人形屋の奏でた狂想曲[8]

 次の日、学校から帰ってきたナナは目を縫いつけ直した人形をぬいぐるみ用の洗剤で洗うことにした。スズのことがわからなかったのは残念だったけれど、スズの汚れのことが全く気にならなかったわけではない。薄汚れて繕った箇所が一目でわかるその姿は、なんだかとてもみすぼらしくて哀愁が漂って見えるから、できることならきれいにしてあげたいと常々思っていたのだ。説明を見る限りでは、どうやらこの洗剤は水を使わないで洗うらしい。スプレー缶をよく振って汚れた箇所にスプレーすると、まっしろな泡が吹き出して汚れを覆った。その上から、いらない布で汚れをこする。くすんでいた橙色は、すぐに鮮やかなみかんの色になった。

「お人形さんって、そうやって洗うのねえ。おばさんも初めて見たわ」

 感心したように呟くハルミに、ナナもうなずいた。「うん、私も」

「でも驚いたわね。商店街の裏に、そんなお店があるなんて」

 昨日、ハルミの家に帰ったナナは、ハルミに裏路地にひっそりと立つ人形専門店のことを話していた。ハルミとは親子ではないけれど、親元を離れている今はハルミが保護者なのだし、ハルミに無駄な心配はかけたくない。ヤガミからぬいぐるみ用の洗剤をもらったこともあって、ハルミの耳には一応通しておいたほうがいいだろうと、そう思ってのことだった。

「私もチトセちゃんをさがしているときに初めて知った。でも、悪い人じゃなさそうだったよ。危ないところを助けてくれたし」

「そうねえ。でもナナちゃん、十分に気をつけてちょうだいね。ナナちゃんの身体はナナちゃんだけのものじゃないんだから」

 ハルミに言われて、ナナは素直に「わかった」と、うなずいた。

「だけど、今度のことはちゃんとお礼をしなくちゃいけないわね。ちょうどサイトウさんから苺をおすそ分けしてもらったのよ。おばさんは仕事があっていけないけれど、ナナちゃん代わりに行ってきてくれるかしら?」

「うん、いいよ」

 あの店までの道は、ユウヅキの歌のおかげで大体覚えている。ちょっとしたお使いだと思えば、なんてことはなかった。

「今度の金曜日は中間試験で、学校は午前中だけなんでしょう? お昼過ぎに行ってみたらどうかしら」

「そうだけど……苺、傷まない?」

「ナナちゃんの初めての試験なんだから、サイトウさんの苺だって待ってくれるわ」

「そうかなあ」ナナが笑うと、ハルミも笑って「そうよ」と言った。


 中学校に入って初めての試験は、ナナにとって、とても緊張するものだった。小学校までのテストとは違って、中学校では机の中は空っぽにしなければいけなかったし、机の上に置いていいのは筆記用具だけと決まっているし、鞄は椅子の下、鉛筆や消しゴムを落とした際には手をあげて先生に拾ってもらうことになっている。

 配られた試験用紙は裏にして、チャイムが鳴ると同時に、教室中が一斉に紙を表にする。テストの間はクラスがしんとして、カンニング防止の為に先生が教室を見回る足音と、鉛筆が紙をこする音しかしない。いつもはあんなに賑わっている教室なのに、まるで別の部屋みたいに静かになってしまう。まるで、ナナの周りの人形たちみたいだ。今の今まで喋っていたかと思ったら、急に黙りこんでしんとして、でもその沈黙の中にも何かがうごめいているような気配を感じる――


「ねえナナちゃん、午後とか空いてたら商店街の駄菓子屋さんにいかない?」

 そう声がかけられたのは、三つの科目の試験を終えたナナが、教科書を鞄にしまっていたときのことだった。振り返ると、数人の女子生徒の中に混じっていたユキが、ナナに向かって手を振っている。こんな風に学校で遊びに誘ってもらえるのは、カミシキに来てから初めてだった。

