、時計を見ていたツジが一瞬固まった。「親戚?」

 ――そういえば、ツジにはまだ、ナナがどうしてカミシキへ来たのかを教えていなかった。

「私、今は両親とは住んでなくて、親戚の家に預けられているので……」

 ナナがそう言うと、ツジは驚いたようにナナを見た。そして、おもむろに口を開く。

「もしかして、少し前にあった震災のせい、か?」

 ツジの発言に、ナナはこれ以上ないくらいに驚いた。

「な、なんで知ってるんですか?」

 ナナは、まだ何も言ってない。ヤガミはともかく、ツジには一言も――そんなようなことを言ったことはなかったはずなのに。

 ひどく動揺しているナナに、だけれども、ツジは少しだけ目を伏せ、ヤガミの作った黒いペンギンに目を向けた。

「人形の声を聞いたりするような、そういう特別な力っていうのは、何か大きな事故にあった後に覚醒することが多いんだ。ここのところ、震災以外に取り立てて大きな事件もなかったし、ナナちゃん自身にも特別怪我や障害のようなものが見られないだろ」

「それじゃあ、私がスズと話せるのも――」

「だろうな」

 喜ぶことも、悲しむこともできない状況だった。スズと出会えたこと、ヤガミやツジと知り合えたこと、ナナはよかったと思っている。だけど震災で失ったものは多いし、たくさんの人が亡くなった。これからどうなるのかさえだって、子供のナナにはわからない。

 複雑な気持ちになるナナの肩に、ツジの骨ばった大きな手が置かれた。ナナが振り向くと、ツジは今度はナナの頭を軽く撫でて言った。

「悪いこと聞いちまったな」

「いえ、本当のことだから……」

 ゆっくりと首を横に振るナナを見て、ツジは少しだけ笑った。それから、立ちあがってヤガミを見る。

「悪いけどヤガミ、俺ナナちゃんを家まで送ってくるから」

「え?」

「いいですよ。今日はそのまま家に帰ってくださって構いません」

「お、マジで? やりぃ」

 にやっと笑って言ったかと思うと、ツジはナナを立たせにかかる。

「じゃ、ほらナナちゃん、早く帰ろう。親戚の人と、スズの奴が待ってるだろ」

「え、で、でも……」

「気にしないでください。どうせ、ツジさんも家に帰るんですから」

「は、はあ」

 どこか強引なツジとヤガミに、またもややりこめられて、結局ナナはハルミの家まで送ってもらうことになった。出迎えてくれたハルミは、大層驚いていたけれど、ツジのさっぱりとした物言いと態度に安心したのか、すぐに笑顔になって頭を下げた。ナナは遅めのおやつを少しだけ食べて、作ったぬいぐるみをスズに見せた。スズはとても喜んで、ペンギンによじ登ったり飛びついたりと、始終楽しそうだった。だけど、ナナの作ったペンギンは、スズのように動くこともなくただ静かにじっとしていた。

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