「ありがとう、ユキちゃん。でも私、今日は用事があるから……」ナナが困った笑いをすると、ユキはちょっとだけ眉尻を下げた。

「そっかあ、残念。じゃあまた今度ね」

「うん、それじゃあ」

 ナナも残念に思いながら鞄を背負って、教室を後にした。ハルミの家についてからは私服に着替えて、ハルミが作っておいてくれた昼ごはんを食べた。それから、一時になるまで最近かまっていなかったベベと、めいっぱい遊んだ。ベベも久しぶりにナナと遊ぶのが嬉しいのか、いつもより、ずいぶんとはしゃいでいるみたいだった。時間になるぎりぎりまで、ベベはナナにぴったりとくっついて離れなかった。

「それじゃあベベ、いってきます」

 ベベは鼻を鳴らしながら、ついてこようとしたけれど、あんな細い路地にベベみたいな大きな犬を連れて行ったら身動きが取れなくなってしまいそうだから、ナナは気づかないふりをした。ハルミに包んでもらった「サイトウさん」の苺はちょうど食べごろで、風呂敷の中から甘い匂いが漂ってくる。

 けれど、ユウヅキの歌ったとおりに商店街の裏路地を進んでいたナナはその途中で足を止めた。そこはちょうど、手まり歌でいうところの「黒い鳥の群がる林」だったのだけれど、今はもう「林」ではなくなっていた。

 あれだけたくさん立ち並んでいたパイプは全て倒れ、ナナの行く手をさえぎるかのように左右で交差して、大きくばつ印を描いている。あのカラスたちの群れも、今は見当たらない。ちょっとでも触れば太いパイプが倒れてきそうで、とても通ることはできそうにない。

「この前まではちゃんと通れるようになっていたのに――」

 一体、どうしてこんなことになっているのだろう。迂回しようにも、ナナはこの路地に詳しくない。ナナは苺を包んだ風呂敷を抱えたまま、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


 それから、ナナはどうやって家に帰ったのか覚えていない。ただ玄関先のベベは気落ちしたナナを慰めるように鼻で鳴き、ハルミが帰ってくるまでの間、ずっとナナの傍にいてくれた。

 仕事から帰ったハルミに事の次第を話すと、ハルミは困ったような顔をして、

「そうだったの。でも、それでナナちゃんが気を落とすことなんてないわ。きっと誰かの悪戯よ」

 けれども、ナナはどこかぼんやりとした頭で関係のないことを考えていた。そういえば、ヒロコさんも悪戯がどうとか言っていた。チトセちゃんの人形の髪が短くなってしまったとかなんとかって――

 ナナはナナで、どうしてこんなに自分ががっかりしているのかがわからない。こんなことなら、ユキちゃんと遊びにいけばよかったのに。なんて、そんな風に思っているんだろうか。でも、くよくよしていたって何も始まらないのに。自分で自分がわからなかった。ナナは、今日だけは学校の宿題もしないで早めに寝ることにした。明日にはきっと元気になって、また笑えるようになる。そう自分に言い聞かせて、布団の中に潜った。

 その日の夢は、真っ暗な闇だった。何も見えない。何も感じない。けれど、音だけはたしかに存在している夢だった。

 ――嫌だわ、お人形屋さんたら。ナナちゃんのことを追い出してしまうなんて。

 囁くような小さな呟き。それは、手まり歌を教えてくれたユウヅキの声だった。

 ――きっと、あたしが無理なお願いをしてしまったから気負っているのね。でも、これはどうしようもないことよ。しかたのないことなのに。

 それってどういうこと? ナナはそう問いかけたはずなのに、ユウヅキはナナの声には気づかない風で独り言を続ける。

 ――だけど、これじゃあ、あんまりナナちゃんが可哀相だわ。では、どうしよう。どうしましょう。どうしたらいいのかしら。

 ぽつり、ぽつり、と。ユウヅキの言葉が落ちてくる。ナナはユウヅキがどうして自分に気づかないのか不思議でならなかったけれど、じっと呟かれるその言葉を聴いていた。

 ――そうだ。そうだわ。あなたに頼みましょう。あなたが導くの、そう、そうよ、あなたがナナちゃんを導いてあげるの。そう、その不思議な鈴の音色で。

 その瞬間、聞き覚えのある鈴の音がして、ナナはふと目を覚ました。朝日が昇りきらない薄明かりが障子越しにナナの顔を照らす。小鳥のさえずりも聞こえない朝だった。いつもより早い時間のはずなのに、不思議と眠気はなくて二度寝する気にもならない。

 ナナはゆっくりと体を起こして、机の上を見た。もはやスズの定位置になりつつあるそこに、スズがいない。それに気づいてナナはそっと眉を寄せた。

「……スズ?」

 ナナが名前を呼ぶと、どこか遠くから返るように鈴の音がする。外からだろうか。ナナは手早く着替えを済ませると、階段をおりて玄関に向かった。あがりの下には、ナナの革靴がきちんと一足ずつ並んでいて、下駄箱の上には見覚えのある風呂敷包みが置いてある。風呂敷を開けて見なくても中身はわかった。熟れた苺の甘い香りが鼻をくすぐる。

「これって、たしかサイトウさんの――」

 一瞬だけ迷って、ナナは風呂敷を抱えて家を出た。引き戸の開く音に気がついたのか、ベベが玄関口までやってきていた。ナナは口もとに人差し指を立ててベベを見る。意味が通じたのかはわからなかったけれど、ベベは一声もあげなかった。ハルミに何も言わずに家を出ていくナナの後ろ姿を、じっと見送っていた。


 鈴の音はすぐ近くでするのに、ナナがどれだけ歩いても、それ以上は近づけない。ナナは鈴の音を追いかけて歩き続けた。商店街の裏路地へとナナを導いた鈴の音は、一度その場で鳴り止んだ。ナナも、裏路地の入り口で立ち止まる。それから、じっと耳を澄ませていると、路地の奥から声がした。

 ――ナナ。

 スズの声だ。ナナを、呼んでいる。ナナは風呂敷を大事に抱えて、もう一度、裏路地に足を踏み入れた。

 それからは、スズの声がナナを導いてくれた。目に見えないけれど、たしかにスズがナナの前を歩いて道を案内してくれている――そんな気がした。

 ――こっち、こっちだよ、ナナ。そこのかどをまがったら、ほら、すぐそこに。

 ナナの視界が開けると同時。人形専門店は三度、その姿をナナの前に現した。

「あった……ちゃんと、辿り着けた」

 ナナは自分の声が、喜びで震えていることに気づかなかった。小走りに店の引き戸に駆けていって、軽くノックする。「すいません、どなたかいませんか」

 ガラス張りの引き戸ではノックらしい音はしなくて、がしゃがしゃと嫌な音をたてるだけだったけれど、ナナはノックと呼びかけを繰り返した。「朝早くにすいません、どなたかいませんか」

 四回ほどそれを繰り返したとき、引き戸の向こうに人影が写った。がらがらと引き戸が開かれて顔を覗かせたのは、濃紺の浴衣にはんてんを羽織ったヤガミだった。ヤガミはナナの顔を見るなり、ひどく驚いたような顔をする。

「あなたは、たしか――」

「ナナです。カツキナナです」

 ナナが口早に名乗ると、ヤガミは呆けたような顔をして、ナナを見る

「ナナちゃん、ですか。どうしてここに……」

「朝早くに、ごめんなさい。でも、どうしてもこれを届けたくて」

 そう言ってナナが風呂敷包みを差し出すと、ヤガミは目を白黒させて風呂敷とナナの顔を見比べた。

「これは?」

「苺です。今、私がお世話になっている人からです」

「今お世話になっている人、ですか? それはどういう――」

 ナナはヤガミの問いに少し戸惑った。けれど、この人になら話してもいいかもしれない。

「実は私、三月の地震で家がなくなって――両親は無事なんですけど、学校に通えなくなってしまったから、私だけ親戚に預けられているんです」

「他にご兄弟は?」

「いません」

「そうだったんですか……ここにはどうやって?」

「それは」

 ナナが口を開きかけたとき、するりと音もなく風呂敷の結び目が解けた。かと思うと、苺の入ったガラスの器の上にのった、みかん色の人形が姿を現す。ナナは少しだけ驚いたけれど、すぐに笑って口を開いた。

「スズが――この子が、案内してくれたんです」

 ヤガミは目を伏せて、スズを見つめた。それから、唐突に顔をあげる。

「ナナちゃん、でしたよね。少し待っていてもらえますか?」

「あ、はい」

 ナナがうなずくと、ヤガミは風呂敷を受け取らずに店の中に引っこんでしまった。しばらくして戻ってきたヤガミは浴衣からコート姿になっていて、微笑みながら一本の路地を指差した。「散歩がてら、少し話をしませんか。今の時間なら、きれいな朝焼けが見られるはずです」


 ヤガミと並んで、ナナは商店街の裏路地をゆっくりと歩き始めた。黄金色の朝日が差しこみ始めた路地はどこか幻想的で、不思議とあのナノハナの小道を彷彿とさせる。路地を抜ければ海が広がって、そのちょうど反対に当たる山の端には、橙色をした光の筋が浮かびあがっていた。「もう直、太陽が山の向こうに見えてきますよ。この辺に座って見ていましょう」

 ナナはヤガミに促されるまま、土手に腰かける。ヤガミもナナの隣に座って、朝焼けを眺めた。

「あなたには、謝らなければいけないことがあります」

 急なヤガミの言葉に、ナナは一瞬だけ頭が回らなかった。アヤマラナケレバイケナイコト。謝らなければ、いけないこと。それは――

「私にもあります」

 俯いて、ナナは消え入りそうな声で呟いた。ナナが謝らなければいけないこと。それは二度目に人形専門店を訪れたときのこと。

「それは僕に嘘を吐いたことですか?」

「え?」

 驚いて、ナナは顔をあげる。どうして。そう聞きたくてたまらないナナの顔を見て、ヤガミは薄っすらと微笑んだ。

「あなたが、僕の画いた地図を持っているはずがなかったからですよ」

 そう言って、ヤガミが上着のポケットから取り出したのは、くしゃくしゃに丸められた紙だった。それをナナの手のひらの中に落として、ヤガミは言った。「開いてみてください」

 言われたように、しわくちゃになった紙の皺を伸ばしてみて、ナナは驚いた。それはナナがなくしたヤガミの簡易地図だった。不意に、二度目に店に入ったときの光景が思い起こされる。無人のカウンターの上にのっていた紙くず。もしかして、あのときヤガミがポケットにしまっていたあれは――

 ナナは、顔から火が出そうになるくらい恥ずかしかった。穴があったら入りたい。だって、まさかあのとき、ヤガミがすでに地図を持っていたなんて。

「そんな顔をしないでください。そもそもあなたが再び店に訪れることがないように、僕が小細工したことが原因なんですから」

 ナナが店に来られないように小細工をした?

「もしかして、あのパイプは……」

「そうですよ。僕がツジさんと二人で倒したんです」

 静かな口調で語られた言葉に、ナナは純粋に疑問に思った。「どうしてそんなこと」

「あなたが、“そういう性質”の方だったからです」

「“性質”?」

「聞こえるんでしょう、人形たちの声が」

 ああ、この人は本当になんでも知っているのだ。ナナが嘘を吐いたことも、人形の声を聞くことも、本当になんでも知っている。

「人形たちは良くも悪くも人の影響を受けます。そんな人形たちが良くも悪くも影響を与える相手もまた、人間です。あなたにも身に覚えはありませんか? その人形を手にしてから何か不思議なことが起きるようになったんじゃないですか?」

 たしかに、あった。ナナにとって都合のよすぎるようなことが、いくつも、いくつも。

 でも。と、ヤガミは続けた。人形が起こす不思議なできごとは決して良いことばかりではないのだと。

「あなたが初めて僕と会ったとき、あなたの力はまだ弱かった。だから、僕らから遠ざけようとしたんです。僕らの周りには良いことも悪いことも起こりますから」

 ――僕ら。

「それは、ツジさんも含めてですか?」

「そうですよ」ヤガミは山の向こうに見え始めた朝日に目を細めて言った。「彼にもまた“そういう”力がある。だから、僕の店でアルバイトをしてもらっているんです」

 山の輪郭を、じわじわと赤い光が照らし始める。太陽が昇るにつれて、カミシキの町が朝焼け色に染まっていく。

「でも、駄目でしたね」感情の見えない静かな声が、朝日の中から聞こえてくる。「あなたは自分でここへ来るだけの力を手に入れてしまった」

 淡々とした声なのに、その中に悔いるような、懺悔するような、そんな響きが混じっているような気がした。


「昔話を、しましょうか」

 ヤガミが、急にそんなことを言いだした。一体なんの関係があるのだろうか。首をかしげたナナを見て微笑むと、ヤガミはゆっくりと語りだした。

「あれは、そうですね、僕がまだこの店を始めて一月も経たないころの話です。あの店は今と同じで、お客のほとんど来ない寂れた店でした。そんな中で僕は一人、人形の手入れや修繕に日々を費やしていました。ところがある日、一通の手紙が届いたんです。中には艶やかな黒い髪が同封されていて、手紙にはその髪で記念の人形を作って欲しいとありました」

 そこまで聞いて、ナナはふと気づいた。こんな話を、以前にも聞いたことがある。

「それは僕にとっては、初めての依頼でした。舞いあがってしまったんですね、僕はなんの疑いもなく同封されていた髪で人形を作りました。人形の完成までには五年かかりました。けれど、人形が完成した報せを受けて店にやってきたのは依頼主ではなく、依頼主のご家族でした」

 ヤガミは一度そこで言葉を切って、ナナを見た。

「わかりますか? コウダチトセちゃんのご家族です」

 やっぱり。ナナは口の中で小さく呟いた。ユウヅキの言っていた「人形屋さん」というのは――

「依頼主は病弱な女の子だったと、そのときにご両親から聞きました。そして、すでにもう他界しているとも」

 けれど、ヤガミにとってはそれは然程大きな問題ではなかった。ヤガミにとって最も問題だったのは、その他界した依頼主がヤガミの作った人形に宿ってしまったということだった。

「人形は使われる内が花ですが、いずれはどうしても使われなくなる時がくる。ですが、人形に宿ってしまったものは自らの意思で人形から抜け出すことができないんです」

 今はチトセに使われているユウヅキも、いつかは使われなくなるかもしれない。けれど、そうなったとき、ユウヅキは何もできない。ただ、離れていくチトセを見ていることしかできない。最悪の場合、チトセと離れ離れになってしまうことだって考えられる。それはユウヅキにとって一体どれだけつらいことだろう。

 だから、ヤガミはユウヅキと、チトセやヒロコたちに約束をさせた。必ず、何かあったらこの店を訪れるように、と。人形とチトセが離れたり、親元から手放される状況になった場合は必ずこの店に人形を持ってくるようにと。そしてその代わりに、ヤガミは責任を持って自分で人形の供養をすると。そう、約束したのだという。

「でも」と、ナナは呟いた。「チトセちゃんも、その人形も、今の状態を後悔なんてしてないと思います」

 あの二人は、後悔なんてきっとしない。それは、これから先も、ずっと。

「私も、スズとこうして会えたことは後悔してないです。ヤガミさんや、ツジさんに会えたことも」

 ナナがヤガミを振り返ると、ヤガミは柔らかく微笑んでいて、

「ありがとうございます」

 そのとき、ふいに鈴を転がしたような音がした。一瞬、ヤガミとナナは顔を見合わせる。音はナナの膝の上からした。膝の上にはヤガミに渡すつもりだった風呂敷がのっていて――

 ナナが風呂敷の中のそれを抱きあげると、それはゆっくりと片腕を持ちあげて言った。

「スズも、ナナにあえてよかった」

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